毎日のように我が親父のマッサージをしている。
やれ、腰が痛い、肩が痛い、足が痛いと訴える。
私も出来る限り親父の家へやって来ては、その都度辛いと訴える箇所(ほぼ全身なのだが)をマッサージしてやるのだが、これに要する時間は毎回ほぼ1時間半だ。
親父と一緒に住んでいる妹などはもっと大変で、1回のマッサージ時間が2〜3時間に及ぶことなどしょっちゅうである。
それを多い日には二度三度と要求されるから、かなりな重労働と言えるだろう。
我々兄妹は親父のマッサージで生計を立てている訳ではないので、他の仕事の合間を縫っての話。だからかなり疲れるのである。
親父はベッドに横たわり、揉まれている間じゅう「あ〜あ、良いなあ」とか「サイコー」だとか、「極楽だなぁ〜」とか「やっぱり人に揉んでもらうのが一番良いなぁ」だとか「ツボに入るなぁ。指サイコー」だとか「効く〜ぅ」とか、とにかくうるさい。
おそらく我々への賛辞と、これからも欠かすことなくマッサージをしてくれよとのメッセージなのであろう。比率としては、後者の方のウエイトが高そうではあるが。
しかし、我々とて人間である。体力的にも限界というものがある。
どちらかと言えば、揉むよりも指圧の方が多いので、私などは何度か親指が腫れ上がったこともある。
親父も以前よりはだいぶ痩せたので、かなり指圧がし易くなったが、それでも終わると指が熱を持っている。
この日もしっかり1時間半のマッサージを終えたが、両の親指がオーバーヒート状態だ。
そこでたまらず「親父よ。指が限界に来ている」と訴えた。すると親父は夢見心地の状態で
「そうがぁ〜、指がダメがぁ〜」と言いながら、よろよろとベッドの上に起き上がった。
トイレにでも行くのかなと思って見ていると、よっこいしょとベッドから降りて杖を取り、ゼンマイ仕掛けの安っぽいオモチャみたいに、バタバタと台所の方へ小刻みに歩いて行った。
しばらくすると、再びバタバタと戻って来たが、その手には千円札が握られていた。
その千円札をやおら私の前に差し出すと
「何か指に良いものでも食って来い」と言った。
なんだか狐にでも抓まれたような気分で、その千円札を受け取る私。
(指に良い食い物ってなんだ?)
後からやって来た妹にそのことを話すが、やはり「指に良い食い物ってなに?」と同じ疑問。
という訳で、どなたか指に良い千円以内の食べ物をご存知の方がいましたら、どうぞお教えください。心よりお待ちしております。
やれ、腰が痛い、肩が痛い、足が痛いと訴える。
私も出来る限り親父の家へやって来ては、その都度辛いと訴える箇所(ほぼ全身なのだが)をマッサージしてやるのだが、これに要する時間は毎回ほぼ1時間半だ。
親父と一緒に住んでいる妹などはもっと大変で、1回のマッサージ時間が2〜3時間に及ぶことなどしょっちゅうである。
それを多い日には二度三度と要求されるから、かなりな重労働と言えるだろう。
我々兄妹は親父のマッサージで生計を立てている訳ではないので、他の仕事の合間を縫っての話。だからかなり疲れるのである。
親父はベッドに横たわり、揉まれている間じゅう「あ〜あ、良いなあ」とか「サイコー」だとか、「極楽だなぁ〜」とか「やっぱり人に揉んでもらうのが一番良いなぁ」だとか「ツボに入るなぁ。指サイコー」だとか「効く〜ぅ」とか、とにかくうるさい。
おそらく我々への賛辞と、これからも欠かすことなくマッサージをしてくれよとのメッセージなのであろう。比率としては、後者の方のウエイトが高そうではあるが。
しかし、我々とて人間である。体力的にも限界というものがある。
どちらかと言えば、揉むよりも指圧の方が多いので、私などは何度か親指が腫れ上がったこともある。
親父も以前よりはだいぶ痩せたので、かなり指圧がし易くなったが、それでも終わると指が熱を持っている。
この日もしっかり1時間半のマッサージを終えたが、両の親指がオーバーヒート状態だ。
そこでたまらず「親父よ。指が限界に来ている」と訴えた。すると親父は夢見心地の状態で
「そうがぁ〜、指がダメがぁ〜」と言いながら、よろよろとベッドの上に起き上がった。
トイレにでも行くのかなと思って見ていると、よっこいしょとベッドから降りて杖を取り、ゼンマイ仕掛けの安っぽいオモチャみたいに、バタバタと台所の方へ小刻みに歩いて行った。
しばらくすると、再びバタバタと戻って来たが、その手には千円札が握られていた。
その千円札をやおら私の前に差し出すと
「何か指に良いものでも食って来い」と言った。
なんだか狐にでも抓まれたような気分で、その千円札を受け取る私。
(指に良い食い物ってなんだ?)
後からやって来た妹にそのことを話すが、やはり「指に良い食い物ってなに?」と同じ疑問。
という訳で、どなたか指に良い千円以内の食べ物をご存知の方がいましたら、どうぞお教えください。心よりお待ちしております。
今年最初のクエスチョン
2021年1月13日 親父との会話 コメント (8)親父は相変わらず寝たり起きたりの繰り返し。
起きるのはトイレの時と、食事をする時くらいだ。
一日の8割以上はベッドの上で過ごすような状態である。
当然の事ながら筋肉が弱ってくるので、腰痛や背痛も酷くなってくる。
私はといえば、そんな親父のマッサージが主な役割となっている。
首筋から足の裏まで全身をマッサージするのだが、これがなかなかの重労働。プロのマッサージ師さんたちは一日に何人も施術するのだろうから、頭が下がる思いだ。
今日も今日とて、親父のマッサージをしていたら、妹が側に寄ってきて、昨日、訪問看護師のYさんが訪ねて来たことを教えてくれた。
その時の話。
Yさんが親父に「今朝は何を食べたの」と質問したら、「今朝は日本蕎麦と冷麺を食ったなあ」と返事をしたそうな。
妹は「実際には何も食べてないんだけどね」とポツリ。
ついに親父も呆けてきたのだろうかと、少々心配になる。が、しかし、話には続きがあった。
Yさんが帰ったあと、妹が親父に「今朝は何も食べなかったでしょ。蕎麦なんて出してないよ」と言うと、親父は「蕎麦はおメェが食ってたのを、少しもらったべ。冷麺も」と答えたそうな。
そう言われて妹ははたと気がついた。
蕎麦はその前日に、冷麺はその日の夜に作って、親父に少しだけ分け与えたのだった。
つまり時間的なずれはあったが、食べたことは事実だったのである。むしろその事を忘れていたのは妹の方だったのだ。
「呆けてるんだか、呆けて無いんだか分からんなあ」と私がつい口を滑らせると、ベッドに横になり、それまで黙ってマッサージを受けていた親父が「呆けてねぇぞぉ」と呟いた。
そして目をつぶったまま「1時間経ったべ。ご苦労さん」と私にマッサージ終了を告げた。
私は壁の時計へ目をやると、確かにピッタリ1時間が経ったところだった。しかも不思議なのは、親父の位置からは時計が見えないことである。そして親父はずうっと目を閉じたままだった。
なぜ1時間経ったことが分かったのか。もしかして親父の身体には極めて正確な『体内時計』が存在するのだろうか。
今年最初のクエスチョンに思わぬところで遭遇してしまった。
起きるのはトイレの時と、食事をする時くらいだ。
一日の8割以上はベッドの上で過ごすような状態である。
当然の事ながら筋肉が弱ってくるので、腰痛や背痛も酷くなってくる。
私はといえば、そんな親父のマッサージが主な役割となっている。
首筋から足の裏まで全身をマッサージするのだが、これがなかなかの重労働。プロのマッサージ師さんたちは一日に何人も施術するのだろうから、頭が下がる思いだ。
今日も今日とて、親父のマッサージをしていたら、妹が側に寄ってきて、昨日、訪問看護師のYさんが訪ねて来たことを教えてくれた。
その時の話。
Yさんが親父に「今朝は何を食べたの」と質問したら、「今朝は日本蕎麦と冷麺を食ったなあ」と返事をしたそうな。
妹は「実際には何も食べてないんだけどね」とポツリ。
ついに親父も呆けてきたのだろうかと、少々心配になる。が、しかし、話には続きがあった。
Yさんが帰ったあと、妹が親父に「今朝は何も食べなかったでしょ。蕎麦なんて出してないよ」と言うと、親父は「蕎麦はおメェが食ってたのを、少しもらったべ。冷麺も」と答えたそうな。
そう言われて妹ははたと気がついた。
蕎麦はその前日に、冷麺はその日の夜に作って、親父に少しだけ分け与えたのだった。
つまり時間的なずれはあったが、食べたことは事実だったのである。むしろその事を忘れていたのは妹の方だったのだ。
「呆けてるんだか、呆けて無いんだか分からんなあ」と私がつい口を滑らせると、ベッドに横になり、それまで黙ってマッサージを受けていた親父が「呆けてねぇぞぉ」と呟いた。
そして目をつぶったまま「1時間経ったべ。ご苦労さん」と私にマッサージ終了を告げた。
私は壁の時計へ目をやると、確かにピッタリ1時間が経ったところだった。しかも不思議なのは、親父の位置からは時計が見えないことである。そして親父はずうっと目を閉じたままだった。
なぜ1時間経ったことが分かったのか。もしかして親父の身体には極めて正確な『体内時計』が存在するのだろうか。
今年最初のクエスチョンに思わぬところで遭遇してしまった。
腰が痛い、背中が苦しいというので、親父のマッサージをしていた。
妹は所用で出かけ、家の中には親父と私の二人だけ。
ベッドに横になった親父を揉み始めて、そろそろ1時間になる。
「疲れたべぇ〜」
じっと目を閉じたままの親父が、ぼそりとそう言った。
「ああ」と私が答えると
「それじゃあ今度は、首から肩、腕を揉んでくれ」
てっきり休んでいいぞと言われるものと思ったら、さらなる要求が。
仕方なく、言われた通りに揉み始まった。
それから30分は揉んだだろうか。
「疲れたべぇ〜」
再びの親父の問いかけに答えずにいると
「それじゃあ今度は反対側の、首から肩、腕を揉んでくれ」
やっぱり。
この調子だと今度は
(疲れたべぇ〜、オラが)と言い出すに決まっている。
そこで揉んでいた手を止めると
「ちょっとトイレに行ってくるから」と言ってその場を離れた。
この家のトイレは廊下の奥にある。
かつて親父が取り付けた大型換気扇は、トイレの窓の半分を占めている。見るからに異様である。トイレに相応しくないのは誰の目にも明らかな代物だ。
あまりにも強力な、ハイパワーな換気扇であり、今は誰もそのスイッチを入れようとはしない。入れたら最後、強力な吸引力で吸い込まれそうになる。
下手をするとドアも開かなくなるし、逆にドアを開けていたら自動で閉まる。
どうしてこんな換気扇を取り付けたのだ、ここは焼肉屋かと親父を追求したことがあったが、それに答えることはなかった。
さて、そのトイレで用を足していたら
ドン、ドン、ドン
という音が聞こえて来た。
最初は微かな音だったのだが、次第に大きくなってくる。
ドン、ドン、ドン
トイレのすぐ側には、妹が教えているダンスのスタジオがある。忘れ物をした生徒さんでも入って来たのかなと思ったが、どうも違うようだ。
その音は規則的に、そして確実にこのトイレへ向かって近づいて来る。
私の背筋に冷たいものが走った。
ドン、ドン、ドンッ
さらに大きくなる音。
私は意を決してドアノブを回し、外へでた。すると
先が四つに分かれた歩行補助用の杖をついて、親父が小刻みに歩いて来るところだった。
ドン、ドン、ドンというのはその杖が床を突く音だったのだ。
