某月某日。仕事が早く終わったその日、このまま真っ直ぐ家に帰るのももったいないなと思い、映画でも観て帰ることにした。
平日の夕方、映画館のロビーは人もまばら。さて、何を見ようかと上映中のポスターに目をやる。すると一枚のポスターに目が止まった。
「君は月夜に光り輝く」
さて、これはSF映画だろうか。それともホラーか。
月夜で思い出すのはオオカミ男だ。でもポスターはそんな感じではない。若い男女が楽し気に手を繋いで見つめ合い微笑んでいる。
察するところ、これは青春恋愛ストーリーのようだ。となると私の守備範囲外である。
これはダメだなと他のポスターに目をやろうとしたその時、その映画のヒロインの名前が目に飛び込んできた。
(この間までの朝ドラの子じゃないか)
永野芽郁。「半分、青い」でヒロインだった。テレビで観ていた時と雰囲気が違ったのですぐに分からなかったのだ。
「俺物語」の仙台ロケの際、彼女は我が母校にやって来た。そういうこともあって、以前から親近感を抱いていたのだが、それならば観てみようという気持ちになった。
館内はほとんど空席状態だ。見渡すと若いカップルが数組ほど。女性客も2、3人。そして私。
そこで初めて自分が場違いな場所にいることに気づく。これはもう、映画館の闇に紛れているしかない。私は椅子の中に隠れるように身を屈めた。
館内が減光されスクリーンには本編前のCMが流れ始めた。するとバタバタと一人の中年男性が駆け込んできた。草臥れたスーツに曲がったネクタイ、ビジネスバックを肩から下げて、手にはポップコーンとコーラを持っている。薄暗くなった館内で自分の席を探しながら、次第に私の方へと上がって来た。
やがて自分の席がある列を見つけたようで、横に移動を始めた。それは私の席の4列前。そして偶然にも私と同じ並びだった。
移動するその横顔は私よりも若そうだったが、頭はすっかり薄くなっている。身長もさほど高くはないようで、椅子に腰かけると背もたれから薄くなった頭だけが出ていた。
(君も月夜に光り輝くか…)
せっかくの援軍に対して、どうも私の悪い癖である。そんな言葉が自然に浮かんでくる。
映画は、「発光病」という原因不明の病に侵された余命0の少女まみず。そのまみずのもとへクラスメート達からの寄せ書きを届けに病院へやって来た卓也。
病院から外へ出ることが出来ないという彼女の願望を代行することになってしまった卓也は、その代行体験をまみずへ伝えるのだった。
やがてふたりは互いに惹かれ合うようになっていくのだが、最後の時間は刻々と迫っていた。そしてまみずの命が消えようとするその瞬間に、まみずは最後の代行体験を卓也に託すのだった。
時々、あのオッサンの頭が気になりながらも、最後まで映画の世界にはまってしまった。
いわゆる「病もの」ではあったが、少しだけ若い人たちの感覚に触れたような思いがして、なかなかの佳作だと思った。
エンドロールが終わり、見終えた人たちがそろそろと席を立ち始める。あのオッサンはといえば、エンドロールが終わっても、しばらく画面を見つめたままだった。きっと余韻に浸っているのだろう。その外見には見合わず、なかなか繊細な感性の持ち主なのかもしれない。
するとオッサンは身体を斜めにしてポケットから何かを取り出そうとしている。後ろからなのでよく分からないが、ハンカチを取り出して目元を拭っているようだ。
(もしかして、泣いてたのか)
オッサンの目にも涙。そんなフレーズがまた私の中に浮かび上がってきた。
しかし、そういう私の右手にもハンカチは握られていたのであった。
平日の夕方、映画館のロビーは人もまばら。さて、何を見ようかと上映中のポスターに目をやる。すると一枚のポスターに目が止まった。
「君は月夜に光り輝く」
さて、これはSF映画だろうか。それともホラーか。
月夜で思い出すのはオオカミ男だ。でもポスターはそんな感じではない。若い男女が楽し気に手を繋いで見つめ合い微笑んでいる。
察するところ、これは青春恋愛ストーリーのようだ。となると私の守備範囲外である。
これはダメだなと他のポスターに目をやろうとしたその時、その映画のヒロインの名前が目に飛び込んできた。
(この間までの朝ドラの子じゃないか)
永野芽郁。「半分、青い」でヒロインだった。テレビで観ていた時と雰囲気が違ったのですぐに分からなかったのだ。
「俺物語」の仙台ロケの際、彼女は我が母校にやって来た。そういうこともあって、以前から親近感を抱いていたのだが、それならば観てみようという気持ちになった。
館内はほとんど空席状態だ。見渡すと若いカップルが数組ほど。女性客も2、3人。そして私。
そこで初めて自分が場違いな場所にいることに気づく。これはもう、映画館の闇に紛れているしかない。私は椅子の中に隠れるように身を屈めた。
館内が減光されスクリーンには本編前のCMが流れ始めた。するとバタバタと一人の中年男性が駆け込んできた。草臥れたスーツに曲がったネクタイ、ビジネスバックを肩から下げて、手にはポップコーンとコーラを持っている。薄暗くなった館内で自分の席を探しながら、次第に私の方へと上がって来た。
やがて自分の席がある列を見つけたようで、横に移動を始めた。それは私の席の4列前。そして偶然にも私と同じ並びだった。
移動するその横顔は私よりも若そうだったが、頭はすっかり薄くなっている。身長もさほど高くはないようで、椅子に腰かけると背もたれから薄くなった頭だけが出ていた。
(君も月夜に光り輝くか…)
せっかくの援軍に対して、どうも私の悪い癖である。そんな言葉が自然に浮かんでくる。
映画は、「発光病」という原因不明の病に侵された余命0の少女まみず。そのまみずのもとへクラスメート達からの寄せ書きを届けに病院へやって来た卓也。
病院から外へ出ることが出来ないという彼女の願望を代行することになってしまった卓也は、その代行体験をまみずへ伝えるのだった。
やがてふたりは互いに惹かれ合うようになっていくのだが、最後の時間は刻々と迫っていた。そしてまみずの命が消えようとするその瞬間に、まみずは最後の代行体験を卓也に託すのだった。
時々、あのオッサンの頭が気になりながらも、最後まで映画の世界にはまってしまった。
いわゆる「病もの」ではあったが、少しだけ若い人たちの感覚に触れたような思いがして、なかなかの佳作だと思った。
エンドロールが終わり、見終えた人たちがそろそろと席を立ち始める。あのオッサンはといえば、エンドロールが終わっても、しばらく画面を見つめたままだった。きっと余韻に浸っているのだろう。その外見には見合わず、なかなか繊細な感性の持ち主なのかもしれない。
するとオッサンは身体を斜めにしてポケットから何かを取り出そうとしている。後ろからなのでよく分からないが、ハンカチを取り出して目元を拭っているようだ。
(もしかして、泣いてたのか)
オッサンの目にも涙。そんなフレーズがまた私の中に浮かび上がってきた。
しかし、そういう私の右手にもハンカチは握られていたのであった。
映画「ハンター・キラー 潜航せよ」を観た
2019年4月19日 映画 コメント (1)
会社の振休を利用して、平日の午後、映画館へと足を運んだ。
選んだ映画は「ハンター・キラー 潜航せよ」だ。原作本を読んでの映画鑑賞というわけである。
さて、原作本がある映画の場合、どうしても(原作本と)比較されてしまうのは仕方のないことだ。そして大抵は原作本の方に軍配が上がる。それはそうだろう。映画の方は2時間台で纏めなければならないという制約がある。最初から大きなハンディを負っているのだから仕方がない。そしてこの映画も、やはりその制約に縛られていた。
原作では「海」と「陸」の両面でバトルが繰り広げられるのだが、映画の方は「海」のバトル一本に絞り込まれていた。そのためこの映画は、完全なる海洋サスペンスアクションものになってしまった感は否めない。なにしろ「陸」でのバトルは証券取引所での不正を暴いた女性監査官が、ロシアンマフィアに監禁されたり、逃亡したりと、こちらはこちらでハラハラドキドキのストーリーが展開するのだから、それだけでも一本のサスペンス映画が撮れてしまうことだろう。もしふたつの物語を同時進行させたら、冗長な映画になってしまった可能性もある。
監督もそのあたりを考慮して、あえて「陸」のストーリーはカットしたのか。それとも予算の関係か。ちょっと勘ぐってみたくなる。
登場人物の設定も多少原作とは異なっているようだ。原作本では第二の主人公と言っても良いドゥロフ提督が、ロシア国防相として描かれている。原作では深みのある敵役だったが、映画ではただの間抜けな敵役になってしまったのが残念だ。
私はてっきりゲイリー・オールドマンがドゥロフを演じるものと思っていただけに、少々消化不良気味だったが、さすがはアメリカ映画、バトルシーンはとても迫力があった。
主演のジェラルド・バトラーもエリートではない艦長という役どころを、巧くこなしていた。実年齢も50歳くらいだろうか。渋みもあり、冷静沈着かつ豪胆さを兼ね備えた艦長というキャラクターが本人とうまく重なっていた。
危機が去ったかと思わせておきながら、そこへまた次なる危機が次々に降りかかってくるというノンストップ・アクション映画。頭の中で描いていた映像を完全に凌駕していたことだけは確かだ。お勧め度は☆☆☆☆★くらいかな。
選んだ映画は「ハンター・キラー 潜航せよ」だ。原作本を読んでの映画鑑賞というわけである。
さて、原作本がある映画の場合、どうしても(原作本と)比較されてしまうのは仕方のないことだ。そして大抵は原作本の方に軍配が上がる。それはそうだろう。映画の方は2時間台で纏めなければならないという制約がある。最初から大きなハンディを負っているのだから仕方がない。そしてこの映画も、やはりその制約に縛られていた。
原作では「海」と「陸」の両面でバトルが繰り広げられるのだが、映画の方は「海」のバトル一本に絞り込まれていた。そのためこの映画は、完全なる海洋サスペンスアクションものになってしまった感は否めない。なにしろ「陸」でのバトルは証券取引所での不正を暴いた女性監査官が、ロシアンマフィアに監禁されたり、逃亡したりと、こちらはこちらでハラハラドキドキのストーリーが展開するのだから、それだけでも一本のサスペンス映画が撮れてしまうことだろう。もしふたつの物語を同時進行させたら、冗長な映画になってしまった可能性もある。
監督もそのあたりを考慮して、あえて「陸」のストーリーはカットしたのか。それとも予算の関係か。ちょっと勘ぐってみたくなる。
登場人物の設定も多少原作とは異なっているようだ。原作本では第二の主人公と言っても良いドゥロフ提督が、ロシア国防相として描かれている。原作では深みのある敵役だったが、映画ではただの間抜けな敵役になってしまったのが残念だ。
私はてっきりゲイリー・オールドマンがドゥロフを演じるものと思っていただけに、少々消化不良気味だったが、さすがはアメリカ映画、バトルシーンはとても迫力があった。
