半沢直樹「アルルカンと道化師」
普段はあまりテレビドラマを観ない私だが、毎週欠かさずに観ていたのが「半沢直樹」だった。
ドラマの内容についてはあえて触れないが、主人公の発する決め台詞「倍返しだ」は、幼稚園児まで口にしているという話を耳にして思わず笑ってしまった。
この大ヒットテレビドラマの第一期は2013年に放送されたが、ドラマ化される何年か前に原作となった「オレたちバブル入行組」と「オレたち花のバブル組」の二冊を単行本で読んでいた。
当時は企業小説などほとんど興味が無かったが、読み始めたらこれがとても面白い。
しかも私の叔父が銀行員で、その苦労話は叔母から事あるごとに聞かされていたので、この小説がよりリアルに感じられたものだ(叔父は決して口にはしなかったが)。
これは私の個人的感想だが、原作があってそれが映像化、実写化された場合、大抵は失敗に終わるような気がする。特にキャスティングが成否の鍵を握っていると思う。その点、半沢直樹シリーズは第一期も第二期も見事に成功した。
正直に言えば、役者の皆さんの演技は大仰にさえ感じたが、この作品に関して言えばそれで正解だったのだ。
考えてみたら、やられたらやり返すのパターンは古くから日本にあった。その代表格が「忠臣蔵」だろう。仮名手本忠臣蔵は歌舞伎の演目でもあるし、それを知ってか知らずか半沢直樹に歌舞伎役者を大勢配したのも頷ける。
さて、今回のシリーズも終了し、或る意味半沢直樹ロスに陥っているが、同シリーズの最新刊「アルルカンと道化師」を早速入手し一晩で読み終えた。
これはテレビドラマの続きではなく、東京中央銀行大阪西支店で半沢直樹が融資課長を務めていた時代へと遡る。
美術系出版社の買収を企てる大手IT企業と、それを強引に推し進めようとする銀行営業本部。それに真っ向から抗う半沢直樹の活躍に睡眠時間も忘れて没頭してしまった。
ところで半沢直樹といったら、やはり主演の堺雅人さんが定着してしまっている。本を読んでいても、彼の姿が目の前に現れる。そんな堺雅人さんについての話を、次の日記に書きたいと思っている。

生き物の死にざま
今年も気がつけば9月になってしまった。しかし、気持ちがそれに追いつけない。
自分の感覚的には猛暑の夏から未だ抜け出せないでいる。それを順応性の低下と言われてしまえば、返す言葉が見つからない。
さて、今年は平成が終って、令和という新しい時代を迎えた記念すべき年だが、私の中で変わったことと言えば読書量の低下くらいだろうか。
もう十数年に亘り、購入した本や読んだ本をデータベース化しているのだが、改めて見直してみたら2008年がピークで、この年は460冊を読んでいた。その後、徐々に減り始めて、今年はこの8月末で140冊余であった。
ちなみに2008年は8月末までに212冊を読んでいるから、その時に比べると3割強もダウンしたことになる。
まあ個人的なことなので、皆様にはそれがどうしたと言われそうだが、自分の中で薄々ながら気が付いている集中力と気力、体力の低下が数字に現れたとものと、気落ちしている次第である。
それでも本の渉猟が止められないのは、読書欲よりも惰性が身体に沁みついてしまったからだろう。
さて、そんな私が最近或る一冊の本に出会った。そして久しぶりに心を揺さぶられる経験をした。その本のタイトルは「生き物の死にざま」という。
この本で紹介している生き物とは、虫や魚や小動物に鳥など様々だ。それらの生き物の最期の姿が記されているのが本書だ。
例えば石の下などによくいる「ハサミムシ」。
石を取り除くとハサミで威嚇してくるものの、逃げようとはしない。
その傍らには産みつけられた卵がある。彼女はその大切な卵を守るために、逃げることなくハサミを振り上げるのである。
親が子を守るということであれば、珍しい話ではないが、昆虫が子育てをすることは極めて珍しいのだそうだ。この時、父親のハサミムシは既に行方が分からないのだが、そのため卵を守るのは母親の仕事になるわけだが、ハサミムシの母親は、卵にカビが生えないようにひとつひとつ順番になめたり、空気に当てるために位置を動かしたりと、丹念に世話をするのだそうだ。
ハサミムシの卵が孵る期間は40日以上、場合によっては80日という観察結果があるというが、その間、片時も離れずに守り続けるという。
さて、私がこのハサミムシに心を打たれたのはここからである。
ようやく卵から孵った子供たちは、当然ながら餌を獲ることが出来ない。
空腹の子供(幼虫)たちは甘えるように母親にすがりつき、そしてその身体を食べ始めるのである。
だが、母親は逃げる素振りも見せない。むしろ子供たちを慈しむかのように、腹の柔らかい部分を差し出すのである。
この時、石をどけようものなら、母親のハサミムシは自らが食べられながらも、ハサミを振り上げるという。これが母親というものなのか。

こういった生き物たちの最期の姿が、この本には収められている。そのどれもが切なく、そして死が決して終わりではないことを教えてくれる。
もっと紹介したいところだが、あとは是非手に取って読んで頂きたい。
私はこの本に書かれたそれぞれの生きざまに、読んでいて涙を禁じ得なかった。生き物たちはみな、次に命を引き継ぐために、命をかけて生きているのである。
情緒的な文章がそれら生き物たちの「生きざま」を美しく浮き彫りにする。
この秋、お勧めの一冊である。

「生き物の死にざま」 稲垣栄洋:著 草思社
不思議な本
岩波文庫から発売されている「仙境異聞・勝五郎再生記聞」を、もうだいぶ長い間読み続けている。だが、まだ読み終わらない。その理由は簡単。口語体ではなく文語体で書かれた本だからだ。
自慢ではないが、学生時代、古文や漢文になるといつも居眠りをしていた。
何を言っているのかさっぱり聞き取れない老教師の声が、心地よい眠気を誘うのでどうしようもなかった。そのため試験の点数はいつも最悪だった。
『社会に出て、古文や漢文が役に立つものか』と試験のたびに開き直っていたが、もう少し真面目に勉強しておけば、この面白い本もスラスラ読めたかもしれないと後悔している。

さて、作者の平田篤胤(ひらたあつたね)は出羽国久保田藩出身の国学者・思想家・医者で、1843年に没しているから江戸時代後期の人物である。また、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人のひとりとしても知られている。
この人物に私が興味を抱いたのは、篤胤が幽界研究に大きな関心を寄せていたからだ。
そして、その研究成果が、今回ご紹介する「仙境異聞・勝五郎再生記聞」なのである。
私の遅読の理由を一緒に体感して頂くために、冒頭の部分を書きだしてみよう。

文政三年十月朔日夕七ツ時なりけるが、屋代輪池翁の来まして、山崎美成が許に、いはゆる天狗に誘はれて年久しく、其の使者と成りたし童子の来たり居て、彼の境にて見聞きたる事どもを語れる由を聞くに、子のかねて考へ記せる説等と、よく符号する事多かり、吾いま美成がり往きて、其の童子を見むとするなり、いかで同伴し給はぬかと言はるゝに、余はも常にさる者にただに相ひ見て、糺さばやと思ふ事ども種々きゝ持ちたれば、甚嬉しくて、折ふし伴信友が来合ひたれど、今帰り来むと云ひて、美成が許へと伴はれ出づ。

