川音亭で手打ち蕎麦を堪能した後、近くにコーヒーの美味しい店があるから行こうと息子に誘われて訪ねたのが『BULE COFFEE』である。
注意深くクルマを走らせないと、その入り口を見過ごしてしまいそうな、そんな森の中の小さなCAFÉだ。
一度訪れたことがあるという息子も、この時、店へと続く小径の入口をうっかり通り過ぎてしまったくらいだ。
クルマをUターンさせ、今来た道を戻ると、今度はCAFÉの小さな看板を見つけて、その小径へとハンドルを切る。クルマ一台がやっと通れるほどの道だが、その先に美しい紅葉に包まれて、その建物はあった。
一見すると別荘のような趣きの建物だ。無機質を排除し、蔵王の森に相応しい佇まい。黒い板張りの外観がとても印象的な店である。
建築に興味のある息子曰く、仙台で最も注目を浴びている設計士、三浦正博氏の手によるものだと教えられたが、残念ながら建築関係にまったく疎い私は「ふ~ん」と生返事をするしかなかった。
だが、シックな木製のドアを開けて一歩店内に入ると、外観とは打って変わって明るく安らぎのある空間が現れた。店の外観が大木の表皮だとすれば、店内はまるでその中をくり抜いたかのような木のぬくもりが溢れる造りとなっている。
席数は決して多くはないが、椅子を含めたインテリアはとてもシンプルで、かつセンスが良い。また、店の奥の暖炉がひときわ目を惹く。
ここで暖を取りながら、温かいコーヒーを飲んだら絶対美味しいに決まっている。
私もコーヒー屋の息子だったので、その店の味はブレンドコーヒーに現れることはよく承知している。そこで『ブルーマーカー(中深煎り)』を頼み、息子は『ブループラス(深煎り)』を注文した。当然のことながら豆は自家焙煎である。
待つことしばし、コーヒーの芳香が周囲にたゆたい、自ずと期待が沸き起こる。
そしてそのコーヒーの味については、もう語る必要もないだろう。私も息子も十分に満足した。苦みが、そして酸味がどうのという野暮はやめておこう。
帰りのクルマの中で飲むために、テイクアウト用にコーヒーを作ってもらい、我ら親子は店を後にした。
今日は旨い蕎麦も食べたし美味しいコーヒーも飲むことが出来た。とても贅沢な一日を過ごすことが出来たとハンドルを握る息子に語りかけた。語りかけながら
「しまった!」
突然声を上げた私。息子は「なに、なにっ」と驚く。
「写真を撮り忘れた」
私ともあろうものが、BLUE COFFEEの外観など、カメラに収め忘れてしまったのだ。
蕎麦で腹が満たされたせいなのか、それともただのボケなのか、写真好きを標榜する私としてはあり得ないミスだった。
尤も、撮り忘れたということを思い出しただけでもまだ良い方か。
そこで以前息子が同店を訪問した際に撮影した写真を掲載させて頂いた。新緑の頃だったので緑がとても鮮やかである。
そしてこれから迎える冬もまた素敵だろう。
雪の中のBLUE COFFEE。暖炉の火。芳醇なコーヒーの香り。
只今、すっかりぬるくなったインスタントコーヒーを啜りながら、頭の中にそんな映像を結んでいるところである。
注意深くクルマを走らせないと、その入り口を見過ごしてしまいそうな、そんな森の中の小さなCAFÉだ。
一度訪れたことがあるという息子も、この時、店へと続く小径の入口をうっかり通り過ぎてしまったくらいだ。
クルマをUターンさせ、今来た道を戻ると、今度はCAFÉの小さな看板を見つけて、その小径へとハンドルを切る。クルマ一台がやっと通れるほどの道だが、その先に美しい紅葉に包まれて、その建物はあった。
一見すると別荘のような趣きの建物だ。無機質を排除し、蔵王の森に相応しい佇まい。黒い板張りの外観がとても印象的な店である。