主演のジェラルド・バトラーもエリートではない艦長という役どころを、巧くこなしていた。実年齢も50歳くらいだろうか。渋みもあり、冷静沈着かつ豪胆さを兼ね備えた艦長というキャラクターが本人とうまく重なっていた。
危機が去ったかと思わせておきながら、そこへまた次なる危機が次々に降りかかってくるというノンストップ・アクション映画。頭の中で描いていた映像を完全に凌駕していたことだけは確かだ。お勧め度は☆☆☆☆★くらいかな。
ハンターキラー潜航せよ
2019年4月9日 映画 コメント (4)
小説や映画の戦争ものはあまり好きではない。だが、「潜水艦もの」と呼ばれるジャンルに関しては何故か惹かれるものがある。それは深海の密閉空間という特殊な極限状況の中で、死の恐怖に耐えながら、知力と気力、そして体力の限りを尽くして任務を遂行するという男のドラマがあるからだろう。
そのせいだろうか。思い起こしてみると、過去に多くの潜水艦映画を観ていることに気がついた。
日本映画では「真夏のオリオン」や「ローレライ」があるが、そのどちらも原作本を読んだ。特に「真夏のオリオン」の原作となった池上司の「雷撃深度一九・五」は、艦長の漢気がぐっと胸に迫る作品だった。
さて、外国の作品では、ショーン・コネリーが渋い「レッド・オクトーバーを追え!」だとか、キューバ危機を扱った「クリムゾン・タイド」、エニグマ暗号機奪取をテーマに据えた「U-571」などがあるが、そんな中でも秀逸なのがドイツ映画の「Uボート」だろう。
実話を元にして作られた映画のようだが、狭い艦内の描写と息詰まるような緊迫感がとてもリアルであった。次第に疲弊していく乗組員たちの姿もよく描かれていた。
だが、今日はその「Uボート」の話ではなく、今週末に封切り公開される「ハンター・キラー 潜航せよ」についてのご紹介である。といっても映画ではなく原作となった本の方だが。
その日、たまたま本屋で見つけた上下二巻の文庫本「ハンターキラー 潜航せよ」(早川書房)はジョージ・ウォーレス&ドン・キースの二人の手による海洋アクション小説だ。
旧ソビエトの栄光を再び取り戻すため、ドゥロフ提督が企てたクーデターは、自国の最新潜水艦をも撃沈するという暴挙から始まった。しかも救出に向かったアメリカの潜水艦まで攻撃し、すべての罪をアメリカに擦りつけたのである。さらにはアメリカの経済を大混乱に陥れるため、証券取引所の株式売買プログラムへ不正なプログラムを侵入させようと暗躍する者たちの存在があった。
ドゥロフ提督の企てを阻止するためにロシア海軍基地へ密かに接近するアメリカ海軍原潜トレドと、特殊部隊の精鋭たち。そして不正プログラムの存在を知り、命を狙われる証券取引委員会のキャサリン・ゴールドマン監査官は、魔の手から逃れることが出来るのか。
海と陸とで繰り広げられる熱い戦いの結果はいかに。
一度読み始めたら止めることが出来なくなること請け合いの、久しぶりに時間を忘れて読んだアクション&サスペンス小説だった。
そのせいだろうか。思い起こしてみると、過去に多くの潜水艦映画を観ていることに気がついた。
日本映画では「真夏のオリオン」や「ローレライ」があるが、そのどちらも原作本を読んだ。特に「真夏のオリオン」の原作となった池上司の「雷撃深度一九・五」は、艦長の漢気がぐっと胸に迫る作品だった。
さて、外国の作品では、ショーン・コネリーが渋い「レッド・オクトーバーを追え!」だとか、キューバ危機を扱った「クリムゾン・タイド」、エニグマ暗号機奪取をテーマに据えた「U-571」などがあるが、そんな中でも秀逸なのがドイツ映画の「Uボート」だろう。
実話を元にして作られた映画のようだが、狭い艦内の描写と息詰まるような緊迫感がとてもリアルであった。次第に疲弊していく乗組員たちの姿もよく描かれていた。
だが、今日はその「Uボート」の話ではなく、今週末に封切り公開される「ハンター・キラー 潜航せよ」についてのご紹介である。といっても映画ではなく原作となった本の方だが。
その日、たまたま本屋で見つけた上下二巻の文庫本「ハンターキラー 潜航せよ」(早川書房)はジョージ・ウォーレス&ドン・キースの二人の手による海洋アクション小説だ。
旧ソビエトの栄光を再び取り戻すため、ドゥロフ提督が企てたクーデターは、自国の最新潜水艦をも撃沈するという暴挙から始まった。しかも救出に向かったアメリカの潜水艦まで攻撃し、すべての罪をアメリカに擦りつけたのである。さらにはアメリカの経済を大混乱に陥れるため、証券取引所の株式売買プログラムへ不正なプログラムを侵入させようと暗躍する者たちの存在があった。
ドゥロフ提督の企てを阻止するためにロシア海軍基地へ密かに接近するアメリカ海軍原潜トレドと、特殊部隊の精鋭たち。そして不正プログラムの存在を知り、命を狙われる証券取引委員会のキャサリン・ゴールドマン監査官は、魔の手から逃れることが出来るのか。
海と陸とで繰り広げられる熱い戦いの結果はいかに。
一度読み始めたら止めることが出来なくなること請け合いの、久しぶりに時間を忘れて読んだアクション&サスペンス小説だった。
心にゆとりが出来たのか、このところ毎週1回は会社帰りに映画館へ立ち寄っている。昨年まではこんなことは一切無かった。今年に入り、息子に仕事を任せたことも、心にゆとりが出来たせいかもしれない。
先週は「マスカレード・ホテル」を、その前の週は「七つの会議」を、そして昨夜は「フォルトゥナの瞳」を観てきた。平日の夜にも関わらず、7割程度の入りであったが、その大半は若いカップルか女性のグループで、私のようなオッサンがひとりで観ている姿は他に見当たらなかった。
この映画も前回、前々回同様、原作本を既に読んでいたので結末は分かっている。だから、どのようなアレンジが施され映像化されるのか、そこに興味があった。
原作は百田尚樹氏の「フォルトゥナの瞳」だ。人の運命(死)が見えるという特殊能力を備えたひとりの青年の物語。
他人の死を救うたびに、自分は死へ一歩近づいていく。そして愛する彼女に死が迫っていることを知った青年が取った行動は...
映画の終盤、あちこちから鼻水を啜る音が聞こえてくる。そして私も鼻水が。
この歳になっても、恋愛映画に感動する心を持ち合わせている自分に驚く、と書きたいところだが、おそらく花粉症かもしれない。
それにしても百田尚樹という作家は、実に守備範囲の広い人だ。あの容貌からは考えられないこういう恋愛物も書けば、時代劇やスポーツ、評伝物、そして「永遠の0」といった戦争をテーマにした作品等々、実に多岐に渡っている。
幻冬舎の見城徹社長が「稀代のエンターティナー」と評するのもよく分かる。
まだ私が大学生の頃、仙台駅前に複数の映画館が入ったビルがあった。
親父がそこのオーナーと知り合いだったので、毎月各映画館の招待券を貰っていた。その中の1館はいわゆるにっかつ系の成人映画だったのだが、『使わないで捨てるつもりか。そんな罰当たりなことをしたら神様に叱られるではないか』と入館をためらう自分を厳しく叱責し、何度も利用させて貰った。
やがて私が映画館の招待券を毎月たくさん貰っているということが、友人たちの間で一気に広まってしまい、昼飯代にも困るような生活をしていた私は、1枚200円、ただしにっかつは400円で譲っていた。勿論、あっという間に完売である。貧乏学生だった我々には、映画館代は当時でも高かったのだ。
それだけではない。毎週のように女の子を誘っては映画館デートをしたのもその頃だ。
なにしろ招待券があるからお金の心配はない。必要なのは映画が終わったあとに飲むコーヒー代くらいなもの。
女の子たちの間では「安全な男」という有難くないレッテルを貼られていたので、声をかけると「いいよ」と二つ返事で映画に行ってくれる。
それにしても、学生時代に何本の映画を観ていたのだろう。随分観たような気がするし、その割には覚えていないのはどうしたことか。映画を観ながら他のことを考えていたのだろうか。まあ、どうせろくでもないことを考えていたのだろうが、今となってはそれすら覚えていない。
綺麗で快適になった映画館。
暗闇の中でふと思い出すのは、そんな若い頃の映画の思い出だった。
ポップコーンセットを抱え、ひとりポリポリ齧りながら、さて来週は何を観ようか...
先週は「マスカレード・ホテル」を、その前の週は「七つの会議」を、そして昨夜は「フォルトゥナの瞳」を観てきた。平日の夜にも関わらず、7割程度の入りであったが、その大半は若いカップルか女性のグループで、私のようなオッサンがひとりで観ている姿は他に見当たらなかった。
この映画も前回、前々回同様、原作本を既に読んでいたので結末は分かっている。だから、どのようなアレンジが施され映像化されるのか、そこに興味があった。
原作は百田尚樹氏の「フォルトゥナの瞳」だ。人の運命(死)が見えるという特殊能力を備えたひとりの青年の物語。
他人の死を救うたびに、自分は死へ一歩近づいていく。そして愛する彼女に死が迫っていることを知った青年が取った行動は...
映画の終盤、あちこちから鼻水を啜る音が聞こえてくる。そして私も鼻水が。
この歳になっても、恋愛映画に感動する心を持ち合わせている自分に驚く、と書きたいところだが、おそらく花粉症かもしれない。
それにしても百田尚樹という作家は、実に守備範囲の広い人だ。あの容貌からは考えられないこういう恋愛物も書けば、時代劇やスポーツ、評伝物、そして「永遠の0」といった戦争をテーマにした作品等々、実に多岐に渡っている。
幻冬舎の見城徹社長が「稀代のエンターティナー」と評するのもよく分かる。
まだ私が大学生の頃、仙台駅前に複数の映画館が入ったビルがあった。
親父がそこのオーナーと知り合いだったので、毎月各映画館の招待券を貰っていた。その中の1館はいわゆるにっかつ系の成人映画だったのだが、『使わないで捨てるつもりか。そんな罰当たりなことをしたら神様に叱られるではないか』と入館をためらう自分を厳しく叱責し、何度も利用させて貰った。
やがて私が映画館の招待券を毎月たくさん貰っているということが、友人たちの間で一気に広まってしまい、昼飯代にも困るような生活をしていた私は、1枚200円、ただしにっかつは400円で譲っていた。勿論、あっという間に完売である。貧乏学生だった我々には、映画館代は当時でも高かったのだ。
それだけではない。毎週のように女の子を誘っては映画館デートをしたのもその頃だ。
なにしろ招待券があるからお金の心配はない。必要なのは映画が終わったあとに飲むコーヒー代くらいなもの。
女の子たちの間では「安全な男」という有難くないレッテルを貼られていたので、声をかけると「いいよ」と二つ返事で映画に行ってくれる。
それにしても、学生時代に何本の映画を観ていたのだろう。随分観たような気がするし、その割には覚えていないのはどうしたことか。映画を観ながら他のことを考えていたのだろうか。まあ、どうせろくでもないことを考えていたのだろうが、今となってはそれすら覚えていない。
綺麗で快適になった映画館。
暗闇の中でふと思い出すのは、そんな若い頃の映画の思い出だった。
ポップコーンセットを抱え、ひとりポリポリ齧りながら、さて来週は何を観ようか...
