一度しかない自分の人生を無駄にしてしまう3つの「ない」があるという。
ひとつは「時間がない」。二つ目は「金がない」。そして三つ目は「自信がない」。
つい口に出してしまうこれらの言葉が、自分の人生をつまらないものにしてしまうのだとか。
そう言われてみれば確かにそうかもしれないし、そんなこと言われても実際にそうなんだから無理だよと反発したくもなる。
ただ、今までの自分を振り返ってみると、これらの言葉に逃げていた自分がいたことも事実だ。要するに「言い訳」である。
この3つの「ない」を或る人に言われて、少しだけ目覚めた私は、とっくに折り返し地点を過ぎた自分の残り人生、これからは好きにさせてもらいますとばかりに、長い間ずうっと行きたいと思っていた「大原美術館」へと出かけたのだった。
岡山で新幹線から伯備線に乗り換えて倉敷で降りる。美観地区方面へと十五分ほど歩くと、目指す「大原美術館」へ到着した。
ここは日本で初めて建てられた私設の西洋美術館である。正面玄関はまるで神殿のような造りだ。そしてこの建物が本館だが、昭和5年に建築された当時のままとなっている。
正面玄関を入るとすぐに展示室となっており、展示室の入り口で音声ガイドの機器を借りることが出来る。
この大原美術館は倉敷の実業家大原孫三郎が、岡山に生まれた洋画家児島虎次郎に出会い、彼の才能と美術に対する見識の高さ、そして情熱を高く評価して、のちに虎次郎にヨーロッパでの洋画蒐集を指示するのだった。
大原より作品の募集を許された虎次郎は、精力的にその仕事に没頭し、印象派の巨匠モネをジベルニーのアトリエに訪ね「睡蓮」を購入、それからもマチス、マルケのアトリエからと次々と画家を訪ねては作品を直接購入して行った。その数は27点だったという。
その蒐集作品の展覧会を倉敷において開催したが、全国各地から大勢の観衆を集め、大きな反響を呼んだのである。
その後、アマン・ジャンや斉藤豊作に依頼していた西洋画も届き、再び展覧会を開催したところ、これもまた大好評を博したことに力を得た大原孫三郎は、さらなるコレクションの充実を図るため、虎次郎に募集を命じたのである。
大原美術館にはエル・グレコの「受胎告知」やゴーギャン、セガンティニ、ロートレック、ホドラー、ミレ、モロー、シャヴァンヌの名画があるが、これらはその時に蒐集されたものだった。
こうして集められた名画等は大原コレクションとして世に知られるようになったのだが、その大きな役割を担った児島虎次郎は昭和4年3月に47歳の若さで早逝してしまった。
大原は彼の死を悼み、その画家としての業績と、彼の念願であった西洋美術の公開を実現させるために美術館の建設に着手したのであった。それがこの大原美術館というわけである。
本館を見た後、日本の近代洋画や現代アートなどが展示されている分館を訪れ、岸田劉生や今話題の草間彌生の作品を鑑賞した。また、工芸・東洋館では私の小学校の大先輩である棟方志功画伯の作品に接することが出来て感無量であった。
私はこうして、大原美術館に展示された数々の名立たる絵画や彫刻を前にして、ひとつ夢が叶ったことを実感していた。
そしてもうひとつ、以前から日本の名城を巡ることも頭に描いていた私は、お隣りの福山市にある福山城へと足を運んだのだった。
JR倉敷駅:写真上
大原美術館正面玄関:写真中
倉敷美観地区付近:写真下
ひとつは「時間がない」。二つ目は「金がない」。そして三つ目は「自信がない」。
つい口に出してしまうこれらの言葉が、自分の人生をつまらないものにしてしまうのだとか。
そう言われてみれば確かにそうかもしれないし、そんなこと言われても実際にそうなんだから無理だよと反発したくもなる。
ただ、今までの自分を振り返ってみると、これらの言葉に逃げていた自分がいたことも事実だ。要するに「言い訳」である。
この3つの「ない」を或る人に言われて、少しだけ目覚めた私は、とっくに折り返し地点を過ぎた自分の残り人生、これからは好きにさせてもらいますとばかりに、長い間ずうっと行きたいと思っていた「大原美術館」へと出かけたのだった。
岡山で新幹線から伯備線に乗り換えて倉敷で降りる。美観地区方面へと十五分ほど歩くと、目指す「大原美術館」へ到着した。
ここは日本で初めて建てられた私設の西洋美術館である。正面玄関はまるで神殿のような造りだ。そしてこの建物が本館だが、昭和5年に建築された当時のままとなっている。
正面玄関を入るとすぐに展示室となっており、展示室の入り口で音声ガイドの機器を借りることが出来る。
この大原美術館は倉敷の実業家大原孫三郎が、岡山に生まれた洋画家児島虎次郎に出会い、彼の才能と美術に対する見識の高さ、そして情熱を高く評価して、のちに虎次郎にヨーロッパでの洋画蒐集を指示するのだった。
大原より作品の募集を許された虎次郎は、精力的にその仕事に没頭し、印象派の巨匠モネをジベルニーのアトリエに訪ね「睡蓮」を購入、それからもマチス、マルケのアトリエからと次々と画家を訪ねては作品を直接購入して行った。その数は27点だったという。
その蒐集作品の展覧会を倉敷において開催したが、全国各地から大勢の観衆を集め、大きな反響を呼んだのである。
その後、アマン・ジャンや斉藤豊作に依頼していた西洋画も届き、再び展覧会を開催したところ、これもまた大好評を博したことに力を得た大原孫三郎は、さらなるコレクションの充実を図るため、虎次郎に募集を命じたのである。
大原美術館にはエル・グレコの「受胎告知」やゴーギャン、セガンティニ、ロートレック、ホドラー、ミレ、モロー、シャヴァンヌの名画があるが、これらはその時に蒐集されたものだった。
こうして集められた名画等は大原コレクションとして世に知られるようになったのだが、その大きな役割を担った児島虎次郎は昭和4年3月に47歳の若さで早逝してしまった。
大原は彼の死を悼み、その画家としての業績と、彼の念願であった西洋美術の公開を実現させるために美術館の建設に着手したのであった。それがこの大原美術館というわけである。
本館を見た後、日本の近代洋画や現代アートなどが展示されている分館を訪れ、岸田劉生や今話題の草間彌生の作品を鑑賞した。また、工芸・東洋館では私の小学校の大先輩である棟方志功画伯の作品に接することが出来て感無量であった。
私はこうして、大原美術館に展示された数々の名立たる絵画や彫刻を前にして、ひとつ夢が叶ったことを実感していた。
そしてもうひとつ、以前から日本の名城を巡ることも頭に描いていた私は、お隣りの福山市にある福山城へと足を運んだのだった。
JR倉敷駅:写真上
大原美術館正面玄関:写真中
倉敷美観地区付近:写真下
屋根裏の密かな楽しみ
2019年4月17日 趣味 コメント (12)溜まりに溜まった本の数々。本棚に入りきれないものは床の上に平積み状態だ。
ただでさえ狭い家だから、当然のごとく家人から顰蹙を買う(一番は妻だが)。だから本を買ってきた日には、見つからないように本を抱えて二階へと忍び足で逃げ込むのだ。
ちなみに「本」だけではない。LPレコードやCD、そしてDVDも2000枚程は持っている。特にLPレコードなどは十代の頃から買い集めたものなので、レア物が相当あると思う。
いつだったか、某サイトで私の持っているLPレコードを調べてみたら、驚くような値が付いていた。これを売ったらちょっとした小遣いになるなと思ったが、思い出と愛着があるレコードだったので、結局手放すことが出来なかった。
さて、そんな我が家には、一丁前にロフトというものがある。簡単に言えば屋根裏部屋だ。私などはもう何か月も入っていないが、ここには或る「宝物」がそれこそ山のように放置されているのだ。それは何かというと「マンガ本」である。それも懐かしのマンガばかりだ。
ざっと見渡しただけでも「のたり松太郎」「ブッダ」「こち亀」「ブラック・ジャック」「がんばれ元気」「おれは直角」「うしろの百太郎」「恐怖新聞」「めぞん一刻」「金田一少年の事件簿」「三つ目がとおる」「どろろ」「笑ウせえるすまん」「シャーマンキング」「浦安鉄筋家族」「包丁人味平」「銀河鉄道999」「三国志」「水滸伝」「NARUTO-ナルトー」「バガボンド」etc
それらが三方の壁にほぼ全巻揃ってずらりと並んでいる。
このロフトにひとたび入って、そのどれか一冊でも手に取ろうものなら、ここから数時間は抜け出せなくなるという恐ろしい場所なのである。
ちなみにこのロフトは8畳ほどのスペースがあり、私の部屋より倍も広い。ここの真ん中にゴロリと寝転がってマンガを読むのが最高のひとときとなる。
私が何か月もこのロフトへ入らなかった理由。これでお分かりになっただろう。
おそらく、いや、多分間違いなく、今度の大型連休には、このロフトへ終日閉じこもることになるかもしれない。
その時にはコーヒーのペットボトルと煎餅をしこたまリックに背負って、梯子を上がることになるだろう。今から楽しみである。
ただでさえ狭い家だから、当然のごとく家人から顰蹙を買う(一番は妻だが)。だから本を買ってきた日には、見つからないように本を抱えて二階へと忍び足で逃げ込むのだ。
ちなみに「本」だけではない。LPレコードやCD、そしてDVDも2000枚程は持っている。特にLPレコードなどは十代の頃から買い集めたものなので、レア物が相当あると思う。
いつだったか、某サイトで私の持っているLPレコードを調べてみたら、驚くような値が付いていた。これを売ったらちょっとした小遣いになるなと思ったが、思い出と愛着があるレコードだったので、結局手放すことが出来なかった。
さて、そんな我が家には、一丁前にロフトというものがある。簡単に言えば屋根裏部屋だ。私などはもう何か月も入っていないが、ここには或る「宝物」がそれこそ山のように放置されているのだ。それは何かというと「マンガ本」である。それも懐かしのマンガばかりだ。
ざっと見渡しただけでも「のたり松太郎」「ブッダ」「こち亀」「ブラック・ジャック」「がんばれ元気」「おれは直角」「うしろの百太郎」「恐怖新聞」「めぞん一刻」「金田一少年の事件簿」「三つ目がとおる」「どろろ」「笑ウせえるすまん」「シャーマンキング」「浦安鉄筋家族」「包丁人味平」「銀河鉄道999」「三国志」「水滸伝」「NARUTO-ナルトー」「バガボンド」etc
それらが三方の壁にほぼ全巻揃ってずらりと並んでいる。
このロフトにひとたび入って、そのどれか一冊でも手に取ろうものなら、ここから数時間は抜け出せなくなるという恐ろしい場所なのである。
ちなみにこのロフトは8畳ほどのスペースがあり、私の部屋より倍も広い。ここの真ん中にゴロリと寝転がってマンガを読むのが最高のひとときとなる。
私が何か月もこのロフトへ入らなかった理由。これでお分かりになっただろう。
おそらく、いや、多分間違いなく、今度の大型連休には、このロフトへ終日閉じこもることになるかもしれない。
その時にはコーヒーのペットボトルと煎餅をしこたまリックに背負って、梯子を上がることになるだろう。今から楽しみである。
私の幼馴染みで、このdn仲間のachara氏からメールが届いた。読めば「富士山の写真を年賀状に使いたいので貸してほしい」とある。
そのメールを読んで慌てた。そう、今は12月。すっかり忘れていたが、年賀状を書く季節であったのだ。
本来年賀状というものは、年が明けてから書くべきものという人がいる。確かにその通りだ。しかし、常に慌ただしく生きている私のような人間には、いつ書こうが忙しさと手間暇に変わりがない。
よく急ぎの仕事は忙しそうな人に頼めと言われるけれど、自分をその忙しそうな人に見立てて、「おい、12月中に書いておけ」と自分に指示を出す。毎年、この繰り返しである。
さて、ヒコヒコのもうひとつの顔。それは写真家(自称)である。東京に住んでいた頃は、ひとりで、或いは写真仲間たちと休日の度に写真撮影に出かけたものだ。
もちろん、今回achara氏からオーダーのあった富士山にも撮影に出かけた。
そこで早速ポジフィルムの保管庫を開けて、膨大なフィルムの中から富士山のカットを探し出し、スキャナーにかけた。
