昨年の9月24日の日記に「クルマ選びな日々」と題して、自動車選びのドタバタを書いた。しかしその後、我が家の状況が変化して、息子に私の小さなクルマを譲っても仕方がないような話になってしまった。
その状況の変化とは、もう一人子供が生まれることになった、つまり私の孫が増えることになったのである。そうなると、息子に譲ろうと思ったクルマでは、狭すぎて役に立たない。結局、チャイルド・シートを2つ載せても余裕のあるようなクルマが必要との結論に至ったわけである。
しかしながら、若い息子夫婦に資金的な余裕はない。これから子育ても大変だし、ローンを組むのも考え物だ。そうなると、必然的に私をあてにしてくることになる。
もしこれが、息子が欲しいと言うのなら「自分で金を貯めて買え」の一言で終わるのだが、「孫たちがじいじと一緒に旅行がしたいと言っている」と言われると、一番の急所を衝かれてしまうことになる。
そして恐れていた通り、息子が「孫たちがじいじと一緒に旅行がしたいと言っている、はずだ」と言い出した。「はずだ」が引っかかるが、「孫たち」という言葉が胸を抉る。
ちなみに孫たちのうちの一人は、まだお腹の中にいる。霊感の強い息子には「クルマが欲しい。出来れば1BOXカーが欲しい」と聞こえたそうだ。

そして、この間の日曜日。長男の友人が勤めるH社の展示場をみんなで訪問する。ズラリと並んだ美しいクルマの数々。その中にお待ちしていましたとばかりに、1台の1BOXカーが我々の目を釘付けにした。
内部は広くてゆったり7人は乗れる。荷室も広いから、ベビーカーもそのまま載せられそうだ。子供が飽きないように、後席ではテレビを観ることが出来る。
セールス氏はその他にも使い勝手の良さを色々と説明してくれたが、それを聞き入る家族の表情は、もうこれに決めたといった顔つきだった。

私のへそくりはすべて潰えた。
欲しかったカメラやレンズの数々も、遠い彼方へと消え去った。
でも、これで家族が、特に孫たちが喜んでくれるなら良い買い物だ。そう思いつつも、私の微笑みはいつも以上に引きつっていた。

平成10年から乗り続けてきた我が愛車をついに手放すことになった。
理由の一番は維持費の問題。とにかく点検に出す度に問題箇所が指摘され、その都度10万、20万と請求される。さらにガソリンの高騰も大きなダメージだ。
なにしろ3人の息子たちと同様に、この4番目のムスコも大食漢。
好物のガソリンをあっという間に平らげてしまう。
満タンにしたはずのガソリンが、ちょっと走っただけ(感覚的なものだが)なのに空になっている。
そこで最近の燃費を計算してみたところ、1リッターで4キロくらいしか走っていないことがわかった。まさに時代に逆行したクルマというわけだ。
そして二番目の理由は、成人した2人の息子がそれぞれクルマを持ち、家族全員で遠出をする機会も無くなったこと。
8人乗りのクルマもカミサンと2人だけでは、空気を運んでいるようなものだ。
しかしそんなクルマではあったが、この14年間に実に様々な思い出を作ってくれた。購入した当時はまだ幼かった息子たちだが、社会人になるまで彼らの面倒をよく見てくれた。
大食いだったが愚痴ひとつこぼさずに頑張ってくれた我が愛車に、最後の日は日本酒をかけて労をねぎらい、家族全員で記念写真を撮影した。
撮影直後の雨は、きっと涙雨だったのかもしれないと、カミサンとふたりでしんみり。
ストーブ列車
ストーブ列車
休みが取れたので、一番下の息子と二人で津軽鉄道のストーブ列車に乗ってみようということになった。
仙台からはやぶさに乗車し、終点の新青森駅までおよそ1時間半。そこから弘南バスで津軽五所川原駅まで1時間ほどで到着。
次のストーブ列車までさらに1時間少々時間があったので、駅構内の撮影をしたりして時間を潰す。
そこには北国でしかお目にかかれないレトロなラッセル車や、朽ちかけた旧型客車などが留置されており、ただ見ているだけでも飽きが来ない。
そうこうしているうちに、上りのストーブ列車が入線してきたので、慌てて駅舎へ駆け込んだ。