このような出だしで始まるわけだが、ざっと訳してみると
『文政三年(1820年)十月一日午後四時頃に、和学者の屋代輪池が訪ねて来て、山崎美成(篤胤の門人)の許に、天狗に誘われた後にだいぶ年月が経ち、天狗の使者となっている子供が来ています。その子供が彼の境(あの世、仙境)で見聞きした事柄を語った話を人から聞くに、篤胤先生がかねてから考え、また文章とされた説にとても合致することが多いようです。私は今、美成のところへ行って、その子供を見ようと思うのですが、篤胤先生もご一緒にどうですか。
私(篤胤)は常々このような人に直接会って、色々なことを問い質したいと思っていた。そのため非常に嬉しくて、ちょうど伴信友(本居宣長の門人、国学者)が訪ねて来ていたところだったけれども、(すぐ帰って来るからね)と言い置いて、美成のところへ屋代翁とふたりで出かけて行ったのである』
と、まあ、こんな感じである。

このあと、平田篤胤らは、長らく天狗によって神隠しにあっていたという、寅吉という名の子供に様々な質問をぶつけるのであるが、この質問内容がとても面白い。
あちらの世界(仙境)での衣食住のことや、天狗のこと、修行のことなど好奇心丸出しな質問ばかりなのだ。
そして、そんな質問に対して寅吉は冷静かつ具体的に答えていく。

篤胤「あちらの世界にも茶はあるのか」
寅吉「こちらの世界のようなお茶はありませんが、タラの木の芽をさっと蒸して揉んで陰干しし、お茶の様に煎じて飲むことはあります。茶菓子として、焼き鳥や炒った赤小豆を食べることもあります」

篤胤「あちらの世界では餅は食べるのか」
寅吉「餅も撞いて食べます。その餅についてですが、こちらの世界で言うところのかき餅は、ただ餅を切ったものですが、あちらの世界でかき餅というと、生の渋柿の種を取り去り、餅に撞き交えて干したもので、炙って食べるととても美味しいものです。ただし撞いた餅は当日は焼き餅にしません。すべて餅に限らず、一度煮たものや焼いたものは、なるべく火にかけない方が良いのです。

篤胤「菜のものはどのようなものを食するのか」
寅吉「そのような質問はいつも困ります。自由自在になりますので、何でも食べようと思うものが、たちまち目前に来ます。だからこの世の食べ物と異なるところはありません」

篤胤「魚や鳥、五辛の類も食べるのか」
寅吉「魚や鳥も、共に焼いたり煮たり、また生でも食べます。ただ四足の動物を食べることは神が嫌いますので決して食べることはありません。それは甚だしい穢れです。全て神が嫌われることはしない方が良いのです。(中略)山人の食事には鳥が第一です。なぜなら身体を軽くして浮揚させるからです。私もある時、30日ほど鳥ばかり食べたことがありますが、身体が本当に軽く、飛び上がるように感じました。特に鳥だけ食べる人は命が長いといいます」

主に食についての一問一答を拾い上げたが、まだ子供の寅吉の回答が具体的であり、妙に魅せられるものがある。

また、本書には「勝五郎再生記聞」と称する話が記載されているが、こちらは生まれ変わりの話である。
今から二百年ほど前のこと。程久保村(現在の東京都日野市程久保)に藤蔵という男の子が住んでいた。藤蔵は毎日村の子供たちと元気に遊んでいたのだが、六歳の時に疱瘡(天然痘)に罹り、あっけなく死んでしまった。
それから十二年が経ったある秋の日。程久保村から一里ほど離れた中野村(現:八王子市東中野)で、八歳になった勝五郎が、姉と兄の三人で遊んでいた。
すると勝五郎が妙なことを言い出したのだ。
「あんちゃんとねえちゃんは、この家に生まれる前は、どこの家の子だったんだい」
「そんなこと知らねえよ」と兄の乙二郎が言うと、「だったら勝は知ってるの」と姉のふさが聞き返した。
「おらあ知ってるよ。程久保村の生まれで、藤蔵っていうんだよ」

この後、藤蔵が勝五郎として生まれ変わるまでの話を詳細に語るのだが、最近では一般的になった「臨死体験」に通じる部分も多く、非常に興味深い。
このような話に関心がある方は、是非一読をお勧めする。特に古文の得意な方には。

「仙境異聞・勝五郎再生記聞」平田篤胤:著  岩波書店(岩波文庫)
桂歌丸 口伝 圓朝怪談噺
落語家の桂歌丸師匠が亡くなって一年が経った。世間では日曜の人気番組「笑点」の司会者としてよく知られている。
その桂歌丸師匠は怪談噺の名手でもあった。
幕末から明治期に活躍した落語家の三遊亭圓朝が作った『真景累ヶ淵』は、怪談噺の名作古典と言われ、六代目三遊亭圓生や林家彦六などが得意としていた。
その『真景累ヶ淵』を歌丸師匠も演じているが、「宗悦殺し」「深見新五郎」「豊志賀の死」「勘蔵の死」「お累の自害」「湯灌場から聖天山」そして「お熊の懺悔」と長い演目であり、一度にすべてを演じたのはおそらく師のみではないだろうか。
本書は『真景累ヶ淵』全七席を三代目落語三遊派宗家・藤浦敦氏が口伝版として文章化したものである。そのため歌丸師匠の落語を一度でも聞いたことがある人ならば、その語り口が鮮やかに甦って来るはずだ。
聞くところによると、師は作者の三遊亭圓朝の語り口を踏襲されているとのこと。
尚、この演目についてはDVD化もされているようだが、私としては本書を音読されることを是非お勧めしたい。
声に出して読むと、とても読みやすく澱みない流れがあることに気づかれることだろう。これこそが名人の手によって磨かれた噺であることの何よりの証左である。

「桂歌丸 口伝 圓朝怪談噺」 著者:三遊亭圓朝 口伝:桂歌丸 竹書房 
「佐武と市捕物控」
土曜日の午後。ショッピング・モールに出かけて、本屋で立ち読みをしていたら、懐かしいタイトルが目に入って来た。それが「佐武と市捕物控」だ。
石ノ森章太郎が描いた時代劇(推理物)漫画である。
アニメやドラマにもなったのでご存知の方も多いだろう。
この漫画が初めて世に出た頃は、私はまだ小学生だったが、掲載誌の週刊少年サンデー(のちに月刊ビックコミック)は愛読していたからその漫画の存在自体は知っていた。ただし、小学生が江戸の風物や人情話を理解できるような年端ではない。いつもその頁は読み飛ばしていたのだった。
そんな私が再びこの漫画と出会ったのは、社会人になってからのこと。営業で外回りをしていた頃、いつも時間潰しに使っていた喫茶店に「佐武と市捕物控」の漫画本が置いてあったのだ。
長い時間を経て再び手にした「佐武と市捕物控」だったが、その世界に自分が取り込まれていくのに時間はそうかからなかった。
最初は単なる時間潰しのために立ち寄っていた喫茶店だったが、そのうちにその漫画を読むために通うようになってしまった。
「佐武と市捕物控」の読みたい巻が他の客の手にある時に、たまたま小池一夫原作の「弐十手物語」に手を出したのだが、こちらの方ものめり込んでしまった。
そんな私を見た他社の営業マンたちからは「おや、時代劇ブームの到来ですか」などとからかわれたものだ。
そんな昔のことが急に甦ってきて、私は迷うことなくレジへとその本を持って行った。
今回購入したのは「佐武と市捕物控 江戸暮らしの巻」だが、毎月続刊が発売されるようで楽しみである。