トイレの前で鉢合わせになった私と親父。お互いに「びっくりした」「ビックリした」と挨拶を交わし、何事も無かったかのように通り過ぎた。
肩越しに親父がトイレへ入ったのを見たが、その直後、ゴォーッという大きな音が聞こえたかと思うと、バタンッ、とトイレのドアが勢いよく閉まった。
(なんだ、使ってんのか)
そういうことである。
妹は所用で出かけ、家の中には親父と私の二人だけ。
ベッドに横になった親父を揉み始めて、そろそろ1時間になる。
「疲れたべぇ〜」
じっと目を閉じたままの親父が、ぼそりとそう言った。
「ああ」と私が答えると
「それじゃあ今度は、首から肩、腕を揉んでくれ」
てっきり休んでいいぞと言われるものと思ったら、さらなる要求が。
仕方なく、言われた通りに揉み始まった。
それから30分は揉んだだろうか。
「疲れたべぇ〜」
再びの親父の問いかけに答えずにいると
「それじゃあ今度は反対側の、首から肩、腕を揉んでくれ」
やっぱり。
この調子だと今度は
(疲れたべぇ〜、オラが)と言い出すに決まっている。
そこで揉んでいた手を止めると
「ちょっとトイレに行ってくるから」と言ってその場を離れた。
この家のトイレは廊下の奥にある。
かつて親父が取り付けた大型換気扇は、トイレの窓の半分を占めている。見るからに異様である。トイレに相応しくないのは誰の目にも明らかな代物だ。
あまりにも強力な、ハイパワーな換気扇であり、今は誰もそのスイッチを入れようとはしない。入れたら最後、強力な吸引力で吸い込まれそうになる。
下手をするとドアも開かなくなるし、逆にドアを開けていたら自動で閉まる。
どうしてこんな換気扇を取り付けたのだ、ここは焼肉屋かと親父を追求したことがあったが、それに答えることはなかった。
さて、そのトイレで用を足していたら
ドン、ドン、ドン
という音が聞こえて来た。
最初は微かな音だったのだが、次第に大きくなってくる。
ドン、ドン、ドン
トイレのすぐ側には、妹が教えているダンスのスタジオがある。忘れ物をした生徒さんでも入って来たのかなと思ったが、どうも違うようだ。
その音は規則的に、そして確実にこのトイレへ向かって近づいて来る。
私の背筋に冷たいものが走った。
ドン、ドン、ドンッ
さらに大きくなる音。
私は意を決してドアノブを回し、外へでた。すると
先が四つに分かれた歩行補助用の杖をついて、親父が小刻みに歩いて来るところだった。
ドン、ドン、ドンというのはその杖が床を突く音だったのだ。
トイレの前で鉢合わせになった私と親父。お互いに「びっくりした」「ビックリした」と挨拶を交わし、何事も無かったかのように通り過ぎた。
肩越しに親父がトイレへ入ったのを見たが、その直後、ゴォーッという大きな音が聞こえたかと思うと、バタンッ、とトイレのドアが勢いよく閉まった。
(なんだ、使ってんのか)
そういうことである。
今日の親父の言葉より。
「もう11月かあ。おらもエンフルインザの注射した方がいいべなあ」
「そこのエロインピツ取ってくれ」
以上、今日の出来事でした。
「もう11月かあ。おらもエンフルインザの注射した方がいいべなあ」
「そこのエロインピツ取ってくれ」
以上、今日の出来事でした。
セーター顛末記 親不孝な兄妹の物語
2020年10月26日 親父との会話 コメント (9)
妹が親父に着せようと、セーターを買って来た。
秋らしい装いの高級感溢れるセーターだ。実際、お値段も相当よろしかったらしく、
「もう少し安いのにしておけば良かったかな」などと、本心かどうか分からないことを口にしていた。
だが、本当の後悔、いや、悲劇はこの後にやって来た。
妹が早速親父にセーターを頭から被せたのだが、なんと襟首の周りが狭くて、頭が入らない。
確かに親父は顔も頭も大きい方だ。だが、このところの脱水症状で、きっと痩せただろうという妹の読みは見事に外れてしまった。
大枚叩いた妹と、頭の上しか入らない親父の二人は途方に暮れていた。
そこへちょうど私がやって来たものだから、二人で私の顔や頭をジロジロと眺め始まった。
何やら不穏な気配にたじろぐ私。
いったいどうしたと妹へ尋ねると、かくかく然々と今までの説明を受ける。
「だからこのセーターをヒコヒコへあげようかと思うのだが、ヒコヒコも頭が大きいから無理だろうなあ」と訝しそうな口ぶりだ。
話は変わるが、我が家系は代々頭や顔が大きく、親父の兄弟も皆その流れを見事なまでに汲んでいた。その中でも特に親父は大きくて、さらにその血を受け継いだ私などは、将来を約束されたようなものだった。
小学生の頃などは「仮分数」などという有難くないあだ名までつけられたほどである。
そのせいだろうか。未だに「こけし」を見ると、気持ちが切なくなるのはそのトラウマかも知れない。
話を元に戻そう。
妹の疑いの目にムッとした私は、そのセーターを受け取ると、その場で被って見せた。
(ストン)
見事に何の抵抗もなく、セーターは私の頭、顔をくぐり抜け、見事に体に収まった。
驚く妹が発した言葉は意外にも
「ヒコヒコが着れるなら、じい様も大丈夫かも」だった。
「そんな筈がない」
私の反論を無視するようにセーターを剥ぎ取ると、今ようやくベッドへ横になったばかりの親父を引き起こし、ほとんど無理矢理と言っても良い勢いで被せ始まった。
「イデデデデッ!」
親父の悲鳴。
「目、目、め、メっ、目に入ったぁ!!」
襟首のところが、ちょうど目の辺りで止まってしまった。それをさらに入れようとする妹の暴挙に
「やめろぉ」と親父の断末魔。
「頭の形が悪いのかなぁ」
親父の悲鳴など関係ないように呟く妹。
二人から少し離れたところでその様子を見ていた私だったが、セーターの襟首から薄くなった頭のてっぺんだけを出して蠢いている親父の姿に
(何かに似ているなあ)と私。
結局、そのセーターを貰った私は帰り道でハタと気がついた!
(バトミントンの羽根だ!)
こんなに気分がスッキリしたのは久し振りだった。
秋らしい装いの高級感溢れるセーターだ。実際、お値段も相当よろしかったらしく、
「もう少し安いのにしておけば良かったかな」などと、本心かどうか分からないことを口にしていた。
だが、本当の後悔、いや、悲劇はこの後にやって来た。
妹が早速親父にセーターを頭から被せたのだが、なんと襟首の周りが狭くて、頭が入らない。
確かに親父は顔も頭も大きい方だ。だが、このところの脱水症状で、きっと痩せただろうという妹の読みは見事に外れてしまった。
大枚叩いた妹と、頭の上しか入らない親父の二人は途方に暮れていた。
そこへちょうど私がやって来たものだから、二人で私の顔や頭をジロジロと眺め始まった。
何やら不穏な気配にたじろぐ私。
いったいどうしたと妹へ尋ねると、かくかく然々と今までの説明を受ける。
「だからこのセーターをヒコヒコへあげようかと思うのだが、ヒコヒコも頭が大きいから無理だろうなあ」と訝しそうな口ぶりだ。
話は変わるが、我が家系は代々頭や顔が大きく、親父の兄弟も皆その流れを見事なまでに汲んでいた。その中でも特に親父は大きくて、さらにその血を受け継いだ私などは、将来を約束されたようなものだった。
小学生の頃などは「仮分数」などという有難くないあだ名までつけられたほどである。
そのせいだろうか。未だに「こけし」を見ると、気持ちが切なくなるのはそのトラウマかも知れない。
話を元に戻そう。
妹の疑いの目にムッとした私は、そのセーターを受け取ると、その場で被って見せた。
(ストン)
見事に何の抵抗もなく、セーターは私の頭、顔をくぐり抜け、見事に体に収まった。
驚く妹が発した言葉は意外にも
「ヒコヒコが着れるなら、じい様も大丈夫かも」だった。
「そんな筈がない」
私の反論を無視するようにセーターを剥ぎ取ると、今ようやくベッドへ横になったばかりの親父を引き起こし、ほとんど無理矢理と言っても良い勢いで被せ始まった。
「イデデデデッ!」
親父の悲鳴。
「目、目、め、メっ、目に入ったぁ!!」
襟首のところが、ちょうど目の辺りで止まってしまった。それをさらに入れようとする妹の暴挙に
「やめろぉ」と親父の断末魔。
「頭の形が悪いのかなぁ」
親父の悲鳴など関係ないように呟く妹。
二人から少し離れたところでその様子を見ていた私だったが、セーターの襟首から薄くなった頭のてっぺんだけを出して蠢いている親父の姿に
(何かに似ているなあ)と私。
結局、そのセーターを貰った私は帰り道でハタと気がついた!
(バトミントンの羽根だ!)
こんなに気分がスッキリしたのは久し振りだった。
DNを再開したのは良いけれど、我が親父の介護で手一杯。
なかなか日記を綴ることが出来ないでいた。
そんな親父を今日も昨日も一昨日も、毎日朝から病院へ連れて行く。
通っている病院やクリニックは全部で六つ。その時の症状によって消化器科だったり外科だったり、あるいはペインクリニックや皮膚科、整形外科等々なかなか大変である。
幸か不幸か無職になった私が、親父に付き合う時間がふんだんにあるものと家族たちから大いなる誤解を受け、結果として面倒をみることになってしまった。
それにしても病院の待ち時間の、なんと長いことか。
以前よりはだいぶ短くなったと言われるが、それにしても長い。
親父も待合室のベンチに腰を掛けて、辛そうにしている。
そんな親父から「水を買って来てくれ」とか「OS-1を買って来てくれ」と頼まれる。
そこでついでに自分の分もと、サントリーのDAKARAを買って戻ると
「それはなんだ」と尋ねてくるので「DAKARAというのだ」と答えると
「だがらなんだど聞いているんだ」と噛み付いてくる。
「だから、DAKARAという飲み物なんダカラ」と答えると
「めんどくせえもの好きなんだな」と私のDAKARAに手を伸ばす。
「いやいや、親父のはこれじゃないから。天然水の方」
そう言って南アルプスの天然水を差し出すと
「天然ボケのほうだって?」
そう言いながらペットボトルのラベルを目を細めながら睨んでいた。
ああ、面倒くせぇなあ!!
なかなか日記を綴ることが出来ないでいた。
そんな親父を今日も昨日も一昨日も、毎日朝から病院へ連れて行く。
通っている病院やクリニックは全部で六つ。その時の症状によって消化器科だったり外科だったり、あるいはペインクリニックや皮膚科、整形外科等々なかなか大変である。
幸か不幸か無職になった私が、親父に付き合う時間がふんだんにあるものと家族たちから大いなる誤解を受け、結果として面倒をみることになってしまった。
それにしても病院の待ち時間の、なんと長いことか。
以前よりはだいぶ短くなったと言われるが、それにしても長い。
親父も待合室のベンチに腰を掛けて、辛そうにしている。
そんな親父から「水を買って来てくれ」とか「OS-1を買って来てくれ」と頼まれる。
そこでついでに自分の分もと、サントリーのDAKARAを買って戻ると
「それはなんだ」と尋ねてくるので「DAKARAというのだ」と答えると
「だがらなんだど聞いているんだ」と噛み付いてくる。
「だから、DAKARAという飲み物なんダカラ」と答えると
「めんどくせえもの好きなんだな」と私のDAKARAに手を伸ばす。
「いやいや、親父のはこれじゃないから。天然水の方」
そう言って南アルプスの天然水を差し出すと
「天然ボケのほうだって?」
そう言いながらペットボトルのラベルを目を細めながら睨んでいた。
ああ、面倒くせぇなあ!!