ストーブ列車に乗るためには、乗車券のほかにストーブ列車券(500円)が必要。途中駅の金木までの乗車券も購入してプラットホームへと急いだ。
この日は平日だったが、ほどなくして6割くらいの席が埋まった。
最初息子はストーブの前に陣取ったが、私がそこはやめておいた方が良いと忠告。渋々隣りの席へ移動したが、そこへ吉永小百合ばりの雰囲気を漂わせた二人の女性が腰をおろした。
おそらくこのような達磨ストーブは初めて見たのだろう。最初は少女のように目を輝かせて、物珍しそうにしていた二人だが、次第に火勢が強くなると顔が赤く火照ってきた。
添乗しているアテンダントにスルメを焼いてもらっていたが、出来上がった頃には
一杯ひっかけたような顔色に。
反対側の窓側に座っていた私は、ほど良い暖かさに思わず眠気が。
まだ小学生だった頃、教室の薪ストーブの前に座っていた生徒は、いつも顔が真っ赤だったことを思い出した。

心地よいジョイント音とスルメの焼けた匂いに包まれながら、しばし現世の諸事を忘れたひとときであった。

ある催し物で考えたこと
先日息子にせがまれて、鉄道祭りなる催し物に出かけた。
東京にいた頃には、住んでいた所から近かったこともあって、秋葉原の交通博物館へはよく足を運んだものだが、いまだに息子が鉄道に興味を示すのは、その影響が大きいのかもしれない。
会場は某デパートの催事場。チケット代800円を支払って中へと入る。
こういう鉄道物のメインに据えられるのは、必ずといってよいほど鉄道模型のジオラマである。
今回も会場の中央に大きなジオラマが作られ、HOゲージのカラフルな車両が走り回っていた。
その周りを大勢の人が取り囲み、ビデオカメラなどに収めている。
息子も目の色を輝かせ、食い入るように見入っていた。
私は昔の国鉄色というか、地味で控えめな車両の色を見て育った世代なので、最近のJR車両の洗練された鮮やかな色彩には少々ついていけないところがある。そのせいか旅のイメージも昔と今とでは大分違ってきているのではないかとさえ感じる。
まあ、それはさておき、この会場には私にとって懐かしいコーナーがあった。それは廃止されて30年は経つ、仙台市電のコーナーである。
壁には当時の映像が映写されて、久し振りに懐かしい町並みも見ることができた。
昨年函館に行った時に、仙台で活躍していた車両と再会することができたが、随分長持ちするものだと感心した。
復活は難しいかもしれないが、地下鉄のように莫大な建設費はかからないし、排気ガスも出さないそれこそ地球に優しい乗り物である。
自動車の邪魔になるという意見もあるが、環境のことを考えたらそのぐらいは我慢というもの。
久し振りにそんな真面目なことを考えながら、会場をあとにした。
くりでん撮影その後
 今春から始めた「くりはら田園鉄道」の記録撮影も、気がつけば秋の部へ突入した。
 桜花の舞う早春の風景から、積乱雲が沸き立つ真夏の田園風景、そして黄金に実る稲穂の原と、それぞれの季節を駆け抜けるエンジ色の単行車両。実に様々な表情を見せてくれる「くりでん」の四季を撮り続けた。
廃線まで残すところ半年余りとなってしまったが、これから迎える冬の撮影をもって自分の撮影活動も一応の終了を迎える。

 それにしても、どうしてそんなに「くりでん」にこだわるのだろうかと自分でも不思議になる。
 赤ん坊の頃に、浦町駅の古びた改札口から、よくお袋の背中におぶさって汽車を見ていたという。きっとそんな記憶が、心のどこかに残っているせいだろうか。その時の駅舎や施設は、きっと「くりでん」の雰囲気と同じような気がするのだ。

 もし機会があれば、是非この鉄道に乗車されますように。特に四十代以上の方であれば、きっと気に入ってもらえることだろう。いや、若い人でも大いに結構。その古さが必ずや新鮮に思えるはずだ。
 ここには日本が失ってしまったものが、まだ沢山残っている。