「佐武と市捕物控」筑摩書房 780円 文庫版

小説 アルキメデスの大戦
そういえば、必ずクラスにひとりかふたり数学の出来る奴がいた。数学の時間に先生にあ
てられると、嬉々として前に出て、黒板に数式を書き表していた。それを横で目を細めな
がら見ている先生の顔が今でも忘れられない。
この「小説アルキメデスの大戦」を読んでいるうちに、そんなことがふと思い出された。
原作は同名のコミックだそうで、私が今回読んだのはそのノベライズ版。今年7月には菅田将暉主演で映画が公開されるようだ。
その物語は太平洋戦争へ向かって時代が加速し始める1933年、巨大戦艦こそが日本を救うと信じて疑わない海軍上層部と、彼らが提示した建造見積に虚偽を感じ取った山本五十六などの空母推進派は、ある一人の天才数学者、櫂直(かいただし)に目をつけた。彼の高度な数学力をもって、いかにその見積が虚偽のものであるかを暴こうと目論見たのだ。
しかし彼は民間人。軍の機密事項に触れることは絶対に出来ない。そこで軍人嫌いの櫂をどうにか説得し、海軍主計少佐としての地位を与えたまでは良かったが、いくら櫂が数学の天才とはいえ、巨大戦艦の正確な建造費用を算出するにはどうしても設計図が必要だった。
だが戦艦などの設計図は最高軍機に属するものであり、大艦巨砲主義派の上層部が櫂や山本たち反対派においそれとは見せるわけがなかった。
戦艦か空母か、その決定会議が迫る中、櫂がとった行動は自らが巨大戦艦の設計図を一から作成し、建造費用を算出しようというあまりにも無謀かつ大胆なものだった。
果たして櫂は見積の不正を暴き、巨大戦艦建造を阻止することが出来るのか。
毎度のことながらこれ以上書くとネタバレになってしまうので、書きたい気持ちをぐっと抑えることにするが、この巨大戦艦が「大和」であることは既にお気づきのことだろう。
全長263m、排水量71,659トン、45口径46cm主砲3基9門、60口径15.5cm3連装砲塔2基、40口径12.7cm連装高角砲12基、25mm3連装機銃52基、搭載機7機という世界に類を見ない巨大戦艦だった。
6月23日は沖縄で全戦没者追悼式があったが、大和はその沖縄へ向けて昭和20年4月7日、天一号作戦として出撃、九州坊ノ岬沖で撃沈された。撃沈したのはアメリカ軍の機動部隊、すなわち航空戦力によるものだった。それは山本五十六たちが予見した大艦巨砲主義の終焉の瞬間だった。

櫂直は架空の人物である。歴史的事実において戦艦大和の建造を阻止するという彼の行為が実を結ばないことは最初から分かっていた。その彼がどのように大艦巨砲派を追い込み、そして敗れて行くのか、そこが知りたくて読み始めたこの小説。
これから公開される映画も、そして原作のコミックも読んでみたくなった。

「小説 アルキメデスの大戦」佐野晶(著) 三田紀房(原作) 講談社

ほぼ毎日のように本屋へ通っている。世間では本離れ、活字離れが叫ばれて久しいが、私には一切関係なし。面白そうな本があったり、知らないジャンルの本を見つけたりするとすぐに飛びついてしまう。
信じられないかもしれないが、稀に本が私を呼ぶこともある。特に大きな書店でそれは起こる。
いつもは書評や広告などを見て本屋に入ることが多いのだが、購入する本を決めずにぶらっと入ると、磁石に吸い寄せられるように店内を歩き出す。やがてある本棚の前で立ち止まると目の前に背表紙が光って(イメージとして)見える本がある。著作者もタイトルも知らない本だ。手に取ってパラパラと捲ってみると、なんとなく面白そう。そこでそのままレジへと向かうのである。
このようにして見つけた本は、そのほとんどが読んで良かったと思う本ばかりだった。長年本屋と付き合っていると、こんな能力が生じてくるのだろうと自分なりに思っている。
さて、それだけ本屋に通い詰めていると、店員さんに顔を覚えられてしまうようで、時々すれ違いざまに挨拶されたり、「今日はお探しの本は見つかりましたか」などと声を掛けられる。それはそれで嬉しいのだが、逆に彼女らは私の読書傾向、購買傾向を知っているということになりはしないか。
本屋の店員さんたちは、普段から様々な本に触れ、時にはPOPも書いたりするという本のプロだ。本や作家などに対する見識も相当高いだろう。そうなると、下手な本を持ってレジへ行くのは考え物だ。特に私のように顔を覚えられている者にとっては尚更である。
(あれ、こんな本を読むんですか?)
(あらまあ、アンタも好きねぇ!)
レジの際に、微笑みを浮かべながら精算している彼女たちの表情の奥には、きっと軽蔑の色を湛えたもうひとつの顔が隠されているに違いない、そんな妄想を思い抱いてしまうのだ。
だから時には難しい本を持ってレジへ行くと、
(またあぁ、ご冗談を!本当に読めるんですかぁ?)
(お客様、これは何かの間違いでは?いつもの児童書ではございませんよ)
(睡眠薬がわりにお使いですか。それならこの本は最適です)

「次のお客様、どうぞ」
その声に目を覚ます。
慌ててレジで小銭をぶちまける。
周りのお客の冷たい視線を感じながら、今日も本屋通いは止まらない。




宇宙本 はやぶさ2によせて
宇宙本 はやぶさ2によせて
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が、小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したことは周知の通りである。
そして今回はタッチダウン、即ち着陸した直後に離陸するという方法を採用した。タッチダウンの際、「サンプラーホーン」という装置から金属製の5グラムの弾丸が、秒速300メートルの速さで地表面に撃ち込まれる。その衝撃によって砕け散った岩石などを採取するというわけだ。
JAXAの発表によれば、そのシーケンスは無事に成功したという。初代「はやぶさ」に続く快挙である。日本の宇宙探査能力の高さがまたひとつ証明されたと言っても良い。
科学、特に宇宙物理学にはまったくご縁の無い私だが、そういう話を見聞きすると、すぐに触手を伸ばしたくなるのが悪い癖だ。
分かりもしないくせに「はやぶさ2」の快挙に刺激されて、今回も宇宙関連の本を読み漁った。
以前購入して積読状態だった本や、新たに購入した本を同時並行で読んでみたのだが、その結果はといえば、わからんの一言。どうもこの分野への着陸はヒコヒコには無理のようである。それこそタッチダウンで逃げ出すしかなさそうだ。
ところで気になったのは小惑星「リュウグウ」のことだ。この小惑星のことを詳しく知っている一般人はどれほどいるのだろうか。また、なぜリュウグウなどという日本昔話のようなネーミングになったのだろう。ふと、私の中に疑問が浮かんだ。
そこで気になる点をいくつか調べてみたところ、意外なことが分かった。
まず、この「リュウグウ」が発見されたのは、1999年5月のこと。LINEAR(リンカーン地球近傍小惑星探査・自動観測プログラム)によって発見された。
2015年10月にはJAXAから小惑星センターのリストに「Ryugu」の名称が記載されたことが公表されたのだが、ここで第一の疑問。なぜ「Ryugu」なのか。
それについては、昔話の「浦島太郎」もモチーフになっているようだ。
ご存知のように浦島太郎は竜宮城から玉手箱を持ち帰る話だが、「はやぶさ2」もまたサンプルをカプセルに入れて持ち帰るため、そのイメージが重なること。
また、この小惑星(正式名称:1999 JU3)は水を含む岩石があると期待されており、水を想起させる名称案であること。さらに、既存の小惑星の名称に類似するものが無いことや、「神話由来の名称が望ましい」とする国際天文学連合の定めたルールに合致することなどから決定されたらしい。
このように名前ひとつ決めるにも、色々と決まり事があるのだ。今までそれすら知らなかったのだから、やはり勉強はするものである。
「リュウグウ」について調べていたら、もうひとつ気になる言葉を見つけた。それが「PHA」である。これは「Potentially Hazardous Asteroid」の略だが、日本語では「潜在的に危険な小惑星」と訳される。早い話が地球にぶつかる可能性の高い小惑星だということだ。また、万が一衝突した場合には地球に与える影響が大きい小惑星の分類に入るのだそうで、そう思うと、とても怖い星なのである。
そういうことで、どうぞはやぶさ2よ。持ち帰るのはサンプルだけにしておくれと今からお願いしておこう。