建築に興味のある息子曰く、仙台で最も注目を浴びている設計士、三浦正博氏の手によるものだと教えられたが、残念ながら建築関係にまったく疎い私は「ふ~ん」と生返事をするしかなかった。
だが、シックな木製のドアを開けて一歩店内に入ると、外観とは打って変わって明るく安らぎのある空間が現れた。店の外観が大木の表皮だとすれば、店内はまるでその中をくり抜いたかのような木のぬくもりが溢れる造りとなっている。
席数は決して多くはないが、椅子を含めたインテリアはとてもシンプルで、かつセンスが良い。また、店の奥の暖炉がひときわ目を惹く。
ここで暖を取りながら、温かいコーヒーを飲んだら絶対美味しいに決まっている。
私もコーヒー屋の息子だったので、その店の味はブレンドコーヒーに現れることはよく承知している。そこで『ブルーマーカー(中深煎り)』を頼み、息子は『ブループラス(深煎り)』を注文した。当然のことながら豆は自家焙煎である。
待つことしばし、コーヒーの芳香が周囲にたゆたい、自ずと期待が沸き起こる。
そしてそのコーヒーの味については、もう語る必要もないだろう。私も息子も十分に満足した。苦みが、そして酸味がどうのという野暮はやめておこう。
帰りのクルマの中で飲むために、テイクアウト用にコーヒーを作ってもらい、我ら親子は店を後にした。
今日は旨い蕎麦も食べたし美味しいコーヒーも飲むことが出来た。とても贅沢な一日を過ごすことが出来たとハンドルを握る息子に語りかけた。語りかけながら
「しまった!」
突然声を上げた私。息子は「なに、なにっ」と驚く。
「写真を撮り忘れた」
私ともあろうものが、BLUE COFFEEの外観など、カメラに収め忘れてしまったのだ。
蕎麦で腹が満たされたせいなのか、それともただのボケなのか、写真好きを標榜する私としてはあり得ないミスだった。
尤も、撮り忘れたということを思い出しただけでもまだ良い方か。
そこで以前息子が同店を訪問した際に撮影した写真を掲載させて頂いた。新緑の頃だったので緑がとても鮮やかである。
そしてこれから迎える冬もまた素敵だろう。
雪の中のBLUE COFFEE。暖炉の火。芳醇なコーヒーの香り。
只今、すっかりぬるくなったインスタントコーヒーを啜りながら、頭の中にそんな映像を結んでいるところである。
宮城には美味しい蕎麦を出す店がいくつもある。
休日になると、それらの店の前には長蛇の列が出来る。
私も大の蕎麦好きなので、時々蕎麦屋巡りを楽しんだりしているが、やはり蕎麦好きの二男に誘われて、蔵王山麓は青根温泉にある「川音亭(かわどてい)」を初めて訪れた。
蔵王山麓から流れ出る清冽な川音川。その畔で遠く訪れた人々に手打ち蕎麦を提供する川音亭。
店の周囲は深い森に囲まれ、日常の喧騒を忘れさせてくれる。
仙台市内から高速道を使っておよそ一時間あまりで到着。店の中を覗くと先客で一杯だったが、空いたらお呼びしますと言われ、クルマの中で待つことになった。
クルマの窓を開けると冷気を含んだ爽やかな蔵王おろしが流れ込んでくる。時々、野鳥の囀りが聞こえて来るがその姿は見えない。
暫くすると、店の中から満足げな顔をしたお客たちがぞろぞろと出て来る。
その後からおそらく家族従業の娘さんなのだろう。我々を呼びにやって来た。
広くも狭くもない店内には小上がりもあるが、私たちはテーブル席につく。
息子から「ここは天ぷらも美味しい」と聞かされ、私は野菜天ざる蕎麦を注文した。
大抵こういった店では量が少ないという先入観があり、大盛りを頼んでみたのだが、その予想は見事に外れてしまった。
それは写真を見て頂けたらお分かりになるだろう。これだったら普通盛りでも良かったかなと後悔する。
しかし、ひとくち蕎麦を啜ると蕎麦の香りが鼻腔を駆け抜け、手打ちの麺にも甘みがあって蕎麦つゆとよく馴染む。そうなると箸を置くことさえ忘れて、あの大盛りの蕎麦がどんどん胃の腑へ落ちて行く。