妹から所用で不在にするので、夜、親父の様子を見て欲しいと頼まれた。頼まれなくても様子を見に行くつもりであったが、現在親父は自宅療養中である。
会社帰りに親父の家へ立ち寄ると、なにやら家の中が賑やかな様子。これはもしやとリビングを覗くと、親父と息子たち(孫たち)が酒盛りをしている最中だった。
「おう、来たか!」
ふらりと食卓に姿を現した私を見て、親父は一層機嫌が良くなった。
テーブルの上には空になったビールの缶が転がっている。スーパーで買ってきた惣菜が並んでいたが、息子たちとほぼ食べ尽くしたあとだった。
親父から缶ビールを手渡された私は、遅ればせながら宴の輪に加わった。
それにしても、今にも死にそうな様子だった親父が、息子たちと馬鹿話で盛り上がっている。あの入院騒動はいったい何だったのか。
ひと回りも二回りも痩せこけて、もう駄目だあとよろよろ蒲団の上に起き上がり、私を慌てさせたあの時から、まだそんなに日が経っているわけではない。それがまるで別人のように、いや、本来の親父そのものに戻ってしまっている。
以前から感じてはいたが、なんという回復力。いや、生命力か。
曾孫も生まれて「あと10年は生きる」宣言を行った。となると100歳まで生きるということか。
こちらのほうがその前にダウンしないよう気をつけなければいけない。
親父と息子たちの笑い声の中で、私は温い缶ビールを飲みながら、そんなことを考えていた。
会社帰りに親父の家へ立ち寄ると、なにやら家の中が賑やかな様子。これはもしやとリビングを覗くと、親父と息子たち(孫たち)が酒盛りをしている最中だった。
「おう、来たか!」
ふらりと食卓に姿を現した私を見て、親父は一層機嫌が良くなった。
テーブルの上には空になったビールの缶が転がっている。スーパーで買ってきた惣菜が並んでいたが、息子たちとほぼ食べ尽くしたあとだった。
親父から缶ビールを手渡された私は、遅ればせながら宴の輪に加わった。
それにしても、今にも死にそうな様子だった親父が、息子たちと馬鹿話で盛り上がっている。あの入院騒動はいったい何だったのか。
ひと回りも二回りも痩せこけて、もう駄目だあとよろよろ蒲団の上に起き上がり、私を慌てさせたあの時から、まだそんなに日が経っているわけではない。それがまるで別人のように、いや、本来の親父そのものに戻ってしまっている。
以前から感じてはいたが、なんという回復力。いや、生命力か。
曾孫も生まれて「あと10年は生きる」宣言を行った。となると100歳まで生きるということか。
こちらのほうがその前にダウンしないよう気をつけなければいけない。
親父と息子たちの笑い声の中で、私は温い缶ビールを飲みながら、そんなことを考えていた。
8月の中旬までは親父と飲み歩いていたが、下旬に入ってから体調が悪くなり、家を出ることがほとんど無くなった。
妹からは食べ物を一切受け付けなくなったと聞かされて、さすがに心配になった私は会社帰りに親父の家へ立ち寄った。
部屋の真ん中に蒲団を敷き、横になっていた親父。
部屋へ入って行くと、ゆっくり私の方へ顔を向けて開口一番
「おら、もうだめだぁ~」と蚊の鳴くような声をあげた。
あの親父が、この間までビールを一緒に飲み歩いていた親父が、一回りも二回りも小さくなってしまった。
それでもヨロヨロと蒲団の上に起き上がり、がっくりと項垂れる。
あまりにも衰弱の度合いが激しかったので、これはまずいなと思った私は
「救急車を呼ぼうか」と尋ねたが、明日病院へ行くから呼ぶなという。
(明日までもつかな)などと不安が頭を過ったが、一度そう決めると首を縦に振らない親父である。
妹とも相談して、明日の朝、私が病院へ連れて行くことになった。
翌日、急きょ会社を休んだ私は、用事があってどうしても一緒に行けない妹の代わりに妻を伴い、最近移転が終ったばかりの大きな救急病院へと親父を連れて行った。
本来なら地元の開業医へ連れて行くのが手順だが、そこへ今まで通っていたにも関わらずこの有様なので、親父はすっかり不信感を持ってしまい、行きたくないという。そのような理由で、止む無く紹介状なしでこの大病院を訪問したのであった。
受付終了から待つこと4時間ほど。どうにか診察の番が回って来た。
車椅子に親父を乗せて診察室へと入る。
先生は40代くらいの女医だが、とても親身になって受け答えをしてくれる。
親父も親父で、先生が女性だと分かったら、急に背筋が伸びてはっきりと受け答えをし始めた。
(嘘だろ~)
今までの、いつ死んでも良さそうなあの状態はなんだったのか。
私が親父に代わってこれまでの経緯を話さなければならないと思い、何度も頭の中で言葉を組み立てていたのに、親父がひとりで説明してしまったのだった。
これには私も口をあんぐりと開けるしかなかった。
採血やレントゲン、CT撮影などを行って、最終的に高度な脱水症状と腎機能の異常という診断が出され、即日入院と決まった。それが決まると不思議なことに親父は一層元気になってきたようで、気がつけばあれほど悪かった顔色が、赤みさえ差しているではないか。
その後、入院手続きやら必要な物を購入したりとか、すべてが終了した時には外はすっかり日が暮れていた。
妻と暗くなった病院の外へ出て
「何か食べて帰ろうか」とひとこと。
孫が生まれたことと親父の入院が頭の中で絡み合い、これから暫くは忙しくなることをお互いに感じながら、さて、自分のクルマを何処に留めたっけと広い駐車場をウロウロ探し回ったのだった。
妹からは食べ物を一切受け付けなくなったと聞かされて、さすがに心配になった私は会社帰りに親父の家へ立ち寄った。
部屋の真ん中に蒲団を敷き、横になっていた親父。
部屋へ入って行くと、ゆっくり私の方へ顔を向けて開口一番
「おら、もうだめだぁ~」と蚊の鳴くような声をあげた。
あの親父が、この間までビールを一緒に飲み歩いていた親父が、一回りも二回りも小さくなってしまった。
それでもヨロヨロと蒲団の上に起き上がり、がっくりと項垂れる。
あまりにも衰弱の度合いが激しかったので、これはまずいなと思った私は
「救急車を呼ぼうか」と尋ねたが、明日病院へ行くから呼ぶなという。
(明日までもつかな)などと不安が頭を過ったが、一度そう決めると首を縦に振らない親父である。
妹とも相談して、明日の朝、私が病院へ連れて行くことになった。
翌日、急きょ会社を休んだ私は、用事があってどうしても一緒に行けない妹の代わりに妻を伴い、最近移転が終ったばかりの大きな救急病院へと親父を連れて行った。
本来なら地元の開業医へ連れて行くのが手順だが、そこへ今まで通っていたにも関わらずこの有様なので、親父はすっかり不信感を持ってしまい、行きたくないという。そのような理由で、止む無く紹介状なしでこの大病院を訪問したのであった。
受付終了から待つこと4時間ほど。どうにか診察の番が回って来た。
車椅子に親父を乗せて診察室へと入る。
先生は40代くらいの女医だが、とても親身になって受け答えをしてくれる。
親父も親父で、先生が女性だと分かったら、急に背筋が伸びてはっきりと受け答えをし始めた。
(嘘だろ~)
今までの、いつ死んでも良さそうなあの状態はなんだったのか。
私が親父に代わってこれまでの経緯を話さなければならないと思い、何度も頭の中で言葉を組み立てていたのに、親父がひとりで説明してしまったのだった。
これには私も口をあんぐりと開けるしかなかった。
採血やレントゲン、CT撮影などを行って、最終的に高度な脱水症状と腎機能の異常という診断が出され、即日入院と決まった。それが決まると不思議なことに親父は一層元気になってきたようで、気がつけばあれほど悪かった顔色が、赤みさえ差しているではないか。
その後、入院手続きやら必要な物を購入したりとか、すべてが終了した時には外はすっかり日が暮れていた。
妻と暗くなった病院の外へ出て
「何か食べて帰ろうか」とひとこと。
孫が生まれたことと親父の入院が頭の中で絡み合い、これから暫くは忙しくなることをお互いに感じながら、さて、自分のクルマを何処に留めたっけと広い駐車場をウロウロ探し回ったのだった。
しじみの味噌汁と親孝行と
2019年8月30日 親父との会話 コメント (12)
このところ、連日連夜のように親父と飲みに出かけている。
高齢の親父が「やや鬱」の状態だから、それを救う方法のひとつとして、一緒に飲み歩いているのである。決して自分がただ酒を飲みたいからということではないので、何卒ご理解頂きたいと冒頭に申し述べておく。
これは親父に限った話ではないが、長生きするほど友人やら知人やら、或いは親族が先に逝ってしまう。そして或る日、気がつけば親しかった人は殆どいなくなっていたという驚きと悲しみ。さらには自分の人生の終焉もそう遠い所にある訳ではないことに気がつき、うつ状態に陥って行くのである。
いつも親父の傍にいる妹から
「高齢者の鬱を改善するには、短期の目標を持たせるのが良い」と言われ、その結果として晩酌の相手を務めるのが手っ取り早いということになったわけだ。
もともと大酒飲みの親父。若い頃には毎晩日本酒一升などは平気で飲んでいた。
年末や年始などは仕事の関係先から忘年会や新年会のご招待で、多い時には一晩で4、5件の宴席に顔を出していた。それでも翌日にはケロっとした顔で仕事をしていたものである。
余程の強肝臓の持ち主なのだろう。現に今もこうして毎日晩酌を欠かすことが無い。むしろ私の方が参ってしまいそうな按配である。
しかし、そういえばと私も或ることに気がついた。
親父に比べれば遥かに酒に弱い私だが、連日連夜付き合っているにも関わらず、以前のように酒に酔ったり、二日酔いで具合が悪くなったりすることがないのだ。
いったいこれはどうしたことだろうと首を傾げた。そして、はたと気がついた。
今年の初めに受けた人間ドックで肝機能値が引っ掛かり、要経過観察となったのだが、そこで始めたのが「しじみの味噌汁」を毎日飲むことだった。
しじみに含まれるオルニチンという成分が、肝臓に良いことは広く知られているが、おそらくそれが効果をあげたものと思われる。
兎に角ナントカのひとつ覚えのように、毎日しじみの味噌汁を飲み続けたのである。
朝、会社への通勤途上でも、コンビニへ立ち寄ってしじみの味噌汁を買っていく。
夜は夜で妻に作って貰ったり、居酒屋や食堂のメニューにそれを見つけるとつい頼んでしまう。
そんな生活がもう半年ほど続いているが、その効果が大酒飲みの親父に対抗出来る身体を作り上げたのである(全然良い話ではない。本来の目的から大きく離れている)。
ところで、毎晩のように親父とふたりで飲んでいると、話しのネタも無くなってくる。しかしそこは大丈夫だ。親父が話すことは毎日同じことばかり。
『その話は前に聞いた』
『その話も前に聞いた』
『その話はさっき聞いた』
『その話は今聞いたばかりだ』
心の中でそう呟きながら、楽しそうに話をする親父の相手をしている。
親孝行が出来なかった我がおふくろの分まで。
高齢の親父が「やや鬱」の状態だから、それを救う方法のひとつとして、一緒に飲み歩いているのである。決して自分がただ酒を飲みたいからということではないので、何卒ご理解頂きたいと冒頭に申し述べておく。
これは親父に限った話ではないが、長生きするほど友人やら知人やら、或いは親族が先に逝ってしまう。そして或る日、気がつけば親しかった人は殆どいなくなっていたという驚きと悲しみ。さらには自分の人生の終焉もそう遠い所にある訳ではないことに気がつき、うつ状態に陥って行くのである。
いつも親父の傍にいる妹から
「高齢者の鬱を改善するには、短期の目標を持たせるのが良い」と言われ、その結果として晩酌の相手を務めるのが手っ取り早いということになったわけだ。
もともと大酒飲みの親父。若い頃には毎晩日本酒一升などは平気で飲んでいた。
年末や年始などは仕事の関係先から忘年会や新年会のご招待で、多い時には一晩で4、5件の宴席に顔を出していた。それでも翌日にはケロっとした顔で仕事をしていたものである。
余程の強肝臓の持ち主なのだろう。現に今もこうして毎日晩酌を欠かすことが無い。むしろ私の方が参ってしまいそうな按配である。
しかし、そういえばと私も或ることに気がついた。
親父に比べれば遥かに酒に弱い私だが、連日連夜付き合っているにも関わらず、以前のように酒に酔ったり、二日酔いで具合が悪くなったりすることがないのだ。
いったいこれはどうしたことだろうと首を傾げた。そして、はたと気がついた。
今年の初めに受けた人間ドックで肝機能値が引っ掛かり、要経過観察となったのだが、そこで始めたのが「しじみの味噌汁」を毎日飲むことだった。