写真上:併読した宇宙関連本
写真下:サンプラーホーン

「マスカレード・ホテル」&「マスカレード・イブ」
「読んでから見るか、見てから読むか」
70年代に大ヒットした角川映画のキャッチ・コピーである。
このコピーに倣えば、私は前者の方になるだろうか。つまり読んでから見る方だ。
東野圭吾の小説「マスカレード・ホテル」が映画化され、先ごろ公開されたが、客入りが良いと聞く。私はといえばそのコピー通り本は読んだが、映画はまだ見ていない。
自分の経験則から言わせてもらうと、過去に原作を上回る出来の良い映画に出会ったことはほとんど無かった。どこか物足りなかったり、ただ原作をまとめただけだったり、或いは完全なるミスキャストという映画が大半だった。だから、今回の「マスカレード・ホテル」は原作を超えることが出来るのかどうかと興味が湧く。
実は原作を読んだ時、映画化するとなれば主人公の新田浩介と山岸尚美は誰が演じるのが良いだろうと思ったことがある。今回、主人公のふたりは木村拓哉と長澤まさみだと知り、なるほどと納得した。割と自分のイメージに近かったからだ。

物語は都内で発生した3件の殺人事件。その現場に残された謎の数字。それを解読したのは警視庁捜査一課のエリート刑事、新田浩介だった。
その奇妙な数字を解読すると、次の殺人が「ホテル・コルテシア東京」で行われるらしいことが分かった。つまり予告殺人である。そこで潜入捜査が開始され、新田浩介はフロントクラークになりすまして犯人を追うことになった。
そして、新田の教育係を任されたのがホテル・コルテシア東京の一流フロントクラーク、山岸尚美だった。ただしこの二人、どちらも強いプロ意識の持ち主であり仕事の考え方も真逆という、まさに水と油の関係だった。
そんな彼らが時にぶつかり合いながらも、事件の解決へ向けて力を合わせて行くことになる。
小説を読んでいて面白かったのは、新田と山岸の前に現れる一癖も二癖もありそうな宿泊客たちだ。映画の方もきっと面白く描かれることだろうが、その宿泊客たちの中に果たして犯人はいるのだろうか。さらに犯人は一体誰を狙っているのか。そしてその動機は何か。
物語はクライマックスへ向かって一気に突き進んでいく。
推理小説の肝にいかに伏線を伏線らしからぬように廻らすかということがある。この小説も巧妙に伏線が仕掛けられているが、新田と山岸が犯人の仕掛けた罠を読み解いていく。
そういえば刑事コロンボに「パイルD3の壁」という作品があった。消えた死体がどこにあるのかという一点に焦点を絞った作品だったが、一番安全な隠し場所は一度探した所というオチだった。
さて、今回の犯人について言えば、まさにそういうことなのだと皆様には言っておこう。一度〇〇した者が犯人なのだと。

ところで、この物語の前日譚としての小説が「マスカレード・イブ」である。山岸尚美はまだコルテシア東京ではなく、コルテシア大阪に勤務している。新田の方はといえば東京で事件を追っているが、勿論、この作品ではお互いがお互いの存在を知らない。だが、ある殺人事件をきっかけとして二人は急接近するかのように見えるものの、二人の出会いは「マスカレード・ホテル」まで持ち越されることになる。
新田はこの時、後輩から間接的に山岸尚美の存在を知らされることになるのだが、それがやがて自分と大きな関わりを持つことになろうなどとは夢にも思わない。
そうそう、物語のラストでは、山岸尚美はコルテシア東京のフロント・クラークになっている。そこへ一人の客が現れるのだが、その人物こそが〇〇なのだとお教えしよう。なので「マスカレード・イブ」から読むのは答えを見るのと同じだと申し上げる。
ズルしちゃいけませんぞ。

今年の読書始めは
昨年の1月から12月までの間で、自分が購入し、読んだり途中で投げ出した本はおよそ270冊だった。その前の年の2017年は350冊、そして2016年は400冊だった。つまり、自分の読書量は年々減少傾向にあるということだ。
それでもこの数は読書嫌いな人から見れば、異常な数に思えることだろう。ましてや400冊などといったら、呆れられてしまうのではないだろうか。
実際、妻からは随分文句を言われ続けている。なにしろ生活スペースが本によって浸食されているからだ。
一般に女性に比べて男性は収集癖傾向が強いという。私も子供の頃から切手を集めたり、日本中の駅の入場券を集めたりしていた。
只管本を買い求め、それを読んで、そして捨てもせず売りもしないで傍に溜め込んでいく私を、妻や妹は理解出来ないでいる。それはそうだろう。なにより自分自身が己のこの行動を理解出来ないでいるのだから。
近年、電子書籍という新しい媒体が登場した。
これなら場所もスペースもとらずに、しかも大量の本を小さな端末ひとつで楽しむことが出来る。だが、どうしても食指が動かない。それはおそらく、本に求めているものが単に知識や情報の収集だけではなく、「紙の本」というひとつの個体が持つ魅力(装丁やインクの香り、手触りや重さ、ページをめくる音等々)が大きいからではないだろうか。本とは実は五感の大半を使って楽しむものなのかもしれない。
一流の作者と装丁者が作り出す本は、所有するだけでも心を豊かにしてくれるような楽しい気分にさせてくれる。

さて、今年の読書始めはコミックだった。そもそも、私に読書習慣を与えてくれたのはマンガである。若い頃ほどは読まなくなったが、それでもたまにはマンガを読んでいる。
去年の暮れに終了したNHKの大河ドラマ「西郷どん」を毎回観ていた妻が、日本の幕末期に興味があるから勉強し直したいと言い出した。しかし、活字ばかりを読んでいると目が疲れるというので、マンガならば多少は良いだろうということになり、適当な本を探していたところ見つかったのが写真にある「漫画版 日本の歴史」シリーズである。

初刊の「日本のはじまり」から最終15刊「戦争、そして現代へ」まで、クセの無い誰にでも読みやすいタッチのマンガで、わかりやすく日本の通史を学ぶ事が出来る。
とりあえず妻が読むことを前提に、江戸時代中期の10刊から13刊の明治時代後期までを購入し、まず私が読んで、それを妻に渡すというやりかたで現在も読書中である。
本書の監修は歴史学者で東京大学の山本博文教授だが、各刊の巻末には山本教授の他に、作家や女優など各界の著名人の解説が入っているところが面白い。
そのようなこともあり、今年は少しコミック系に挑戦してみようかと思っている。
損する顔 得する顔
「顔」で損をしたことがない。などと書くと大いなる誤解を生じそうなので、きちんとご説明すると、今の仕事に顔の美醜は影響されないということである。
つまりイケメンではなくとも、仕事が可能な業種に就いているのが私というわけである。
しかし、世の中にはそうもいかない仕事をされている方々が沢山いらっしゃる。
例えばモデルさんがそうだし、人気の俳優などもそうだろう。また、芸能界などに限らず、イケメン店員や美人店員がいるお店というただそれだけで、集客に結びつくことも多い。
だが、私の仕事のように本来なら顔の良し悪しは関係の無い筈の業種でさえも、実はその大半が「顔」で採用の可否を決めているとしたら、あなたはどう思うだろう。そのひとつの証拠が、履歴書へ顔写真を貼ることだ。日本人なら当たり前のように思っているこの行為も、諸外国では珍しいことなのだそうだ。
また、就職が有利になるようにプチ整形をする人たちの話は、私も知らないことは無かったが、ある採用担当の話では、能力的に横並びならば「容姿」で判断すると聞かされたことがある。
こんな話を聞かされると、世の中への不公平感が一層募りそうだが、では本当にイケメンや美女は得なのだろうか。
この本の著者である山口真美氏は大学の先生だが、彼女の祖父や父はかなりなイケメンであったという。ちなみに私の妻の父も若い頃は相当なイケメンで、戦前はバンドを組んで、若い女性たちに大いにもてたのだそうだが、これはどうでもいい。
さて、山口氏にも結婚するなら当然イケメンを選べというものと思いきや、彼女の祖母や母は「イケメンとは結婚するものではない」と常々語っていたそうだし、我が妻の母親もまったく同じことを話していたという。
凡人が考えるには、イケメンや美女と結婚出来たら、こんなに良いことはないと単純に思うのが普通だろう。だが、そうではないという彼女たちの真意は何なのか。
ところで、妻の母、すなわち義母はイケメンと結婚するなと娘に教えた。さて、ということは私は義母が望む通りの男だったのか、それとも妻がその教えに背いてまで私と結婚したのか、義母亡き今となっては確かめようもない。
そのことについて妻に尋ねても、口をつぐむばかりである。
しかし、クリスマスが近づいてきたり、自分の誕生日が近づいてきたりすると、妻は息子たちの前で、私に聞こえるように「お母さんはイケメンと結婚した」と言い始める。もちろんその真意は分かっている。