揚げたての天ぷらは都会で口にするそれとは異なり、田舎の素朴な味わいだ。おまけに具材の野菜も大きい。天ぷらだけを食べてもお腹が十分に満たされそうだ。
ちなみにこの川音亭では期間限定で『寒ざらし蕎麦』や岩魚も食べることが出来る。特に寒ざらし蕎麦は、蕎麦の実を冷たい川音川の水にさらすことで甘みがいっそう増すのだという。
身も心も十分に満たされ、さて帰ろうかと思ったら、息子から近くにもう一軒良い店があるから行こうと誘われた。
「もう蕎麦は食えないよ」と答えると、蕎麦屋ではなくてカフェだという。
まさかこんな山中にカフェがあるのかと驚くと、それがあるんだよと息子はニヤリと笑って見せた。
(続く)
休日になると、それらの店の前には長蛇の列が出来る。
私も大の蕎麦好きなので、時々蕎麦屋巡りを楽しんだりしているが、やはり蕎麦好きの二男に誘われて、蔵王山麓は青根温泉にある「川音亭(かわどてい)」を初めて訪れた。
蔵王山麓から流れ出る清冽な川音川。その畔で遠く訪れた人々に手打ち蕎麦を提供する川音亭。
店の周囲は深い森に囲まれ、日常の喧騒を忘れさせてくれる。
仙台市内から高速道を使っておよそ一時間あまりで到着。店の中を覗くと先客で一杯だったが、空いたらお呼びしますと言われ、クルマの中で待つことになった。
クルマの窓を開けると冷気を含んだ爽やかな蔵王おろしが流れ込んでくる。時々、野鳥の囀りが聞こえて来るがその姿は見えない。
暫くすると、店の中から満足げな顔をしたお客たちがぞろぞろと出て来る。
その後からおそらく家族従業の娘さんなのだろう。我々を呼びにやって来た。
広くも狭くもない店内には小上がりもあるが、私たちはテーブル席につく。
息子から「ここは天ぷらも美味しい」と聞かされ、私は野菜天ざる蕎麦を注文した。
大抵こういった店では量が少ないという先入観があり、大盛りを頼んでみたのだが、その予想は見事に外れてしまった。
それは写真を見て頂けたらお分かりになるだろう。これだったら普通盛りでも良かったかなと後悔する。
しかし、ひとくち蕎麦を啜ると蕎麦の香りが鼻腔を駆け抜け、手打ちの麺にも甘みがあって蕎麦つゆとよく馴染む。そうなると箸を置くことさえ忘れて、あの大盛りの蕎麦がどんどん胃の腑へ落ちて行く。
揚げたての天ぷらは都会で口にするそれとは異なり、田舎の素朴な味わいだ。おまけに具材の野菜も大きい。天ぷらだけを食べてもお腹が十分に満たされそうだ。
ちなみにこの川音亭では期間限定で『寒ざらし蕎麦』や岩魚も食べることが出来る。特に寒ざらし蕎麦は、蕎麦の実を冷たい川音川の水にさらすことで甘みがいっそう増すのだという。
身も心も十分に満たされ、さて帰ろうかと思ったら、息子から近くにもう一軒良い店があるから行こうと誘われた。
「もう蕎麦は食えないよ」と答えると、蕎麦屋ではなくてカフェだという。
まさかこんな山中にカフェがあるのかと驚くと、それがあるんだよと息子はニヤリと笑って見せた。
(続く)
仙台名物といえば「牛タン」「笹かま」「ずんだ餅」「萩の月」「麻婆焼きそば」等々あるけれど、それら全国区の品々以外に、我ら仙台人が愛してやまないものがある。それが「三角あげ」だ。
仙台市中心部からクルマを走らせることおよそ一時間。仙台市の水瓶のひとつ、大倉ダムの上流に定義山西方寺という古刹がある。その参道の一隅に「定義とうふ店」という創業120余年の豆腐屋さんがある。
ここで作られている「三角あぶらあげ」は、今や仙台人のソウルフードと言ってもよい。
実を言えば、あぶらあげは好きでも嫌いでもなかったのだが、或る時人に教えられて食べてみたところ、その美味しさの虜になってしまった。