しじみに含まれるオルニチンという成分が、肝臓に良いことは広く知られているが、おそらくそれが効果をあげたものと思われる。
兎に角ナントカのひとつ覚えのように、毎日しじみの味噌汁を飲み続けたのである。
朝、会社への通勤途上でも、コンビニへ立ち寄ってしじみの味噌汁を買っていく。
夜は夜で妻に作って貰ったり、居酒屋や食堂のメニューにそれを見つけるとつい頼んでしまう。
そんな生活がもう半年ほど続いているが、その効果が大酒飲みの親父に対抗出来る身体を作り上げたのである(全然良い話ではない。本来の目的から大きく離れている)。
ところで、毎晩のように親父とふたりで飲んでいると、話しのネタも無くなってくる。しかしそこは大丈夫だ。親父が話すことは毎日同じことばかり。
『その話は前に聞いた』
『その話も前に聞いた』
『その話はさっき聞いた』
『その話は今聞いたばかりだ』
心の中でそう呟きながら、楽しそうに話をする親父の相手をしている。
親孝行が出来なかった我がおふくろの分まで。
連日の猛暑で少々バテ気味ですが、皆さまは如何お過ごしでしょうか。
私は退職間近ということもあり、有休を消化しつつ毎日ある場所へ避暑に出かけておりました。
そしてそんな私に付き合ってくれていたのが、「毎日が夏休み」の我が親父。
いや、逆だな。
「毎日が夏休み」の親父に付き合っていたのが、この私の方が正しいかも。
そしてその避暑地とは市内各所にあるファミレスです。
昨日はガスト。今日はCOCO’S、そして明日はBig Boyといった具合に、毎日ファミレスを渡り歩いていたのですが、一番の目当てはよく冷えたビールを飲むことです。
我ら、あくまでも名目は暑気払いなのですが、ただの呑兵衛の日常行動に過ぎません。
親父と私の間では、これをADL(Activities of Daily Living・日常生活動作)と呼んでいます。
それをおふくろがお世話になった介護士の方に話したところ、
「まったく間違っています」と怒られました。
さて、店によってはビールが半額になる時間帯があるので、ビール大好き人間の親父にはこれはもうたまらない魅力。
私の分までどんどん頼むので、テーブルの上には空のジョッキが次々に増えていく。
入店して三十分もしないうちに、ふたりでへべれけ状態となる有様です。
親父も親父で、ビールを運んで来てくれる女の子に、いちいち愛想を振りまいている。
『ありがとネ』
『いやあ、美味しいヨ!』
『ここのビールが一番だネ』
『何度もゴメンネ!!』
『この豆腐、やわらかくて助かります』
『もう最高です』
とにかく運んで来てくれる女の子に、その度ごとに声をかける親父。しかも同じフレーズは二度使わないのであります。
しまいには
『○○さん、ありがとうね。ごくろうさんだったね。また来ます』
という具合に、いつの間に覚えたのか、相手の名前をちゃんと付けながら、感謝の意を伝えているのであります。
これが御年九十になろうという我が親父でありますが、かつては大企業のトップ・セールスだった理由も、何となく頷けようというものです。
すっかり出来上がってしまった父子を、我が妹が「回収」にやって来るという、この繰り返しの日々。毎日酔っ払っていたせいでブログも夏休みさせて頂いた次第です。
それにしても、親父の年金で飲むタダビールの味は最高でした。
私は退職間近ということもあり、有休を消化しつつ毎日ある場所へ避暑に出かけておりました。
そしてそんな私に付き合ってくれていたのが、「毎日が夏休み」の我が親父。
いや、逆だな。
「毎日が夏休み」の親父に付き合っていたのが、この私の方が正しいかも。
そしてその避暑地とは市内各所にあるファミレスです。
昨日はガスト。今日はCOCO’S、そして明日はBig Boyといった具合に、毎日ファミレスを渡り歩いていたのですが、一番の目当てはよく冷えたビールを飲むことです。
我ら、あくまでも名目は暑気払いなのですが、ただの呑兵衛の日常行動に過ぎません。
親父と私の間では、これをADL(Activities of Daily Living・日常生活動作)と呼んでいます。
それをおふくろがお世話になった介護士の方に話したところ、
「まったく間違っています」と怒られました。
さて、店によってはビールが半額になる時間帯があるので、ビール大好き人間の親父にはこれはもうたまらない魅力。
私の分までどんどん頼むので、テーブルの上には空のジョッキが次々に増えていく。
入店して三十分もしないうちに、ふたりでへべれけ状態となる有様です。
親父も親父で、ビールを運んで来てくれる女の子に、いちいち愛想を振りまいている。
『ありがとネ』
『いやあ、美味しいヨ!』
『ここのビールが一番だネ』
『何度もゴメンネ!!』
『この豆腐、やわらかくて助かります』
『もう最高です』
とにかく運んで来てくれる女の子に、その度ごとに声をかける親父。しかも同じフレーズは二度使わないのであります。
しまいには
『○○さん、ありがとうね。ごくろうさんだったね。また来ます』
という具合に、いつの間に覚えたのか、相手の名前をちゃんと付けながら、感謝の意を伝えているのであります。
これが御年九十になろうという我が親父でありますが、かつては大企業のトップ・セールスだった理由も、何となく頷けようというものです。
すっかり出来上がってしまった父子を、我が妹が「回収」にやって来るという、この繰り返しの日々。毎日酔っ払っていたせいでブログも夏休みさせて頂いた次第です。
それにしても、親父の年金で飲むタダビールの味は最高でした。
親父との会話 父の日
2019年6月15日 親父との会話 コメント (11)父の日を明日に控えた父の日の前日に、父の日を祝おうと親父を誘い、父の日祝いに一杯飲みに行こうと父に言ったら、父(嬉々)として喜び、そして親父が好きな日本料理屋へ父(一)目散に出かけた。
すっかり足腰が弱っている父の歩みは父(遅々)として進まず、まるでアベックのように腕を組んで、料理屋の暖簾を潜ったのだった。
親父はいつもこの店で頼んでいる鯛の兜煮とビールに日本酒、私は海鮮盛りとビールでスタート。
私と親父が飲むと、決まってくだらない話ばかりになる。真面目な話は一切なし。あまりにくだらなすぎて、ここに書くのも憚られるものばかりだ。
そう言われると、聞きたくなるのが人というもの。そこで少しだけご披露することにしたい。その代わりこの話はご内密に。
「オラ(父)が昔、戦争が終わってまだすぐの頃になあ。バスは木炭を焚いて走ってたんだ。だがら、力が無くてなぁ。坂道だとすぐに止まってしまうんだ」
親父のその話はこれで五度目だった。
「その日、バスにはオラと客が五、六人。運転手に女の車掌が一人だったんだが、上り坂に来ると止まっちまったんだなあ。そこで運転手がオラたぢに降りてバスを押せって言うんだ」
「ほうほう、それで」
この返事も五度目である。
「あづい夏だったんだが、オラたぢは汗だぐになってバスを押したんだ。そしたらな、運転席からキャッキャ、キャッキャど女の笑い声が聞こえで来るんだ」
親父はそこでビールを一気に飲み干した。
「なじょしたと思って運転席を覗いだらな、運転手のオヤジが車掌の女を抱っこしてな、運転させてたんだ。ったぐなあ、嬉しそうに」
この、嬉しそうにという部分で、いつも親父の声に力が入る。多分、この話の核の部分だと思われる。
私は相槌を打ちながら黙ってビールを飲んでいた。
「腹立ったがらな、オラだちみんなで手を放しだんだ。そしだらなぁ、バスがどんどん後ろさ下がり始めでなあ。それまでキャッキャ、キャッキャ言ってだ声がキャーア、キャーアになったんだ。あ~あ、おもしぇかっだ(面白かった)!」
親父はそう言って嬉しそうな顔を見せた。
そのあとバスはどうなったのか、毎回この話の後に聞くのだが、親父は覚えていないというばかり。私はそのたびに運転手と車掌の無事を祈るのであった。
「戦争前にはどごの家にも囲炉裏があってなあ。みんな寝る前には乾かした草を囲炉裏にくべて燃やすんだ。すると煙がもうもうと出て来るべ。それを吸うとな、何故かみんな眠くなるんだ。ぐっすり眠れるんだ」
その話は初めてであった。
「親父よ。それってもしかして今でいう違法薬物の大○ではないのか」
「そんなの知らねえ。どこの家でもみんな囲炉裏にくべて寝てたんだ。昔はそれが大○だとか何だとか、名前なんてちっともわがらねえ。ただ、これを燃やすとよぐ眠れるということだけは分がってたんだなあ。先人の知恵だなあ」
お断りしておくが、これは戦前の話である。大○が違法とされる以前の話である。いや、大○かどうかも定かではない。
親父たちは、いや、その集落の人々は経験則から、ある種の植物を乾燥させて燃やし、その煙を吸い込むと眠りにつける。いやいや言葉が綺麗過ぎるな。要するにラリッてしまうことを知っていたわけだ。
というふうに、こんな話が延々と続くのである。
このほか、スイカ泥棒完全犯罪の話だとか、タイムワープした話だとか、まあ、色々と出てくるわ出てくるわ。
話が終る頃には、親父の足腰も軟体動物のようになり、再び私はふらつく親父の腕を取って店の外へと出るのである。
さて、父の日のイブはこうして終わった。
明日は本父の日。
また、同じ話を聞かされることになるのだろうなあ。
すっかり足腰が弱っている父の歩みは父(遅々)として進まず、まるでアベックのように腕を組んで、料理屋の暖簾を潜ったのだった。
親父はいつもこの店で頼んでいる鯛の兜煮とビールに日本酒、私は海鮮盛りとビールでスタート。
私と親父が飲むと、決まってくだらない話ばかりになる。真面目な話は一切なし。あまりにくだらなすぎて、ここに書くのも憚られるものばかりだ。
そう言われると、聞きたくなるのが人というもの。そこで少しだけご披露することにしたい。その代わりこの話はご内密に。
「オラ(父)が昔、戦争が終わってまだすぐの頃になあ。バスは木炭を焚いて走ってたんだ。だがら、力が無くてなぁ。坂道だとすぐに止まってしまうんだ」
親父のその話はこれで五度目だった。
「その日、バスにはオラと客が五、六人。運転手に女の車掌が一人だったんだが、上り坂に来ると止まっちまったんだなあ。そこで運転手がオラたぢに降りてバスを押せって言うんだ」
「ほうほう、それで」
この返事も五度目である。
「あづい夏だったんだが、オラたぢは汗だぐになってバスを押したんだ。そしたらな、運転席からキャッキャ、キャッキャど女の笑い声が聞こえで来るんだ」
親父はそこでビールを一気に飲み干した。
「なじょしたと思って運転席を覗いだらな、運転手のオヤジが車掌の女を抱っこしてな、運転させてたんだ。ったぐなあ、嬉しそうに」
この、嬉しそうにという部分で、いつも親父の声に力が入る。多分、この話の核の部分だと思われる。
私は相槌を打ちながら黙ってビールを飲んでいた。
「腹立ったがらな、オラだちみんなで手を放しだんだ。そしだらなぁ、バスがどんどん後ろさ下がり始めでなあ。それまでキャッキャ、キャッキャ言ってだ声がキャーア、キャーアになったんだ。あ~あ、おもしぇかっだ(面白かった)!」
親父はそう言って嬉しそうな顔を見せた。
そのあとバスはどうなったのか、毎回この話の後に聞くのだが、親父は覚えていないというばかり。私はそのたびに運転手と車掌の無事を祈るのであった。
「戦争前にはどごの家にも囲炉裏があってなあ。みんな寝る前には乾かした草を囲炉裏にくべて燃やすんだ。すると煙がもうもうと出て来るべ。それを吸うとな、何故かみんな眠くなるんだ。ぐっすり眠れるんだ」
その話は初めてであった。
「親父よ。それってもしかして今でいう違法薬物の大○ではないのか」
「そんなの知らねえ。どこの家でもみんな囲炉裏にくべて寝てたんだ。昔はそれが大○だとか何だとか、名前なんてちっともわがらねえ。ただ、これを燃やすとよぐ眠れるということだけは分がってたんだなあ。先人の知恵だなあ」
お断りしておくが、これは戦前の話である。大○が違法とされる以前の話である。いや、大○かどうかも定かではない。
親父たちは、いや、その集落の人々は経験則から、ある種の植物を乾燥させて燃やし、その煙を吸い込むと眠りにつける。いやいや言葉が綺麗過ぎるな。要するにラリッてしまうことを知っていたわけだ。
というふうに、こんな話が延々と続くのである。
このほか、スイカ泥棒完全犯罪の話だとか、タイムワープした話だとか、まあ、色々と出てくるわ出てくるわ。
話が終る頃には、親父の足腰も軟体動物のようになり、再び私はふらつく親父の腕を取って店の外へと出るのである。
さて、父の日のイブはこうして終わった。
明日は本父の日。
また、同じ話を聞かされることになるのだろうなあ。
新年早々、親父がまたやってくれました!