以前、このDNに書いたが、京都に住んでいる妻と私の知り合いが、本業をそっちのけで映画のエキストラをしており、その彼女から是非観て欲しいと言われた映画が「七つの会議」である。
勿論、その映画に彼女もエキストラとして参加しており、スクリーンの中に私を探して、というわけだ。もともとお茶目なところがある彼女だが、今回は「私、凄いところにいるから」と謎めいたことをいう。
試写も観たとのことで、自分の出ているその場面はカットされていなかったそうだ。
原作は映画と同名の「七つの会議」。作者は「下町ロケット」や「半沢直樹シリーズ」で人気の池井戸潤である。原作の方は既に読んでいたので、結末は分かっている。妻から観に行こうと誘われたが、結末を知っている物語を、わざわざ観に行くのもなあと乗り気ではなかったが、しばらく映画館にも足を運んでいなかったので重い腰を上げることにした。
さて、映画は冒頭から緊迫したシーンが続く。香川照之扮する東京建電営業部長北川の「では、定例会議を始める」の号令から物語もスタートする。
業績の上がらない営業二課・課長の原島(及川光博)は大勢の課員たちの前で北川に罵倒され、一方、常にノルマを達成する営業一課・課長の坂戸(片岡愛之助)を褒めそやす。
しかしその一課には一人の厄介者がいた。それがこのドラマの主人公である八角民夫(野村萬斎)だ。
こんな会議の最中にも居眠りはするは、有給休暇を申請するは、さらには残業も断るという太々しい八角の態度に、坂戸の怒りはついに頂点に達する。
厳しい言葉を八角に投げつけた坂戸だったが、そのことで逆に坂戸はパワハラで訴えられてしまうのだった。
だが、誰もが八角の訴えなど取り上げられないものと思っていたのに、下された判定はクロという意外な結果だった。トップセールスだった坂戸は、なんとその地位を追われることになってしまったのだ。
さらに八角の不明朗な金の流れを暴こうとした経理部の新田(藤森慎吾)も、職を解かれる羽目になってしまった。
本来なら会社から疎まれるべき人間である八角が、なぜか上層部によって庇護されている。営業一課長を継ぐことになった原島と、部下の浜本優衣(朝倉あき)は、その謎を探ろうとするのだが、そこにはとんでもない事実が隠されていた。
これ以上はネタバレになってしまうので、語ることを止めようと思う。本も面白かったが、映像化されるとより一層登場人物のキャラクターが立ってくる。
なにせ俳優たちが凄い。野村萬斎もミステリアスな雰囲気がよく出ていたし、香川照之をはじめ鹿賀丈史や北大路欣也、片岡愛之助らの「顔芸合戦」は圧巻と言うしかない。
こう言ってはなんだが、藤森慎吾は見事に役に嵌っていたと思う。「津軽百年食堂」を観た時、藤森慎吾は芝居も出来るのだと感心したが、今回はその「感心」すら感じさせることがなかった。
あっという間の二時間だったが、見終えて「しまった!」と悔やんだ。
エキストラで出ていた彼女のことをすっかり忘れていたからだ。
「私、凄いところにいるから」と言われたが、あの顔芸合戦の最中に彼女を見つけ出すなんて無理もいいところだ。
結局、妻もどこに出ていたのか分からなかったと言う。
「なんて答えようかねぇ」
「困ったねぇ」
京都からわざわざエキストラ出演のために、撮影地の埼玉まで出かけたと言う彼女に、電話をかけたのはその夜のことだった。
「分かった?私、萬斎さんのすぐ後ろに立っていたでしょ。バッチリ映ってたでしょ」
どうやらそれは、八角が坂戸課長に例の申請を出し、却下されるシーンだったようだが、残念ながらこれは後日、ビデオ判定を待つしかなさそうである。
勿論、その映画に彼女もエキストラとして参加しており、スクリーンの中に私を探して、というわけだ。もともとお茶目なところがある彼女だが、今回は「私、凄いところにいるから」と謎めいたことをいう。
試写も観たとのことで、自分の出ているその場面はカットされていなかったそうだ。
原作は映画と同名の「七つの会議」。作者は「下町ロケット」や「半沢直樹シリーズ」で人気の池井戸潤である。原作の方は既に読んでいたので、結末は分かっている。妻から観に行こうと誘われたが、結末を知っている物語を、わざわざ観に行くのもなあと乗り気ではなかったが、しばらく映画館にも足を運んでいなかったので重い腰を上げることにした。
さて、映画は冒頭から緊迫したシーンが続く。香川照之扮する東京建電営業部長北川の「では、定例会議を始める」の号令から物語もスタートする。
業績の上がらない営業二課・課長の原島(及川光博)は大勢の課員たちの前で北川に罵倒され、一方、常にノルマを達成する営業一課・課長の坂戸(片岡愛之助)を褒めそやす。
しかしその一課には一人の厄介者がいた。それがこのドラマの主人公である八角民夫(野村萬斎)だ。
こんな会議の最中にも居眠りはするは、有給休暇を申請するは、さらには残業も断るという太々しい八角の態度に、坂戸の怒りはついに頂点に達する。
厳しい言葉を八角に投げつけた坂戸だったが、そのことで逆に坂戸はパワハラで訴えられてしまうのだった。
だが、誰もが八角の訴えなど取り上げられないものと思っていたのに、下された判定はクロという意外な結果だった。トップセールスだった坂戸は、なんとその地位を追われることになってしまったのだ。
さらに八角の不明朗な金の流れを暴こうとした経理部の新田(藤森慎吾)も、職を解かれる羽目になってしまった。
本来なら会社から疎まれるべき人間である八角が、なぜか上層部によって庇護されている。営業一課長を継ぐことになった原島と、部下の浜本優衣(朝倉あき)は、その謎を探ろうとするのだが、そこにはとんでもない事実が隠されていた。
これ以上はネタバレになってしまうので、語ることを止めようと思う。本も面白かったが、映像化されるとより一層登場人物のキャラクターが立ってくる。
なにせ俳優たちが凄い。野村萬斎もミステリアスな雰囲気がよく出ていたし、香川照之をはじめ鹿賀丈史や北大路欣也、片岡愛之助らの「顔芸合戦」は圧巻と言うしかない。
こう言ってはなんだが、藤森慎吾は見事に役に嵌っていたと思う。「津軽百年食堂」を観た時、藤森慎吾は芝居も出来るのだと感心したが、今回はその「感心」すら感じさせることがなかった。
あっという間の二時間だったが、見終えて「しまった!」と悔やんだ。
エキストラで出ていた彼女のことをすっかり忘れていたからだ。
「私、凄いところにいるから」と言われたが、あの顔芸合戦の最中に彼女を見つけ出すなんて無理もいいところだ。
結局、妻もどこに出ていたのか分からなかったと言う。
「なんて答えようかねぇ」
「困ったねぇ」
京都からわざわざエキストラ出演のために、撮影地の埼玉まで出かけたと言う彼女に、電話をかけたのはその夜のことだった。
「分かった?私、萬斎さんのすぐ後ろに立っていたでしょ。バッチリ映ってたでしょ」
どうやらそれは、八角が坂戸課長に例の申請を出し、却下されるシーンだったようだが、残念ながらこれは後日、ビデオ判定を待つしかなさそうである。
昔のアルバムを整理しているうちに、つい見入ってしまうことがある。その結果、ぜんぜん片付かないままに整理作業が終了なんてことはしばしばだ。
先日も溜まっていたDVDやビデオなどを整理しようとしていたら、栗塚旭主演の「燃えよ剣」が出てきてしまった。
これはまずい、これは厄介なものが出てきてしまったと思ったが、もう後の祭り。レイター・フェスティバルだ!
気がつけばDVDを再生装置に挿入し、リモコンスイッチの再生ボタンには待ち切れない親指が、スタート前のランナーよろしくその時を待ち構えている。
そして再生の準備が整った次の瞬間には懐かしい映像が流れ始めた。
夜の帳の中、宿屋と思しきその二階で酒宴でもしているのだろうか。酔って騒いでいる勤王の志士たちのその影を、通りの向こうからじっと見つめる一人の男。やがて男は抜刀しその宿屋へと向かって歩いて行く。
ご存知土方歳三こと栗塚旭のドラマ冒頭の名シーンである。このテーマ音楽も良かった。
栗塚旭といえば、「新撰組血風録」の土方歳三役で大ブレークした名優だ。今でも土方歳三といえば栗塚旭、栗塚旭といえば土方歳三のイメージを持つ者は少なくない。何を隠そう、私もその一人である。
過去に新撰組を扱ったドラマは数多く存在するが、土方歳三の役に関して言えば、栗塚旭を超える役者は他にいないのではないだろうか。そう思わせてしまうほど、イメージにピッタリ合致した役者なのである。
新撰組隊士の僅かに残る写真の中でも、土方歳三のそれは一番目を惹くものだ。
クールでいながら、どこか危険な甘さを湛えたその表情。いまだに女性ファンが多いのも頷ける。
そして往年の栗塚旭もまたそんな感じであったなと、和泉守兼定を手に斬り込んで行く彼の後姿に男を見ていた。
という訳で、今回もまったく片付きませんでした。
先日も溜まっていたDVDやビデオなどを整理しようとしていたら、栗塚旭主演の「燃えよ剣」が出てきてしまった。
これはまずい、これは厄介なものが出てきてしまったと思ったが、もう後の祭り。レイター・フェスティバルだ!