大豆100パーセントの豆腐を、低温の油と高温の油で二度揚げし、カリッとした歯触りとふっくりとした舌ざわりの三角あぶらあげは絶品である。
大人の手のひらほどの揚げたて熱々の三角あげに、醤油と七味唐辛子をかけて頂くのだが、このシンプルな食べ方が一番美味しいと思う。
このお店には結構有名人も来店しているが、前回の日記に書いた堺雅人さんも、映画のロケで仙台滞在中にここを訪れて、三角あぶらあげを食され、すっかり気に入られた様子だ。
半沢直樹は実はあぶらあげ好きだった、ということか。
その時の話は「文・堺雅人② すこやかな日々」(文藝春秋刊)というエッセイ集の冒頭に登場する。ご関心を持たれた方は是非一読をお勧めする。
天は二物を与えずとはいうけれど、彼には文才も備わっているようだ。
仙台市中心部からクルマを走らせることおよそ一時間。仙台市の水瓶のひとつ、大倉ダムの上流に定義山西方寺という古刹がある。その参道の一隅に「定義とうふ店」という創業120余年の豆腐屋さんがある。
ここで作られている「三角あぶらあげ」は、今や仙台人のソウルフードと言ってもよい。
実を言えば、あぶらあげは好きでも嫌いでもなかったのだが、或る時人に教えられて食べてみたところ、その美味しさの虜になってしまった。
大豆100パーセントの豆腐を、低温の油と高温の油で二度揚げし、カリッとした歯触りとふっくりとした舌ざわりの三角あぶらあげは絶品である。
大人の手のひらほどの揚げたて熱々の三角あげに、醤油と七味唐辛子をかけて頂くのだが、このシンプルな食べ方が一番美味しいと思う。
このお店には結構有名人も来店しているが、前回の日記に書いた堺雅人さんも、映画のロケで仙台滞在中にここを訪れて、三角あぶらあげを食され、すっかり気に入られた様子だ。
半沢直樹は実はあぶらあげ好きだった、ということか。
その時の話は「文・堺雅人② すこやかな日々」(文藝春秋刊)というエッセイ集の冒頭に登場する。ご関心を持たれた方は是非一読をお勧めする。
天は二物を与えずとはいうけれど、彼には文才も備わっているようだ。
「たまには息抜きしてこぉ~」
ベッドに横たわったままの親父の力無い言葉に後押しされ、仙台三越で開催中の「北海道 味覚の祭典」へ妻と二人で出かけたのだった。
それにしてもどうしてこの「北海道」「味覚」といった言葉に人は弱いのだろう。
私などは北海道という言葉を聞いただけで、よだれが出てきそうになる。まるでパブロフの犬ではないか。
実際、三越までの道すがら、頭の中に浮かぶのは新鮮な海産物や有名駅弁、それにスィーツの数々。
おいおい、ダイエットはどうなっちまったんだともう一人の自分が責め立ててくるが、その声の方こそ煩悩のように思えてくる。
人間て何て弱い生き物だろうか。
(人間のせいにするな。お前のせいだと天の声が聞こえる)
会場は本館七階のホールだが、エスカレーターで着いた途端に愕然とする。
世間では新型コロナウイルスの余燼が燻っている状態なのに、人・ひと・人で溢れ返っているではないか。
おそらく入場制限はかけているのだろうが、それにしてもこの人の多さ。
「北海道」という言葉の持つ魅力というか魔力とでも呼ぼうか、その凄さに改めて圧倒された。
会場入り口で一瞬立ちすくんだものの、気を取り直して人ごみの中へと分け入っていく。
いつもは広く感じるこのホールも、出店の数と人の多さでとても狭く感じる。
それぞれの出店の上に掲げられた看板を見ながら、お目当ての店を探していくが、人は考えることが同じなのだろう。欲しいと思った商品はすべて売り切れか、或いはさらに行列が出来ている。
この調子だとコロッケひとつだって手に入るかどうか分からない。
もともと人ごみに弱い妻は、既に疲れ切った顔をしている。