いつの間にか本の話から離れてしまった。
「イケメンとは結婚するものではない」と言った著者の祖母や母の真意、そして最終的に損をする顔、得する顔はあるのかどうか。その答えを知りたい方は是非ご一読を。日本人論としてもなかなか楽しく読むことが出来た。

「損する顔 得する顔」 山口真美 朝日新聞出版 1512円

冥界からの電話 佐藤愛子
Mさんからメールが届いた。
「佐藤愛子さんの『冥界からの電話』を読みましたか?」というもの。
佐藤愛子さんといえば、あの佐藤愛子さんだ。御年95歳にして益々意気軒昂。エッセイを読ませて頂くと、読んでいるこちらがオロオロするくらい、舌鋒鋭く、バッサバッサと世相を斬りまくっている。痛快無比とはまさにこのことと、いつも楽しく読ませてもらっている、そんな作家のひとりである。
その彼女の最新刊「冥界からの電話」が上梓されたことを、迂闊にも知らなかった。
「明日、本屋に走ります」とMさんに返信したが、そのMさんからのコメントは無かった。
会社の昼休みに丸善で購入したその本を、帰宅中の電車で早速読み始めた。何頁か読み進めているうちに、これは凄いことが書かれているなと思うようになった。
その内容についてかいつまんでお話するとこうである。
筆者(佐藤)の古くからの友人である小児科医高林圭吾氏(仮名)の体験談であり、その現象は2012年春から今年まで続いている。
この高林先生という人物は、小児アレルギーの専門医であり、大学病院勤務後は或る地方都市に診療所を開設されたのだが、患者の評判はすこぶる良く、小児ばかりではなく、老若男女の患者も大勢がやって来るようになり、診療は深夜に及ぶこともあるほどだった。
その高林先生が2012年3月に、市の教育委員会から依頼されて、医学部を目指す高校生のために、開業医の立場から講演を行うことになったのである。
テーマは「十代の夢」。それは高林先生が医師になることを決意した17歳の時に、本屋の立ち読みで出会った一編の詩、宮沢賢治の「十月二十日(この夜半おどろきさめ)」について、その詩の内容とその時の自分の心情を熱く語ったものだった。しかし、180名の高校生たちの反応は冷めていた。何故なら彼らが聞きたかったのは、医者の人生論ではなく、医学部に合格するための勉強の仕方や、医師のノウハウなどについてだったからだ。
講演が終わり、高林先生は深く後悔した。あんな話をするんじゃなかったと鬱々とした日々が続いたという。
そんな講演会から一か月が経った或る日、高林先生の元へ一通の手紙が届いた。それは見ず知らずの女子高校生からのものだった。あの講演会を聞いてとても感銘を受けたという内容の手紙が入っていた。
高林先生はひとりでも自分の話を理解してくれた子がいたことを大いに喜び、逆に御礼が言いたくなったのだという。しかし、手紙の末尾には小さく「ひふみ」と書かれただけで苗字もなく、住所も書かれてはいなかった。でも、よく見ると電話番号らしい字が小さく書かれてあることに先生は気がついた。そこで受験生が勉強をしているであろう夜の十時を待って、その番号へ電話をかけてみると、はりのある少女の声が聞こえてきた。
その少女は、まさか先生から直接電話がかかってくるとは思いも寄らなかったらしく、お互いが高揚した状態のまま、次回も電話をする約束をしたのだった。
これがこれから何年にも渡って続く、実に不思議で奇妙な物語の発端である。
何故なら、高林先生が生きた彼女と電話で話をするのは、この年と翌年の春まで。それ以降も彼女から電話はかかってくるのだが、その時には既に彼女はこの世の人ではないからだ。

高林先生は極めて現実的な人であり、筆者もとても信頼のおける人物であると評している。自分がなにかしらの病気なのではないかと、自らを疑い、専門医にも相談している。しかし、その電話は止むことなく続き、ついに先生の心には「ひふみ」に対するある疑惑の念が持ち上がってくるようになってきた...

最初は怪談かと思いながら読んでいたが、次第にサスペンス風な展開になり、そして結末はというと、これはもう実際にお読み頂くしかない。
この物語の締めについては、賛否両論ありそうだが、私はこういう終わり方もあると納得している。

「冥界からの電話」佐藤愛子:著 新潮社刊 1200円


フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体
秋田での例の一件があってから、どうも体調が思わしくなく、23日の勤労感謝の日から寝たり起きたりを繰り返していた。
同じような目に遭った息子も同様で、体調不良を起こしていたようだ。そのせいで会社も休みを取ったという。
確かに親子共々疲れていたので、偶然そうなってしまったのかもしれないが、同時に倒れたのはかつてなかったことだ。
さて、そんな時でも懲りずに本を読んでいた。今回寝床で読んだ本は標題にもあるように「フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体(講談社 ブルーバックス)」という本である。
著者は東京大学理学系大学院から東京大学海洋研究所、海洋科学技術センター深海研究部研究主幹、グローバル・オーシャン・ディベロップメント観測研究部部長、海洋開発機構特任上席研究員などを歴任し、現在は神奈川大学などで教鞭をとっている藤岡換太郎理学博士である。
今回数ある本の中からなぜ「フォッサマグナ」について書かれた本を選んだのかというと、その言葉自体が懐かしく、それでいて何も知らないことに気がついたからである。
昔、学校の授業で日本列島の中心にはフォッサマグナという大きな『切れ目』があると習ったものだ。しかし、それを深く突っ込んで教わったという記憶が無い。試しに妻や妹にも聞いてみたが、答えは同じだった。
著者である藤岡先生も、周囲の人に何だか知っているかと尋ねても、人の名前とか地名だとか、そんな答えばかりしか返ってこなかったという。中には「フォッサマグマ」や「ホッサマグナ」などの迷答・珍答もあったとか。
ようするに日本人の大半は、現在もなお日本列島に大きな影響を与え続けているこの「怪物」のことを、何も知らずにいるわけである。
藤岡先生はこのフォッサマグナを「鵺」(ぬえ)のような存在であるという。鵺とは、御所の紫宸殿に夜な夜な現れ、顔は猿で胴が狸、手足が虎で尻尾は蛇という何ともとらえようのない姿で人間を幻惑する化物である。こんな化物が日本列島の中心部に棲みついていたとしたらどうだろう。いつ何時、何をしでかすか分かったものではない。
実際、本書の最終章では、このフォッサマグナが日本に何をしているのかについて解説しているが、我々が特に気になることと言えば、やはり地震ではないだろうか。
近年、長野県で地震が多い理由や、東日本大震災や新潟中越地震などとの関連についてもこの章で触れている。
本来なら難しい話を素人の私にも分かり易く、平明な文章により解説されているこの本は、地質学に疎い方にもご一読をお勧めしたい。