2019年1月8日 親父との会話 コメント (8)電話の向こうから妹の悲鳴のような笑い声が。
どうしたんだ、何か面白いことでもあったのかと尋ねても、ヒーヒーと苦しそうな笑い声をあげるだけだ。
こちらはそんな妹の笑い声を、訝しげに聞いているよりほかにない。
やがて深呼吸をする音が何度か聞き取れた。咳払いをしながら呼吸を整えているようだ。
「ジイサマが...」
ジイサマとは我らが親父のことである。
「ジイサマが...ヒィー」
そこまで言って、妹は再び爆笑モードに入ってしまった。
この後しばらくの間、会話が困難な状態に陥ってしまったので、私が冷静になった妹から聞かされた話を、一切脚色することなくファクトのみお伝えすることにしたいと思う。
親父の家にはトイレが2つある。ひとつは母屋に、そしてもうひとつはスタジオにである。スタジオというのはダンス・スタジオのことで、妹がタップダンスやバレエ等の洋舞を教えているのである。
スタジオのトイレは習いに来ている生徒用のもので、家族は普段は使用しない。しかし、この日に限って親父がそのトイレを使用してしまった。ところが暫くすると、トイレの中から親父の呼ぶ声が聞こえてきたのだそうだ。
『おーい、詰まっちまったぁ。おーい』
その声はどこか弱々しく、母親に怒られるかなあと、心配しながら助けを求める子供のようであったという。
『おーい、詰まっちまった。何とかしてくれぇ』
親父の助けを求める声を聞いた妹は
『自分でなんとかせい!』と応えたそうだ。
妹が言うには、そんな現場を見たくはないということだった。それはそうだろう。
妹に冷たくあしらわれた親父は
『アレあったべ、アレが』とトイレの中で叫んでいる。アレとは即ち棒の先にラバーカップが取り付けられた吸引器のことである。下水管などが詰まった時に使用するアレだ(正式名称がよくわからない)。
『どこにあるのか分からん。自分で探してきて』
妹はまたしても冷たくあしらった。
親父は仕方なくトイレからスゴスゴと出て来ると、表へ出て行ったそうだ。物置に向かったのである。物置の中に確かアレが入っていると思ったのだ。
ところが10分経っても、20分経っても帰ってこない。心配になった妹が見に行こうとしたその時、親父はアレではなく、一本の短いホースを手にして戻って来た。
『吸引するやつ無かったの?』
妹の問いかけに『見つかんねぇ。その代わりホース見つけた』と答えたという。
その時、妹はまさかと思ったそうだ。しかし、そのまさかは真実と化した。
長さ30~40センチほどのゴムホースの片方を、水が溢れそうな便器の中に突っ込むと、親父は大きく深呼吸をして、そのホースに吹き込んだのである。
ブグブグゴゴーッという大きな音。離れて見ていた妹は、親父にこんな肺活量があったことに驚いたそうだ。
親父は再び深呼吸をすると、同じようにホースに思いっ切り息を吹き込んだ。
先程よりも大きな音。しかし溢れそうな便器の水位に変化は見られない。
ところが信じられない光景が、妹の目に飛び込んで来たのであった。
何を間違えたのか、親父はホースを加えたまま吸ってしまったのである。それも思いっ切り。
どこぞの国のマーライオンを、こんな場所で見ようとは、流石の妹も思いもしなかったそうだ。
『ウェーッツ、ペペペッ』
親父の咽る声。
しかし、そんなことで諦める親父ではなかった。気を取りなおした親父は、再びホースを咥えて、もう片方を便器の中へ入れようとした時、
『ウワーァ、ペペペッ。反対の方を咥えちまった!!』
この時から妹の、爆笑は止まらなくなってしまったという。
あまりに笑い過ぎて、顔が浮腫んでしまったと半分怒っていた。
親父ならやりそうなことである。むしろこの話を私は冷静に聞いていた。
正月早々、こんな尾籠な話をブログに書かなければならないこっちのことを考えろ。私は心の片隅で、そんな我が身を呪った。
そして昨日。仕事始め。通勤の満員電車の中。誰かのクシャミを聞いた途端、その光景が目の前に現れてきた。ホースを咥える親父の顔。マーライオン。
「ヒィーッツ」
肩を震わせ、声にならない声をあげ、吊革にすがるように私は笑い続けた。
どうしたんだ、何か面白いことでもあったのかと尋ねても、ヒーヒーと苦しそうな笑い声をあげるだけだ。
こちらはそんな妹の笑い声を、訝しげに聞いているよりほかにない。
やがて深呼吸をする音が何度か聞き取れた。咳払いをしながら呼吸を整えているようだ。
「ジイサマが...」
ジイサマとは我らが親父のことである。
「ジイサマが...ヒィー」
そこまで言って、妹は再び爆笑モードに入ってしまった。
この後しばらくの間、会話が困難な状態に陥ってしまったので、私が冷静になった妹から聞かされた話を、一切脚色することなくファクトのみお伝えすることにしたいと思う。
親父の家にはトイレが2つある。ひとつは母屋に、そしてもうひとつはスタジオにである。スタジオというのはダンス・スタジオのことで、妹がタップダンスやバレエ等の洋舞を教えているのである。
スタジオのトイレは習いに来ている生徒用のもので、家族は普段は使用しない。しかし、この日に限って親父がそのトイレを使用してしまった。ところが暫くすると、トイレの中から親父の呼ぶ声が聞こえてきたのだそうだ。
『おーい、詰まっちまったぁ。おーい』
その声はどこか弱々しく、母親に怒られるかなあと、心配しながら助けを求める子供のようであったという。
『おーい、詰まっちまった。何とかしてくれぇ』
親父の助けを求める声を聞いた妹は
『自分でなんとかせい!』と応えたそうだ。
妹が言うには、そんな現場を見たくはないということだった。それはそうだろう。
妹に冷たくあしらわれた親父は
『アレあったべ、アレが』とトイレの中で叫んでいる。アレとは即ち棒の先にラバーカップが取り付けられた吸引器のことである。下水管などが詰まった時に使用するアレだ(正式名称がよくわからない)。
『どこにあるのか分からん。自分で探してきて』
妹はまたしても冷たくあしらった。
親父は仕方なくトイレからスゴスゴと出て来ると、表へ出て行ったそうだ。物置に向かったのである。物置の中に確かアレが入っていると思ったのだ。
ところが10分経っても、20分経っても帰ってこない。心配になった妹が見に行こうとしたその時、親父はアレではなく、一本の短いホースを手にして戻って来た。
『吸引するやつ無かったの?』
妹の問いかけに『見つかんねぇ。その代わりホース見つけた』と答えたという。
その時、妹はまさかと思ったそうだ。しかし、そのまさかは真実と化した。
長さ30~40センチほどのゴムホースの片方を、水が溢れそうな便器の中に突っ込むと、親父は大きく深呼吸をして、そのホースに吹き込んだのである。
ブグブグゴゴーッという大きな音。離れて見ていた妹は、親父にこんな肺活量があったことに驚いたそうだ。
親父は再び深呼吸をすると、同じようにホースに思いっ切り息を吹き込んだ。
先程よりも大きな音。しかし溢れそうな便器の水位に変化は見られない。
ところが信じられない光景が、妹の目に飛び込んで来たのであった。
何を間違えたのか、親父はホースを加えたまま吸ってしまったのである。それも思いっ切り。
どこぞの国のマーライオンを、こんな場所で見ようとは、流石の妹も思いもしなかったそうだ。
『ウェーッツ、ペペペッ』
親父の咽る声。
しかし、そんなことで諦める親父ではなかった。気を取りなおした親父は、再びホースを咥えて、もう片方を便器の中へ入れようとした時、
『ウワーァ、ペペペッ。反対の方を咥えちまった!!』
この時から妹の、爆笑は止まらなくなってしまったという。
あまりに笑い過ぎて、顔が浮腫んでしまったと半分怒っていた。
親父ならやりそうなことである。むしろこの話を私は冷静に聞いていた。
正月早々、こんな尾籠な話をブログに書かなければならないこっちのことを考えろ。私は心の片隅で、そんな我が身を呪った。
そして昨日。仕事始め。通勤の満員電車の中。誰かのクシャミを聞いた途端、その光景が目の前に現れてきた。ホースを咥える親父の顔。マーライオン。
「ヒィーッツ」
肩を震わせ、声にならない声をあげ、吊革にすがるように私は笑い続けた。
親父との会話 結婚相談所
2018年10月2日 親父との会話 コメント (10)親父と久しぶりに晩酌をした。
最近はすっかり酒量が落ちたようで、ビールならコップに1杯。日本酒は1合程度。焼酎はお湯割りで2杯も飲むと出来上がってしまう。
昔、日本酒の一升瓶をあっという間に飲み干した親父からは想像がつかないが、これも歳せいだ。仕方がない。いや、むしろその方が良い。
そんな親父とよもやま話をしているうちに、そういえばと語り始めたのが、親父の自宅にかかってきた一本の電話のことだ。
「ナントカ結婚相談所の、ナントカという人から電話がかかってきてな。オラが出ると(お宅には独身の家族がいるか)ど訊ねできたんだ」
「ほう」
「だがらな、はい、おりますとこだえだんだ」
「ほうほう」
「するどな、そのナントカちゅう人がな、(それはだれだ)みだいなごどを言うので、ハイ、おらですとこだえでやったんだ」
親父のその言葉に、少し身を乗り出した私。
「そしだら(歳はいぐつだ)って聞ぐがら、八十八だどこだえでやったんだ」
「・・・・・・」
「そしだらな、(失礼しましだ)と言って電話を切られだんだ。なにがしづれいなごどをしゃべったが?オラが??」
親父はそう言いながら、お湯で薄めたばかりのグラスに焼酎を足し始めた。
「いや、親父が失礼なことを言ったのではなく、電話をかけてきた相手の方が余計な電話をかけたことに対して、申しわけないと詫びているんだよ」
私はそう言いながら、親父のグラスにさらに焼酎を継ぎ足した。
「ほうが・・・。でも声がきれいな女性(ひと)だったな。もう少し話してもいがったのになぁ」
親父はそう言いながら、お湯の焼酎割をひとくち口に含むと咳き込んだ。