私が東京で写真撮影に凝っていた頃は、まだデジカメが普及しておらず、ほぼ100%がフィルム撮影(ネガではなくポジフィルム)だった。そのため、人に渡す時にはフィルムをスキャンしてデジタル化し、そのデータを送るのである。
そして彼に渡した富士山のデータが、このブログに添付した3枚の写真である。
同じ日に早朝から日没まで、河口湖畔で一日中粘って撮影したものだ。
この時は、先日私に青森で同行してくれたMさんも一緒だったが、刻一刻とその表情を変える富士山から目を離すことが出来なくなってしまった。おそらく後にも先にも、これだけ一つの山を見続けたことはないと思う。
さて、この時使用したカメラは中判カメラと呼ばれるもの。フィルムサイズが大きくて描写力が桁違いに良い。今のデジカメで言うところの高画素・高解像度カメラである。
このブログに載せた写真はだいぶ解像度を落としているが、それでも細部まで描写されていることがお分かり頂けるだろう。
撮影にはペンタックス645という風景写真家には評判の良いカメラを使用したのだが、これ以降、このカメラは私の撮影行に必ず同行することになった。
この日撮影したのは数百カット。撮影が無事に終わり、新宿まで辿り着いた時には、私もMさんも口がきけないほど疲れ切っていた。
だが、現像所から上がった写真を見て、ガッツポーズをとったことを今でも覚えている。
ところで私の年賀状。毎年、自分が撮影した風景写真を使っているのだが、今回はどうしよう。今年一番の難問かもしれない。
そのメールを読んで慌てた。そう、今は12月。すっかり忘れていたが、年賀状を書く季節であったのだ。
本来年賀状というものは、年が明けてから書くべきものという人がいる。確かにその通りだ。しかし、常に慌ただしく生きている私のような人間には、いつ書こうが忙しさと手間暇に変わりがない。
よく急ぎの仕事は忙しそうな人に頼めと言われるけれど、自分をその忙しそうな人に見立てて、「おい、12月中に書いておけ」と自分に指示を出す。毎年、この繰り返しである。
さて、ヒコヒコのもうひとつの顔。それは写真家(自称)である。東京に住んでいた頃は、ひとりで、或いは写真仲間たちと休日の度に写真撮影に出かけたものだ。
もちろん、今回achara氏からオーダーのあった富士山にも撮影に出かけた。
そこで早速ポジフィルムの保管庫を開けて、膨大なフィルムの中から富士山のカットを探し出し、スキャナーにかけた。
私が東京で写真撮影に凝っていた頃は、まだデジカメが普及しておらず、ほぼ100%がフィルム撮影(ネガではなくポジフィルム)だった。そのため、人に渡す時にはフィルムをスキャンしてデジタル化し、そのデータを送るのである。
そして彼に渡した富士山のデータが、このブログに添付した3枚の写真である。
同じ日に早朝から日没まで、河口湖畔で一日中粘って撮影したものだ。
この時は、先日私に青森で同行してくれたMさんも一緒だったが、刻一刻とその表情を変える富士山から目を離すことが出来なくなってしまった。おそらく後にも先にも、これだけ一つの山を見続けたことはないと思う。
さて、この時使用したカメラは中判カメラと呼ばれるもの。フィルムサイズが大きくて描写力が桁違いに良い。今のデジカメで言うところの高画素・高解像度カメラである。
このブログに載せた写真はだいぶ解像度を落としているが、それでも細部まで描写されていることがお分かり頂けるだろう。
撮影にはペンタックス645という風景写真家には評判の良いカメラを使用したのだが、これ以降、このカメラは私の撮影行に必ず同行することになった。
この日撮影したのは数百カット。撮影が無事に終わり、新宿まで辿り着いた時には、私もMさんも口がきけないほど疲れ切っていた。
だが、現像所から上がった写真を見て、ガッツポーズをとったことを今でも覚えている。
ところで私の年賀状。毎年、自分が撮影した風景写真を使っているのだが、今回はどうしよう。今年一番の難問かもしれない。
会社への行き帰り、或いは出張の際に愛用しているウォークマン。もう、10年近くも使っているだろうか。
丁寧に使っているつもりでも、外観は擦り傷だらけで、筐体の地色があちこち見え隠れしている。見ようによっては、これはこれでなかなかカッコイイのだが、肝心の音がどうもいけない。
最近、自分の耳がおかしいと思ったら、ウォークマンの方がおかしいことに気がついた。
まず、左右の音のバランスが崩れている。左側だけが音がはっきりしていて、右側のレベルが微妙に低い。この微妙にというのが曲者で、最初は自分の耳に問題があるような感じがした。
「耳の穴をかっぽじって、人の話をよく聞け」などと言うけれど、その通りにしてみてもなんだかよく聞こえない。山登りした時に、気圧の関係で耳が聞こえにくくなるあれに似ている。
それが耳のせいではないことが分かったのは、まったく単純なことだった。
イヤホンの左右を入れ替えて耳に装着してみたのだ。すると今度は左側が聞こえにくくなったという訳である。つまり原因は私ではなく、このウォークマンだった。
そしてもうひとつ。それはノイズが入り出したこと。曲の途中、或いは曲間にジャリジャリとかガガッなどと不快音が入るのだ。それが時に老人の悲鳴のようでもあり、そろそろ替え時かなという決断に結びついた。
そこで色々調べてみると、最近のウォークマンはハイレゾ対応などと、私の知らない間に相当進歩していた様子。また、記憶容量も私の持っているそれとは雲泥の差である。一体、何万曲入るのだろうというくらいの大容量が、あたりまえのように備わっている。
しかしただひとつ、私の愛用しているウォークマンの方が勝っていると思ったのは、その大きさと重さだ。最新のものよりも薄くて軽くてワイシャツの胸ポケットにもすんなりと入る。これは案外大事なことだ。
長めの出張の時などは、少しでも荷物を減らしたいもの。嵩張るものや重いものなどは極力減らしたい。そういう時に、私に負担をかけないでくれるこの古びたウォークマンはありがたい存在だ。
しかし、どんなものにも新旧交代の時はやってくる。これは物事のさだめである。
私は脱腸ではなく断腸の思いで大型家電販売店へ向かった。すると、ありますあります、最新のウォークマンがズラリと並んでいる。ボディカラーも昔に比べたら豊富になったようだ。
値段の違いは容量の差であろうか。でも、倍の容量になっても、そんなに高くは感じないし、小さい容量のものを購入してもSDカードを装着出来るようだから、容量不足の問題はクリアー出来る。
それでも色々悩んだ挙句、一台のウォークマンを選択した。それが写真の機種である。
操作方法に関していえば、今まで使っていたものと大差はない。ただ、スマホと同様に画面をタッチするタイプなので、慣れないと変なところに触れてしまい、私には少々厄介な代物だ。
でも、音は格段に良くなった。これは間違いない。たとえハイレゾ音源の曲ではなくても、それに近い音質に限りなく近づけてくれる。
ところで、古いウォークマンだが、今も私のカバンの中に入っている。使わないまでも行動を共にしているのだ。
少しでも軽くしたいというさっきの話に、まったく矛盾するではないかと言われてしまいそうだが、やはり苦楽を共にした古い友は、どうしても捨てられないのである。
丁寧に使っているつもりでも、外観は擦り傷だらけで、筐体の地色があちこち見え隠れしている。見ようによっては、これはこれでなかなかカッコイイのだが、肝心の音がどうもいけない。
最近、自分の耳がおかしいと思ったら、ウォークマンの方がおかしいことに気がついた。
まず、左右の音のバランスが崩れている。左側だけが音がはっきりしていて、右側のレベルが微妙に低い。この微妙にというのが曲者で、最初は自分の耳に問題があるような感じがした。
「耳の穴をかっぽじって、人の話をよく聞け」などと言うけれど、その通りにしてみてもなんだかよく聞こえない。山登りした時に、気圧の関係で耳が聞こえにくくなるあれに似ている。
それが耳のせいではないことが分かったのは、まったく単純なことだった。
イヤホンの左右を入れ替えて耳に装着してみたのだ。すると今度は左側が聞こえにくくなったという訳である。つまり原因は私ではなく、このウォークマンだった。
そしてもうひとつ。それはノイズが入り出したこと。曲の途中、或いは曲間にジャリジャリとかガガッなどと不快音が入るのだ。それが時に老人の悲鳴のようでもあり、そろそろ替え時かなという決断に結びついた。
そこで色々調べてみると、最近のウォークマンはハイレゾ対応などと、私の知らない間に相当進歩していた様子。また、記憶容量も私の持っているそれとは雲泥の差である。一体、何万曲入るのだろうというくらいの大容量が、あたりまえのように備わっている。
しかしただひとつ、私の愛用しているウォークマンの方が勝っていると思ったのは、その大きさと重さだ。最新のものよりも薄くて軽くてワイシャツの胸ポケットにもすんなりと入る。これは案外大事なことだ。
長めの出張の時などは、少しでも荷物を減らしたいもの。嵩張るものや重いものなどは極力減らしたい。そういう時に、私に負担をかけないでくれるこの古びたウォークマンはありがたい存在だ。
しかし、どんなものにも新旧交代の時はやってくる。これは物事のさだめである。
私は脱腸ではなく断腸の思いで大型家電販売店へ向かった。すると、ありますあります、最新のウォークマンがズラリと並んでいる。ボディカラーも昔に比べたら豊富になったようだ。
値段の違いは容量の差であろうか。でも、倍の容量になっても、そんなに高くは感じないし、小さい容量のものを購入してもSDカードを装着出来るようだから、容量不足の問題はクリアー出来る。
それでも色々悩んだ挙句、一台のウォークマンを選択した。それが写真の機種である。
操作方法に関していえば、今まで使っていたものと大差はない。ただ、スマホと同様に画面をタッチするタイプなので、慣れないと変なところに触れてしまい、私には少々厄介な代物だ。
でも、音は格段に良くなった。これは間違いない。たとえハイレゾ音源の曲ではなくても、それに近い音質に限りなく近づけてくれる。
ところで、古いウォークマンだが、今も私のカバンの中に入っている。使わないまでも行動を共にしているのだ。
少しでも軽くしたいというさっきの話に、まったく矛盾するではないかと言われてしまいそうだが、やはり苦楽を共にした古い友は、どうしても捨てられないのである。
家の前に宅送のトラックが停まった。どうやら我が家に荷物が届いたようだ。
ドライバーが降りてきて、荷室の扉を開けると中へ入って行った。しかし、なかなか出てこない。どうしたんだろうと居間の窓から見ていたら、ようやく姿を現した。
なにやら大きなダンボール箱を、荷室の奥から引き摺り出して来た様子。しかし、相当重いようで、降ろすのに苦戦している。
見ていられなくなった私は、サンダルを突っかけて外へと飛び出した。
ふたり掛りで玄関へ運び込んだそれは、小型のタンスを横に倒したくらいの大きさがある。それもかなりの重さだ。大人の男ひとりで運ぶのは難しい。一体誰がこんなものを頼んだのだろう。
伝票に受け取りのサインを書きながら、受取人の名前が私になっていることに驚いた。では差出人はと名前を見ると、長男の名前が書かれてあった。
『商品名:陳列棚』
ガラス製品につき、取り扱い注意と書かれてある。この重さはガラスのせいだった。
しかしなんでまた、息子が私にこんなものを送って寄越したのだろうか。
玄関に置かれたままの大きなダンボール箱は、今夜息子が帰ってくるまでこのままにしておこうと思った。
夜半、長男が疲れた顔で帰宅した。そして玄関を占領する大きな荷物を見て
「あー、届いたんだ。やっぱり大きいな」と感嘆の声をあげた。
私は息子に向かって「なんだコレは」と問うと、
「鉄道模型の陳列棚だよ。前に欲しいって聞いてたから買った」とのこと。
そう、確かに欲しいと言ったことがある。
昔からNゲージの鉄道模型を買い込んで、ロフトで走らせては喜んでいたのだが、いつもこれらの車両を眺めていられたら良いだろうなと思ってはいた。だが、まさか...