悪童(ワルガキ) 小説 寅次郎の告白
10月17日にこのブログに書いた「原稿依頼」の件。ようやく昨日、原稿を納めた。今回は原稿を書くのに今までで一番苦しんだ。やはり自分のことを書くのはとても難しい。途中で何度もキーを叩く指が止まってしまった。
自分の経験則から、悪戦苦闘して書いた原稿に良いものは無かった。今回もおそらくそうだ。納めてしまってから後悔しているような有様だ。
さて、ニュースを視ていたら、渋谷のスクランブル交差点の様子が映し出された。そこにはハロウィンに「便乗」した人々の乱痴気騒ぎが映し出されていた。
そもそもハロウィンはこんな乱痴気騒ぎをするようなものではない。本来は宗教的意味合いを持った日である。キリスト教の万聖節の前日であり、古代ケルトの収穫祭であもある。更に言えば、仮装するのは子供たちであり、あのような大人たちが派手な仮装をするのはまことにおかしい。なにせハロウィンの伝統カラーは黒とオレンジ色なのである。
ところで、渋谷のスクランブル交差点で気になる情報がひとつ飛び込んできた。それは今回読んだ本とも関係がある。
あの国民的映画と呼ばれた「男はつらいよ」の新作が製作中だとか。主人公の車寅次郎が渋谷のスクランブル交差点に現れるというシーンがあるそうで、それも渥美清本人というから驚きである。なにしろ彼は既に鬼籍に入っている。CG合成なのだろうが、話がそれで持つのかどうか。山田洋次監督の腕前に期待がかかる。
さて、その山田洋次監督が一冊の本を出した。それが「悪童(ワルガキ) 小説寅次郎の告白」である。
小説とはあるが、全体が車寅次郎のモノローグ形式になっている。
自分が捨て子であったことや、優秀だった兄のこと。妹さくらの名前の由来とそのさくらを一生守り続けようと思った理由などが寅さんの語りで綴られている。
映画を通して知っていることや、知らなかったことがこの本には収められている。寅さんファン必読の書だ。



作家の長部日出雄氏が亡くなった。突然の訃報だった。
青森県出身の作家ということで親近感を持ち、若い頃から彼の小説を愛読していた。
また、小説家として秀でているだけではなく、彼は映画にも大変造詣が深く、その映画評は一読に値する。特に、映画について氏独自の視点から書き綴った評などを本に纏めた「紙ヒコーキ通信」はシリーズで出ており、実を言うと私のこの「ヒコヒコ通信」は、長部氏のそれを拝借したのである。

長部日出雄氏の代表作といえば、直木賞を受賞した「津軽じょんから節」と「津軽世去れ節」が真っ先に挙げられる。タイトル通り、どちらも津軽を舞台にした話だが、重い話を軽い筆致で描いてみせる。また、彼の小説にはユーモアが感じられた。それが読み手にとっての潤滑油となり、さらに作品の深みへと引き摺り込まれていくことになる。
「津軽じょんから節」は、津軽三味線の黎明期に、一人の青年の津軽三味線へ寄せる情熱を、その熱気と音色が聞こえてくるような臨場感をもって描かれた、今風に言えば青春ストーリである。
特に三味線大会への出場に向けて、いかに相手を打ち負かすか、必死の猛練習の描写などは読んでいてぞくぞくしてしまう。
この小説は、後に長部氏自身がメガホンを取って製作した「夢の祭り」(主演:柴田恭平、有森也実、佐野史郎)という映画の下敷きになっているようだ。

また、「津軽世去れ節」は明治19年に今の五所川原市(当時は嘉瀬村)に生まれた民謡歌手、黒川桃太郎(通称:嘉瀬の桃)の破滅的な生涯を描いた作品である。
彼はいわゆる天才であった。ハチヌゲ(八人芸といい、ひとりで三味線、太鼓、笛、歌などを演じる)の名人と呼ばれ、津軽民謡の基本を作り上げた実在の人物である。
歌においても相当な美声の持ち主であったようで、桃の歌声に魅了された者は数知れず、またユーモアもあってその人気は凄まじかった。
そんな桃が興行先で酒と博打に溺れ、やがて雪で凍った物置小屋で、誰にも看取られずに死んでいった。
昔から津軽には破滅的な生き方をする人間が多いと言われる。例えば葛西善蔵や太宰治がそうであったが、嘉瀬の桃もまたそんな人間のひとりであったのだ。
長部氏は「桃の略歴を知ったときに、溜息の出るような感じで、桃よ、あなたもか、と思ったのである」と述懐している。
そんな長部氏が万感の思いを込めて書いた「津軽世去れ節」は是非一読して頂きたい小説だ。

このほかにも、長部氏には「鬼が来た棟方志功伝」や「桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝」「天才監督 木下恵介」などの評伝など多数の著書がある。 
近年は小説よりも評伝や評論に重心を移したようだったが、若い頃はバリバリの左派、左翼であった彼は、晩年一変して右派、保守へと思想転換している。このあたりも実に面白く、津軽人長部日出雄らしいなと思った。
ちなみにロック歌手で俳優の大友康平氏は長部氏の甥であり、大友氏は私と同窓である(余計な情報であった)。

恐い間取り
今日は2冊の本の紹介を。
最初は「鉄路2万キロ 世界の超長距離列車を乗りつぶす」下川裕治:著 新潮社から。
この本は先日の出張の際に駅の売店で購入したものだ。これから新幹線に乗車するので、鉄道関連の本でも読んでみようかなという軽い気持ちで購入したのだ。
が、しかし、読み進めていくうちに、軽いどころか気持ちは次第に憂鬱になるばかり。なにせ本書に書かれた世界の長距離列車は、尋常ではない距離をひたすら走る列車ばかり。清潔で快適とは程遠い旅の話が、ひたすら繰り広げられるのである。
日本列島の長さは3000キロとは、昔、社会科の授業で習ったことだが、世界の「超」長距離列車ともなるとその3倍程度は当たり前だ。
例えば、ウラジオストクーキエフは10,260キロ、平壌ーモスクワ10,267キロ、ウラジオストクーモスクワ9,259キロ、北京ーモスクワ8,984キロといった具合である。
これらの数字からも分かるように、超長距離列車のランキング上位グループはロシアということになるが、実際に乗ろうとすると、切符の手配やビザの問題などで難しい場合が多い。もちろん現地までの飛行機代だって馬鹿にはならない。
そこで筆者は独自の視点で国ごとの長距離列車を選択し、実際に乗車した体験を綴っている。
本書で紹介されている超長距離列車は、インド、中国、ロシア、カナダ、アメリカのそれであるが、第1章のインド編では日本人の常識が通用しないことを思い知らされる。
例えばインドで寝台車に乗ったとして、仕切りのカーテンもない状態で、衆人環視の中着替えをし、しかもひとつの寝台に見ず知らずの人間と一緒に寝ることが出来るだろうか?
一応のマナーとして頭の向きは逆にするのだが、それは他人の足が自分の顔の脇にあるということだ。おまけに乗車期間は3~4日間。シャワーや風呂にも入ることが出来ないのである。
まあ、これ以上は書かないことにしよう。興味を持たれた方は是非お読み頂きたい。普段、なんの感慨も無く日本の鉄道を利用しているが、いかに優れたシステムの上に成り立っていることか。或る意味、日本の鉄道再発見の書と言っても良いだろう。