最近はすっかり酒量が落ちたようで、ビールならコップに1杯。日本酒は1合程度。焼酎はお湯割りで2杯も飲むと出来上がってしまう。
昔、日本酒の一升瓶をあっという間に飲み干した親父からは想像がつかないが、これも歳せいだ。仕方がない。いや、むしろその方が良い。
そんな親父とよもやま話をしているうちに、そういえばと語り始めたのが、親父の自宅にかかってきた一本の電話のことだ。
「ナントカ結婚相談所の、ナントカという人から電話がかかってきてな。オラが出ると(お宅には独身の家族がいるか)ど訊ねできたんだ」
「ほう」
「だがらな、はい、おりますとこだえだんだ」
「ほうほう」
「するどな、そのナントカちゅう人がな、(それはだれだ)みだいなごどを言うので、ハイ、おらですとこだえでやったんだ」
親父のその言葉に、少し身を乗り出した私。
「そしだら(歳はいぐつだ)って聞ぐがら、八十八だどこだえでやったんだ」
「・・・・・・」
「そしだらな、(失礼しましだ)と言って電話を切られだんだ。なにがしづれいなごどをしゃべったが?オラが??」
親父はそう言いながら、お湯で薄めたばかりのグラスに焼酎を足し始めた。
「いや、親父が失礼なことを言ったのではなく、電話をかけてきた相手の方が余計な電話をかけたことに対して、申しわけないと詫びているんだよ」
私はそう言いながら、親父のグラスにさらに焼酎を継ぎ足した。
「ほうが・・・。でも声がきれいな女性(ひと)だったな。もう少し話してもいがったのになぁ」
親父はそう言いながら、お湯の焼酎割をひとくち口に含むと咳き込んだ。
日曜日の晩は、親父が我が家へやって来て、一緒に夕食を取ることになっている。
その親父が少し元気がない。
妹曰く「明日は病院で血液検査をするので、今夜はビールと焼酎しか飲まない」と言ったのだそうな。
そこで妹が「日本酒は飲まないの?」と余計な一言を発してしまったため、親父が悩み始めたのである。どうやら浮かない顔をしていたのは、そのせいだったようだ。
てっきり検査を心配して浮かぬ顔をしていたものと思い込んだこちらが甘かった。
この日は孫を連れて二男夫婦も夕食に来ていたのだが、私の孫は親父からみれば曾孫である。親父は久しぶりに曾孫にあって、途端にテンションが上がってしまった。
ビールは勿論のこと、親父のために買っておいた芋焼酎のボトルはほとんど空になり、あれほど深刻に悩んでいた日本酒にも手を付け始まった。
そんな親父を見て
「あれ、明日検査じゃなかったっけ?大丈夫なの?そんなに飲んで」と妹が問いかけると
「だいじょうぶだ。アルコールは蒸発すっがら」と親父が日本酒を飲みながら応える。
「大丈夫じゃなくて、血液検査でしょ。中性脂肪とか高脂血症を調べるんだから駄目なんじゃないの?」と妹が追い込む。
「一晩寝ればだいじょうぶだべ」
「それは酔いの話。中性脂肪なんかは一晩寝ても下がらないよ」
「...諦めだ...」
「あきらめるのが早い!!」
妹にこのあとも叱られて、叱られながらも酒を飲んで、そしてすべてが空になったところで「今日はこのへんでやめでおぐがな」とコップを置いた。
「今日はこのへんでって、全部飲んじゃって!」
妹は呆れ顔だった。
孫や曾孫の顔を見れた親父としては、つい嬉しくて盃を重ねてしまったのだろう。その気持ちは分からなくもない。
上機嫌で自宅へ戻って行った親父だが、翌日、妹に検査はどうだったか尋ねると「まだ酔っていたのか、朝、冷蔵庫からアイスクリームを出して食べていたので、これから検査なのにダメじゃない、と言ったら、何て答えたと思う?」
「なんて答えたんだ?」
「おらは今日先生に正直に言うんだ。あいすぐりーむを食べでしまいましだ、だと」
「昨夜の大酒のことは?」
「本人の記憶には無いみたい。というか、しらばっくれているみたい」
都合の悪いことは口外しない、記憶から消す、無かったことにする、親父の得意技が出たようだ。
しかし、検査結果は嘘をつかない。妹とふたり、今から結果が出る日を指折り数えて待っている。
その親父が少し元気がない。
妹曰く「明日は病院で血液検査をするので、今夜はビールと焼酎しか飲まない」と言ったのだそうな。
そこで妹が「日本酒は飲まないの?」と余計な一言を発してしまったため、親父が悩み始めたのである。どうやら浮かない顔をしていたのは、そのせいだったようだ。
てっきり検査を心配して浮かぬ顔をしていたものと思い込んだこちらが甘かった。
この日は孫を連れて二男夫婦も夕食に来ていたのだが、私の孫は親父からみれば曾孫である。親父は久しぶりに曾孫にあって、途端にテンションが上がってしまった。
ビールは勿論のこと、親父のために買っておいた芋焼酎のボトルはほとんど空になり、あれほど深刻に悩んでいた日本酒にも手を付け始まった。
そんな親父を見て
「あれ、明日検査じゃなかったっけ?大丈夫なの?そんなに飲んで」と妹が問いかけると
「だいじょうぶだ。アルコールは蒸発すっがら」と親父が日本酒を飲みながら応える。
「大丈夫じゃなくて、血液検査でしょ。中性脂肪とか高脂血症を調べるんだから駄目なんじゃないの?」と妹が追い込む。
「一晩寝ればだいじょうぶだべ」
「それは酔いの話。中性脂肪なんかは一晩寝ても下がらないよ」
「...諦めだ...」
「あきらめるのが早い!!」
妹にこのあとも叱られて、叱られながらも酒を飲んで、そしてすべてが空になったところで「今日はこのへんでやめでおぐがな」とコップを置いた。
「今日はこのへんでって、全部飲んじゃって!」
妹は呆れ顔だった。
孫や曾孫の顔を見れた親父としては、つい嬉しくて盃を重ねてしまったのだろう。その気持ちは分からなくもない。
上機嫌で自宅へ戻って行った親父だが、翌日、妹に検査はどうだったか尋ねると「まだ酔っていたのか、朝、冷蔵庫からアイスクリームを出して食べていたので、これから検査なのにダメじゃない、と言ったら、何て答えたと思う?」
「なんて答えたんだ?」
「おらは今日先生に正直に言うんだ。あいすぐりーむを食べでしまいましだ、だと」
「昨夜の大酒のことは?」
「本人の記憶には無いみたい。というか、しらばっくれているみたい」
都合の悪いことは口外しない、記憶から消す、無かったことにする、親父の得意技が出たようだ。
しかし、検査結果は嘘をつかない。妹とふたり、今から結果が出る日を指折り数えて待っている。
連日の猛暑で病院へ搬送される人が後を絶たない。
豪雨災害の被災地域で復旧活動に携わっている方々にも、この猛暑は容赦がない。
熱中症により死者も出ているが、高齢者が目立つ。そのニュースに接するたびに、またかと思う。
高齢になると暑さに対する感覚が鈍るらしい。おまけに冷房は嫌いだ、暑さには慣れると思い込んでいる人もいる。そのためエアコンをつけず、屋内であるにもかかわらず、熱中症になってしまうというケースが多いようだ。
今日も妻とそんなことを話題にしていたら、窓の外に親父の姿を発見。
この暑いのに帽子も傘もささずに、ぶらぶらと散歩をしている。
「ああ、うちにもひとりいた!!」
焦った私と妻は思わず外へと飛び出した。しかし、その時には親父の姿はどこにも見当たらない。二人で少し先まで探しに行ってみる。
その間にも暑さというか、湿度の高さに汗ばんでくる。
「やっぱりいないな」
そう言いながら妻と顔を見合わせる。
川にでも落ちたんじゃないかとか、誘拐されたんじゃないかとか、妻と心配してみたが、後者の方はあり得ないということになった。
慌てて家を出てきたので、ドアにカギをかけてこなかったことを思い出し、急いで家へ戻ると
「おう、どごに行っだんだあ」
なんと親父が居間に置いてあるマッサージチェアに腰かけて、ひとり涼んでいるではないか。いったいいつの間に家に入ったのだろう。お得意のワープでもしたのか。
「なんだがオメたちが家から飛び出して行っだがら、不用心だど思って留守番してだぞい」
はあっつ?
思わず妻と顔を見合わせる。
後からよくよく話を聞けば、私と妻が家を出るほんの少しの間に、隣家のオバサンに声をかけられ、玄関前で話をしていたらしい。道路から少し引っ込んだ位置にある玄関なので、親父の姿がよく見えなかったのだ。
まあとにかく親父が無事だったのでほっとした。
こんな暑い日、こんな暑い時間帯に出かけるのは控えるように、親父に意見してやろうと思ったら、
「オメだちなあ、こんな暑いどきは帽子被って外へ出ねばダメだぞい」と言われてしまった。
「これがほんどの無謀(無帽)があ」
親父はそう言って一人笑った。
豪雨災害の被災地域で復旧活動に携わっている方々にも、この猛暑は容赦がない。
熱中症により死者も出ているが、高齢者が目立つ。そのニュースに接するたびに、またかと思う。
高齢になると暑さに対する感覚が鈍るらしい。おまけに冷房は嫌いだ、暑さには慣れると思い込んでいる人もいる。そのためエアコンをつけず、屋内であるにもかかわらず、熱中症になってしまうというケースが多いようだ。
今日も妻とそんなことを話題にしていたら、窓の外に親父の姿を発見。
この暑いのに帽子も傘もささずに、ぶらぶらと散歩をしている。
「ああ、うちにもひとりいた!!」
焦った私と妻は思わず外へと飛び出した。しかし、その時には親父の姿はどこにも見当たらない。二人で少し先まで探しに行ってみる。
その間にも暑さというか、湿度の高さに汗ばんでくる。
「やっぱりいないな」
そう言いながら妻と顔を見合わせる。
川にでも落ちたんじゃないかとか、誘拐されたんじゃないかとか、妻と心配してみたが、後者の方はあり得ないということになった。
慌てて家を出てきたので、ドアにカギをかけてこなかったことを思い出し、急いで家へ戻ると
「おう、どごに行っだんだあ」
なんと親父が居間に置いてあるマッサージチェアに腰かけて、ひとり涼んでいるではないか。いったいいつの間に家に入ったのだろう。お得意のワープでもしたのか。
「なんだがオメたちが家から飛び出して行っだがら、不用心だど思って留守番してだぞい」
はあっつ?