息子に言わせると、私の定年祝いという名目のようだが、それはあくまでも表向きであって、実際には自分の所有する鉄道模型を飾っておきたいためだった。
長男もまた、父以上の筋金入りの鉄チャンなのである。
このあと深夜までかかり、ふたりでどうにか組み立てたのだが、横に長いこの陳列棚を設置する場所がない。結局、居間のレイアウトを変えることによってスペースを作り出し、どうにか設置することが出来た。
この陳列棚、ガラスの棚が8段ほどあり、奥行が結構あるので、ひとつの棚に4編成ほどの鉄道模型を飾ることが出来る。しかも背景が鏡になっているので、さらに広く見えるところが憎い。
息子は買い込んでいた鉄道模型を持って来ると、レールを敷いて並べ始めた。
手慣れた手つきでJRになってからの花形車両を次々に並べていく。しかし一番上の棚には飾らない。どうやらそこは父の棚ということらしかった。
それではありがたくと、私もレールを敷いて国鉄時代の古くて懐かしい車両を並べさせてもらった。こうして新旧の車両が一堂に会した陳列棚が出来上がった頃には、東の空が白み始めていた。
「好きなことをしていると、時の流れを忘れると言うけれど...」
思わず私の口を突いて出た言葉だった。
ドライバーが降りてきて、荷室の扉を開けると中へ入って行った。しかし、なかなか出てこない。どうしたんだろうと居間の窓から見ていたら、ようやく姿を現した。
なにやら大きなダンボール箱を、荷室の奥から引き摺り出して来た様子。しかし、相当重いようで、降ろすのに苦戦している。
見ていられなくなった私は、サンダルを突っかけて外へと飛び出した。
ふたり掛りで玄関へ運び込んだそれは、小型のタンスを横に倒したくらいの大きさがある。それもかなりの重さだ。大人の男ひとりで運ぶのは難しい。一体誰がこんなものを頼んだのだろう。
伝票に受け取りのサインを書きながら、受取人の名前が私になっていることに驚いた。では差出人はと名前を見ると、長男の名前が書かれてあった。
『商品名:陳列棚』
ガラス製品につき、取り扱い注意と書かれてある。この重さはガラスのせいだった。
しかしなんでまた、息子が私にこんなものを送って寄越したのだろうか。
玄関に置かれたままの大きなダンボール箱は、今夜息子が帰ってくるまでこのままにしておこうと思った。
夜半、長男が疲れた顔で帰宅した。そして玄関を占領する大きな荷物を見て
「あー、届いたんだ。やっぱり大きいな」と感嘆の声をあげた。
私は息子に向かって「なんだコレは」と問うと、
「鉄道模型の陳列棚だよ。前に欲しいって聞いてたから買った」とのこと。
そう、確かに欲しいと言ったことがある。
昔からNゲージの鉄道模型を買い込んで、ロフトで走らせては喜んでいたのだが、いつもこれらの車両を眺めていられたら良いだろうなと思ってはいた。だが、まさか...
息子に言わせると、私の定年祝いという名目のようだが、それはあくまでも表向きであって、実際には自分の所有する鉄道模型を飾っておきたいためだった。
長男もまた、父以上の筋金入りの鉄チャンなのである。
このあと深夜までかかり、ふたりでどうにか組み立てたのだが、横に長いこの陳列棚を設置する場所がない。結局、居間のレイアウトを変えることによってスペースを作り出し、どうにか設置することが出来た。
この陳列棚、ガラスの棚が8段ほどあり、奥行が結構あるので、ひとつの棚に4編成ほどの鉄道模型を飾ることが出来る。しかも背景が鏡になっているので、さらに広く見えるところが憎い。
息子は買い込んでいた鉄道模型を持って来ると、レールを敷いて並べ始めた。
手慣れた手つきでJRになってからの花形車両を次々に並べていく。しかし一番上の棚には飾らない。どうやらそこは父の棚ということらしかった。
それではありがたくと、私もレールを敷いて国鉄時代の古くて懐かしい車両を並べさせてもらった。こうして新旧の車両が一堂に会した陳列棚が出来上がった頃には、東の空が白み始めていた。
「好きなことをしていると、時の流れを忘れると言うけれど...」
思わず私の口を突いて出た言葉だった。
1億画素は必要か?!
2018年11月9日 趣味 コメント (4)
新聞を読んでいたら、デジタル中判カメラの記事を見つけた。これだけなら特に驚かないのだが、問題はその画素数である。なんと驚くなかれ1億画素だというのだ。
その驚異の中判デジカメ開発を発表したのは富士フィルムである。既に試作機も出来上がり、プレス発表も終わっている。
富士フィルムからは既にGFX 50Sという中判カメラが発売されているが、こちらは5140万画素であるから、およそ2倍のスペックを持つことになる。
私も中判カメラはPENTAX 645Zを1台所有しているが、こちらも5140万画素である。写真の仕上がりは大変美しいのだが、ここまで画素数が大きいと、レンズの性能がモロに写真に現れてくる。
その点、富士フィルムは当初から1億画素を想定したレンズ設計を行っているということで、余裕というか自信のほどを見せている。
ところで先程から中判カメラという言葉が何度も出て来るが、カメラに関心が無ければ何のことか分からない方も多いだろう。もともと中判だとか大判という言葉は、フィルムのサイズを表したもので、フィルムを使用しないデジカメの世界では、撮像素子の大きさをフィルムに見立てたものである。
昔、お父さんたちが宝物のように扱っていた一眼レフカメラは、35mmフィルムを使用していたが、あの一コマの大きさが24×36mmだった(ハーフカメラはその半分)。その大きさと同じ撮像素子を持ったカメラを、フルザイズカメラと一般には呼んでいる。そしてそのサイズよりもさらに大きいものを中判カメラとか大判カメラと呼ぶのである。
昔、写真館のオジサンが頭からすっぽりと黒い布を被って、大きな箱のようなカメラで撮影していたが、出来上がった写真を見て「きれいだなあ」と思った人も多いだろう。あのカメラは大判カメラと呼ばれるもので、フィルムサイズが無茶苦茶大きいのである。
つまりデジカメも撮像素子が大きければ、とても綺麗に写るということなのだ。もちろん画素数が大きければ綺麗という簡単な話ではないのだが。
しかし、さすがに1億画素のカメラとなると、どのような需要があるのだろうかと首を傾げてしまう。
私が持っている5000万画素だって、オーバースペックだと今になって思っているくらいだ。
例えばA1やA0の大きなポスターの印刷では、解像度をわざわざ落として印刷するのである。このくらいの大きさの印刷物では、遠くから見ても解像度を落としていることさえ分からないのが実際だ。しかもこの時に必要とされるカメラの解像度は2000万画素程度である。
1億画素の写真を有効活用出来るものは、果たして何なのだろうかと思わざるを得ない。それに値段も相当高いだろう。データも重いからパソコンの性能が高くなければ処理も時間がかかる。結局、お金がかかるということだ。
ところで私は昔からの富士フィルムファンである。今、メインで使用しているカメラは同社のミラーレスカメラ(X-T1やX-Pro1,Pro-2等)である。なぜ富士フィルムのカメラが好きかと言うと、フィルムを追求してきたメーカーだけあって色への拘りがあるからだ。それにレンズも優秀なものが多い。なにせ写真館ではEBCフジノンレンズを使用するところが多かった。好みの問題と言われればそれまでだが、数値だけではない魅力が感じられる同社のカメラやレンズ。
1億画素のカメラは果たして富士フィルムにどのような結果をもたらすのだろうか。今後の動きが気になるところだ。
写真上:GFX 100 MEGAPIXELS(1億画素)
写真下:X-Pro2 我が愛機
その驚異の中判デジカメ開発を発表したのは富士フィルムである。既に試作機も出来上がり、プレス発表も終わっている。
富士フィルムからは既にGFX 50Sという中判カメラが発売されているが、こちらは5140万画素であるから、およそ2倍のスペックを持つことになる。
私も中判カメラはPENTAX 645Zを1台所有しているが、こちらも5140万画素である。写真の仕上がりは大変美しいのだが、ここまで画素数が大きいと、レンズの性能がモロに写真に現れてくる。
その点、富士フィルムは当初から1億画素を想定したレンズ設計を行っているということで、余裕というか自信のほどを見せている。
ところで先程から中判カメラという言葉が何度も出て来るが、カメラに関心が無ければ何のことか分からない方も多いだろう。もともと中判だとか大判という言葉は、フィルムのサイズを表したもので、フィルムを使用しないデジカメの世界では、撮像素子の大きさをフィルムに見立てたものである。
昔、お父さんたちが宝物のように扱っていた一眼レフカメラは、35mmフィルムを使用していたが、あの一コマの大きさが24×36mmだった(ハーフカメラはその半分)。その大きさと同じ撮像素子を持ったカメラを、フルザイズカメラと一般には呼んでいる。そしてそのサイズよりもさらに大きいものを中判カメラとか大判カメラと呼ぶのである。
昔、写真館のオジサンが頭からすっぽりと黒い布を被って、大きな箱のようなカメラで撮影していたが、出来上がった写真を見て「きれいだなあ」と思った人も多いだろう。あのカメラは大判カメラと呼ばれるもので、フィルムサイズが無茶苦茶大きいのである。
つまりデジカメも撮像素子が大きければ、とても綺麗に写るということなのだ。もちろん画素数が大きければ綺麗という簡単な話ではないのだが。
しかし、さすがに1億画素のカメラとなると、どのような需要があるのだろうかと首を傾げてしまう。
私が持っている5000万画素だって、オーバースペックだと今になって思っているくらいだ。
例えばA1やA0の大きなポスターの印刷では、解像度をわざわざ落として印刷するのである。このくらいの大きさの印刷物では、遠くから見ても解像度を落としていることさえ分からないのが実際だ。しかもこの時に必要とされるカメラの解像度は2000万画素程度である。
1億画素の写真を有効活用出来るものは、果たして何なのだろうかと思わざるを得ない。それに値段も相当高いだろう。データも重いからパソコンの性能が高くなければ処理も時間がかかる。結局、お金がかかるということだ。
ところで私は昔からの富士フィルムファンである。今、メインで使用しているカメラは同社のミラーレスカメラ(X-T1やX-Pro1,Pro-2等)である。なぜ富士フィルムのカメラが好きかと言うと、フィルムを追求してきたメーカーだけあって色への拘りがあるからだ。それにレンズも優秀なものが多い。なにせ写真館ではEBCフジノンレンズを使用するところが多かった。好みの問題と言われればそれまでだが、数値だけではない魅力が感じられる同社のカメラやレンズ。
1億画素のカメラは果たして富士フィルムにどのような結果をもたらすのだろうか。今後の動きが気になるところだ。
写真上:GFX 100 MEGAPIXELS(1億画素)
写真下:X-Pro2 我が愛機
GoPro HERO7を買ってしまった!!