※浦町駅 国鉄時代、東北本線にあった駅。青森駅の次の駅だった。詩人の寺山修司の作品にも出てくる。東北本線全線電化に伴い昭和43年7月21日に浪打駅と共に廃止された。
宇都宮ギョーザ食べました
 思い返すと学生の頃、旅に出かける時の心配事といえば宿代のことだったかもしれない。汽車賃ならば学割がきいたので、さほど気にはならなかったものだが、宿代だけは大人も学生も変わりがなかった。
 そのため宿代を浮かそうと、随分酷い宿に泊まったものだ。
 今でもあるといけないので実名は出さないが、札幌のとある旅館では、部屋の床が相当傾いていた。仲居さんも慣れたもので、布団を敷くときに「枕は床の高い方にしときましたから」という。そりゃそうだろう。低い方にされたのじゃ、頭に血が上ってしまう。
 当時で一泊素泊まり二千円くらいだっただろうか。そんなところにばかり泊まっていた。
 ところが今はどうだろう。長距離急行や鈍行列車がどんどん消え失せてしまい、列車選択の余地が無くなってしまった。そのおかげで遠くに行くならば、否が応でも高い料金を支払って新幹線を使わなければならない。宿代よりも運賃を気にするようになってしまった。
 以前から感じていたことだが、新幹線はなんだか移動するだけの手段(道具)にしか思えないのである。
 仕事にはいいが、旅情を楽しむ鉄道の旅はもう出来ないのだろうか。
 答えは、否である。
 時刻表を見ると、乗り継ぎではあるが、上野から仙台まで鈍行だけで行けることが分かった。
 そこで上野発10時40分発の宇都宮行き普通列車に乗り込んだ。車内もガラガラで快適である。いつもは新幹線からの眺めも、何故だか新鮮に見える。
 宇都宮までの2時間は、車窓を眺めたり本を読んだりでゆっくりと過ごす。実に贅沢である。そしてそろそろ尻が痛くなってきた頃に、電車は宇都宮駅のホームへと滑り込む。時刻も12時を回っている。
 宇都宮といえば餃子が有名だが、せっかくだからと駅前を探索し、一軒の食堂を見つけて暖簾をくぐる。単品でラーメンと一皿320円の餃子を頼む。
 うん、美味い。噛むたびに熱い肉汁が口中に広がる。それにラーメンもオーソドックスながら、昨夜恵比寿で食べた「柚子しおラーメン」に引けを取らない味だ。
 餃子のハシゴをしてみたいところだが、次の黒磯行きの発車時間が迫っていたため、今回は一軒だけで我慢する。そして再び車中の人へ。
 黒磯行きの普通列車は先ほどの列車よりもやや混んでいたが、腹がいっぱいになったせいで、強烈な睡魔が襲ってくる。一時間あまりの旅も、ほとんど夢心地で過ごし、気がつけば終点のアナウンスが。
 実は黒磯に降り立つのは今回が初めて。駅前に出てみたが特に何もなし。別荘地への入り口とも聞いたが、そんな雰囲気は微塵も感じられなかった。でも、それはそれでいい。我が東北にはもっと寂れた町が沢山あるし、ここはまだ良い方だよと誰に言うでもなく呟く。
 長い時間をプラットッホームで風に吹かれながら過ごし、郡山からの折り返し普通列車に乗り込む。郡山に着けばもう自分のテリトリーである。仙台に着いたも同然だ。
 郡山までのさらに1時間は、気合を入れて車窓の風景を楽しむ。
景色も寂しさを増していき、ああ、東北に戻ってきたのだと感じる。
 郡山からはバスに切り替えて仙台を目指す。さらに運賃が安くなるからだ。
 結局仙台に着いたのは18時であった。上野を出てから実に7時間30分が過ぎていた。通常の3倍の時間をかけた旅だったが、運賃はいつもの半分ちょっと。昼食をとったり、郡山では駅弁を買ったりしたけれども、それでも十分にお釣がくる。
 学生気分にちょっとだけ戻れた、実に気分のいい旅だった。
仙台モーターショウ
 半分眠ったオツムに、たまには刺激を与えないといけないというわけで、仙台モーターショウに出かけてみた。仙台新港にある夢メッセで開催されたこのモーターショウは、仙台では初めての試みだとか。クルマ好きの三男坊にせがまれて出かけてはみたものの、とにかく会場に着くまでが大変だった。
 いつもそうなのだが、この夢メッセで大きな催し物がある時は、大抵付近の道路は大渋滞になってしまう。普段なら我が家からクルマで10分もあれば着くような場所なのに、1時間半もかかってしまった。これなら歩いた方が早いくらいだ。クルマを観に行くのに、歩いた方が良いなんてちょっと皮肉な話だ。
 さて、広い会場に入ると、そこは人また人で溢れ返っている。息子はひとり興奮して、カメラを手に走り出していく。見失ってはいけないと、その後を必死に追うのだが、各ブースで笑顔を振りまくコンパニオンが目に入り、ついには見とれて立ち止まり、そのうち息子などどうでもよくなってしまった。
 「すみませんが、写真を撮らせて頂けませんか。ボクは女性モデルを専門にしているカメラマンなのです。風景写真なんか興味ありません。女性オンリーで撮ってます」