思わず妻と顔を見合わせる。
後からよくよく話を聞けば、私と妻が家を出るほんの少しの間に、隣家のオバサンに声をかけられ、玄関前で話をしていたらしい。道路から少し引っ込んだ位置にある玄関なので、親父の姿がよく見えなかったのだ。
まあとにかく親父が無事だったのでほっとした。
こんな暑い日、こんな暑い時間帯に出かけるのは控えるように、親父に意見してやろうと思ったら、
「オメだちなあ、こんな暑いどきは帽子被って外へ出ねばダメだぞい」と言われてしまった。
「これがほんどの無謀(無帽)があ」
親父はそう言って一人笑った。
いつものようにヨタヨタ歩きながら、居間に入ってきた親父。
そしていつもの指定席へとゆっくり腰を下ろす。
着席したのを見計らって、親父の目の前に置かれたコップにビールを注ぐ私。
親父、「お」っと短い声をあげてコップを掴むと、グググッと飲み干す。
空になったコップを下ろそうとするところへ、再びビールを注ぐ私。
親父、「おお」と先程よりはやや長めの短い声をあげて、満たされたコップを口元へと運ぶ。そして再びグググッと飲み干した。米寿にしてはいい飲みっぷりだ。
空のままの私のコップを見て、親父は何かを言おうとしたその瞬間、
「ゲフッ!」と大きなゲップをする。そのあとにウィ~という嘆息も。
体内から炭酸ガスを一気に放出した親父は、私に何かを言おうとした記憶まで放出してしまったらしく、
「日本酒にすっかなぁ」と独り言のように呟く。
無言で席を立った私は、台所へ日本酒を取りに行く。
棚の中からグラスを出して、親父愛用の枡へと入れる。
居酒屋のもっきりのように、そこへなみなみと日本酒を注ぐと、親父は「おおお」と再び三度声をあげた。
親父は嬉しそうにテーブルに置かれたもっきり酒へそおっと口を運んでいく。
そして今まさに唇をつけんとしたその瞬間に
「ゲフッ!」とまた大きなゲップをした。
どうやら炭酸ガスは完全に抜け切っていなかったようだ。
前屈みになったせいで、残存していたガスが一気に駆け上がって来たらしい。
それまで表面張力によってグラスから盛り上がっていた日本酒は、その風圧に耐えかねて、受け皿である枡の中へと零れ落ちていった。
しかし親父は怯むことなく、グラスに唇をつけると、やや低くなったその水面から米寿に似合わぬ強力な吸引力によって、日本酒を吸い上げたのであった。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、
「ああぁあぁ、焼酎にすっかなあぁぁ」と呟き風のオーダーをする親父。
またしても台所に芋焼酎を取りに行った私は、棚から耐熱グラスも取り出すと親父の目の前へと置いた。すると親父は
「○○くん、お湯をこのくらいまで注いでくれないか」と耐熱グラスの半分あたりを指し示す。
ちなみに私の名前に「君」づけをするようになったら、危険水域に達した証拠である。
私は耐熱グラスに親父が指し示した位置まで、正確にお湯を注いだ。あんな風でいて親父はなかなか細かいところがある。一度適当にお湯を注いだら怒られたことがあった。指の幅一本分ほど多かったというのだ。あまりうるさいことを言うので、腹が立った私は、やたらに直径の大きなグラスを出してやったことがあった。まさか親父もこんな大きなグラスが出されるとは思いも寄らなかったようで、お湯の位置を指示する指が決まらなかった。
その時は案の定、指示位置を完全に間違えて、親父はお湯をたっぷり飲む羽目になった。腹がくるしいを連発していたっけ。
結局、この日も完全に酔っ払った親父は、迎えに来た妹に抱えられながら自宅へと帰って行った。
我が家へ酒を飲みに来て、さんざん飲んで酔っ払って帰って行った親父の姿をそのまま書いてみた。絵画ならばさしずめ素描である。
そしていつもの指定席へとゆっくり腰を下ろす。
着席したのを見計らって、親父の目の前に置かれたコップにビールを注ぐ私。
親父、「お」っと短い声をあげてコップを掴むと、グググッと飲み干す。
空になったコップを下ろそうとするところへ、再びビールを注ぐ私。
親父、「おお」と先程よりはやや長めの短い声をあげて、満たされたコップを口元へと運ぶ。そして再びグググッと飲み干した。米寿にしてはいい飲みっぷりだ。
空のままの私のコップを見て、親父は何かを言おうとしたその瞬間、
「ゲフッ!」と大きなゲップをする。そのあとにウィ~という嘆息も。
体内から炭酸ガスを一気に放出した親父は、私に何かを言おうとした記憶まで放出してしまったらしく、
「日本酒にすっかなぁ」と独り言のように呟く。
無言で席を立った私は、台所へ日本酒を取りに行く。
棚の中からグラスを出して、親父愛用の枡へと入れる。
居酒屋のもっきりのように、そこへなみなみと日本酒を注ぐと、親父は「おおお」と再び三度声をあげた。
親父は嬉しそうにテーブルに置かれたもっきり酒へそおっと口を運んでいく。
そして今まさに唇をつけんとしたその瞬間に
「ゲフッ!」とまた大きなゲップをした。
どうやら炭酸ガスは完全に抜け切っていなかったようだ。
前屈みになったせいで、残存していたガスが一気に駆け上がって来たらしい。
それまで表面張力によってグラスから盛り上がっていた日本酒は、その風圧に耐えかねて、受け皿である枡の中へと零れ落ちていった。
しかし親父は怯むことなく、グラスに唇をつけると、やや低くなったその水面から米寿に似合わぬ強力な吸引力によって、日本酒を吸い上げたのであった。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、
「ああぁあぁ、焼酎にすっかなあぁぁ」と呟き風のオーダーをする親父。
またしても台所に芋焼酎を取りに行った私は、棚から耐熱グラスも取り出すと親父の目の前へと置いた。すると親父は
「○○くん、お湯をこのくらいまで注いでくれないか」と耐熱グラスの半分あたりを指し示す。
ちなみに私の名前に「君」づけをするようになったら、危険水域に達した証拠である。
私は耐熱グラスに親父が指し示した位置まで、正確にお湯を注いだ。あんな風でいて親父はなかなか細かいところがある。一度適当にお湯を注いだら怒られたことがあった。指の幅一本分ほど多かったというのだ。あまりうるさいことを言うので、腹が立った私は、やたらに直径の大きなグラスを出してやったことがあった。まさか親父もこんな大きなグラスが出されるとは思いも寄らなかったようで、お湯の位置を指示する指が決まらなかった。
その時は案の定、指示位置を完全に間違えて、親父はお湯をたっぷり飲む羽目になった。腹がくるしいを連発していたっけ。
結局、この日も完全に酔っ払った親父は、迎えに来た妹に抱えられながら自宅へと帰って行った。
我が家へ酒を飲みに来て、さんざん飲んで酔っ払って帰って行った親父の姿をそのまま書いてみた。絵画ならばさしずめ素描である。
「オラはもう餅は食わねえ」
親父が突然に『断餅』宣言をした。
こちらは、また始まったかと聞き流す。
これまでに親父の『断○○』宣言を何度聞かされてきたことか。
例えば、
「オラはもう酒は飲まねえ」
「オラはもう飯は食わねえ」
「オラはもう煎餅は食わねえ」
「オラはもう医者には行かねえ」
こんな具合である。
ちなみに「オラはもう酒は飲まねえ」と宣言したあとに、焼酎のお湯割りを飲んでいた。焼酎は「酒」ではないそうだ。
「オラはもう飯は食わねえ」と悲壮感漂う表情で家族に宣言したあとに、日本蕎麦をしこたま食べていた。これは蕎麦であって「飯」ではないそうだ。
「オラはもう煎餅は食わねえ」宣言のあとに、柔らかい「濡れせんべい」を美味そうに食べていた。どうやら入れ歯の具合が悪かったらしい。
「オラはもう医者には行かねえ」と怒ったあとに、他の病院へ出かけて行った。
お気に入りの先生が他の病院へ移ったのだそうな。
さて、今回の断餅宣言にはどのようなウラがあるのだろうか。
愚妹の話では、最近肥ってきたことにどうやら原因があるらしい。親父は肥った原因を、大好きな「餅」のせいにしているようなのだ。
愚妹と私がひそひそ話をしていたら、それを聞きつけたのだろう、親父が傍にやって来て「もう餅は食わねえことにしたんだ。餅を食うと腹が出るし」と切なそうに自分の腹を撫で回してみせた。
「あ、そういえば、もらい物の団子があったけど食べる?」と愚妹が親父に仕掛けた。そう、私が常々妹のことを「愚妹」と書くのは、人を罠に嵌める癖があるからである。
すると親父はなんの躊躇(ためらい)もなく「食う」と答えた。
親父が今回もあっさりと愚妹の罠に嵌った瞬間である。
愚妹はニヤリと笑って
「あれ、餅は食べないんでしょ?」と尋ねると、「団子は餅ではねえ」の一言。
結局親父は出されたみたらし団子とずんだ餡の団子を食べてしまった。
そんなふたりの様子を見ているうちに、親父の宣言がいつも水泡に帰すのは、おそらく、いや間違いなく愚妹のせいではあるまいかと、今までの疑念が確信に変わっていった。
親父が突然に『断餅』宣言をした。
こちらは、また始まったかと聞き流す。
これまでに親父の『断○○』宣言を何度聞かされてきたことか。
例えば、
「オラはもう酒は飲まねえ」
「オラはもう飯は食わねえ」
「オラはもう煎餅は食わねえ」
「オラはもう医者には行かねえ」
こんな具合である。
ちなみに「オラはもう酒は飲まねえ」と宣言したあとに、焼酎のお湯割りを飲んでいた。焼酎は「酒」ではないそうだ。
「オラはもう飯は食わねえ」と悲壮感漂う表情で家族に宣言したあとに、日本蕎麦をしこたま食べていた。これは蕎麦であって「飯」ではないそうだ。
「オラはもう煎餅は食わねえ」宣言のあとに、柔らかい「濡れせんべい」を美味そうに食べていた。どうやら入れ歯の具合が悪かったらしい。
「オラはもう医者には行かねえ」と怒ったあとに、他の病院へ出かけて行った。
お気に入りの先生が他の病院へ移ったのだそうな。
さて、今回の断餅宣言にはどのようなウラがあるのだろうか。
愚妹の話では、最近肥ってきたことにどうやら原因があるらしい。親父は肥った原因を、大好きな「餅」のせいにしているようなのだ。
愚妹と私がひそひそ話をしていたら、それを聞きつけたのだろう、親父が傍にやって来て「もう餅は食わねえことにしたんだ。餅を食うと腹が出るし」と切なそうに自分の腹を撫で回してみせた。
「あ、そういえば、もらい物の団子があったけど食べる?」と愚妹が親父に仕掛けた。そう、私が常々妹のことを「愚妹」と書くのは、人を罠に嵌める癖があるからである。
すると親父はなんの躊躇(ためらい)もなく「食う」と答えた。
親父が今回もあっさりと愚妹の罠に嵌った瞬間である。
愚妹はニヤリと笑って
「あれ、餅は食べないんでしょ?」と尋ねると、「団子は餅ではねえ」の一言。
結局親父は出されたみたらし団子とずんだ餡の団子を食べてしまった。
そんなふたりの様子を見ているうちに、親父の宣言がいつも水泡に帰すのは、おそらく、いや間違いなく愚妹のせいではあるまいかと、今までの疑念が確信に変わっていった。
今月に入って、ほぼ毎日のように、親父は鹽竈(しおがま)神社へ詣でている。
家からは自動車で30分ほどかかるので、高齢の親父ひとりで行くことは出来ない。そのため妹が運転手兼介助係で同行している。
では、なぜそんなに毎日鹽竈神社へでかけるのか、そのことを妹に問い質したところ、『身体の調子が良くなるから』との答えだった。
さすがは鹽竈神社、陸奥の国一之宮だけあって、即効でご利益(りやく)があるのだなあと感心したところ、
「広い境内を、しかも石段や坂道を登ったり下りたりするから体調が良くなるのだろう」とは妹の弁。
以前、このブログにも書いたが、親父は家の周りを散歩がてらぐるぐる回っている。要するにこの毎日の鹽竈神社詣は、その散歩の進化系なのである。
とはいえ、毎日付き合わされる妹にとっては、体力的にもキツイ話だ。
「なんだか、お百度参りをしているみたいだな」とつい妹に言ってしまった。
「折角、毎日行くのだから、願掛けでもしてみたら」と余計なことを提案すると、妹は不敵な笑みを浮かべ「わかった」と一言あとに残し、自宅へ帰って行った。
「今日も行ってきた。やっぱり体調良いって言ってる」
夜半に妹が我が家へやって来てそう告げた。
「どうした、鹽竈さまに願掛けたか?」と私が尋ねると
「どうぞヒコヒコがイケメンになりますように、どうぞヒコヒコが金持ちになれますように、どうぞヒコヒコが痩せますように、どうぞヒコヒコの血圧が下がりますように」
なんだそれ!全部俺のことじゃん!!しかも絶対叶わないようなことばっかり。
妹はどうだというような顔をしながら手を出した。
「なんだ、この手は」と私が言えば「お百度参り料1000円」とのこと。正確には1000円にまけておくとふざけたことを言うので、誰も頼んだ覚えはないと言い返すと
「明日もまた行くから願掛けておくね。毎日鏡でも見たら。痩せてイケメンになったらご利益があったと思いなよ」とニヤリ。
朝起きて、洗面所のカガミの前に立つ。
寝ぼけまなこでじっと顔を覗き込む。
「おおっ」
やっぱり今日も変化なし。
宮城、鹽竈神社の桜は今が満開。4月22日には花まつりが行われるとか。
是非桜の種類豊富な鹽竈さまへお参りにお出かけください。
この神社の「うまくいく御守」はご利益ありますぞ。私も持ってます。
家からは自動車で30分ほどかかるので、高齢の親父ひとりで行くことは出来ない。そのため妹が運転手兼介助係で同行している。
では、なぜそんなに毎日鹽竈神社へでかけるのか、そのことを妹に問い質したところ、『身体の調子が良くなるから』との答えだった。
さすがは鹽竈神社、陸奥の国一之宮だけあって、即効でご利益(りやく)があるのだなあと感心したところ、
「広い境内を、しかも石段や坂道を登ったり下りたりするから体調が良くなるのだろう」とは妹の弁。
以前、このブログにも書いたが、親父は家の周りを散歩がてらぐるぐる回っている。要するにこの毎日の鹽竈神社詣は、その散歩の進化系なのである。
とはいえ、毎日付き合わされる妹にとっては、体力的にもキツイ話だ。
「なんだか、お百度参りをしているみたいだな」とつい妹に言ってしまった。
「折角、毎日行くのだから、願掛けでもしてみたら」と余計なことを提案すると、妹は不敵な笑みを浮かべ「わかった」と一言あとに残し、自宅へ帰って行った。
「今日も行ってきた。やっぱり体調良いって言ってる」
夜半に妹が我が家へやって来てそう告げた。
「どうした、鹽竈さまに願掛けたか?」と私が尋ねると
「どうぞヒコヒコがイケメンになりますように、どうぞヒコヒコが金持ちになれますように、どうぞヒコヒコが痩せますように、どうぞヒコヒコの血圧が下がりますように」
なんだそれ!全部俺のことじゃん!!しかも絶対叶わないようなことばっかり。
妹はどうだというような顔をしながら手を出した。
「なんだ、この手は」と私が言えば「お百度参り料1000円」とのこと。正確には1000円にまけておくとふざけたことを言うので、誰も頼んだ覚えはないと言い返すと
「明日もまた行くから願掛けておくね。毎日鏡でも見たら。痩せてイケメンになったらご利益があったと思いなよ」とニヤリ。
朝起きて、洗面所のカガミの前に立つ。
寝ぼけまなこでじっと顔を覗き込む。
「おおっ」
やっぱり今日も変化なし。
宮城、鹽竈神社の桜は今が満開。4月22日には花まつりが行われるとか。
是非桜の種類豊富な鹽竈さまへお参りにお出かけください。
この神社の「うまくいく御守」はご利益ありますぞ。私も持ってます。
親父と二人で墓参りに出かけた。
郊外にある大きな霊園だ。
その一隅におふくろが眠っている。
いや、あのおふくろのことだから、眠ってなどいないだろう。
とにかくパワフルな人だった。
男勝り、いや、男以上に迫力があった。
例えばこんなことがあった。
おふくろは喫茶店を経営していたが、店に入ってきたヤクザ者を撃退したことがある。
店で働いていた女の子たちにちょっかいを出したからだ。
すかさずおふくろがドスの効いた声で「店から出ていけ、コノヤロウ!」と一喝。
ヤクザ者はあまりの迫力に思わず逃げ出したのだ。
まるでドラマのワンシーンのような話だが、店の女の子たちは「ママ、かっこいい!」と大はしゃぎ。
数日が経って、ヤクザ者の親分さんが「この間はうちのモンが失礼しました」と詫びに来たのだから、本当に凄かった。
でもおふくろ曰く「本当は怖かった」とあとから私にそっと耳打ちしたものだ。
親御さんたちから預かった女の子たちを、ぜったいに守らなければという気持ちが先に立ったおふくろは、人一倍義侠心が強い人でもあったのだ。
ある時、自称霊媒師を名乗る常連の中年女性がやって来た。
カウンターの席について、いつものようにコーヒーを注文する。
カウンターの中にはおふくろと、当時まだ結婚前のかみさんが入っていたのだが、その女性、ふたりをじっと見るなり
「ママさんの前世は山賊、そちらのお嬢さんは尼寺から逃げ出した尼僧です」と言い出した。
隣りに座ってその話を聞いていた、まだ大学生だった私は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
「そうそう、あなたの前世は破戒僧です」
今度は私の方を見てそう言った。
山賊に尼に破戒僧。
なんだかドラマが出来上がりそうな話ではないか。
でも、おふくろを山賊と言い切った自称霊媒師のその女性。
なかなか鋭いかもと、その時は妙に納得したものだ。
それから数年して、尼寺から逃げ出した尼僧と破戒僧は結婚することになったのだが、きっと前世で駆け落ちでもしたのだろうか。
逃げるふたりを山賊だったおふくろが手助けしてくれたのかな。
いやいや、良い獲物が来たとおふくろに身ぐるみ剥がされたのかもしれない。
その因果が現世にというわけではないだろうが...