2018年10月29日 趣味 コメント (11)
また買ってしまった。今度はビデオカメラである。理由は簡単。面白そうだったから。
今回手に入れたのは「GoPro HERO7」。巷で静かなブームを呼んでいる超小型4Kウェアラブルカメラである。
ウェアラブルカメラとは身に付けるだとか、装着するとか、要するに身体でもバイクでも自転車でも、或いはサーフィンでもなんにでも取り付けが可能なカメラのことである。
しかもジンバル機能が備わっているので、撮影しながら歩いても走っても、画面がぶれないという優れものなのだ。例えば空撮映像でお馴染みのドローンにはこの機能が備わっており、風や振動の影響を受けずに綺麗な映像が撮影出来る。その美しい映像は、テレビを通してご覧になられた方も多いはずだ。
そんな凄い機能が備わって、しかも4Kという高画質なビデオヵメラが、1ケ月間お酒と昼飯を我慢すれば入手出来る訳だから(実際には無理だけど)、世の中凄いところまで来てしまったなあと思う。
思い返せば今から30年以上も前、長男が生まれた時に初めてビデオカメラを購入した。しかしその時に購入したのは、VHSのビデオテープをそのままカメラに挿入するというもの。当然、大きくてやたらに重い。手で持って撮影するなど不可能で、肩にカメラを担いで撮影するという代物だった。
ファインダーもモノクロ画像だし、バッテリー自体もやたらに重くて、しかも電池の消耗が激しい。120分テープを入れても撮り切ったことはなかった。
当時の価格でおそらく給料の2ケ月分くらいはしたかもしれないが、入手した時は凄い世の中になったものだと、今回のように興奮していた。
さて、そのGopro7。7と名がつくからには6や5もあるのではと思われるだろうが、そう、その通りである。機能的にどんどん改良がなされ、今のところこの7が最新機種ということになる。
写真では大きさが伝わりづらいが、タバコの箱をぐぐっと正方形に近づけたような大きさである。成人男性ならば掌に収まってしまうサイズと言っても良い。
さて、購入して早速撮影したのは、まもなく2歳になる孫。最近は追いつけなくなるほど速く走り回っているが、今まで使用していたミラーレス一眼ではどうしても画面のぶれが大きく、とても見づらい映像になっていた。
そこで、早速孫を自由に走らせて、その後を追いかけながら撮影したら、ぶれが一切ない綺麗な映像が出来上がった。それを見ただけで、完全にハマってしまいそうな予感が!
家族全員にも完成映像を観てもらったが、まるで映画を見ているみたいだと大好評であった。
その反応の良さに思わず調子づいた私は
「よおし、次はドローンで孫を空撮だな」と一言口を滑らせたら
「お義父さん、それだけはやめてください」と息子の嫁に釘を刺されてしまった。
※実際の映像をご覧になりたい方は、YOU TUBE等で公開されています。
「GoPro HERO7」で検索してみてください。
今回手に入れたのは「GoPro HERO7」。巷で静かなブームを呼んでいる超小型4Kウェアラブルカメラである。
ウェアラブルカメラとは身に付けるだとか、装着するとか、要するに身体でもバイクでも自転車でも、或いはサーフィンでもなんにでも取り付けが可能なカメラのことである。
しかもジンバル機能が備わっているので、撮影しながら歩いても走っても、画面がぶれないという優れものなのだ。例えば空撮映像でお馴染みのドローンにはこの機能が備わっており、風や振動の影響を受けずに綺麗な映像が撮影出来る。その美しい映像は、テレビを通してご覧になられた方も多いはずだ。
そんな凄い機能が備わって、しかも4Kという高画質なビデオヵメラが、1ケ月間お酒と昼飯を我慢すれば入手出来る訳だから(実際には無理だけど)、世の中凄いところまで来てしまったなあと思う。
思い返せば今から30年以上も前、長男が生まれた時に初めてビデオカメラを購入した。しかしその時に購入したのは、VHSのビデオテープをそのままカメラに挿入するというもの。当然、大きくてやたらに重い。手で持って撮影するなど不可能で、肩にカメラを担いで撮影するという代物だった。
ファインダーもモノクロ画像だし、バッテリー自体もやたらに重くて、しかも電池の消耗が激しい。120分テープを入れても撮り切ったことはなかった。
当時の価格でおそらく給料の2ケ月分くらいはしたかもしれないが、入手した時は凄い世の中になったものだと、今回のように興奮していた。
さて、そのGopro7。7と名がつくからには6や5もあるのではと思われるだろうが、そう、その通りである。機能的にどんどん改良がなされ、今のところこの7が最新機種ということになる。
写真では大きさが伝わりづらいが、タバコの箱をぐぐっと正方形に近づけたような大きさである。成人男性ならば掌に収まってしまうサイズと言っても良い。
さて、購入して早速撮影したのは、まもなく2歳になる孫。最近は追いつけなくなるほど速く走り回っているが、今まで使用していたミラーレス一眼ではどうしても画面のぶれが大きく、とても見づらい映像になっていた。
そこで、早速孫を自由に走らせて、その後を追いかけながら撮影したら、ぶれが一切ない綺麗な映像が出来上がった。それを見ただけで、完全にハマってしまいそうな予感が!
家族全員にも完成映像を観てもらったが、まるで映画を見ているみたいだと大好評であった。
その反応の良さに思わず調子づいた私は
「よおし、次はドローンで孫を空撮だな」と一言口を滑らせたら
「お義父さん、それだけはやめてください」と息子の嫁に釘を刺されてしまった。
※実際の映像をご覧になりたい方は、YOU TUBE等で公開されています。
「GoPro HERO7」で検索してみてください。
ヒコヒコ通信BOOK
2018年10月18日 趣味 コメント (8)
このDiaryNoteを書き始めたのが14年ほど前のこと。
当時、ブログなどというものをまったく知らなかったこの私に、しきりと書くことを勧めてくれたのがachara氏であった。
彼のブログは勿論のこと、他の方々のブログも読ませて頂きながら、皆さんの巧みな筆さばきに感心しつつ、それらを参考にぽつぽつと書き始めた。
途中、東日本大震災という未曽有の災害のため、しばらくの期間、ブログを中断することになってしまった(ヒコヒコの本業は、公的な機関からの依頼を受けて、様々な調査活動を行うリサーチャーなのであります)。
委託元からは「守秘義務」を課せられるので、ついうっかりブログに書いてしまうと大変なことになってしまう。そこで震災後のある時期から無断欠席をさせて頂いた次第である(※当時は特に震災関連の調査依頼が大変多かった)。
そのため、実質10年間ほどの日記ということなのだが、改めて見返してみると、よくもまあこんなことを書いたものだとか、或いはあまりに酷い内容で途中で読むのを止めてしまったものもあったが、中には自分の心情が飾り気なしに綴られているものを見つけてはほくそ笑んだ。
今年に入って或る人に自分がブログを書いていることを、それも結構長い期間に渡って続けていることを話したら、それをダイジェスト版として本にしてみたら記念になるし面白いのではないかとアドバイスを受けた。
それまで自分のブログを本に纏めてみるなんて、微塵も考えたことが無かったので、そのアドバイスはまさに青天の霹靂以外の何物でもなかった。
しかし、ノリだけで生きてきた自分には、そのアドバイスを無視することが出来ず、ついに禁断の果実に手を出してしまった次第である。
本の構成はいわゆるフォト・エッセイの形態をとり、写真はすべて撮り下ろしか、その時に使用したものを使うことにした。
大きさは持ちやすい新書サイズとしたが、それは正解だったように思う。
文章も長さの制限があるため、加筆もしくは修正・削除したりして、実際のブログとはやや異なるものもある。しかし、これが思った以上に大変な作業になり、ちょっと修正したり削除したりすると、オリジナルと微妙にニュアンスが変わってしまったりする。
結局、ああでもないこうでもないを繰り返すうちに、半年以上も時間が経ってしまった。そしてどうにか自分の誕生日までに完成することが出来たのが、写真の本である。
出来上がった本は、友人、知人にプレゼントしたのだが、有難迷惑だったのではないかと不安になった。
まあ、それでも自分にとっては一つの記念碑である。他者の評価はこの際他所へ置いておき、今はこの本を自分の書架の一冊に加えている。
当時、ブログなどというものをまったく知らなかったこの私に、しきりと書くことを勧めてくれたのがachara氏であった。
彼のブログは勿論のこと、他の方々のブログも読ませて頂きながら、皆さんの巧みな筆さばきに感心しつつ、それらを参考にぽつぽつと書き始めた。
途中、東日本大震災という未曽有の災害のため、しばらくの期間、ブログを中断することになってしまった(ヒコヒコの本業は、公的な機関からの依頼を受けて、様々な調査活動を行うリサーチャーなのであります)。
委託元からは「守秘義務」を課せられるので、ついうっかりブログに書いてしまうと大変なことになってしまう。そこで震災後のある時期から無断欠席をさせて頂いた次第である(※当時は特に震災関連の調査依頼が大変多かった)。
そのため、実質10年間ほどの日記ということなのだが、改めて見返してみると、よくもまあこんなことを書いたものだとか、或いはあまりに酷い内容で途中で読むのを止めてしまったものもあったが、中には自分の心情が飾り気なしに綴られているものを見つけてはほくそ笑んだ。
今年に入って或る人に自分がブログを書いていることを、それも結構長い期間に渡って続けていることを話したら、それをダイジェスト版として本にしてみたら記念になるし面白いのではないかとアドバイスを受けた。
それまで自分のブログを本に纏めてみるなんて、微塵も考えたことが無かったので、そのアドバイスはまさに青天の霹靂以外の何物でもなかった。
しかし、ノリだけで生きてきた自分には、そのアドバイスを無視することが出来ず、ついに禁断の果実に手を出してしまった次第である。
本の構成はいわゆるフォト・エッセイの形態をとり、写真はすべて撮り下ろしか、その時に使用したものを使うことにした。
大きさは持ちやすい新書サイズとしたが、それは正解だったように思う。
文章も長さの制限があるため、加筆もしくは修正・削除したりして、実際のブログとはやや異なるものもある。しかし、これが思った以上に大変な作業になり、ちょっと修正したり削除したりすると、オリジナルと微妙にニュアンスが変わってしまったりする。
結局、ああでもないこうでもないを繰り返すうちに、半年以上も時間が経ってしまった。そしてどうにか自分の誕生日までに完成することが出来たのが、写真の本である。
出来上がった本は、友人、知人にプレゼントしたのだが、有難迷惑だったのではないかと不安になった。
まあ、それでも自分にとっては一つの記念碑である。他者の評価はこの際他所へ置いておき、今はこの本を自分の書架の一冊に加えている。
モノクロ写真への誘い
2018年5月11日 趣味 コメント (1)
最近、モノクロ写真が静かなブームなのだとか。写真雑誌などでも特集が組まれたり、モノクロ写真だけの写真展や写真集が出版されたりしている。
写真少年だった私も、学校の暗室で仲間たちと白黒写真(当時はモノクロなどとは言わずに白黒写真と呼ぶのが一般的だった)の現像をしては、印画紙に浮かび上がってくる画像に一喜一憂したものである。
そもそも写真が発明された時にはモノクロしか無かったわけで、カラー写真はずうっとあとのこと。今は何だか特別な写真のように扱われている感があるが、むしろカラー写真の方が特別な存在だったのだ。