さて、もう1冊の本は「事故物件怪談 恐い間取り」松原タニシ:著 二見書房。
著者は事故物件住みます芸人として、知る人ぞ知る存在である。私も何度かテレビで観たことがあるが、いわゆる「出る」といわれる瑕疵物件に実際に住んで、それをレポートするという番組だった。
その時はスタジオとライブ映像で結んでの中継だったが、生放送中に異変が次々と現れて私も驚いた記憶がある。
そもそも、この松原タニシという芸人さん。なぜこのようなことを始めたのか、物好きだなと以前から思っていたのだが、その理由についても本書で触れていた。
それは某テレビ番組で『事故物件で幽霊を撮影出来たらギャラがもらえる』という企画だったそうで、当時まったく仕事がない若手芸人だった著者が、藁をもつかむ思いで臨んだのだとか。
それ以降、1年ごとに事故物件を住み替えて撮影を続けたそうである。
本書では松原氏が実際に生活した事故物件での体験談や、事故物件に住んでいた人に取材した話などを、その間取りとともに紹介している。
実をいうと、かく云う私も、おそらく99%間違いなく、事故物件であったろう貸家に住んでいたことがある。
それは30歳の頃、F市に赴任した際に、会社が用意してくれた一戸建ての家だった。2階建てで庭も駐車場もあり、駅にも近いという好立地だった。
当時は今のように不動産屋が瑕疵物件を借主に申告する義務は無かったので、私は広い住宅を得られたことに単純に喜んでいた。
しかしそれから間もなくして「異変」が続発した。
まず、居間にあるテレビやオーディアなどの電化製品が次々に壊れ出した。新しいものに交換しても、すぐに調子が悪くなる。ビデオデッキで録画した画像には、必ず変な音やノイズが入った。
まだ幼かった長男が、夜になると居間の天井の片隅を見つめては怯えて泣き出すようになった。そのちょうど上には、私が仕事部屋として使っていた和室があったのだが、その部屋に置いていたワープロのプリンターが、やはり調子が悪くなる。熱転写インクを使用していたにも関わらず、文字がプリントされないのだ。修理に出しても異常はないと返される始末だった。
極めつけは2階の寝室で寝ていると、多い時には一晩で数回も金縛りにあった。しかも、寝室だけだった金縛りが、居間にいる時にも起きるようになってしまった。
妻がご近所の人にそれとなく探りを入れてみたのだが、みんな口裏を合わせたように話を逸らしてしまう。やはりこの家では何かあったのだなと、妻と二人で確信した時に、斜め向かいに住んでいたこの家の大家が急死してしまったのだ。
私は幸いにも新しい職を得て、間もなくこの家を出ることになったのだが、数年前にここを通りかかったら、立派な道路になっており、あの家は跡形もなくなっていた。

本の紹介だった筈が、いつの間にか自分の体験談になってしまったが、おそらくこの本を手にしたのは、そういった自らの体験があったからだろう。
ちなみにあなたのお住まいは大丈夫だろうか?

土門拳 古寺巡礼全五冊 Mさんからのプレゼント
土門拳 古寺巡礼全五冊 Mさんからのプレゼント
かつて日本には、リアリズム写真界を二分する大物写真家が存在した。
それは土門拳と木村伊兵衛の二人である。同世代の二人はポートレイトやスナップ写真で多くの傑作を残したが、土門拳は1950年代の終わり頃から、日本全国の古寺を撮影して回った。これはある雑誌の企画として、一年間の予定で組まれたものだったが、土門は結局すべての写真を撮り直して、1963年に「古寺巡礼」第一集を完成させた。その後、第二集は1965年、第三集は1968年、第四集が1971年と2、3年ごとに作品集を上梓し、第五集が完成したのは1975年であった。これによって「古寺巡礼」全五冊が完結したのである。
この撮影に有した期間はおよそ15年、訪れた寺院は39箇所に及んだ。
土門は撮影の期間、1968年には二度目の脳出血を起こし、以降車椅子での撮影を余儀なくされるが、助手たちの献身的な支えによって、この撮影行を続けたのだった。
この土門拳の情熱の精華ともいうべき「古寺巡礼」全五冊を、私の盟友にして畏友のMさんから定年祝いという形でプレゼントされた。
宅配便のドライバーさんが、大きなダンボールの箱を重そうに抱えて運び込んだ時には、何事かと思ったのであるが、それがMさんからのプレゼントであると分かり大いに驚いたのである。
私も今まで幾度となく酒田市にある土門拳記念館に足を運び、そのたびに彼の生の写真の迫力と、被写体に肉迫する撮影法に圧倒されたものだ。そんな土門がライフワークとした「古寺巡礼」を、自らの手元に置くことが出来るという幸せを、Mさんは与えてくれたのである。
この五冊の大部は私の生涯の宝物になることだろう。Mさんには改めて御礼を申し上げます。

タイムマシンのつくりかた
昨夜は青森での用事を済ませて、くたくたになりながら仙台へ戻った。
青森は夜になると結構肌寒いと感じたが、仙台に戻ってみると青森に負けないくらい肌寒い。そういえば、移動する車内の隣席に座っていた男性はしきりにクシャミをしていた。この間までのあの暑さはいったい何処へ行ってしまったのやら。もう季節は間違いなく秋へと引き継がれたようである。
さて、忙中閑あり。どんなに仕事が忙しくても、本を読むことだけは欠かさない。今回移動の車中で読んだのは「タイムマシンのつくりかた」である。
作者はポール・ディヴィスという理論物理学者でオーストラリアのマッコリー大学の自然哲学教授である。
私の悪い癖なのだが、タイトルに釣られて本を購入してしまうことが多い。この本もその一冊だった。しかし買ったはよいものの読みもせずに本棚へしまっていたのだが、今回慌ただしく出かける直前に、何故か目に留まったので本棚から抜き取ってきたのである。
さて、私にとって「タイムマシン」とは、SF小説やSF映画の題材くらいのイメージしか持たない。所詮は絵空事、人々を喜ばせるだけの単なるエンターテナー的なのものと思っていた。
だが、この本を読んでいるうちに、その考え方を少々改めなければならないと思うようになってきた。
まず驚いたのは、科学者の多くがタイムマシンの建造を疑っていないという事実である。しかも一世紀も前から既にその公式を、科学者たちは知っていたと聞かされれば驚かないでいられる筈がない。特に私のような科学に疎い者にとってはなおさらである。
そのタイムマシンに取り組んでいた科学者の一人に、アルベルト・アインシュタイン博士がいた。なんと彼は1905年にはタイムトラベルの可能性を証明しているのである。
アインシュタイン博士といえば、なんと言っても特殊相対性理論があまりにも有名である。ニュートン以来のそれまでの時間に対する概念を破壊してしまい、自らの理論に置き換えることに成功したのである。しかも彼が26歳の時だというのだから、驚き桃の木山椒の木、いや、おそれ入谷の鬼子母神か。まあ、そんなことはどうでも良い。要するに天才なのである。
そんな彼が生み出した特殊相対性理論の中心的主張とは何か。それは「時間は弾性的である」ということだ。
もっと分かり易く言えば「時間は伸び縮みが可能である」ということだ。ではどうすればそれが出来るのか。アインシュタイン博士は「速く移動すれば良い」と言う。それも速く移動すればするほど、その答えは明らかになるのだとか。
実際にこの現象(理論)は証明されており、ここではその方法を紹介しないが、興味のある方は是非調べてみて欲しい。
また、アインシュタイン博士は高速移動の他にも「重力を使う方法」についても述べており、「重力は時間の歩みを遅くする」という結論に到達しているのだ。
極端な話、高層ビルの1階と最上階では、時間に差が出るのだよという訳だ。これも実験によって証明されているが、こられの話から時間とは決して固定化されたものではなく、実は随分と、それこそ弾力性を持ったモノなのだということが分かって来る。
さて、ここらあたりまではタイムトラベルの基礎的な話であるが、本のタイトルにもなっているように、本書は「タイムマシンのつくりかた」の本である。いわば実用書?だ。誰もがそこを一番知りたい訳である。でもここにそのつくりかたを全部書いてしまうと、推理ドラマで犯人を教えてしまうようなものだ。料理のレシピ本で言えば、料理の作り方を別刷にして、書店の前で配ってしまうようなものである。
でもそれではここに本書を取り上げた意味がなくなってしまう。とはいえネタバレすれば出版社の草思社さんから怒られるかもしれない。
そこでつくりかたのヒントだけを述べることにしたい。料理本でいえば、材料だけは教えますということになろうか。