気がつけばDVDを再生装置に挿入し、リモコンスイッチの再生ボタンには待ち切れない親指が、スタート前のランナーよろしくその時を待ち構えている。
そして再生の準備が整った次の瞬間には懐かしい映像が流れ始めた。
夜の帳の中、宿屋と思しきその二階で酒宴でもしているのだろうか。酔って騒いでいる勤王の志士たちのその影を、通りの向こうからじっと見つめる一人の男。やがて男は抜刀しその宿屋へと向かって歩いて行く。
ご存知土方歳三こと栗塚旭のドラマ冒頭の名シーンである。このテーマ音楽も良かった。
栗塚旭といえば、「新撰組血風録」の土方歳三役で大ブレークした名優だ。今でも土方歳三といえば栗塚旭、栗塚旭といえば土方歳三のイメージを持つ者は少なくない。何を隠そう、私もその一人である。
過去に新撰組を扱ったドラマは数多く存在するが、土方歳三の役に関して言えば、栗塚旭を超える役者は他にいないのではないだろうか。そう思わせてしまうほど、イメージにピッタリ合致した役者なのである。
新撰組隊士の僅かに残る写真の中でも、土方歳三のそれは一番目を惹くものだ。
クールでいながら、どこか危険な甘さを湛えたその表情。いまだに女性ファンが多いのも頷ける。
そして往年の栗塚旭もまたそんな感じであったなと、和泉守兼定を手に斬り込んで行く彼の後姿に男を見ていた。
という訳で、今回もまったく片付きませんでした。
もう一度みたい「事件記者コルチャック」
2018年5月28日 映画 コメント (4)
「わたしはコルチャック。インディペンデント通信社の事件記者だ。シカゴを舞台に、ボスのビンセントにぎゃあぎゃあ言われながら、テレコとカメラを武器に、事件の渦に飛び込んでゆく」
これは1976年から日本テレビ系列で放送された「事件記者コルチャック」のオープニングだ。
このオープニングは日本版のみに付け加えられたもので、アメリカで製作された原版には無いという。そしてこのオープニングのナレーションと主人公のコルチャックを吹き替えたのが今は亡き大塚周夫(おおつかちかお)氏だった。
大塚周夫氏といえば声優界の大御所であり、日本人なら一度はその声を耳にしている筈だ。
大塚氏の数多ある作品の中でも、私などはどうしても「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男や「美味しんぼ」の海原雄山のイメージが強いのだが、このコルチャック(ダーレン・マクギャビン)も印象に残る役だった。
さて、「事件記者コルチャック」というタイトルだけだと推理物を連想してしまうが実はホラーなのである。原作者がシリーズ化を許可した覚えはないと訴えたために、テレビドラマは全20作で終了してしまったが、それがまたカルト的人気を集め、後年製作された「Xファイル」に少なからぬ影響を与えたと言われている。
アメリカ本国で放送された順番と、日本で放送された順番は異なるようだが、どうやら日本で受けが良さそうな作品を前倒しにしたのだとか。
因みに日本では以下の順番に放送された。
第1話 恐怖の切り裂きジャック
第2話 炎に浮かぶ怨霊の影
第3話 満月に出る狼男の恐怖
第4話 悪魔に魂を売った男
第5話 情念に燃える殺人ロボット
第6話 悪夢が生んだ植物魔人
第7話 生き返った死体ゾンビー
第8話 甦る地底の怪神
第9話 地獄の底から這い上がる女悪魔
第10話 地底怪獣ワニトカゲの影
第11話 マネキンにのり移った悪霊
第12話 虐殺の血に飢える亡霊騎士
第13話 闇に舞う暴走首なしライダー
第14話 心臓を抉るアステカのミイラ
第15話 闇に牙をむく女吸血鬼
第16話 永遠の宝石を創る魔術師
第17話 凍結細胞から生まれた北極原人
第18話 地獄をさまよう悪魔ラクシャサ
第19話 骨髄を吸い取る宇宙の怪物体
第20話 若さを奪うギリシャの妖女
なんともオドロオドロしいタイトルが付けられているが、当時、毎日をぼおーっと生きていた高校生の自分には、とても刺激的なドラマだった。それに親父もその昔、通信社の記者だったから、主人公の設定にどこか親近感を覚えたのかもしれない。
今は便利なものでYOU TUBEなどでも観ることが出来るようだが、放送が終了して40年あまり。もう一度全ストーリーが放送されないものかと儚い期待を抱いているのだが。
追伸
ドラマのオープニングに流れるテーマソングは、主演のダレン・マクギャビンが口笛で始まる曲にしたいと願い出たものだとか。
さわりをご覧になりたい方は、下記のYOU TUBEアドレスからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q8e7Hs60py0&list=PLolAI6idCQTy4THlRi2Vjn0hsn82o2PiE&index=2
これは1976年から日本テレビ系列で放送された「事件記者コルチャック」のオープニングだ。
このオープニングは日本版のみに付け加えられたもので、アメリカで製作された原版には無いという。そしてこのオープニングのナレーションと主人公のコルチャックを吹き替えたのが今は亡き大塚周夫(おおつかちかお)氏だった。
大塚周夫氏といえば声優界の大御所であり、日本人なら一度はその声を耳にしている筈だ。
大塚氏の数多ある作品の中でも、私などはどうしても「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男や「美味しんぼ」の海原雄山のイメージが強いのだが、このコルチャック(ダーレン・マクギャビン)も印象に残る役だった。
さて、「事件記者コルチャック」というタイトルだけだと推理物を連想してしまうが実はホラーなのである。原作者がシリーズ化を許可した覚えはないと訴えたために、テレビドラマは全20作で終了してしまったが、それがまたカルト的人気を集め、後年製作された「Xファイル」に少なからぬ影響を与えたと言われている。
アメリカ本国で放送された順番と、日本で放送された順番は異なるようだが、どうやら日本で受けが良さそうな作品を前倒しにしたのだとか。
因みに日本では以下の順番に放送された。
第1話 恐怖の切り裂きジャック
第2話 炎に浮かぶ怨霊の影
第3話 満月に出る狼男の恐怖
第4話 悪魔に魂を売った男
第5話 情念に燃える殺人ロボット
第6話 悪夢が生んだ植物魔人
第7話 生き返った死体ゾンビー
第8話 甦る地底の怪神
第9話 地獄の底から這い上がる女悪魔
第10話 地底怪獣ワニトカゲの影
第11話 マネキンにのり移った悪霊
第12話 虐殺の血に飢える亡霊騎士
第13話 闇に舞う暴走首なしライダー
第14話 心臓を抉るアステカのミイラ
第15話 闇に牙をむく女吸血鬼
第16話 永遠の宝石を創る魔術師
第17話 凍結細胞から生まれた北極原人
第18話 地獄をさまよう悪魔ラクシャサ
第19話 骨髄を吸い取る宇宙の怪物体
第20話 若さを奪うギリシャの妖女
なんともオドロオドロしいタイトルが付けられているが、当時、毎日をぼおーっと生きていた高校生の自分には、とても刺激的なドラマだった。それに親父もその昔、通信社の記者だったから、主人公の設定にどこか親近感を覚えたのかもしれない。
今は便利なものでYOU TUBEなどでも観ることが出来るようだが、放送が終了して40年あまり。もう一度全ストーリーが放送されないものかと儚い期待を抱いているのだが。
追伸
ドラマのオープニングに流れるテーマソングは、主演のダレン・マクギャビンが口笛で始まる曲にしたいと願い出たものだとか。
さわりをご覧になりたい方は、下記のYOU TUBEアドレスからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q8e7Hs60py0&list=PLolAI6idCQTy4THlRi2Vjn0hsn82o2PiE&index=2
私とかみさんの共通の知り合いに、京都でエキストラをやっている女性がいる。
最近では「科捜研の女」によく出演しており、ドラマを録画しては、二人であとからじっくりと探すのを楽しみにしている。
また、NHKの時代劇にも時々出ており、こちらの方は武家のお女中や町女が多い。
エキストラのことについてはまったく疎い私だが、報酬は一切なし、交通費も出ない、食事は自前なのだという。またスターたちとの交流も不可となれば、いったい何が楽しいのだろうと思ってしまうが、彼女に言わせれば出ること参加すること自体に意味があるのだとか。
うーん、そういうものなのかと思ったり思わなかったり。
ところで我が町仙台は映画のロケが多いことでも知られている。
過去に仙台を舞台にした作品がどれだけあったか調べてみたら、結構多いことに驚かされた。それらを列挙してみると次のとおり。
「アヒルと鴨のコインロッカー」
「重力ピエロ」
「ゴールデンスランバー」
「ポテチ」
「図書館戦争」
「俺物語!!」
「サバイバルファミリー」
「ReLife」
「祈りの幕が下りる時」
等々。
これらは比較的最近のもので、それ以前の作品を加えると結構すごい数になる。
その中でも七十年代に公開された「青葉繁れる」は私にとって思い出深い作品で、なによりラストシーンが我が家の近所で撮影されたのだ。
当時、若い女性に大人気だった草刈正雄が、仲間たちと田んぼの一本道をかけていくのだが、その一本道こそ我が家の前の道なのだ。
今ではその道も舗装されて交通量の多い道路と化し、道路の両側は住宅地になってしまった。
時の流れを今更ながらに感じてしまう。
話を元に戻そう。
仙台市だけではなく周辺部でロケを行ったものには「殿!利息でござる」等もあったし、「ママレード・ボーイ」も昨年末に県内で撮影されたようだ。
さらにこの四月からは伊坂幸太郎原作の「アイネクライネナハトムジーク」の仙台オールロケが始まるのだとか。
では何故こんなに仙台が映画のロケ地として使われるのか、ある監督がこんなことを語っていた。
「海あり山あり、そして町あり。それらの距離感がとても良い」のだそうだ。
確かに都会の顔を見せれば、田舎の雰囲気も持っている。山や海にもすぐ行けるし、交通の便も良い。人の数も多からず少なからずでバランスがとれている。
東京からもそれほど時間がかからないので、コストパフォーマンスに優れているということなのだろう。
先程挙げたいくつかの作品をDVDで観てみたが、知っている場所が出てくると思わずニンマリしてしまう。また、突っ込みを入れたくなるような場面も多々あって、それはそれでなかなか楽しい。
ちなみに「アイネクライネナハトムジーク」は四月から五月までの毎日、仙台のどこかで撮影しているようなので、もしかしたら私の姿が画面の片隅に写りこんでいるかもしれない。
最近では「科捜研の女」によく出演しており、ドラマを録画しては、二人であとからじっくりと探すのを楽しみにしている。
また、NHKの時代劇にも時々出ており、こちらの方は武家のお女中や町女が多い。
エキストラのことについてはまったく疎い私だが、報酬は一切なし、交通費も出ない、食事は自前なのだという。またスターたちとの交流も不可となれば、いったい何が楽しいのだろうと思ってしまうが、彼女に言わせれば出ること参加すること自体に意味があるのだとか。
うーん、そういうものなのかと思ったり思わなかったり。
ところで我が町仙台は映画のロケが多いことでも知られている。
過去に仙台を舞台にした作品がどれだけあったか調べてみたら、結構多いことに驚かされた。それらを列挙してみると次のとおり。
「アヒルと鴨のコインロッカー」
「重力ピエロ」
「ゴールデンスランバー」
「ポテチ」
「図書館戦争」
「俺物語!!」
「サバイバルファミリー」
「ReLife」
「祈りの幕が下りる時」
等々。
これらは比較的最近のもので、それ以前の作品を加えると結構すごい数になる。
その中でも七十年代に公開された「青葉繁れる」は私にとって思い出深い作品で、なによりラストシーンが我が家の近所で撮影されたのだ。
当時、若い女性に大人気だった草刈正雄が、仲間たちと田んぼの一本道をかけていくのだが、その一本道こそ我が家の前の道なのだ。
今ではその道も舗装されて交通量の多い道路と化し、道路の両側は住宅地になってしまった。
時の流れを今更ながらに感じてしまう。
話を元に戻そう。
仙台市だけではなく周辺部でロケを行ったものには「殿!利息でござる」等もあったし、「ママレード・ボーイ」も昨年末に県内で撮影されたようだ。
さらにこの四月からは伊坂幸太郎原作の「アイネクライネナハトムジーク」の仙台オールロケが始まるのだとか。
では何故こんなに仙台が映画のロケ地として使われるのか、ある監督がこんなことを語っていた。
「海あり山あり、そして町あり。それらの距離感がとても良い」のだそうだ。
確かに都会の顔を見せれば、田舎の雰囲気も持っている。山や海にもすぐ行けるし、交通の便も良い。人の数も多からず少なからずでバランスがとれている。
東京からもそれほど時間がかからないので、コストパフォーマンスに優れているということなのだろう。
先程挙げたいくつかの作品をDVDで観てみたが、知っている場所が出てくると思わずニンマリしてしまう。また、突っ込みを入れたくなるような場面も多々あって、それはそれでなかなか楽しい。
ちなみに「アイネクライネナハトムジーク」は四月から五月までの毎日、仙台のどこかで撮影しているようなので、もしかしたら私の姿が画面の片隅に写りこんでいるかもしれない。
¿Quién puede matar a un niño?