息子たちの卒業アルバムを見ると、美しいカラー写真ばかりで装丁も豪華なのだけれど、なぜか心に響いてくるものがない。その一方で私やかみさんの卒業アルバムを見ると、完全にモノクロ時代(小学生)とパートカラー時代、そしてカラー時代の3つに分かれるが、モノクロ時代の卒業アルバムに心が惹かれてしまう。
では、それが何故なのか。
写真を見ている人は気がつかないかもしれないが、カラー写真はまず「色」に目が行き「対象」はその次になっているのではないか、ということだ。
その点、モノクロ写真は色を排除した分、対象に真っ先に目が行くので、よりインパクトが強くなるのではないだろうか。
最近のデジカメにはモノクロ撮影が出来る機能もあり、気軽にモノクロ写真を楽しむことが出来る。しかし、カラー写真では味わったことのないような難しさを覚えるだろう。それこそが、写真上達の鍵だと思うし、写真学生たちにモノクロ写真を学ばせる意図もそこにある。
どうですか、一度あなたのカメラのカラーモードを解除して、モノクロ設定にしてみませんか。
この週末、少しだけ世界が変わるかもしれませんよ。
写真少年だった私も、学校の暗室で仲間たちと白黒写真(当時はモノクロなどとは言わずに白黒写真と呼ぶのが一般的だった)の現像をしては、印画紙に浮かび上がってくる画像に一喜一憂したものである。
そもそも写真が発明された時にはモノクロしか無かったわけで、カラー写真はずうっとあとのこと。今は何だか特別な写真のように扱われている感があるが、むしろカラー写真の方が特別な存在だったのだ。
息子たちの卒業アルバムを見ると、美しいカラー写真ばかりで装丁も豪華なのだけれど、なぜか心に響いてくるものがない。その一方で私やかみさんの卒業アルバムを見ると、完全にモノクロ時代(小学生)とパートカラー時代、そしてカラー時代の3つに分かれるが、モノクロ時代の卒業アルバムに心が惹かれてしまう。
では、それが何故なのか。
写真を見ている人は気がつかないかもしれないが、カラー写真はまず「色」に目が行き「対象」はその次になっているのではないか、ということだ。
その点、モノクロ写真は色を排除した分、対象に真っ先に目が行くので、よりインパクトが強くなるのではないだろうか。
最近のデジカメにはモノクロ撮影が出来る機能もあり、気軽にモノクロ写真を楽しむことが出来る。しかし、カラー写真では味わったことのないような難しさを覚えるだろう。それこそが、写真上達の鍵だと思うし、写真学生たちにモノクロ写真を学ばせる意図もそこにある。
どうですか、一度あなたのカメラのカラーモードを解除して、モノクロ設定にしてみませんか。
この週末、少しだけ世界が変わるかもしれませんよ。
桜前線は何処まで行ったのだろう。
昨日は弘前公園外濠のソメイヨシノに満開宣言が出されたという。
私も弘前の桜がとても好きで、10年くらい前までは深夜の東北縦貫道をクルマでひた走り、ほとんど人がいない早朝の弘前公園の桜を撮影したものである。
今もそれが出来るかと言ったら体力的にとても無理。絶対眠くなるに違いない。
結局今年もまともに観桜することが叶わなかったなあと思ったのだが。
いやいや、実は案外、まだ桜を楽しめる場所があるらしい。
例えば岩手の小岩井農場。ここの県道桜並木は昨日23日に開花宣言が出されたばかりで、満開になるのは今週末くらいだろうか。しかも有名な一本桜は昨日の段階で未開の状態。となるとGW中に満開の姿を見ることが出来るかもしれない。
今年の一本桜はウソによる蕾の食取被害が少ないようなので、見事な姿を見せてくれることだろう。
また、宮城県登米市の長沼フートピアでは4月下旬から5月上旬まで、桜とチューリップが見頃を迎えるとのことだ。ここは東京都の小池百合子都知事が、オリンピック会場の候補地として挙げたことで、少々有名になった場所である。
また、同じ宮城県では加美町にあるやくらいガーデンの桜が、そろそろ開花するとはスタッフのブログ。ここの桜並木も綺麗だし、園内にはスイセンなど様々な花々も咲くので楽しめる。
まもなくゴールデン・ウィークが始まるが、今のところまったく予定を立てていない。でも、気が向いたら、今あげた場所のいずれかを訪ねているかもしれない。或いは例年のように、花よりも団子で終わるかも。それは神のみぞ知る、だ。
昨日は弘前公園外濠のソメイヨシノに満開宣言が出されたという。
私も弘前の桜がとても好きで、10年くらい前までは深夜の東北縦貫道をクルマでひた走り、ほとんど人がいない早朝の弘前公園の桜を撮影したものである。
今もそれが出来るかと言ったら体力的にとても無理。絶対眠くなるに違いない。
結局今年もまともに観桜することが叶わなかったなあと思ったのだが。
いやいや、実は案外、まだ桜を楽しめる場所があるらしい。
例えば岩手の小岩井農場。ここの県道桜並木は昨日23日に開花宣言が出されたばかりで、満開になるのは今週末くらいだろうか。しかも有名な一本桜は昨日の段階で未開の状態。となるとGW中に満開の姿を見ることが出来るかもしれない。
今年の一本桜はウソによる蕾の食取被害が少ないようなので、見事な姿を見せてくれることだろう。
また、宮城県登米市の長沼フートピアでは4月下旬から5月上旬まで、桜とチューリップが見頃を迎えるとのことだ。ここは東京都の小池百合子都知事が、オリンピック会場の候補地として挙げたことで、少々有名になった場所である。
また、同じ宮城県では加美町にあるやくらいガーデンの桜が、そろそろ開花するとはスタッフのブログ。ここの桜並木も綺麗だし、園内にはスイセンなど様々な花々も咲くので楽しめる。
まもなくゴールデン・ウィークが始まるが、今のところまったく予定を立てていない。でも、気が向いたら、今あげた場所のいずれかを訪ねているかもしれない。或いは例年のように、花よりも団子で終わるかも。それは神のみぞ知る、だ。
お彼岸なので親類縁者がかみさんの実家に集まった。
滋賀県へ嫁いだ姪も、四歳と二歳になる二人の男の子を連れて久しぶりに帰省した。
しばらく見ないうちに大きくなった二人。
住んでいるマンションとは異なり、田舎の広い家なので、キャーキャーはしゃぎながら走り回っていた。
もうひとりの姪も一人息子を連れてやって来た。こちらはまだ一歳だが、それでもあの二人に負けじとヨチヨチ歩き回る。
そこで私は持参したカメラでパチパチと写真を撮りまくる。
「相変わらずおじさんのカメラは凄いね」と二人の母親である姪に言われる。
「あれ、使ってるの」と私。
「うん、使ってるよ。運動会で役にたったよ」と姪。
あれとは、姪に長男が生まれた時にプレゼントしたデジタル一眼レフカメラのことだ。一眼レフなのに小型軽量で女性にも扱いやすいキャノンのEOS Kissをプレゼントしたのだ。
また、もうひとりの姪にも子どもが生まれた時に同じものをプレゼントした。
でも、二人の話を聞いていると、必ずしも使用頻度が高いとは言えない様子だった。
何故なら今はスマホのカメラという、とても便利なものがあるからだ。
操作も簡単だし、撮った写真は他の人へその場で送信することが出来てしまう。
データもクラウドへ残すことが出来るからいつでもどこでも見ることが出来る。
まあ、早い話、姪たちにとっては、デジタル一眼レフは宝の持ち腐れということなのだろう。
そうなると、こちらはこちらでデジタル一眼レフの如何に優れているかを教えたくなる。
「スマホの写真だと、全体にピントが合ってパンフォーカス気味になりがちだろ?!そこへいくとデジイチの方はピント位置と背景のボケ味をコントロール出来るんだよ。だからほら」と言って今撮影した子どもたちの写真をモニターに映してみせた。
「うわー、ちがうわっ!!」
「キレイ!」
モニターを覗き込んだ二人の姪が声を挙げる。
滲んだ背景にくっきりと浮かび上がる我が息子たちの写真に、感嘆の声を挙げる二人の母親。
「ほらね、こんな風に撮れるんだよ。良いだろ」
「うん、やっぱりスマホのとは違うわ。今度挑戦してみる」
「私も挑戦してみる。でも」
でも何、と私。
「でも、これってやっぱりおじさんの腕が良いからだよ」
はい、その一言を待っていました。
「いや、そんなことはない。二人にもこれくらいの写真は撮れるよ」と応えると
姪たちはニヤニヤしながら
「おじさんのその目は嘘の目だ」と言って笑い始めた。
その笑顔がとても魅力的だったので思わず二人にカメラを向けた。
滋賀県へ嫁いだ姪も、四歳と二歳になる二人の男の子を連れて久しぶりに帰省した。
しばらく見ないうちに大きくなった二人。
住んでいるマンションとは異なり、田舎の広い家なので、キャーキャーはしゃぎながら走り回っていた。
もうひとりの姪も一人息子を連れてやって来た。こちらはまだ一歳だが、それでもあの二人に負けじとヨチヨチ歩き回る。
そこで私は持参したカメラでパチパチと写真を撮りまくる。
「相変わらずおじさんのカメラは凄いね」と二人の母親である姪に言われる。
「あれ、使ってるの」と私。
「うん、使ってるよ。運動会で役にたったよ」と姪。
あれとは、姪に長男が生まれた時にプレゼントしたデジタル一眼レフカメラのことだ。一眼レフなのに小型軽量で女性にも扱いやすいキャノンのEOS Kissをプレゼントしたのだ。
また、もうひとりの姪にも子どもが生まれた時に同じものをプレゼントした。
でも、二人の話を聞いていると、必ずしも使用頻度が高いとは言えない様子だった。
何故なら今はスマホのカメラという、とても便利なものがあるからだ。
操作も簡単だし、撮った写真は他の人へその場で送信することが出来てしまう。
データもクラウドへ残すことが出来るからいつでもどこでも見ることが出来る。
まあ、早い話、姪たちにとっては、デジタル一眼レフは宝の持ち腐れということなのだろう。
そうなると、こちらはこちらでデジタル一眼レフの如何に優れているかを教えたくなる。
「スマホの写真だと、全体にピントが合ってパンフォーカス気味になりがちだろ?!そこへいくとデジイチの方はピント位置と背景のボケ味をコントロール出来るんだよ。だからほら」と言って今撮影した子どもたちの写真をモニターに映してみせた。
「うわー、ちがうわっ!!」
「キレイ!」
モニターを覗き込んだ二人の姪が声を挙げる。
滲んだ背景にくっきりと浮かび上がる我が息子たちの写真に、感嘆の声を挙げる二人の母親。
「ほらね、こんな風に撮れるんだよ。良いだろ」
「うん、やっぱりスマホのとは違うわ。今度挑戦してみる」
「私も挑戦してみる。でも」
でも何、と私。
「でも、これってやっぱりおじさんの腕が良いからだよ」
はい、その一言を待っていました。
「いや、そんなことはない。二人にもこれくらいの写真は撮れるよ」と応えると
姪たちはニヤニヤしながら
「おじさんのその目は嘘の目だ」と言って笑い始めた。
その笑顔がとても魅力的だったので思わず二人にカメラを向けた。
岩手県南部に猊鼻渓という景勝地がある。
砂鉄川沿いのおよそ2Kmを高さ50mに及ぶ石灰岩の岩壁が続いている。
新緑や紅葉が美しく、此処を訪れる観光客は多い。また、船頭の舟唄を聞きながらの船下りは観光客にとても人気がある。
JR大船渡線の猊鼻渓駅が最寄り駅になるが、そのひとつ隣りの陸中松川駅で下車すると、旧東北砕石工場の建物がある。1978年に操業停止となったが、1996年に文化庁登録有形文化財に登録された。
この砕石工場の名前を聞いただけで、すぐにピンとくる人がいることだろう。
賢治、そう、あの「宮沢賢治」が最後に勤めたのがこの東北砕石工場だった。
ここで採れた石灰は主に肥料として使われたが、農閑期にはどうしても売れなくなってしまう。そこで壁材への転用を思いついた賢治がセールスマンとして、40Kgもある重いサンプルを鞄に詰めて上京した。
この頃すでに病魔に侵されていた賢治にとって、長旅と荷物の重さは相当堪えたはずだ。実際、東京に着いたその晩に高熱を出し、死を覚悟した賢治は遺書をしたためたのだった。