※タイムマシンのつくりかた
【材料】
衝突機
圧縮機
膨張機
差分機
以上の機器の組み合わせによってワームホールを作る。
ゴメンナサイ。これ以上は本を直接お読み頂くしかない。

ところであなたは、タイムマシンが出来たら過去に戻りたい派、それとも未来に行きたい派だろうか。
私は未来に行って戻って来たい派ですな。理由は簡単ながら動機が不純なので、具体的にはちょっと申し上げることが出来ません。
ところで「時は金なり」とはどういう時に使う言葉でしたっけ!
金儲けではないですよね...
「死に山」 世界一不気味な遭難事故 ディアトロフ峠事件の真相
「死に山」 世界一不気味な遭難事故 ディアトロフ峠事件の真相
台風21号はやはり「風台風」だった。
ここ仙台でも、昨夜は相当吹き荒れたのだから、西日本では本当に大変だったと思う。ニュースではクルマが吹き飛ばされて横転したり、屋根が一瞬にして剥がれ飛ぶ映像が何度も流されていたが、改めて台風の猛威を思い知らされた。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
さて、相変わらずの読書生活をしているが、最近読んで面白かったノンフィクションを1冊ご紹介したいと思う。その名も「死に山 世界一不気味な遭難事故 ディアトロフ峠事件の真相」ドニー・アイカー著 河出書房新社 である。
この本のタイトルにもあるように、世界一不気味な遭難事故とあるが、まさにその通り。私も以前、何かのテレビ番組でこの事件のことを知り、関心を抱いたのだが、調べてみればみるほど謎めいていて不気味な事件である。
事件があったのは米ソ冷戦下の1959年2月2日のことだ。
ウラル工科大学(現ウラル州立工科大学)の学生とOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山に登るためにスヴェルドロフスク市を出発した。
メンバーは全部で9人。いずれもが長距離スキーや登山の経験者ばかりで、素人ではなかった。
このグループが採ったルートは難易度3(最難関)と評されていた。そして一行は出発して10日目の2月1日、ホラチャフリ山(死の山の意)の東斜面にキャンプを設営して夜を過ごそうとした。ところがその夜中に何かが起こってメンバーは全員テントを飛び出し、厳寒の暗闇に逃れて行った。
一行が戻って来なかったので、三週間近く経ってから捜索隊が送り込まれた。だが、テントは見つかったものの、9人の形跡がまったく見当たらない。そこでさらに捜索の範囲を広げたところ、テントから1キロ以上離れた場所で9人の遺体が見つかったのである。それも別々の場所で、氷点下30℃だというのにろくに服も着ていなかった。
雪の上で俯せで倒れている者、胎児のように丸まっている者、抱き合って死んでいる者もいた。そして彼らは靴を履いていなかったという。
これだけでも不可解なのに、検視結果はさらに衝撃的だった。
まず、9人のうちの6人の死因が低体温症によるものだったが、残りの3人は頭がい骨骨折による重い外傷だった。またメンバーには2人の女性がいたが、そのうちの1人には舌が無くなっていたのである。さらに、一部の着衣からは異常な濃度の放射能が検出された。
捜査終了後、ホラチャフリ山とその周辺地域は3年間立ち入り禁止となった。
主任捜査官のレフ・イヴァノフは最終報告書に「未知の不可抗力」によって死亡したと書いている。
この事件は9人のリーダーであるイーゴリ・ディアトロフの名前を取って、ディアトロフ峠事件と呼ばれ、今もロシアでは人々の口の端に上がるのだが、未だにその真相は解明されていない。
この本の著者であるドニー・アイカーはアメリカのドキュメンタリー映像作家である。彼はこの事件のことをまったく知らなかったが、あるきっかけでこの事件の真相に迫りたいと考えたのである。
ロシアではこの事件を扱った書籍が無数に出版されているという。しかしそのほとんどが、いわゆるUFOや宇宙人、凶暴な熊、殺人、最高機密のミサイル発射実験の目撃等々、都市伝説や陰謀論的なものが多かった。そしてこれらの著者に共通するのが、誰も現地を見ていないという致命的な欠点だった。
そこでドニー・アイカーは自らが事件現場を確認することにし、さらに公表されている情報を丁寧に精査していったのである。すると彼は今まで語られてきた仮説の可能性をあっさりと否定し、ある結論に至ったのだった。
本書の後半で2月2日の夜に起こった出来事を、著者は仔細に再現してみせる。それはとても説得力がある内容だ。
足を凍傷になりかけながら、その場所まで実際に出向いて調査した、著者の努力と意志の強さを感じた本だった。 

(秘密日記あり)
そして誰もいなくなった アガサ・クリスティ
過去に経験したおぞましい出来事。居酒屋で仲間内と飲んで、さて、帰ろうかと支払いの段になった時に、いつの間にか誰もいなくなっていたことがあった。こちらも酔っ払っていたので、もしかしたら「ここは俺が払う」などと、大口をたたいたのかもしれないが、そのへんの記憶が曖昧のままだ。
私はこの出来事を『そして誰もいなくなった』事件として、自らの戒めにしている。
だからという訳ではないが、久し振りに推理小説の女王、アガサ・クリスティの傑作「そして誰もいなくなった And then there were none」を再読した。
これだけ有名な作品になると、既に読んでしまったという方も多いに違いない。私もいつ読んだのか忘れるほど昔に呼んだ記憶があるくらいで、今回再読してみたら記憶違いの箇所が随分あった。
この推理小説をまだ読んだことのない方に、ネタバレにならない程度にストーリーを紹介すると、
U.N.オーエンという謎の人物から招待を受けた十人の男女が、兵隊島と呼ばれる孤島に建てられたモダンな豪邸に集まった。彼らがあてがわれた部屋には、「小さな十人の兵隊さん」という奇妙な詩が書かれた額が飾られていた。
その詩はこんな風に書かれていた。

小さな兵隊さんが十人、ご飯を食べにいったら
一人が喉をつまらせて、残りは九人

小さな兵隊さんが九人、夜更ししたら
一人が寝坊して。残りは八人

小さな兵隊さんが八人、デヴォンを旅したら
一人がそこに住むって言って、残りは七人

小さな兵隊さんが七人、まき割りしたら
一人が自分を真っ二つに割って、残りは六人 (以下省略)

晩餐の席で突然彼らの十人の過去の罪を暴き、断罪する声が響き渡った。
その声に驚く招待客たち。
食堂の丸い大きなテーブルの中央には、陶器で出来た小さな兵隊の人形が十体置かれていたのだが、招待された人物が、ひとりまたひとりと、小さな兵隊の詩の内容と同じような死に方をしていくのである。そしてその度に小さな人形は一体ずつ消えていくのだ。
人数が減っていく毎に、お互いが疑心暗鬼になっていく。そしてついに二人だけになった時に、どちらかが犯人のはずだとなる訳なのだが、意外な結末が待っているという話である。
ちなみに十人以外の人物が真犯人というズルはしない。犯人は間違いなくこの十人の中に存在するのである。ここがこの物語の秀でているところだ。慎重に読み進めると、伏線も結構張られていることに気づく。
こういう古典的作品は、読んだ年代によっても印象が異なるようだ。初めて読んだ時にはあまり気にならなかった人物が、改めて読んでみるとシンパシーを感じてしまったりする。それも読書の楽しみのひとつだろう。
それにしても、あの居酒屋から私をひとり残して消えて行った連中に、招待状でも出してやろうか。その席上で彼らの罪状を読み上げたら面白いだろうなあ。

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