2018年3月17日 映画
最近、憂鬱になるニュースがある。
それは幼児虐待のニュースだ。
親や大人からの暴力を受けて、傷つき、そして命を落とす子があとを絶たない。
また口惜しいのは、そういう状況にあることを周囲の大人たちが分かっているのにも関わらず、子どもたちを救い出すことが出来ないことだ。
私も親父も幼児虐待のニュースがテレビから流れるたびに、思わずチャンネルを替えたりスイッチを切ったりしてしまう。
傷ついた子どもたちの姿が目に浮かび、いたたまれなくなるからだ。
思えば子どもに対する暴力は昔からあった。
抵抗する術を持たない子どもたちは、いつも馬鹿げた大人たちの餌食となった。
今も世界に目を向ければ、戦火に晒されて命の危機に怯えながら暮らしている子どもたちが大勢いる。
助けたいがどうすることも出来ないこのもどかしさ。
私がまだ学生の頃、たまたま映画館で観たスペインのホラー映画。
原題は「¿Quién puede matar a un niño?」。誰に子供が殺せるのか、というショッキングなタイトルだったが、さすがに日本では「ザ・チャイルド」と改題された。
物語の内容は、バカンスでスペインのある町を訪れたイギリス人夫婦が、沖合に浮かぶ小さな島へ渡るのだが、なぜかその島には大人の姿が見えず、子どもしかいないのだ。そのことに不審を抱く夫婦が目にしたものは、大人を惨殺する子どもたちの姿だった。
ではなぜそのようなことになったのか、映画はその理由を何も語らない。
しかし映画の冒頭、タイトルの背景に流れる映像は過去の戦争や紛争などで傷ついた子どもたちの姿だ。
そう、彼らの怨念が子どもたちへ乗り移って、大人たちへ復讐を始めたことを暗示しているのである。
映画のラスト、子どもたちのリーダーが船で島を出ていくシーンがある。
まだ復讐は始まったばかりだと言わんばかりの表情が印象的だった。
この映画には余談がある。
それは音楽を担当したワルド・デ・ロス・リオスが映画の完成後にマドリッドでピストル自殺を遂げたことだ。
ワルドといえばクラッシックの名曲をポップスにアレンジするという、いわゆるポップクラシカルの先駆者で、ヨーロッパで彼のレコードは大いに売れた。
当時この衝撃的な出来事に、これは映画に関わった呪いだと人々は噂した。
劇中、イギリス人夫婦が島へ渡るシーンに流れる曲がある。
もちろんワルドが作曲したものだが、ホラー映画には似つかわしくないとても美しい曲だ。主人公の妻の名前をそのままタイトルにした「エベリンのテーマ」とクレジットされている。
YouTubeのアドレスを載せるので、興味のある方は一度耳にして頂きたいと思う。そしてワルドは一体どんな気持ちでこの曲をこの映画にあてたのだろうか。
そのことを少しだけ考えてみて欲しい。
ザ・チャイルド エベリンのテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=AZuCqACSyq4
それは幼児虐待のニュースだ。
親や大人からの暴力を受けて、傷つき、そして命を落とす子があとを絶たない。
また口惜しいのは、そういう状況にあることを周囲の大人たちが分かっているのにも関わらず、子どもたちを救い出すことが出来ないことだ。
私も親父も幼児虐待のニュースがテレビから流れるたびに、思わずチャンネルを替えたりスイッチを切ったりしてしまう。
傷ついた子どもたちの姿が目に浮かび、いたたまれなくなるからだ。
思えば子どもに対する暴力は昔からあった。
抵抗する術を持たない子どもたちは、いつも馬鹿げた大人たちの餌食となった。
今も世界に目を向ければ、戦火に晒されて命の危機に怯えながら暮らしている子どもたちが大勢いる。
助けたいがどうすることも出来ないこのもどかしさ。
私がまだ学生の頃、たまたま映画館で観たスペインのホラー映画。
原題は「¿Quién puede matar a un niño?」。誰に子供が殺せるのか、というショッキングなタイトルだったが、さすがに日本では「ザ・チャイルド」と改題された。
物語の内容は、バカンスでスペインのある町を訪れたイギリス人夫婦が、沖合に浮かぶ小さな島へ渡るのだが、なぜかその島には大人の姿が見えず、子どもしかいないのだ。そのことに不審を抱く夫婦が目にしたものは、大人を惨殺する子どもたちの姿だった。
ではなぜそのようなことになったのか、映画はその理由を何も語らない。
しかし映画の冒頭、タイトルの背景に流れる映像は過去の戦争や紛争などで傷ついた子どもたちの姿だ。
そう、彼らの怨念が子どもたちへ乗り移って、大人たちへ復讐を始めたことを暗示しているのである。
映画のラスト、子どもたちのリーダーが船で島を出ていくシーンがある。
まだ復讐は始まったばかりだと言わんばかりの表情が印象的だった。
この映画には余談がある。
それは音楽を担当したワルド・デ・ロス・リオスが映画の完成後にマドリッドでピストル自殺を遂げたことだ。
ワルドといえばクラッシックの名曲をポップスにアレンジするという、いわゆるポップクラシカルの先駆者で、ヨーロッパで彼のレコードは大いに売れた。
当時この衝撃的な出来事に、これは映画に関わった呪いだと人々は噂した。
劇中、イギリス人夫婦が島へ渡るシーンに流れる曲がある。
もちろんワルドが作曲したものだが、ホラー映画には似つかわしくないとても美しい曲だ。主人公の妻の名前をそのままタイトルにした「エベリンのテーマ」とクレジットされている。
YouTubeのアドレスを載せるので、興味のある方は一度耳にして頂きたいと思う。そしてワルドは一体どんな気持ちでこの曲をこの映画にあてたのだろうか。
そのことを少しだけ考えてみて欲しい。
ザ・チャイルド エベリンのテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=AZuCqACSyq4
キートンの線路工夫 The Railrodder
2018年2月13日 映画 コメント (2)おそらく高校生の頃だったと思う。たまたまテレビをつけたら不思議な映像が流れていた。
それはトロッコに乗ったひとりの老人が、どこまでもどこまでも旅を続けるというもの。どこへ向かっているのか、美しい風景の中をひたすらトロッコは走り続ける。平原を抜け山を越え谷を越え、そして川を渡り、大都会の駅を通り抜け、トンネルを抜けて辿り着いた場所は...
途中から観だしたこの映画にいつしか釘づけとなってしまい、気がつけば何故か涙がこぼれていた。
この時はまだこの主人公の老人が、三大喜劇スターのひとり、バスター・キートンであることすら分からなかったのだが、その無表情な顔つきと、様々に移ろいゆく風景が対照的で自分にとっての忘れられない映画のひとつになった。
初見から数十年が経ち、ようやくそれが「The Railrodder」(邦題:キートンの線路工夫)という短編映画だと知り、今改めてそれを観ると高校生の頃とはまた違った感慨を抱いた。実質的にこの作品がキートンの遺作となったようだが、自分もその歳に限りなく近づいてしまった訳で、若い頃に受けた印象と違うのは当然である。そしてキートンがこの映画を作った理由も今になって何となく分かる気がした。表面はコメディを装ってはいるが、人生の深奥を捉えたドラマなのではないかと勝手に解釈している(結局人は変わらない。変わるのは周りの方なのだ。狭いトロッコの上で何度もバタバタするのは、周りの環境が変化するため。でも、結局は変わらないのだ)。
なんでもこの時、キートンは体調がすぐれなかったようだが(公開の翌年に亡くなっている)、若いスタッフたちと精力的に議論し、何度もリハーサルを行っている姿が並行して撮影されたドキュメンタリー映画「Buster Keaton Rides Again」として製作されている。その中には69歳の誕生日を皆で祝うシーンや、ロケ地となったカナダ各地でのファンとの交流も収められている。
映画では常に「無表情」なキートンを周りの人々は「オン」な状態と呼び、プライベートな時の彼を「オフ」な状態と呼んだそうな。
本編とは真逆に、全編モノクロで撮影されたドキュメンタリー(今風に言うならメイキング)には無表情どころかとても表情豊かなオフなキートンが映し出されている。
本編は25分ほどのカラー作品。一方、ドキュメンタリーの方はモノクロで、本編の倍以上の55分もあるが、是非併せてご覧になって頂きたい。
ひたすら人生を走り続けてきたあなたに贈りたい作品である。
我が母の命日に記す
※YOU TUBEで「The Railrodder」、ドキュメンタリーの方は「Buster Keaton Rides Again」で検索してください。多分、ご覧いただけます。
それはトロッコに乗ったひとりの老人が、どこまでもどこまでも旅を続けるというもの。どこへ向かっているのか、美しい風景の中をひたすらトロッコは走り続ける。平原を抜け山を越え谷を越え、そして川を渡り、大都会の駅を通り抜け、トンネルを抜けて辿り着いた場所は...
途中から観だしたこの映画にいつしか釘づけとなってしまい、気がつけば何故か涙がこぼれていた。
この時はまだこの主人公の老人が、三大喜劇スターのひとり、バスター・キートンであることすら分からなかったのだが、その無表情な顔つきと、様々に移ろいゆく風景が対照的で自分にとっての忘れられない映画のひとつになった。
初見から数十年が経ち、ようやくそれが「The Railrodder」(邦題:キートンの線路工夫)という短編映画だと知り、今改めてそれを観ると高校生の頃とはまた違った感慨を抱いた。実質的にこの作品がキートンの遺作となったようだが、自分もその歳に限りなく近づいてしまった訳で、若い頃に受けた印象と違うのは当然である。そしてキートンがこの映画を作った理由も今になって何となく分かる気がした。表面はコメディを装ってはいるが、人生の深奥を捉えたドラマなのではないかと勝手に解釈している(結局人は変わらない。変わるのは周りの方なのだ。狭いトロッコの上で何度もバタバタするのは、周りの環境が変化するため。でも、結局は変わらないのだ)。
なんでもこの時、キートンは体調がすぐれなかったようだが(公開の翌年に亡くなっている)、若いスタッフたちと精力的に議論し、何度もリハーサルを行っている姿が並行して撮影されたドキュメンタリー映画「Buster Keaton Rides Again」として製作されている。その中には69歳の誕生日を皆で祝うシーンや、ロケ地となったカナダ各地でのファンとの交流も収められている。
映画では常に「無表情」なキートンを周りの人々は「オン」な状態と呼び、プライベートな時の彼を「オフ」な状態と呼んだそうな。
本編とは真逆に、全編モノクロで撮影されたドキュメンタリー(今風に言うならメイキング)には無表情どころかとても表情豊かなオフなキートンが映し出されている。
本編は25分ほどのカラー作品。一方、ドキュメンタリーの方はモノクロで、本編の倍以上の55分もあるが、是非併せてご覧になって頂きたい。
ひたすら人生を走り続けてきたあなたに贈りたい作品である。
我が母の命日に記す
※YOU TUBEで「The Railrodder」、ドキュメンタリーの方は「Buster Keaton Rides Again」で検索してください。多分、ご覧いただけます。
映画「ポテチ」を観た。
またまた中村義洋監督と主演・濱田岳のタッグだ。
この映画も前作「ゴールデンスランバー」に引き続き、仙台が舞台となっている。
でも、ここではあえて内容には触れない。
私が触れたいのは、ラストシーンの野球場が我が家の近くだということ。
それから竹内結子さんが通行人役でさりげなく出演していること。
休日の昼下がり、映画のシーンを思い浮かべつつ、誰もいない仙台市民球場をブラついてみた。
なんだか景色は抜け殻だな...
そういえば、あの二人の新作は「みなさん、さようなら」という映画だ。
既に小説を読んだが、団地から一歩も外へ出られない男の話。
でも、誰だって自分の生活範囲は結構決まっているもの。それが団地より少々広いだけなの話なのだ。
でもこの映画は仙台には直接関係なさそうだね。
まあいいか。
またまた中村義洋監督と主演・濱田岳のタッグだ。
この映画も前作「ゴールデンスランバー」に引き続き、仙台が舞台となっている。
でも、ここではあえて内容には触れない。
私が触れたいのは、ラストシーンの野球場が我が家の近くだということ。
それから竹内結子さんが通行人役でさりげなく出演していること。
休日の昼下がり、映画のシーンを思い浮かべつつ、誰もいない仙台市民球場をブラついてみた。
なんだか景色は抜け殻だな...