結局上京はしたもののセールスは出来ないまま花巻に連れ戻され、そして病の床につくことになる。
この工場の社員となって働いたことが、結果的に賢治の命を縮めたことになるのだろうが、賢治本人はどう思ったことだろう。
工場に併設されている「石と賢治のミュージアム」を訪れたところ、学芸員の方がとても親切に対応してくださった。また、施錠したばかりの「双思堂文庫」をわざわざ開けてくださり、貴重な本や資料を拝見させて頂くことができた。
宮沢賢治に関心をお持ちの方なら是非一度は訪ねてみたい場所だ。
賢治が砕石工場の技師となった昭和6年に此処を訪れた際に、1枚の記念写真が撮られたのであるが、ヒコヒコも宮沢賢治と並んで是非一緒に写りたかった。
今日はその時(?)の写真を紹介して幕としたい。
写真前列右(座っている)から
山崎長之助
細川寿七
千葉専蔵
佐藤与喜右エ門
後列右から
鈴木貞治
和賀嘉那理
偶然居合わせた魚屋さん
宮沢賢治
鈴木東蔵
偶然居合わせたヒコヒコさん
山崎久三
鈴木貞三郎
金野柳之進
細川正治
高屋栄助
砂鉄川沿いのおよそ2Kmを高さ50mに及ぶ石灰岩の岩壁が続いている。
新緑や紅葉が美しく、此処を訪れる観光客は多い。また、船頭の舟唄を聞きながらの船下りは観光客にとても人気がある。
JR大船渡線の猊鼻渓駅が最寄り駅になるが、そのひとつ隣りの陸中松川駅で下車すると、旧東北砕石工場の建物がある。1978年に操業停止となったが、1996年に文化庁登録有形文化財に登録された。
この砕石工場の名前を聞いただけで、すぐにピンとくる人がいることだろう。
賢治、そう、あの「宮沢賢治」が最後に勤めたのがこの東北砕石工場だった。
ここで採れた石灰は主に肥料として使われたが、農閑期にはどうしても売れなくなってしまう。そこで壁材への転用を思いついた賢治がセールスマンとして、40Kgもある重いサンプルを鞄に詰めて上京した。
この頃すでに病魔に侵されていた賢治にとって、長旅と荷物の重さは相当堪えたはずだ。実際、東京に着いたその晩に高熱を出し、死を覚悟した賢治は遺書をしたためたのだった。
結局上京はしたもののセールスは出来ないまま花巻に連れ戻され、そして病の床につくことになる。
この工場の社員となって働いたことが、結果的に賢治の命を縮めたことになるのだろうが、賢治本人はどう思ったことだろう。
工場に併設されている「石と賢治のミュージアム」を訪れたところ、学芸員の方がとても親切に対応してくださった。また、施錠したばかりの「双思堂文庫」をわざわざ開けてくださり、貴重な本や資料を拝見させて頂くことができた。
宮沢賢治に関心をお持ちの方なら是非一度は訪ねてみたい場所だ。
賢治が砕石工場の技師となった昭和6年に此処を訪れた際に、1枚の記念写真が撮られたのであるが、ヒコヒコも宮沢賢治と並んで是非一緒に写りたかった。
今日はその時(?)の写真を紹介して幕としたい。
写真前列右(座っている)から
山崎長之助
細川寿七
千葉専蔵
佐藤与喜右エ門
後列右から
鈴木貞治
和賀嘉那理
偶然居合わせた魚屋さん
宮沢賢治
鈴木東蔵
偶然居合わせたヒコヒコさん
山崎久三
鈴木貞三郎
金野柳之進
細川正治
高屋栄助
ネオパン400PRESTO
2014年4月27日 趣味 コメント (2)
ネオパン400よ、お前もか。
その知らせに落胆したのは私ばかりではないだろう。
「ネオパン400PRESTO」
フジフィルムが製造販売している白黒フィルムのことだ。
感度もISO400と使いやすく、塗布されている感光剤(銀)の粒状性も秀逸で、階調性のとても美しい白黒プリントを仕上げることが出来る優れたフィルムである。
それがついに生産停止となり、この6月には最終出荷となるらしい。
多い月には写真仲間の分も含めて100本くらいを現像していただろうか。
このフィルムについては僅かな液温(現像液)の差で、仕上がり具合も予測出来るほど熟知していた私だが、愛好家の一人としてなんとも残念でならない。
今のデジカメには白黒で撮影出来るモードが備わっていたり、ライカのように白黒しか撮影出来ないというデジカメまであるようだが、撮影→現像→プリントという行程が、撮影→プリントに時間も機材も短縮・簡略されてしまったわけだ。
いや、実際にはパソコンを使うし、場合によっては加工ソフト等のアプリを用いることもあるから、基本的に流れは変わらないとおっしゃる向きもあるだろう。
しかし、ダークバックの中で、リールにフィルムを強すぎず弱すぎず巻きつける作業や、30秒に1回現像タンクを攪拌したり、空気の泡がフィルム面につかないように叩いてみたり、そしてここだというところで停止液を流し込んだりと、手のかかる子どものような扱いをしながら、そう、まるで子どもの将来を夢見るように仕上げていったあの時間がとても楽しかったのである。
今回の知らせを受け、手間暇かける喜びがまたひとつ減っていくようで寂しいが、いつも忙しい忙しいと嘆いているお前に言えたことかと天の声が聞こえてきそうである。
その知らせに落胆したのは私ばかりではないだろう。
「ネオパン400PRESTO」
フジフィルムが製造販売している白黒フィルムのことだ。
感度もISO400と使いやすく、塗布されている感光剤(銀)の粒状性も秀逸で、階調性のとても美しい白黒プリントを仕上げることが出来る優れたフィルムである。
それがついに生産停止となり、この6月には最終出荷となるらしい。
多い月には写真仲間の分も含めて100本くらいを現像していただろうか。
このフィルムについては僅かな液温(現像液)の差で、仕上がり具合も予測出来るほど熟知していた私だが、愛好家の一人としてなんとも残念でならない。
今のデジカメには白黒で撮影出来るモードが備わっていたり、ライカのように白黒しか撮影出来ないというデジカメまであるようだが、撮影→現像→プリントという行程が、撮影→プリントに時間も機材も短縮・簡略されてしまったわけだ。
いや、実際にはパソコンを使うし、場合によっては加工ソフト等のアプリを用いることもあるから、基本的に流れは変わらないとおっしゃる向きもあるだろう。
しかし、ダークバックの中で、リールにフィルムを強すぎず弱すぎず巻きつける作業や、30秒に1回現像タンクを攪拌したり、空気の泡がフィルム面につかないように叩いてみたり、そしてここだというところで停止液を流し込んだりと、手のかかる子どものような扱いをしながら、そう、まるで子どもの将来を夢見るように仕上げていったあの時間がとても楽しかったのである。
今回の知らせを受け、手間暇かける喜びがまたひとつ減っていくようで寂しいが、いつも忙しい忙しいと嘆いているお前に言えたことかと天の声が聞こえてきそうである。
浅田真央23年の軌跡展
2014年4月23日 趣味
日本橋高島屋で「浅田真央23年の軌跡展」を観た。
実は私、真央ちゃんの隠れファンなのである(別に隠れなくても良いのだが)。
埼玉で開催された世界フィギュアスケート選手権2014にあわせて、フジテレビでも同様の展示会が開催されたが(そちらは展示数も規模もはるかに小さかったのに有料だった)、それを遥かに上回る規模と内容だった。
そもそも、フジテレビに真央ちゃんを持ち出す資格などあるのか、おじさんは以前から大いに疑問を抱いているのだが、それでもお台場まで観に行ってしまったのは、やはり浅田真央という稀代のアスリートの魅力であろう。
それにしても、なんという混みようだろうか。薄暗い会場の中は大勢の人たちの熱気で満ち溢れていた。その9割方は女性であり私のようなオジサンはあまり見かけない。ここは全国のオジサンファンを代表して、しっかり見なければと思ったのだが、迫力あるオバさま方のパワーに負けてしまい、どんどん押し流されていった。
会場には真央ちゃんの幼い頃からの写真や衣装、そしてメダルの数々が展示されており、さらに名シーンがビデオで流されていた。
なんでも私が訪問した前日には、入場者10万人を突破したとか。ほぼ毎日、1万人が訪れたことになる。本当にすごい人気である。
ただ、残念だったのは写真撮影が出来ないこと。1箇所だけ真央ちゃんの等身大パネルが設置された記念撮影スペースがあったが、そこにはざっと見ただけでも100人以上が並んでいた。さすがにそこへ並ぶ勇気は持ち合わせなかったが、高島屋のショーウインドを飾る彼女の勇姿はしっかりとカメラに収めさせてもらった。
実は私、真央ちゃんの隠れファンなのである(別に隠れなくても良いのだが)。
埼玉で開催された世界フィギュアスケート選手権2014にあわせて、フジテレビでも同様の展示会が開催されたが(そちらは展示数も規模もはるかに小さかったのに有料だった)、それを遥かに上回る規模と内容だった。
そもそも、フジテレビに真央ちゃんを持ち出す資格などあるのか、おじさんは以前から大いに疑問を抱いているのだが、それでもお台場まで観に行ってしまったのは、やはり浅田真央という稀代のアスリートの魅力であろう。
それにしても、なんという混みようだろうか。薄暗い会場の中は大勢の人たちの熱気で満ち溢れていた。その9割方は女性であり私のようなオジサンはあまり見かけない。ここは全国のオジサンファンを代表して、しっかり見なければと思ったのだが、迫力あるオバさま方のパワーに負けてしまい、どんどん押し流されていった。
会場には真央ちゃんの幼い頃からの写真や衣装、そしてメダルの数々が展示されており、さらに名シーンがビデオで流されていた。
なんでも私が訪問した前日には、入場者10万人を突破したとか。ほぼ毎日、1万人が訪れたことになる。本当にすごい人気である。
ただ、残念だったのは写真撮影が出来ないこと。1箇所だけ真央ちゃんの等身大パネルが設置された記念撮影スペースがあったが、そこにはざっと見ただけでも100人以上が並んでいた。さすがにそこへ並ぶ勇気は持ち合わせなかったが、高島屋のショーウインドを飾る彼女の勇姿はしっかりとカメラに収めさせてもらった。
東京のど真ん中で税理事務所を構えている○田君が、二年ぶりに私を訪ねて来た。
今から十数年前、彼が脱サラして税理士の勉強に励んでいた頃、私のもとで仕事の手伝いをしてくれたことがきっかけとなり、以来親しくさせて貰っている。
すっかり成功者の顔になり、貫禄も十分である。
嬉しいことに、彼は自分の事務所の年賀状に、毎年私が撮影した風景写真を使ってくれている。
何もそこまでしてくれなくてもと思うのだが、あの当時のことを今でも恩に感じてくれているのだろう。
仕事柄、交友関係の広い彼は、有名な某アートディレクターに年賀状のレイアウトを頼み、その一通を毎年送ってくれるのだが、私の拙い写真もその人に手にかかるとなんだか意味ありげに見えてしまうから不思議だ。
ところで今回彼が私のもとを訪ねて来た理由は2つあった。
ひとつは私と飲みたかったこと。そしてもうひとつは、最近デジカメを買ったのだが、写真撮影についてレクチャーをして欲しいというものだ。
まあ、最初の要望には二つ返事で応えられるものの、写真のレクチャーに関しては自己流でやってきたので役に立つかどうか分からない。そのことを告げると、私のような写真が撮りたいからそれで良いという。
泣かせるねぇ。
よし、そこまで言うなら俺も男だ。知っている限りのことをすべてお教えしよう。
残っていた仕事を全部投げ出し、行きつけの居酒屋に飛び込んだ。
まず、カメラの扱い方から。
どんなカメラを買ったのかなと訊ねると、これなんですとカバンから取り出したのは、私にはとても手の届きそうもない高級一眼デジタルカメラであった。
渡されてズシリとくるその重みは、まさに高級機特有のもの。
オジサンは恐れ多くてこんな高級機、店頭でさえ触る気にもなれないのに、ポイと渡されてしまったものだから狼狽してしまった。