 手にしたデジタルカメラでパチパチと撮りだす。そこはさすがにプロのモデルさん。撮られると言うよりも、撮らせてあげるという感じだ。
 せっかく調子良く撮影していると、いつの間にか他の親父たちがカメラを持って割り込んでくる。おい、邪魔するなよと言いたくなるが、そこはこちらも大人である。黙って次のブースへと移動する。だが、そこでも状況は変わらない。結局また次のブースへと移動する。そんなことを繰り返しているうちに、完全に息子とはぐれてしまった。
 だがそこは親子である。きっとレースクイーンのいる辺りで、にやけているに違いないと思い、ホンダのコーナーを覗いてみたら、本当に息子がレース・クイーンの傍でにやけて立っていた。何となく情けなくなりながらも、息子のことを言える立場ではないと思いつつ、その腕を強引に引っ張って帰路についたのである。
少しずつではあるが長男の運転にも慣れてきた。やはり若さと言うのだろうか、飲み込みが総じて早いのである。部活で遅くなった二男を学校まで迎えに行ってもくれる。親としては楽になった。これなら父親が酔っ払って前後不覚に陥っても、きっと迎えに来てくれることだろう。
まあ、それはさておき、やはりどんなに息子の運転が上達したとしても、助手席に乗り込むと真っ先にシートベルトを装着する。
実をいうと、今日、ある交差点で乗用車どうしの衝突事故に出くわした。信号機のある大きな交差点だったのだが、一台のクルマは跳ね飛ばされたように歩道に乗り上げ、その横っ腹は大きく抉られていた。そしてもう一台は交差点の真ん中にボンネットが激しく潰れ、ラジエターから濛々と蒸気が上がった状態で停まっていた。
30代の男性と20代の女性がそれぞれ運転をしていたようだったが、おそらく二人ともケガをしている可能性があった。
どのような状況でそうなったのかは分からない。しかし、見通しの良さなどを考えると、どちらにも心の隙があったように思える。改めて交通事故の怖さを思い知った次第だ。
幸い二人ともシートベルトをしていたようなので、おそらく大事には至らなかったと思うが、そのシートベルトで少々気になることがある。それは新幹線には何故シートベルトがないのだろうかということだ。
航空機やクルマには必ずあるのに、どうして新幹線にはないのだろう。出張が多く、新幹線に乗る機会が多い私には、常日頃から疑問に思っていたことのひとつである。
300キロ近い猛スピードで走行する乗り物に、シートベルトが装備されていないのは、高速走行車両としてはおそらく新幹線だけではあるまいか。それとも絶対安全であるという自信から装備を外してしまっているのだろうか。仮にシステム上安全であったとしても、新潟の地震の時のように脱線してしまうことだって考えられる。また繁忙期には乗車率が100%を超えるのだから、立席を許す高速輸送手段というもの自体如何なものか。
ちなみに今週、その新幹線に出張で乗らなければならないのだ。JRさんに一度このあたりの見解を伺ってみたいと思う。
 友人の亜茶羅氏がついに車を廃車するそうな。彼の外車には私も随分とお世話になった。そういえばSさんやMさんと三人で乗ったこともある思い出の車だが、亜茶羅氏という運転手付の外車で撮影旅行とは今思うと贅沢の極みであった。
 彼の車の走行距離が21万キロというから、地球をおよそ5周した計算になる。そこまで走れば車も本望というものではないだろうか。ちなみに私の車は平成10年に購入したが7年目にして5万キロに満たない。撮影行を目的に購入したのに、肝心の撮影に行く時間が取れなくなってしまったのだからどうしようもない。その車も今年3回目の車検を迎える。この車検費用というのは結構大変な金額になる。前回の車検時もかなりの出費だった。亜茶羅氏の話ではないが、外車や大型車が欲しいのならそれなりの覚悟を持って購入すべきだろう。車検費用だけではなく、普段の維持費も馬鹿にはならない。
 ちなみに私の車は市街地走行でリッター4キロである。高速では6.5キロくらいだろうか。環境にも優しくないし、私の財布にも優しくない。大飯し喰らいの息子をもう一人抱えてしまったような感じだ。
 その点、私のもう一人の友人であるTO君は、軽自動車をいつも軽快に乗り回している。近場は勿論のこと北海道だって簡単に一周してきてしまう。気楽に乗れるし、なによりお金がかからない。普通乗用車に比べればはるかに維持費が安いのだ。燃費もケタが違うし、税金だってかなり安い。難点をあげれば安全性の面くらいだろうか。
 車検の時期が近づくたびに気持ちが澱んでくることを思えば、いっそ軽自動車に鞍替えし、気分的に晴れやかになった方が良いのかななどと考える今日この頃なのだが、さて亜茶羅くん、如何なものだろうか。