そういえば、あの二人の新作は「みなさん、さようなら」という映画だ。
既に小説を読んだが、団地から一歩も外へ出られない男の話。
でも、誰だって自分の生活範囲は結構決まっているもの。それが団地より少々広いだけなの話なのだ。
でもこの映画は仙台には直接関係なさそうだね。
まあいいか。
友人のOに映画の試写会を誘われた。タイトルを訊ねたら「大奥」だという。
そういえば前回は「必死剣鳥刺し」という時代劇の試写会を誘われた。
よほどOは時代劇が好きらしい。
確かに風貌もどこか下級武士を思わせる。頭もいまではすっかり月代だけ。味付け海苔を載せるとチョンマゲになる。
そのOに聞けば、主演は「嵐」の二宮和也クンだという。その他、柴崎コウ、堀北真希、玉木宏、阿部サダヲ、佐々木蔵之介などなど、当代人気の俳優陣が脇を固める豪華さも売りなのだとか。
さて、試写会は19時30分から地元民放局の女子アナの司会で始まった。
ストーリーを簡単に記せば、
『江戸の頃、男子のみを襲う謎の疫病(赤面疱瘡)が国中で流行し、男子の数が激減。男女の立場が逆転した世の中に生まれた貧乏旗本の長男、水野祐之進(二宮和也)は、家のため大奥に奉公へ上がることを決意する。ところが、大奥へ上がって間もなくして、七代将軍の家継が死去、紀州から八代・吉宗(柴崎コウ)が推挙された。吉宗は先代の側用人を全員罷免し、質素倹約を推し進める改革を断行。水野は、その才能を見込まれ昇進、さらに吉宗に見初められ「ご内証の方」に。ところが、この「ご内証の方」にはある過酷なしきたりがあった...』という内容である。
結末を知りたい方は映画をどうぞだが、男女が完全に逆転した物語にはヒコヒコも目を丸くするだけで精一杯。
あの吉原さえも、大夫や女郎(この場合は男郎か)が男とは些か、いや、かなり気持ちが悪いのである。
美男三千人の大奥も、要は男色の世界。玉木宏と佐々木蔵之助のカラミにはもう白旗降参である。
果たして会場を埋めていた八割の女性たちには、どのように映ったことだろう。
それにしてもOよ。いちいち、驚きの声を挙げないでくれよ。
(オオオッ)だとか(ウーン)だとか(エエエッ)だとか(アーン)だとか。
隣りに座っていた若い女性はチラチラとこちらを向いていた。
誰だって気になるだろう。
終了が21時30分。
イケメンのオンパレードに満足した様子の女性方を尻目に、Oと私は黙々と会場をあとにした。
「気持ち悪かったな」
「悪かった」
「.....」
「俺たちだったら大奥には採用されないだろうな」
「採用されたら、残される組だろう」
「おそらく」
(残される組)
この意味は映画を観た人だけが分かるだろう。
それにしても、お土産にもらった「大奥手提げ袋」。
持って帰るには勇気がいった。
そういえば前回は「必死剣鳥刺し」という時代劇の試写会を誘われた。
よほどOは時代劇が好きらしい。
確かに風貌もどこか下級武士を思わせる。頭もいまではすっかり月代だけ。味付け海苔を載せるとチョンマゲになる。
そのOに聞けば、主演は「嵐」の二宮和也クンだという。その他、柴崎コウ、堀北真希、玉木宏、阿部サダヲ、佐々木蔵之介などなど、当代人気の俳優陣が脇を固める豪華さも売りなのだとか。
さて、試写会は19時30分から地元民放局の女子アナの司会で始まった。
ストーリーを簡単に記せば、
『江戸の頃、男子のみを襲う謎の疫病(赤面疱瘡)が国中で流行し、男子の数が激減。男女の立場が逆転した世の中に生まれた貧乏旗本の長男、水野祐之進(二宮和也)は、家のため大奥に奉公へ上がることを決意する。ところが、大奥へ上がって間もなくして、七代将軍の家継が死去、紀州から八代・吉宗(柴崎コウ)が推挙された。吉宗は先代の側用人を全員罷免し、質素倹約を推し進める改革を断行。水野は、その才能を見込まれ昇進、さらに吉宗に見初められ「ご内証の方」に。ところが、この「ご内証の方」にはある過酷なしきたりがあった...』という内容である。
結末を知りたい方は映画をどうぞだが、男女が完全に逆転した物語にはヒコヒコも目を丸くするだけで精一杯。
あの吉原さえも、大夫や女郎(この場合は男郎か)が男とは些か、いや、かなり気持ちが悪いのである。
美男三千人の大奥も、要は男色の世界。玉木宏と佐々木蔵之助のカラミにはもう白旗降参である。
果たして会場を埋めていた八割の女性たちには、どのように映ったことだろう。
それにしてもOよ。いちいち、驚きの声を挙げないでくれよ。
(オオオッ)だとか(ウーン)だとか(エエエッ)だとか(アーン)だとか。
隣りに座っていた若い女性はチラチラとこちらを向いていた。
誰だって気になるだろう。
終了が21時30分。
イケメンのオンパレードに満足した様子の女性方を尻目に、Oと私は黙々と会場をあとにした。
「気持ち悪かったな」
「悪かった」
「.....」
「俺たちだったら大奥には採用されないだろうな」
「採用されたら、残される組だろう」
「おそらく」
(残される組)
この意味は映画を観た人だけが分かるだろう。
それにしても、お土産にもらった「大奥手提げ袋」。
持って帰るには勇気がいった。
友人のOから映画の試写会に誘われた。タイトルを聞くと「鳥刺し」だという。
「鳥刺し?」
レバ刺しの間違いではないのかともう一度訊ねたら「必死剣 鳥刺し」だと言う。
藤沢周平の短編小説が原作の時代劇らしい。知らなかった。
ちょうど仕事も一段落していたので承諾した。
Oと一緒に試写会へ行ったのは、三谷幸喜の「みんなの家」が最後だったから、随分久し振りだ。
開演20分前に会場へ着くが、時代劇の試写会だけに、60代70代の高齢者が目に付く。
Oからチケットを渡されたが、真ん中の後ろの見やすい席を確保しておいてくれた。
さて、藤沢周平の小説ではおなじみの、山形は庄内の海坂藩という架空の藩での物語り。内容を少しだけ紹介すると、
近習頭取の兼見三左エ門(豊川悦司)が、藩主右京太夫の愛妾連子(関めぐみ)を城中で刺し殺してしまうというショッキングな出だしで始まる。
藩政に影響を及ぼす妾に、誰も逆らえる者がなく、三左エ門の已むにやまれぬ行動だった。
本来ならば厳罰に処せられるべきところを、なぜか一年の閉門と減石という比較的軽い処分で済まされる。中老の津田民部(岸部一徳)の寛大な処分と思われたのだが、その裏にはある謀略が仕組まれていた...というお話。
タイトルの「必死剣 鳥刺し」とは、兼見三左エ門が編み出した必殺の奥義だ。
津田民部がどのような技なのかを問うシーンが出てくるが、「使うときは絶体絶命の時。半分は死んでいる状態」との答えに首を傾げる。
普通なら必殺の剣というべきところを、必死という。
映画のラスト15分は凄惨な大立ち回りとなるが、その意味がここに来て始めて明かされることになる。
なかなか見ごたえのある映画に仕上がっていた。
それにしてもOは関めぐみは良いだの、池脇千鶴は姪に似ているだの、私の耳元で囁いてくる。
私はどちらも知らなかった。
お前、本当は映画の内容よりも彼女たちを見に来たのだろう、と言ったら、ニヤリと笑って目元が緩んだ。
公式ホームページ
http://www.torisashi.com/
「鳥刺し?」
レバ刺しの間違いではないのかともう一度訊ねたら「必死剣 鳥刺し」だと言う。
藤沢周平の短編小説が原作の時代劇らしい。知らなかった。
ちょうど仕事も一段落していたので承諾した。
Oと一緒に試写会へ行ったのは、三谷幸喜の「みんなの家」が最後だったから、随分久し振りだ。
開演20分前に会場へ着くが、時代劇の試写会だけに、60代70代の高齢者が目に付く。
Oからチケットを渡されたが、真ん中の後ろの見やすい席を確保しておいてくれた。
さて、藤沢周平の小説ではおなじみの、山形は庄内の海坂藩という架空の藩での物語り。内容を少しだけ紹介すると、
近習頭取の兼見三左エ門(豊川悦司)が、藩主右京太夫の愛妾連子(関めぐみ)を城中で刺し殺してしまうというショッキングな出だしで始まる。
藩政に影響を及ぼす妾に、誰も逆らえる者がなく、三左エ門の已むにやまれぬ行動だった。
本来ならば厳罰に処せられるべきところを、なぜか一年の閉門と減石という比較的軽い処分で済まされる。中老の津田民部(岸部一徳)の寛大な処分と思われたのだが、その裏にはある謀略が仕組まれていた...というお話。
タイトルの「必死剣 鳥刺し」とは、兼見三左エ門が編み出した必殺の奥義だ。
津田民部がどのような技なのかを問うシーンが出てくるが、「使うときは絶体絶命の時。半分は死んでいる状態」との答えに首を傾げる。
普通なら必殺の剣というべきところを、必死という。
映画のラスト15分は凄惨な大立ち回りとなるが、その意味がここに来て始めて明かされることになる。
なかなか見ごたえのある映画に仕上がっていた。
それにしてもOは関めぐみは良いだの、池脇千鶴は姪に似ているだの、私の耳元で囁いてくる。
私はどちらも知らなかった。
お前、本当は映画の内容よりも彼女たちを見に来たのだろう、と言ったら、ニヤリと笑って目元が緩んだ。
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久し振りに映画を観に行った。それもカミさんとふたりで。
カミさんは「猿ロック」を観たいというが、私は「ゴールデンスランバー」を観たいと意見が割れた。どちらも鑑賞するとなると結構お金がかかるので迷っていたら、夫婦どちらかが50歳以上ならふたりで2,000円だという。ならば両方ともいけるなとニンマリ。
「50歳以上でいらっしゃいますか」の窓口嬢の声に、思わず両手を挙げてしまった。
まず最初は地元仙台でオールロケされた「ゴールデンスランバー」から鑑賞する。
ストーリーは小説を読んで知っていたので、今回の鑑賞の密かな楽しみは、自分が知っている場所がどれだけ画面に登場するかを数えること。
「あっ、エクセル東急ホテルの脇道じゃん」「なんだ、ここで撮ったのか」「あらら、昨日自分が立っていた場所に堺くんが立ってるよ」「なんちゅうこっちゃ、竹内結子さんがボクと同じ場所にクルマを留めた」「キルオの隠れ家の前で中学生の頃遊んだぞ」
隣りで観ていたカミさんがついにキレて「うるさい!」。
映画の冒頭とラストで舞台となるエレベーターは、仙台の老舗百貨店のそれ。
「今度乗りに行こうかな」
「結構ミーハーなんだね」
原作を既に読んでいるので視点が違うのだ。いや、余裕なのだ。
続いて「猿ロック」。
私はよく知らなかったのだが、コミック原作でテレビ化され人気が出たのだとか。
なぜカミさんがこの映画に拘ったのかというと、謎の美女として登場する比嘉愛未さんのファンだからである。
実を言うと、私は本物の彼女をお見かけしたことがある。
まだNHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」が放送される前に、出張で訪れていた盛岡で、夜間ロケまっ最中の彼女を見たのだ。
スラリと背の高い美人だなというのが第一印象だった。もちろんその時は名前も知らなかったし、何のロケなのかも分からなかったのだが、放送が始まって「ああ、あの時の」と気がついた。そのことをカミさんに話したら、悔しがっていた。ふふふ...