「ええと、ここがシャッターね。それからここがファインダーでしょ。このダイヤルを回すと、おそらく絞りが変えられるのだよねと思うわけ」
そんなことは分かっているわいと言われそうなことを、しどろもどろに説明するが、人間が出来ている○田君は真剣な表情で相槌を打ちながら聞いてくれる。
そんな彼に少しはカメラ慣れしているところを見せてやろうと、おもむろにカメラを構えてカウンターへ向けると、ひげ面の親方がファインダーの中でニッと笑う。
チッと舌打ちして、女の子がいないか探してみたものの、生憎生活に疲れたようなオッサンばかりで撮影意欲が湧かない。
手元の器の中にお通しの煮だこが入っていたので、仕方なくそれを撮る。
彼にそのままカメラを渡すと、すかさずモニターをチェックして
「煮だこですね。こういうのもよく撮られるのですか」
答えに窮した私は「料理の撮影は基本だよ。いかに美味しそうに撮るか。カメラマンの腕が試されるのがこういう被写体だね」といい加減なことを言う。
「なんだか黒ずんでいて、あまり美味しそうではありませんね」
その一言にドキリとしながら
「食材の良し悪しというのもあるからね。今日のはたいしたことないな」
カウンターの中の親方と目が合う。ニッと笑う親方。遠くを見る私。
その後は彼から鋭い質問が次々に飛び出し、こちらもだんだん酔っ払った勢いで精神論にまで話が及んでいく。
「結局、数を撮らないと上手くならないということですよ。かつて写真家の土門拳は、フィルム代もさることながら、現像のために使った一ヶ月の水道代が、銭湯と同じくらいかかったというからね。その点、デジカメはいいよね。フィルムと違って枚数を気にせずに撮影できるから。でもね...」
真剣な表情で話を聞き入る○田君。
「撮影後の飲み代はかかるよ。デジカメになってもね」
椅子から転げ落ちそうになる○田君であった。
今から十数年前、彼が脱サラして税理士の勉強に励んでいた頃、私のもとで仕事の手伝いをしてくれたことがきっかけとなり、以来親しくさせて貰っている。
すっかり成功者の顔になり、貫禄も十分である。
嬉しいことに、彼は自分の事務所の年賀状に、毎年私が撮影した風景写真を使ってくれている。
何もそこまでしてくれなくてもと思うのだが、あの当時のことを今でも恩に感じてくれているのだろう。
仕事柄、交友関係の広い彼は、有名な某アートディレクターに年賀状のレイアウトを頼み、その一通を毎年送ってくれるのだが、私の拙い写真もその人に手にかかるとなんだか意味ありげに見えてしまうから不思議だ。
ところで今回彼が私のもとを訪ねて来た理由は2つあった。
ひとつは私と飲みたかったこと。そしてもうひとつは、最近デジカメを買ったのだが、写真撮影についてレクチャーをして欲しいというものだ。
まあ、最初の要望には二つ返事で応えられるものの、写真のレクチャーに関しては自己流でやってきたので役に立つかどうか分からない。そのことを告げると、私のような写真が撮りたいからそれで良いという。
泣かせるねぇ。
よし、そこまで言うなら俺も男だ。知っている限りのことをすべてお教えしよう。
残っていた仕事を全部投げ出し、行きつけの居酒屋に飛び込んだ。
まず、カメラの扱い方から。
どんなカメラを買ったのかなと訊ねると、これなんですとカバンから取り出したのは、私にはとても手の届きそうもない高級一眼デジタルカメラであった。
渡されてズシリとくるその重みは、まさに高級機特有のもの。
オジサンは恐れ多くてこんな高級機、店頭でさえ触る気にもなれないのに、ポイと渡されてしまったものだから狼狽してしまった。
「ええと、ここがシャッターね。それからここがファインダーでしょ。このダイヤルを回すと、おそらく絞りが変えられるのだよねと思うわけ」
そんなことは分かっているわいと言われそうなことを、しどろもどろに説明するが、人間が出来ている○田君は真剣な表情で相槌を打ちながら聞いてくれる。
そんな彼に少しはカメラ慣れしているところを見せてやろうと、おもむろにカメラを構えてカウンターへ向けると、ひげ面の親方がファインダーの中でニッと笑う。
チッと舌打ちして、女の子がいないか探してみたものの、生憎生活に疲れたようなオッサンばかりで撮影意欲が湧かない。
手元の器の中にお通しの煮だこが入っていたので、仕方なくそれを撮る。
彼にそのままカメラを渡すと、すかさずモニターをチェックして
「煮だこですね。こういうのもよく撮られるのですか」
答えに窮した私は「料理の撮影は基本だよ。いかに美味しそうに撮るか。カメラマンの腕が試されるのがこういう被写体だね」といい加減なことを言う。
「なんだか黒ずんでいて、あまり美味しそうではありませんね」
その一言にドキリとしながら
「食材の良し悪しというのもあるからね。今日のはたいしたことないな」
カウンターの中の親方と目が合う。ニッと笑う親方。遠くを見る私。
その後は彼から鋭い質問が次々に飛び出し、こちらもだんだん酔っ払った勢いで精神論にまで話が及んでいく。
「結局、数を撮らないと上手くならないということですよ。かつて写真家の土門拳は、フィルム代もさることながら、現像のために使った一ヶ月の水道代が、銭湯と同じくらいかかったというからね。その点、デジカメはいいよね。フィルムと違って枚数を気にせずに撮影できるから。でもね...」
真剣な表情で話を聞き入る○田君。
「撮影後の飲み代はかかるよ。デジカメになってもね」
椅子から転げ落ちそうになる○田君であった。
フィルム党ですが、なにか
2010年1月19日 趣味 コメント (5)
新年から気合を入れなおして、夜明けの海へ写真を撮りに行った。
例のカメラのテスト撮影も兼ねていたのだが、現像から上がってきたのがこの写真。
デジカメではなくポジフィルムなので、絵の深みが違うように思えるのだが、如何だろうか。
ベルビアというド派手な発色をするフィルムを使用しているが、実際の風景もこの写真とそれほど変わりは無い。
確かにデジカメは便利だが、現像が仕上がってくるまで、ワクワクしながら待つフィルムもなかなか良いものだ。
というわけで、自分的にはフィルム復活元年になりそうな気配。
例のカメラのテスト撮影も兼ねていたのだが、現像から上がってきたのがこの写真。
デジカメではなくポジフィルムなので、絵の深みが違うように思えるのだが、如何だろうか。
ベルビアというド派手な発色をするフィルムを使用しているが、実際の風景もこの写真とそれほど変わりは無い。
確かにデジカメは便利だが、現像が仕上がってくるまで、ワクワクしながら待つフィルムもなかなか良いものだ。
というわけで、自分的にはフィルム復活元年になりそうな気配。
仙台の初売りは、その景品の豪華さから全国的にも有名だ。
昔は3日が初売りと決まっていたものだが、中央からの出店がその商習慣を次第に狂わせて、現在では2日が初売りという店が大半となってしまった。しかも中には元旦も休まずに営業する店もあり、買う側としての不満は少ないだろうが、働く側の人たちにとっては、正月も休めずに大変だろうと同情してしまう。
さて、私はといえば毎年正月の行動は決まっている。
まず元旦の午前零時には近所の氏神様にお参りに行き、神主さんにお祓いを受ける。また、ここ何年かは元旦の初日の出を拝みに海へ行くのだが、さすがに今年は寒かったせいか人出は少なく、吹雪の浜辺で鼻水を啜りながら夜明けを待った。
2日はカミさんの実家へ年始の挨拶に出かける。この日は冒頭にも述べたように初売りの日なので、近くのお茶屋さんへ年賀の品を買いに行くのである。
今年は景品に、そのお茶屋さんオリジナルのお茶漬けを貰ったが、さすが老舗のこだわりか、緑茶の薫りと梅の風味がとても香しく、これは良いものを貰ったとニンマリする。
カミさんの実家では、義兄と痛飲するのも毎年の行事だが、現在病気療養中の義兄と、現在メタボ進行中の私とで
「何をしたって人間死ぬんだから、人生楽しまなければ生まれてきた甲斐がない」と気勢をあげ、義姉やカミさんの冷たい視線を浴びながら杯を重ねていく。
結局帰りのクルマは息子が運転し、私は救急車の搬送患者よろしく自宅へと連れ戻されるのである。
そして3日は家族それぞれの干支を祭る寺社仏閣巡りを行う。
私の干支は戌なので、伊達政宗が建立した大崎八幡神社が守護神となる。3日は参拝客も比較的少なく、ゆったりと御参り出来るのがいい(一度だけ4日に参拝に来たことがあるが、仕事始めの企業の団体さんでごった返し、酷い目に遭ってしまってからは、3日参拝を守り通している)。
お札とお守りを受けると、御神籤を引くのであるが、ここの神様は私にはいつもシビアで、今年も小吉であった。
読めば「身近に陥穽あり。注意すべし」とある。すなわち落とし穴だ。
そして4日。
実はこの日が私にとっては一番嬉しい日なのだ。
何故なら完全にフリーになれる日なのである。
すべてのスケジュールから解き放たれ、何をしても良いよという、実にありがたい日なのだ。
まだ暗いうちから起き出して、重い撮影機材をクルマに積み込むと、某所へと向った。
何をかくそう初売りの日。お茶屋さんでお茶漬けを貰ってニンマリしただけではなく、以前から目をつけていたあるカメラを密かに購入し、もっとニンマリしていたのである。
それはデジカメ主流の現在において、すっかり影を潜めてしまったフィルムカメラなのだ。中古のフィルムカメラだから、値段もかなり安い。しかし外見は新品同様であり、もともと高級カメラなので風格もある。4日はそのカメラのテスト撮影が目的だった。
夜明けの美しい風景の中で順調に撮影は進み、あとは現像の上がりを待つだけとなった。
そして昨日、そのフィルムが上がってきたが
「あっ、真っ暗(呆然)」
露出不足だったのか、ほとんど画面は真っ暗。いや、真っ黒。そして目の前も真っ暗闇。
その時ふと、「身近に陥穽あり。注意すべし」の御神籤の言葉が甦った。
果たしてこのことを指し示されていたのかどうか。
さっそく今年の悩み始めである。
昔は3日が初売りと決まっていたものだが、中央からの出店がその商習慣を次第に狂わせて、現在では2日が初売りという店が大半となってしまった。しかも中には元旦も休まずに営業する店もあり、買う側としての不満は少ないだろうが、働く側の人たちにとっては、正月も休めずに大変だろうと同情してしまう。
さて、私はといえば毎年正月の行動は決まっている。
まず元旦の午前零時には近所の氏神様にお参りに行き、神主さんにお祓いを受ける。また、ここ何年かは元旦の初日の出を拝みに海へ行くのだが、さすがに今年は寒かったせいか人出は少なく、吹雪の浜辺で鼻水を啜りながら夜明けを待った。
2日はカミさんの実家へ年始の挨拶に出かける。この日は冒頭にも述べたように初売りの日なので、近くのお茶屋さんへ年賀の品を買いに行くのである。
今年は景品に、そのお茶屋さんオリジナルのお茶漬けを貰ったが、さすが老舗のこだわりか、緑茶の薫りと梅の風味がとても香しく、これは良いものを貰ったとニンマリする。
カミさんの実家では、義兄と痛飲するのも毎年の行事だが、現在病気療養中の義兄と、現在メタボ進行中の私とで
「何をしたって人間死ぬんだから、人生楽しまなければ生まれてきた甲斐がない」と気勢をあげ、義姉やカミさんの冷たい視線を浴びながら杯を重ねていく。
結局帰りのクルマは息子が運転し、私は救急車の搬送患者よろしく自宅へと連れ戻されるのである。
そして3日は家族それぞれの干支を祭る寺社仏閣巡りを行う。
私の干支は戌なので、伊達政宗が建立した大崎八幡神社が守護神となる。3日は参拝客も比較的少なく、ゆったりと御参り出来るのがいい(一度だけ4日に参拝に来たことがあるが、仕事始めの企業の団体さんでごった返し、酷い目に遭ってしまってからは、3日参拝を守り通している)。