顔写真

2004年9月1日 乗り物
 運転免許証の更新手続きをしに免許センターまで出かけた。ちなみに私はゴールド免許。五年ぶりの訪問だ。受付時間は午前8時30分から9時30分までの一時間。それを逃すと午後の部ということになってしまう。
 免許センターは家から結構離れた場所にあるので早目に出かけたつもりだったのだが、それでも広大な駐車場は既に車で一杯になっていた。
 館内に入ると各窓口はどこも長蛇の列である。仕方なく案内に従って行列の最後尾についた。これは相当時間がかかるかなと諦め気分でいたのだが、窓口の係員が手馴れていたために、それほど待たされることもなく自分の番が回ってきた。一通りの書類手続きを終えると、次は適正検査である。この適正という言葉が妙にひっかかる。
(あなたは五年前に比べて知力と容姿が相当衰えています。今回は免許をあげるわけにはいきません)などと言われたらどうしようなどと、ついいつもの妄想癖が沸き起こる。
 ガックリと肩を落としながら、免許センターの玄関を出て行く自分の後姿を夢想しているうちに自分の番になった。
「ハイ、視力をはかります!上下左右で答えてください!」
 適性検査とは視力検査のことだった。知能検査でなくて良かったと思ったのも束の間、双眼鏡のようなレンズを覗き込むと、例のCマークがよく見えない。正直これには焦ってしまった。自分でも視力が衰えてきたことは感じていたものの、ここまで悪くなっていたとは思わなかった。
 結局裸眼のボーダーラインである、両目で0.7をなんとかクリアしてぎりぎりセーフ。5年後にはどうなっていることだろうと一抹の不安を覚えながら、次はいよいよ顔写真の撮影となった。
 今は古い免許証は回収されてしまうようだが、昔はそのまま持っていることができた。私も初めて取得した18歳の時から、その後数回の更新分までの免許証を持っている。これを並べてみると実に面白い。自分の顔で面白がっても仕方がないが、骨と皮のような若い頃の写真から、次第に膨らんでいく自分の顔。その時々の生活状態や仕事の調子が顔に表れている。まさに目で見る自分史のようだ。
 30分の講習が終了すると、新しい免許証が即日交付される。早速受け取るとめまいが私を襲った。
(なんだ、この顔は!)
 ふんぞり返って、上から見下げるような顔。それも怒ったような仏頂面だ。撮影時、椅子に腰掛けた私に「はい、もう少し背もたれに寄りかかってください」という一言に、猫背気味の私は素直に従ったのだが、その結果がコレだ。おまけにアゴを極端に引いたので二重アゴ状態だ。
 この極めて不本意な免許証と、あと5年をともに過ごさなければならない。そう思うと急に気持ちが落ち込んでしまった。
 ガックリと肩を落としながら免許センターの玄関を出て行った私。先ほどの夢想は現実となってしまったのだった。
 我が愛車にカーナビというものを取り付けた。知人が新品のカーナビを買ったので、それまで使っていたカーナビがいらなくなり、それを貰ったのだ。使っていたと書くと中古品のようだが、実際には数日間使用しただけですぐに外してしまったものである。だから新品と同じといっていい。
 さすがに「あげる」と言われた時は、高額の品物だけに躊躇したが、埃を被っているだけだから遠慮せずに貰って欲しいと言われ、それならばと甘えてしまった次第だ。
 この知人はいわゆる機械マニアというか、新らし物好きとでもいうのか、新製品という言葉に弱いようだ。私にカーナビをくれたその日に、新製品のパソコンとプリンター・FAXの複合機を購入してしまった。以前聞いた話では、パソコンやプリンターは既に複数持っていた筈だ。それなのにまた買ってしまったことになる。確かETCが出始めた頃も、すぐに車に取り付けて「便利だよ」としきりに私へ勧めていた記憶がある。
一体どこにそんなお金があるのだろうかと常々不思議に思っていたのだが、噂ではかなりな資産家とのこと。年齢は私より20歳も年上。きままな独身暮らしでお金も自由となれば、そういうことも出来るのだろう。
 カーナビを取り替えた理由は、ダッシュボードの上に取り付けるタイプだったために、前が見難いからというものだった。新しく取り付けたカーナビは、インパネの中から始動と同時に画面が出てくるもので、視界も遮らない。一度見せてもらったが、なかなかカッコイイものだった。
 さて、カーナビはただで貰ったものの、当たり前のことながら取り付けは自腹を切らざるを得ない。しかしこれが結構高い金額で、あちこち業者をあたってみたら相場は15,000円から20,000円くらいであった。
 なんとかお金を捻出して取り付けると、早速息子を車に乗せて試運転。3D画像に次々現れる映像に驚きの声をあげる息子。試しに自宅までの検索をさせて走り出すと、音声と映像で次々に指示が出る。ところがそのうち息子が声を上げた。
「お父さん、この指示だと公園のまん中を走るよ!」
「あれ、お父さん。この橋は車が通れない橋だよ!」
言われて画面を見ると確かにそうだ。
 (そんなに古いデータじゃない筈なんだがな)と首を傾げながら、結局最後は自分の走り方で家へ辿り着いた。
 翌日も同様に知り合いの家をカーナビ頼りに訪ねてみたのだが、なんだか遠回りになってしまった。
 同乗していたカミさんが「結構バカなのね」と一言。
 でも、アンタの案内による人ナビよりは、ずーっと正確ですからっ!!残念っ!!
                (波田陽区風に終わります)