それにしても映画館で半日を過ごしたのは何年ぶりだろう。
小学生の頃、ひとりで映画館に入り、朝から晩まで観ていたことがあった。昔は入れ替わりが無かったので、何回でも同じ映画を観ることができたのだ。
二本立てを3回観終わって、すっかり暗くなってから家に帰ると大変な騒ぎになっていた。私がてっきり誘拐されたのではないかと、両親が警察へ届けを出すところだったのだ。
その晩は親父やオフクロにさんざん説教された思い出が、その日観た映画のシーンと同じような色合いで胸に刻み込まれている。
そんなことをふと思い出したら、何だか鼻の奥がツンとしてきた。
どうやら、花粉症のようらしい。おそらく。
カミさんは「猿ロック」を観たいというが、私は「ゴールデンスランバー」を観たいと意見が割れた。どちらも鑑賞するとなると結構お金がかかるので迷っていたら、夫婦どちらかが50歳以上ならふたりで2,000円だという。ならば両方ともいけるなとニンマリ。
「50歳以上でいらっしゃいますか」の窓口嬢の声に、思わず両手を挙げてしまった。
まず最初は地元仙台でオールロケされた「ゴールデンスランバー」から鑑賞する。
ストーリーは小説を読んで知っていたので、今回の鑑賞の密かな楽しみは、自分が知っている場所がどれだけ画面に登場するかを数えること。
「あっ、エクセル東急ホテルの脇道じゃん」「なんだ、ここで撮ったのか」「あらら、昨日自分が立っていた場所に堺くんが立ってるよ」「なんちゅうこっちゃ、竹内結子さんがボクと同じ場所にクルマを留めた」「キルオの隠れ家の前で中学生の頃遊んだぞ」
隣りで観ていたカミさんがついにキレて「うるさい!」。
映画の冒頭とラストで舞台となるエレベーターは、仙台の老舗百貨店のそれ。
「今度乗りに行こうかな」
「結構ミーハーなんだね」
原作を既に読んでいるので視点が違うのだ。いや、余裕なのだ。
続いて「猿ロック」。
私はよく知らなかったのだが、コミック原作でテレビ化され人気が出たのだとか。
なぜカミさんがこの映画に拘ったのかというと、謎の美女として登場する比嘉愛未さんのファンだからである。
実を言うと、私は本物の彼女をお見かけしたことがある。
まだNHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」が放送される前に、出張で訪れていた盛岡で、夜間ロケまっ最中の彼女を見たのだ。
スラリと背の高い美人だなというのが第一印象だった。もちろんその時は名前も知らなかったし、何のロケなのかも分からなかったのだが、放送が始まって「ああ、あの時の」と気がついた。そのことをカミさんに話したら、悔しがっていた。ふふふ...
それにしても映画館で半日を過ごしたのは何年ぶりだろう。
小学生の頃、ひとりで映画館に入り、朝から晩まで観ていたことがあった。昔は入れ替わりが無かったので、何回でも同じ映画を観ることができたのだ。
二本立てを3回観終わって、すっかり暗くなってから家に帰ると大変な騒ぎになっていた。私がてっきり誘拐されたのではないかと、両親が警察へ届けを出すところだったのだ。
その晩は親父やオフクロにさんざん説教された思い出が、その日観た映画のシーンと同じような色合いで胸に刻み込まれている。
そんなことをふと思い出したら、何だか鼻の奥がツンとしてきた。
どうやら、花粉症のようらしい。おそらく。
それは愚妹の一言から始まった。
「今度の宮崎アニメの主題曲がカワイイよ」
もうすぐ公開される宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」の同名主題曲。
最近テレビなどでもCMが流れているから、耳にされた方も多いと思う。
しかし愚妹から言われるまで、まったく意識していなかったのだが、そんなにカワイイのか、どれどれと思ったのが運の尽き。
テレビのCMをじっくりと観てしまった。
あの単純なフレーズの繰り返し。
(ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ、さかなの子)
そう、それ。
それが耳に残って離れなくなってしまった。
三男がバドミントンの試合の朝。
「ガンバレよ、負けるんじゃないぞぉ!!」と渇を入れる。
でも頭の中ではポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
仕事中、指示通りのことをしない者に「これはこの間もきちんと説明しましたよね!」と注意しながら
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
夕食の買物にカミさんと出かけ、鮮魚売り場を見て回りながら
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
「刺身にする」
寝床に入りながら文芸書を読む。
今回は長部日出雄の「ハードボイルド志願」。
でも、活字を追っていくうちに、頭の中に沸き起こる
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
駄目だ。離れない。
五十男の頭の中は、ただいまポニョでいっぱいになっている。
「今度の宮崎アニメの主題曲がカワイイよ」
もうすぐ公開される宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」の同名主題曲。
最近テレビなどでもCMが流れているから、耳にされた方も多いと思う。
しかし愚妹から言われるまで、まったく意識していなかったのだが、そんなにカワイイのか、どれどれと思ったのが運の尽き。
テレビのCMをじっくりと観てしまった。
あの単純なフレーズの繰り返し。
(ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ、さかなの子)
そう、それ。
それが耳に残って離れなくなってしまった。
三男がバドミントンの試合の朝。
「ガンバレよ、負けるんじゃないぞぉ!!」と渇を入れる。
でも頭の中ではポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
仕事中、指示通りのことをしない者に「これはこの間もきちんと説明しましたよね!」と注意しながら
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
夕食の買物にカミさんと出かけ、鮮魚売り場を見て回りながら
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
「刺身にする」
寝床に入りながら文芸書を読む。
今回は長部日出雄の「ハードボイルド志願」。
でも、活字を追っていくうちに、頭の中に沸き起こる
ポ〜ニョ、ポ〜ニョ、ポニョ...
駄目だ。離れない。
五十男の頭の中は、ただいまポニョでいっぱいになっている。
子供たちの間で囁かれている、まことしやかなうわさ話。
たまたま聞くとはなしに聞いてしまったのだが、何とも後味の悪い話であった。
例えば世界的に有名なテーマパークでは、園内のショップで万引きを働いて捕まっても、警察には引き渡されないというもの。
子供たちの夢の世界だから、大目に見て貰えるといううわさ。
また、あるアトラクションでは、長い行列に割り込んだ子供を、キャラクターの着ぐるみを被ったスタッフが注意したら、解雇されてしまったといううわさ。
もちろん本当の話かどうかは分からない。
それからこんな話も聞かされた。
宮崎アニメの代表作「となりのトトロ」。この物語に登場する主人公のさつきとメイ、そして不思議な生き物トトロ。
このうちさつきとメイの姉妹は、実はこの世の人ではなかったという、少々ショッキングなうわさ話である。
実はこの話は結構問題になったようで、スタジオジブリ側は正式に否定している(2007年5月1日の同社ブログ)。
うわさ話の発端は、物語の途中から姉妹の影が消えていることや、不思議な生き物を追って姿が見えなくなったメイの、なぜか靴が片方だけ残されていたこと(災難に遭ったということを象徴的に表したシーンだという)。
また、さつきがメイを探して同じ災難に遭ってしまった(この段階でふたりはこの世の人ではないというのだ)。
トトロが撒いた一粒のタネが、みるみるうちに成長し巨木となってしまう。さつきとメイはトトロと一緒に風に舞いながら楽しそうに遊ぶ。
その頃、外の気配に起き出した父親は、暗いおもてを見るのだが何も見えない。風の音にいなくなってしまった子供たちのことを思っているのだという。
うわさ話はまだ続く。
母親が入院している病院へ、ネコバスでかけつける姉妹。
病室の外の木の枝に腰掛けて、嬉しそうに母親を見ているふたり。
母親は気配に気がついたものの、やはりその姿は見えない。
何故ならふたりはこの世の人ではないから。
こういった話が出てくるのは、いったいどのような理由からだろうか。
前者の話は一部の子供の願望としても、後者のトトロについては首を傾げてしまう。
深読みすれば、親子関係に問題を抱えた子供たちが作り出した物語と言えなくもないし、或いは問題などまったく無い子供たちによるお遊びなのか。
いやいや、案外大人の仕業かもしれない。
いずれにせよ、オジサンはこのうわさ話を信じてはいません。
たまたま聞くとはなしに聞いてしまったのだが、何とも後味の悪い話であった。
例えば世界的に有名なテーマパークでは、園内のショップで万引きを働いて捕まっても、警察には引き渡されないというもの。
子供たちの夢の世界だから、大目に見て貰えるといううわさ。
また、あるアトラクションでは、長い行列に割り込んだ子供を、キャラクターの着ぐるみを被ったスタッフが注意したら、解雇されてしまったといううわさ。
もちろん本当の話かどうかは分からない。
それからこんな話も聞かされた。
宮崎アニメの代表作「となりのトトロ」。この物語に登場する主人公のさつきとメイ、そして不思議な生き物トトロ。
このうちさつきとメイの姉妹は、実はこの世の人ではなかったという、少々ショッキングなうわさ話である。
実はこの話は結構問題になったようで、スタジオジブリ側は正式に否定している(2007年5月1日の同社ブログ)。
うわさ話の発端は、物語の途中から姉妹の影が消えていることや、不思議な生き物を追って姿が見えなくなったメイの、なぜか靴が片方だけ残されていたこと(災難に遭ったということを象徴的に表したシーンだという)。
また、さつきがメイを探して同じ災難に遭ってしまった(この段階でふたりはこの世の人ではないというのだ)。
トトロが撒いた一粒のタネが、みるみるうちに成長し巨木となってしまう。さつきとメイはトトロと一緒に風に舞いながら楽しそうに遊ぶ。
その頃、外の気配に起き出した父親は、暗いおもてを見るのだが何も見えない。風の音にいなくなってしまった子供たちのことを思っているのだという。
うわさ話はまだ続く。
母親が入院している病院へ、ネコバスでかけつける姉妹。
病室の外の木の枝に腰掛けて、嬉しそうに母親を見ているふたり。
母親は気配に気がついたものの、やはりその姿は見えない。
何故ならふたりはこの世の人ではないから。
こういった話が出てくるのは、いったいどのような理由からだろうか。
前者の話は一部の子供の願望としても、後者のトトロについては首を傾げてしまう。
深読みすれば、親子関係に問題を抱えた子供たちが作り出した物語と言えなくもないし、或いは問題などまったく無い子供たちによるお遊びなのか。
いやいや、案外大人の仕業かもしれない。
いずれにせよ、オジサンはこのうわさ話を信じてはいません。
このところ仕事が忙しく、家に帰ると何もしたくなくなってしまう。社業が順調で忙しいのならまだ救われるが、状況はその正反対だ。思えば会社が設立して、三十三年くらいになるのだろうか。女性でいえば、三十三歳は大厄である。その厄をまともに食らった感じがする。
人間でもそうだが、こういう時はじっと耐えるしかない。じたばたしても仕方がない。待てば必ず風向きが変わってくる。もちろん出来得る限りのことをした上での話だが...。
最近は身体の疲れよりも、精神的疲労の方が大きい毎日だが、今私の唯一の慰めは、BS2で放映されている「男はつらいよ」シリーズを観ることである。