お札とお守りを受けると、御神籤を引くのであるが、ここの神様は私にはいつもシビアで、今年も小吉であった。
読めば「身近に陥穽あり。注意すべし」とある。すなわち落とし穴だ。
そして4日。
実はこの日が私にとっては一番嬉しい日なのだ。
何故なら完全にフリーになれる日なのである。
すべてのスケジュールから解き放たれ、何をしても良いよという、実にありがたい日なのだ。
まだ暗いうちから起き出して、重い撮影機材をクルマに積み込むと、某所へと向った。
何をかくそう初売りの日。お茶屋さんでお茶漬けを貰ってニンマリしただけではなく、以前から目をつけていたあるカメラを密かに購入し、もっとニンマリしていたのである。
それはデジカメ主流の現在において、すっかり影を潜めてしまったフィルムカメラなのだ。中古のフィルムカメラだから、値段もかなり安い。しかし外見は新品同様であり、もともと高級カメラなので風格もある。4日はそのカメラのテスト撮影が目的だった。
夜明けの美しい風景の中で順調に撮影は進み、あとは現像の上がりを待つだけとなった。
そして昨日、そのフィルムが上がってきたが
「あっ、真っ暗(呆然)」
露出不足だったのか、ほとんど画面は真っ暗。いや、真っ黒。そして目の前も真っ暗闇。
その時ふと、「身近に陥穽あり。注意すべし」の御神籤の言葉が甦った。
果たしてこのことを指し示されていたのかどうか。
さっそく今年の悩み始めである。
そういうわけで、偶然にも今日27日が宮沢賢治の誕生日であることを知った私は、花巻へ足を向けることにした。
賢治は花巻市内にある身照寺に眠っている。場所だけは以前から知っていたのだが、訪れるのは今回が初めてだった。
花巻市図書館から続く狭い坂道を下っていくと、身照寺へ上がる階段が現れる。
階段の上り口には「みみずく」の石像が。今までどれほど多くの「信奉者」を出迎えたのだろうか。
賢治の墓は本堂の裏手にあった。案内板が立っているのですぐに分かった。
写真のように墓石は二基あり、向かって左側が賢治の墓で、右側が宮沢家の墓だ。
今日が誕生日だということで、さぞや参拝者が多いだろうと思っていたら、わたしひとりしかいない。ちょっと拍子抜けしてしまう。
しかし親族の方が供えたのだろうか。真新しい花が目を惹いた。
それぞれの墓石に線香をあげて合掌する。誰もいなかったので、賢治とゆっくり話をすることができた。隣りでは賢治の父である政次郎氏が黙って話を聞いていた。
写真のとおり墓石には戒名などが一切刻まれていない。これは遺言であったという。まことに賢治らしい、と思う。
それにしても、本当に誰も訪れる気配がない。
そうか、今回の旅は彼からのご招待だったのかもしれないな。
どうもありがとうございました。
さて、明け方にオニギリを食べただけだったので腹が減ってきた。
賢治が「ブッシュの天ぷらそばを食べて行ったらいい」と教えてくれたので、それは名案と早速行ってみることにした。
ブッシュとは花巻市内にある蕎麦屋の名店「やぶ屋」のことである。これについては私の4月16日のブログに書いているので、お暇でしたら読み直していただきたい。
「やぶ」だから「ブッシュ」とは賢治お得意の洒落だったのだが、本来彼はユーモア溢れる人であった。とかく作品のイメージにとらわれてしまいがちだが、だからこそ奥が深くて魅力があるのだ。
一面的な人間だったら、あのような作品世界は生まれてこなかっただろう。
(続く)
賢治は花巻市内にある身照寺に眠っている。場所だけは以前から知っていたのだが、訪れるのは今回が初めてだった。
花巻市図書館から続く狭い坂道を下っていくと、身照寺へ上がる階段が現れる。
階段の上り口には「みみずく」の石像が。今までどれほど多くの「信奉者」を出迎えたのだろうか。
賢治の墓は本堂の裏手にあった。案内板が立っているのですぐに分かった。
写真のように墓石は二基あり、向かって左側が賢治の墓で、右側が宮沢家の墓だ。
今日が誕生日だということで、さぞや参拝者が多いだろうと思っていたら、わたしひとりしかいない。ちょっと拍子抜けしてしまう。
しかし親族の方が供えたのだろうか。真新しい花が目を惹いた。
それぞれの墓石に線香をあげて合掌する。誰もいなかったので、賢治とゆっくり話をすることができた。隣りでは賢治の父である政次郎氏が黙って話を聞いていた。
写真のとおり墓石には戒名などが一切刻まれていない。これは遺言であったという。まことに賢治らしい、と思う。
それにしても、本当に誰も訪れる気配がない。
そうか、今回の旅は彼からのご招待だったのかもしれないな。
どうもありがとうございました。
さて、明け方にオニギリを食べただけだったので腹が減ってきた。
賢治が「ブッシュの天ぷらそばを食べて行ったらいい」と教えてくれたので、それは名案と早速行ってみることにした。
ブッシュとは花巻市内にある蕎麦屋の名店「やぶ屋」のことである。これについては私の4月16日のブログに書いているので、お暇でしたら読み直していただきたい。
「やぶ」だから「ブッシュ」とは賢治お得意の洒落だったのだが、本来彼はユーモア溢れる人であった。とかく作品のイメージにとらわれてしまいがちだが、だからこそ奥が深くて魅力があるのだ。
一面的な人間だったら、あのような作品世界は生まれてこなかっただろう。
(続く)
ボクの夏休み 8月27日(くもりのち心も晴れ)
2009年8月28日 趣味
ちょっと遅い夏休みを取ることになった。
会社から休みを取るように言われていたのだが、
忙しくてなかなか日程調整ができず、
なんとか二日間だけ無理矢理捻じ込んだのだ。
そういえばETCは平日だと深夜割引があることを思い出し、それを利用して何処かへ行こうと、仕事が終わった26日の深夜に家を出発。日付が変わって27日午前1時前に東北道へ入った。
クルマには久し振りに撮影機材一式を積み込んでいた。早朝の八幡平を撮影するつもりでいたからだ。
ところが紫波SAで仮眠を取り、目覚めた午前4時には、なんと空全体がどんよりとした曇り空。山並みなど見えるどころか雨まで降り始める始末。
ついに晴れ男の霊力も失せたかと落ち込んだが、とにかく目的地まで行ってみることにした。
ところがどうだろう。時間が経つにつれて東の空が明るくなり、厚く空を覆っていた雲が千切れ始めた。
そして盛岡を過ぎた頃には姫神山が朝焼けに染まり出し、青空もどんどん広がって行った。
それまで完全に姿を隠していた岩手山も、いつのまにかその威容を現していたのには驚いた。
そういえば岩手山の奥さんは姫神山なのだが、早池峰山に恋した岩手山は一方的に姫神山を離縁してしまった。泣く泣く岩手山のもとを離れることになった姫神山だったが、あまりのショックに現在の場所から動けなくなってしまったのだという。
これが今なら逆になるんじゃないかな。奥さんが岩手山でダンナが姫神山で、などと考えているうちに西根ICへ到着。
さて、晴れ男の霊力が戻ったところで、昔訪れた撮影ポイントを巡りながらシャッターを切り捲る。
爽やかな山の空気には秋の匂いが感じられたが、日ごろのストレスが一気に吹き飛んだ。
そしてもうひとつ、これはまったく偶然なのだが、今日が宮沢賢治の誕生日であったことを地元のラジオ番組で知って驚いた。賢治ファンのひとりとして、これはもう花巻に行くしかない。
前から行こうと思って果たせなかった賢治の墓参りをすることに決めたのだった。
(続く)
※写真は西根の夜明け。それまでの曇り空がこんな風になってしまった。
会社から休みを取るように言われていたのだが、
忙しくてなかなか日程調整ができず、
なんとか二日間だけ無理矢理捻じ込んだのだ。
そういえばETCは平日だと深夜割引があることを思い出し、それを利用して何処かへ行こうと、仕事が終わった26日の深夜に家を出発。日付が変わって27日午前1時前に東北道へ入った。
クルマには久し振りに撮影機材一式を積み込んでいた。早朝の八幡平を撮影するつもりでいたからだ。
ところが紫波SAで仮眠を取り、目覚めた午前4時には、なんと空全体がどんよりとした曇り空。山並みなど見えるどころか雨まで降り始める始末。
ついに晴れ男の霊力も失せたかと落ち込んだが、とにかく目的地まで行ってみることにした。
ところがどうだろう。時間が経つにつれて東の空が明るくなり、厚く空を覆っていた雲が千切れ始めた。
そして盛岡を過ぎた頃には姫神山が朝焼けに染まり出し、青空もどんどん広がって行った。
それまで完全に姿を隠していた岩手山も、いつのまにかその威容を現していたのには驚いた。
そういえば岩手山の奥さんは姫神山なのだが、早池峰山に恋した岩手山は一方的に姫神山を離縁してしまった。泣く泣く岩手山のもとを離れることになった姫神山だったが、あまりのショックに現在の場所から動けなくなってしまったのだという。
これが今なら逆になるんじゃないかな。奥さんが岩手山でダンナが姫神山で、などと考えているうちに西根ICへ到着。
さて、晴れ男の霊力が戻ったところで、昔訪れた撮影ポイントを巡りながらシャッターを切り捲る。
爽やかな山の空気には秋の匂いが感じられたが、日ごろのストレスが一気に吹き飛んだ。
そしてもうひとつ、これはまったく偶然なのだが、今日が宮沢賢治の誕生日であったことを地元のラジオ番組で知って驚いた。賢治ファンのひとりとして、これはもう花巻に行くしかない。
前から行こうと思って果たせなかった賢治の墓参りをすることに決めたのだった。
(続く)
※写真は西根の夜明け。それまでの曇り空がこんな風になってしまった。
プリンターが壊れる?
2008年10月23日 趣味 コメント (3)
買ってきたインクをプリンターに装填したら、新品と認識しないのである。
パソコンのディスプレイには「新品と交換してください」と表示されるだけ。
新品なんですけどねぇ。もちろん純正のカートリッジインク。
「ふうせん」を貰った呪いか(どんな?)!?
ちなみにこのプリンターは、過去に一度だけ修理歴がある。
その時はインクが出なくなってしまったのだ。印刷された写真の色調がどうもおかしいと思ったのだが、一色が完全に出ていなかったのだから無理もない。
ヘッドを何度掃除しても直らなかったので、単なる目詰まりではないようだった。
その時はメーカーに問い合わせて修理に出すことになったのだが、今は便利なもので、宅配業者が引取りに来て梱包までしてくれるのだ。今回もそのパターンか。
とりあえず新しいインクを再度入れてみて、それでも駄目なら修理ですな。
それとも新しいプリンターを購入した方が良いのだろうか。
(インクの方に問題があるのならば、一番安上がりなのだが)
学校の広報係を仰せつかっているので、プリンターが使えないのには困っている状態。
ホント困った...
パソコンのディスプレイには「新品と交換してください」と表示されるだけ。
新品なんですけどねぇ。もちろん純正のカートリッジインク。
「ふうせん」を貰った呪いか(どんな?)!?
ちなみにこのプリンターは、過去に一度だけ修理歴がある。
その時はインクが出なくなってしまったのだ。印刷された写真の色調がどうもおかしいと思ったのだが、一色が完全に出ていなかったのだから無理もない。
ヘッドを何度掃除しても直らなかったので、単なる目詰まりではないようだった。
その時はメーカーに問い合わせて修理に出すことになったのだが、今は便利なもので、宅配業者が引取りに来て梱包までしてくれるのだ。今回もそのパターンか。
とりあえず新しいインクを再度入れてみて、それでも駄目なら修理ですな。
それとも新しいプリンターを購入した方が良いのだろうか。
(インクの方に問題があるのならば、一番安上がりなのだが)
学校の広報係を仰せつかっているので、プリンターが使えないのには困っている状態。
ホント困った...