エルグランド

2004年4月27日 乗り物
 ある著名な自動車評論家が、このクルマを酷評していた。その第一の理由に凶悪な顔つきとあった。まあ、好みの問題だけれども、そんなに凶悪な顔つきかなあと首を傾げてしまうのだ。
 初期のエルグランドはむしろ真面目そうな顔つきだと思う。真面目そうだけれどもその車格から、どうしても威風堂々というイメージが付き纏う。そんなところを嫌う人もいるだろうし、おそらくはその評論家もそこをついたのであろう。だがしかし、例えは悪いが、ペット犬だって結構個性的な顔をしているヤツだっているし、買主はそれが良くて飼うわけだから、顔つきの美醜を他人様に云々されるのは余計なお世話というものだ。
 それからもうひとつ。「田舎のおにいちゃんが一人で乗って悦に入っている」といったようなことも書かれていた。これまた余計なお世話だ。あなたは本当に自動車評論家なのかと疑いたくなる。
 このクルマは8人乗車が出来るから、核家族の多い都市部より、大家族の多い郡部などでの需要が見込めるクルマなのだ。田舎のおにいちゃんの話はそんな光景を一度だけ見て書いたのじゃない?
 日常の使い勝手のことで言えば、確かにエルグランドは狭い道をせこせこ走るクルマではない。高速道や広い道を高速移動するためのクルマなのである。だが私のように重装備の写真機材を積んで、宿泊まで出来るこのクルマは最高の相棒なのである。
 評論家氏よ、あなたはその評論から察するに、ご自身の体格からは似合わぬ小さいクルマをお好みのようであるが、あなたを乗せるクルマが可哀相というものよ。むしろあなたこそこのクルマに乗るべきであろう。
 ところでエルグランドは三列目が一番いい。ファーストクラスと言われるだけあって、ゆったり座れて乗り心地も最高である。なにより静かなのが嬉しい。最前列も静かだが、三列目はエンジン音さえほとんど気にならないくらいだ。長距離クルージングにはもってこいのクルマである。
 燃費は街中でおよそ4km/l、高速道では6km/lくらいか(3300cc、ガソリン)。新型エルグランドではもう少々落ちるだろう。
 視界が広く、女性にも扱いやすいクルマだと思う。

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