国民的映画と呼ばれるこのシリーズを、正直に言うとあまり観ていないのである。全48作品中、おそらくきちんと観たのは10作品にも満たないのではないか。だから、このNHKの「あゝ失恋48連発」と銘打った今回の企画には大いに期待している。とはいうものの、全部を観ることはおそらく無理だろう。せめて半分くらいは観たいと願っている。
ところで、既に数作品を観終わって、ふと気がついたことがある。今更なあんだと言われそうな気がするが、寅さんは柴又へ帰ってくる時には、必ず江戸川の堤をぶらぶら歩きながら帰ってくるのに、恋に破れて去る時は、風のように電車で去って行ってしまう。
故郷に舞い戻る時の嬉しさと、失恋の辛さをそのような形で表したのだろうが、毎回お決まりとはいえ、実に演出が巧いと思う。
それにしても辛い時には寅さんのように、パアーッとその場から逃げ出せたらどんなにか良いだろうと思うけれど、それが出来ないのが現実だ。悲しいことに寅さんよりも辛い人達が、この世にはゴマンといるのである。
寅さんはそんな彼らの代わりに、遠くへ逃げてくれるのだろう。
人間でもそうだが、こういう時はじっと耐えるしかない。じたばたしても仕方がない。待てば必ず風向きが変わってくる。もちろん出来得る限りのことをした上での話だが...。
最近は身体の疲れよりも、精神的疲労の方が大きい毎日だが、今私の唯一の慰めは、BS2で放映されている「男はつらいよ」シリーズを観ることである。
国民的映画と呼ばれるこのシリーズを、正直に言うとあまり観ていないのである。全48作品中、おそらくきちんと観たのは10作品にも満たないのではないか。だから、このNHKの「あゝ失恋48連発」と銘打った今回の企画には大いに期待している。とはいうものの、全部を観ることはおそらく無理だろう。せめて半分くらいは観たいと願っている。
ところで、既に数作品を観終わって、ふと気がついたことがある。今更なあんだと言われそうな気がするが、寅さんは柴又へ帰ってくる時には、必ず江戸川の堤をぶらぶら歩きながら帰ってくるのに、恋に破れて去る時は、風のように電車で去って行ってしまう。
故郷に舞い戻る時の嬉しさと、失恋の辛さをそのような形で表したのだろうが、毎回お決まりとはいえ、実に演出が巧いと思う。
それにしても辛い時には寅さんのように、パアーッとその場から逃げ出せたらどんなにか良いだろうと思うけれど、それが出来ないのが現実だ。悲しいことに寅さんよりも辛い人達が、この世にはゴマンといるのである。
寅さんはそんな彼らの代わりに、遠くへ逃げてくれるのだろう。
スチームボーイを観た
2004年7月13日 映画
試写会で「スチームボーイ」を観た。
大友克洋監督の最新作。製作年数9年。作画枚数18万枚。製作費24億円というビックスケールなアニメ映画だ。
大友克洋といえば15年前に劇場版アニメ「AKIRA」で世界中を震撼させた日本を代表するクリエーターである。その緻密な作画で数多くのクリエーター達に多大なる影響を与えた人物でもある。
これからこの作品に関しては、多くの映画評が出るであろうから、ここでストーリーの細かな部分の良し悪しを語るつもりはない。むしろ正直に言えば、この映画のストーリーに目新しさも感じられないし、テーマも陳腐とまでは言わないが、科学は誰のために何のためにあるのかという、良く言えば普遍的な、悪く言えば使い古された感じがするものである。また物語の核となるスチームボールも、計り知れないエネルギーが篭められているというシチュエーションは、原子力を暗示していることは明らかだ。当然ながら作者もそのへんのところは百も承知で描いているのだろう。
では何ゆえにそのようなテーマやストーリー設定を試みたのであろうか。
大友監督はこの映画で科学の危うさを風刺したのではなく、未来に夢を持つことが出来ないでいる子供たちのために、何か熱くなれるものを提供したかったのではないかと私は勝手な憶測をしている。ストーリーやテーマが古典的かつシンプルであるからこそ、観客にメッセージが伝わりやすいことを計算した結果ではないだろうか。
ついでに「熱くなれること」=「スチームボーイ」と引っ掛けたみたのだが、これは私の考え過ぎか。
それにしても、この手の映画を見たときには、いつも私は気に入る、気に入らないに拘らず、作者とそのスタッフの情熱と労力に対して心から敬意を表するのだ。
今回は特に作画とCGが巧みに融合され、映像表現の領域がさらに大きく広がった。登場するメカの動きや音響も見事の一言に尽きる。日本のアニメ界はまたひとつの傑作を世に送り出したといえよう。
大友克洋監督の最新作。製作年数9年。作画枚数18万枚。製作費24億円というビックスケールなアニメ映画だ。
大友克洋といえば15年前に劇場版アニメ「AKIRA」で世界中を震撼させた日本を代表するクリエーターである。その緻密な作画で数多くのクリエーター達に多大なる影響を与えた人物でもある。
これからこの作品に関しては、多くの映画評が出るであろうから、ここでストーリーの細かな部分の良し悪しを語るつもりはない。むしろ正直に言えば、この映画のストーリーに目新しさも感じられないし、テーマも陳腐とまでは言わないが、科学は誰のために何のためにあるのかという、良く言えば普遍的な、悪く言えば使い古された感じがするものである。また物語の核となるスチームボールも、計り知れないエネルギーが篭められているというシチュエーションは、原子力を暗示していることは明らかだ。当然ながら作者もそのへんのところは百も承知で描いているのだろう。
では何ゆえにそのようなテーマやストーリー設定を試みたのであろうか。
大友監督はこの映画で科学の危うさを風刺したのではなく、未来に夢を持つことが出来ないでいる子供たちのために、何か熱くなれるものを提供したかったのではないかと私は勝手な憶測をしている。ストーリーやテーマが古典的かつシンプルであるからこそ、観客にメッセージが伝わりやすいことを計算した結果ではないだろうか。
ついでに「熱くなれること」=「スチームボーイ」と引っ掛けたみたのだが、これは私の考え過ぎか。
それにしても、この手の映画を見たときには、いつも私は気に入る、気に入らないに拘らず、作者とそのスタッフの情熱と労力に対して心から敬意を表するのだ。
今回は特に作画とCGが巧みに融合され、映像表現の領域がさらに大きく広がった。登場するメカの動きや音響も見事の一言に尽きる。日本のアニメ界はまたひとつの傑作を世に送り出したといえよう。
久し振りに映画紹介です。
「これ、面白いですよ」と言われて、同じ職場の女性が貸してくれたのは「ガタカ」でした。
ちょっとかわったタイトルですが、この映画には最近日本でも大ヒットした「キル・ビル」のユマ・サーマンが出演しており、キル・ビルの時とはまた違った演技がみられますので、彼女のファンなら必見でしょう。また、主演はイーサン・ホーク。そして「A.I」や「スターリングラード」などでおなじみのジュード・ロウ、私の世代にはアクの強い悪役としておなじみのアーネスト・ボーグナインなど演技派揃い。
さて、そのストーリーはというと、未来の地球は遺伝子工学の発達によって優秀な遺伝子を組み合わせて生まれた「適性者」が支配していました。そんな折り、自然出産で生まれた「不適性者」のヴィンセント(イーサン・ホーク)は、宇宙飛行士になる夢をかなえるため、DNAブローカ一の紹介でジェローム(ジュード・ロウ)という青年の適正者IDを買い取ります。ジェロームになりすまして宇宙局ガタカの局員となったビンセントでしたが、ある日社内で殺人事件が起き、現場にヴィンセントとしての毛髪が落ちていたことから、窮地に追いやられていく...、というもの。
ビンセントの素性に疑いを抱く女性局員アイリーン。更に適正者でありエリート捜査官となった弟アントンの介入。果たしてヴィンセントは宇宙飛行士の夢を叶えることが出来るのだろうか。中盤あたりからハラハラドキドキの展開になっていきます。
見どころはいろいろありますが、ヴィンセントとジェロームの友情、それに弟アントンとの確執などに「ドラマ」が盛り込まれ、作品に深みを与えています。特に印象的なのは終盤近く、ジェロームがとった選択です。私にこのDVDを貸してくれた女性はあまりの切なさに、思わず泣いてしまったそうです。
SF嫌いのカミさんに「面白ガタカ?」と聞いたら、久し振りに「面白ガタ」と言ってくれた記念すべき作品でもあります。
休日にお勧めの一本です。是非、ご覧あれ。
「これ、面白いですよ」と言われて、同じ職場の女性が貸してくれたのは「ガタカ」でした。
ちょっとかわったタイトルですが、この映画には最近日本でも大ヒットした「キル・ビル」のユマ・サーマンが出演しており、キル・ビルの時とはまた違った演技がみられますので、彼女のファンなら必見でしょう。また、主演はイーサン・ホーク。そして「A.I」や「スターリングラード」などでおなじみのジュード・ロウ、私の世代にはアクの強い悪役としておなじみのアーネスト・ボーグナインなど演技派揃い。
さて、そのストーリーはというと、未来の地球は遺伝子工学の発達によって優秀な遺伝子を組み合わせて生まれた「適性者」が支配していました。そんな折り、自然出産で生まれた「不適性者」のヴィンセント(イーサン・ホーク)は、宇宙飛行士になる夢をかなえるため、DNAブローカ一の紹介でジェローム(ジュード・ロウ)という青年の適正者IDを買い取ります。ジェロームになりすまして宇宙局ガタカの局員となったビンセントでしたが、ある日社内で殺人事件が起き、現場にヴィンセントとしての毛髪が落ちていたことから、窮地に追いやられていく...、というもの。
ビンセントの素性に疑いを抱く女性局員アイリーン。更に適正者でありエリート捜査官となった弟アントンの介入。果たしてヴィンセントは宇宙飛行士の夢を叶えることが出来るのだろうか。中盤あたりからハラハラドキドキの展開になっていきます。
見どころはいろいろありますが、ヴィンセントとジェロームの友情、それに弟アントンとの確執などに「ドラマ」が盛り込まれ、作品に深みを与えています。特に印象的なのは終盤近く、ジェロームがとった選択です。私にこのDVDを貸してくれた女性はあまりの切なさに、思わず泣いてしまったそうです。
SF嫌いのカミさんに「面白ガタカ?」と聞いたら、久し振りに「面白ガタ」と言ってくれた記念すべき作品でもあります。
休日にお勧めの一本です。是非、ご覧あれ。
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私事ながら、高校生の頃に書いた短編小説と酷似した部分があり、ちょっとニンマリしてしまった。が、しかし、物語が進むにつれ、そんな思いもどこへやら。小心な私は画面も正視できないような状態に。
この映画はSFホラーといったら良いのでしょうか。いわゆる細菌ものであり、感染者は凶暴化。そしてわずかに生き残った非感染者は生存をかけての逃亡が始まる...。
どうしても「ゾンビ」や「バイオ・ハザード」を連想してしまうが、それとはまったく異質な映画であることに気がつくでしょう。なかなか深い人間ドラマもありますし、本来ならば味方であるべきはずの者同士が、殺し合いを始めてしまうあたりが、実は一番怖いかもしれません。
劇場で公開されたときのラストシーンと、このDVD版ではまったく違った終わり方になっており、特典映像として劇場版のラストを観ることができますが、なんでも監督と配給会社の意見の対立による結果だとか。イギリス映画らしい終わりは特典映像のほうで、ハリウッド的ラストはこのDVD版本編の方とだけ申しておきましょう。
この映画はSFホラーといったら良いのでしょうか。いわゆる細菌ものであり、感染者は凶暴化。そしてわずかに生き残った非感染者は生存をかけての逃亡が始まる...。
どうしても「ゾンビ」や「バイオ・ハザード」を連想してしまうが、それとはまったく異質な映画であることに気がつくでしょう。なかなか深い人間ドラマもありますし、本来ならば味方であるべきはずの者同士が、殺し合いを始めてしまうあたりが、実は一番怖いかもしれません。
劇場で公開されたときのラストシーンと、このDVD版ではまったく違った終わり方になっており、特典映像として劇場版のラストを観ることができますが、なんでも監督と配給会社の意見の対立による結果だとか。イギリス映画らしい終わりは特典映像のほうで、ハリウッド的ラストはこのDVD版本編の方とだけ申しておきましょう。
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