墓石をぼんやり眺めていたら、昔のそんなことを思い出してしまった。
親父はといえば、家から持ってきたミカンをひとり黙々と食べていた。
「あ、それカビだらけだよ。やめた方が良いよ」と今まさに青カビだらけのミカンを口に入れようとする親父を制すると
「だいじょうぶだぁ、こだの平気だ」とすました顔で食べ始まった。
呆気にとられた私をよそに
「ああ、うめぇ。青カビはペニシリンだ。クスリだから身体に良いんだ」
「いやいや、それは」と言いかけたその時、墓前に置いてあった湯呑が転がり落ちて割れてしまった。
「ほら、怒ってるぞ」と私。
親父は割れた湯呑のかけらを無言で拾い始めた。
郊外にある大きな霊園だ。
その一隅におふくろが眠っている。
いや、あのおふくろのことだから、眠ってなどいないだろう。
とにかくパワフルな人だった。
男勝り、いや、男以上に迫力があった。
例えばこんなことがあった。
おふくろは喫茶店を経営していたが、店に入ってきたヤクザ者を撃退したことがある。
店で働いていた女の子たちにちょっかいを出したからだ。
すかさずおふくろがドスの効いた声で「店から出ていけ、コノヤロウ!」と一喝。
ヤクザ者はあまりの迫力に思わず逃げ出したのだ。
まるでドラマのワンシーンのような話だが、店の女の子たちは「ママ、かっこいい!」と大はしゃぎ。
数日が経って、ヤクザ者の親分さんが「この間はうちのモンが失礼しました」と詫びに来たのだから、本当に凄かった。
でもおふくろ曰く「本当は怖かった」とあとから私にそっと耳打ちしたものだ。
親御さんたちから預かった女の子たちを、ぜったいに守らなければという気持ちが先に立ったおふくろは、人一倍義侠心が強い人でもあったのだ。
ある時、自称霊媒師を名乗る常連の中年女性がやって来た。
カウンターの席について、いつものようにコーヒーを注文する。
カウンターの中にはおふくろと、当時まだ結婚前のかみさんが入っていたのだが、その女性、ふたりをじっと見るなり
「ママさんの前世は山賊、そちらのお嬢さんは尼寺から逃げ出した尼僧です」と言い出した。
隣りに座ってその話を聞いていた、まだ大学生だった私は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
「そうそう、あなたの前世は破戒僧です」
今度は私の方を見てそう言った。
山賊に尼に破戒僧。
なんだかドラマが出来上がりそうな話ではないか。
でも、おふくろを山賊と言い切った自称霊媒師のその女性。
なかなか鋭いかもと、その時は妙に納得したものだ。
それから数年して、尼寺から逃げ出した尼僧と破戒僧は結婚することになったのだが、きっと前世で駆け落ちでもしたのだろうか。
逃げるふたりを山賊だったおふくろが手助けしてくれたのかな。
いやいや、良い獲物が来たとおふくろに身ぐるみ剥がされたのかもしれない。
その因果が現世にというわけではないだろうが...
墓石をぼんやり眺めていたら、昔のそんなことを思い出してしまった。
親父はといえば、家から持ってきたミカンをひとり黙々と食べていた。
「あ、それカビだらけだよ。やめた方が良いよ」と今まさに青カビだらけのミカンを口に入れようとする親父を制すると
「だいじょうぶだぁ、こだの平気だ」とすました顔で食べ始まった。
呆気にとられた私をよそに
「ああ、うめぇ。青カビはペニシリンだ。クスリだから身体に良いんだ」
「いやいや、それは」と言いかけたその時、墓前に置いてあった湯呑が転がり落ちて割れてしまった。
「ほら、怒ってるぞ」と私。
親父は割れた湯呑のかけらを無言で拾い始めた。
我が家の居間の窓から、今日も散歩する親父の姿が見える。
寒いので、妹から借りた女物の毛糸の帽子を被り、大きなマスクをつけ、厚手のオーバーを着込んで、向かい風に逆らいながら、やや前傾姿勢でヨタヨタと歩いている。
我が家の前には一本の用水路が流れていて、その両岸が歩道になっている。
用水路の北側と南側には橋が架かっているので、橋を渡ればグルグルと周回することができるのだ。
数年前から親父はそこを競技場のトラックのように、何度も回ることを日課としているのである。
親父の家は我が家の北側にあり、いつも南に向かって歩き始めるので、我が家の窓の左から現れて右へと消えていく。そして今度は用水路の対岸の歩道を右から左へと歩いていく姿が現れるのだ。
それから数分すると、家の前の歩道の左から現れて右へと消え、先程同様に対岸の歩道を今度は右から左へと歩いていく。
だがこの日、異変が起こった。
いつものように左から右へとヨタヨタ歩く親父をぼんやりと眺めていた。そして視界から消えた親父が、しばらくして対岸の歩道を今度は右から左へとゆっくり消えていった。
杖もつかずに一人で散歩ができるのだから、親父はとりあえず元気だなと安堵する。
以前かみさんに聞いた話では、家の前をグルグル回るのは、もし倒れた時に発見してもらい易いからだと漏らしていたことがあったらしい。
家の前のグルグル散歩は、親父なりの考えがあったのである。
と、その時である。突然親父が右からヨタヨタと現れ、ゆっくりと左へ消えていったのである。まるでビデオのリプレイのように。
思わず口に含んだお茶を吹き出しそうになった。そして台所で洗い物をしていたかみさんに
「オヤジがワープした!!」と叫んでしまった。それとほぼ同時に、このネタは「親父との会話」に入れるべきか、「不思議草子」に書くべきかと一瞬悩んだことを思い出す。
「え、なになに」とかみさんが洗い物の手を止めて、私のそばへやって来た。
そこで今見たことをそのまま伝えると、かみさんはなあんだという顔をして
「風の強い日にはよくある現象だから」と言い残し、興味なさそうに台所へ戻っていった。
『風の強い日にはよくある現象』
かみさんは何を言っているのか、なんの話なのかこっちは全然見当もつかない。
私の目の前で起こった瞬間移動としか言いようがないその奇怪な事象の理由を、
かみさんは知っているのだろうか。
数分して、親父はヨタヨタと家の前を左から右へと歩いて行き、そして対岸を左から右へと消えていった。
私はしばらくの間、じっと表を凝視していたのだが、ついに右から現れることはなかったのである。
では、なぜ親父は瞬間移動が出来たのか。その理由は「秘密日記」に書かせて頂くことにしよう。お気に入り登録をお願い致します(笑)
寒いので、妹から借りた女物の毛糸の帽子を被り、大きなマスクをつけ、厚手のオーバーを着込んで、向かい風に逆らいながら、やや前傾姿勢でヨタヨタと歩いている。
我が家の前には一本の用水路が流れていて、その両岸が歩道になっている。
用水路の北側と南側には橋が架かっているので、橋を渡ればグルグルと周回することができるのだ。
数年前から親父はそこを競技場のトラックのように、何度も回ることを日課としているのである。
親父の家は我が家の北側にあり、いつも南に向かって歩き始めるので、我が家の窓の左から現れて右へと消えていく。そして今度は用水路の対岸の歩道を右から左へと歩いていく姿が現れるのだ。
それから数分すると、家の前の歩道の左から現れて右へと消え、先程同様に対岸の歩道を今度は右から左へと歩いていく。
だがこの日、異変が起こった。
いつものように左から右へとヨタヨタ歩く親父をぼんやりと眺めていた。そして視界から消えた親父が、しばらくして対岸の歩道を今度は右から左へとゆっくり消えていった。
杖もつかずに一人で散歩ができるのだから、親父はとりあえず元気だなと安堵する。
以前かみさんに聞いた話では、家の前をグルグル回るのは、もし倒れた時に発見してもらい易いからだと漏らしていたことがあったらしい。
家の前のグルグル散歩は、親父なりの考えがあったのである。
と、その時である。突然親父が右からヨタヨタと現れ、ゆっくりと左へ消えていったのである。まるでビデオのリプレイのように。
思わず口に含んだお茶を吹き出しそうになった。そして台所で洗い物をしていたかみさんに
「オヤジがワープした!!」と叫んでしまった。それとほぼ同時に、このネタは「親父との会話」に入れるべきか、「不思議草子」に書くべきかと一瞬悩んだことを思い出す。
「え、なになに」とかみさんが洗い物の手を止めて、私のそばへやって来た。
そこで今見たことをそのまま伝えると、かみさんはなあんだという顔をして
「風の強い日にはよくある現象だから」と言い残し、興味なさそうに台所へ戻っていった。
『風の強い日にはよくある現象』
かみさんは何を言っているのか、なんの話なのかこっちは全然見当もつかない。
私の目の前で起こった瞬間移動としか言いようがないその奇怪な事象の理由を、
かみさんは知っているのだろうか。
数分して、親父はヨタヨタと家の前を左から右へと歩いて行き、そして対岸を左から右へと消えていった。
私はしばらくの間、じっと表を凝視していたのだが、ついに右から現れることはなかったのである。
では、なぜ親父は瞬間移動が出来たのか。その理由は「秘密日記」に書かせて頂くことにしよう。お気に入り登録をお願い致します(笑)