時刻は間もなく14時になろうとしていた。そう言えば昼食をまだ取っていないことに気がついた。
八階にはレストランがあるので、そこで一度休憩しようということになり、その場から一旦撤退と相成ったのである。
おそらく今日の目当ての海鮮丼は入手困難と判断し、私は海鮮丼を迷わずにオーダーした。妻は海鮮冷やし中華と、やはり海の幸にこだわりをみせた。
久しぶりに食べた海鮮丼だったが、とても美味しく、何だかそれだけで十分に満足してしまった。
小一時間ほど休んで再び会場へ戻った時には、目ぼしい物はほぼ売り切れ状態。
結局、ロイズのチョコレートなどを購入して会場を後にした。
帰りの車中、
「これはやっぱり北海道に行かないとダメだな」と私が呟くと、妻は「やった!」と声を上げた。
でもなあ。
『たまには息抜きしてこぉ~』と力ない声を上げた親父の顔が目に浮かんだ。
ベッドに横たわったままの親父の力無い言葉に後押しされ、仙台三越で開催中の「北海道 味覚の祭典」へ妻と二人で出かけたのだった。
それにしてもどうしてこの「北海道」「味覚」といった言葉に人は弱いのだろう。
私などは北海道という言葉を聞いただけで、よだれが出てきそうになる。まるでパブロフの犬ではないか。
実際、三越までの道すがら、頭の中に浮かぶのは新鮮な海産物や有名駅弁、それにスィーツの数々。
おいおい、ダイエットはどうなっちまったんだともう一人の自分が責め立ててくるが、その声の方こそ煩悩のように思えてくる。
人間て何て弱い生き物だろうか。
(人間のせいにするな。お前のせいだと天の声が聞こえる)
会場は本館七階のホールだが、エスカレーターで着いた途端に愕然とする。
世間では新型コロナウイルスの余燼が燻っている状態なのに、人・ひと・人で溢れ返っているではないか。
おそらく入場制限はかけているのだろうが、それにしてもこの人の多さ。
「北海道」という言葉の持つ魅力というか魔力とでも呼ぼうか、その凄さに改めて圧倒された。
会場入り口で一瞬立ちすくんだものの、気を取り直して人ごみの中へと分け入っていく。
いつもは広く感じるこのホールも、出店の数と人の多さでとても狭く感じる。
それぞれの出店の上に掲げられた看板を見ながら、お目当ての店を探していくが、人は考えることが同じなのだろう。欲しいと思った商品はすべて売り切れか、或いはさらに行列が出来ている。
この調子だとコロッケひとつだって手に入るかどうか分からない。
もともと人ごみに弱い妻は、既に疲れ切った顔をしている。
時刻は間もなく14時になろうとしていた。そう言えば昼食をまだ取っていないことに気がついた。
八階にはレストランがあるので、そこで一度休憩しようということになり、その場から一旦撤退と相成ったのである。
おそらく今日の目当ての海鮮丼は入手困難と判断し、私は海鮮丼を迷わずにオーダーした。妻は海鮮冷やし中華と、やはり海の幸にこだわりをみせた。
久しぶりに食べた海鮮丼だったが、とても美味しく、何だかそれだけで十分に満足してしまった。
小一時間ほど休んで再び会場へ戻った時には、目ぼしい物はほぼ売り切れ状態。
結局、ロイズのチョコレートなどを購入して会場を後にした。
帰りの車中、
「これはやっぱり北海道に行かないとダメだな」と私が呟くと、妻は「やった!」と声を上げた。
でもなあ。
『たまには息抜きしてこぉ~』と力ない声を上げた親父の顔が目に浮かんだ。
あの人たちが来るお店
2019年8月13日 グルメ コメント (6)
お盆休みで行楽地はどこも混み合っている。おまけにこの暑さ。だからどこにも出かけずに、家の中でじっとしていようと思ったが、周りがなかなかそれを許してくれない。
しばらく前から我が家に泊まっている孫が、公園へ遊びに行きたいとせがむので、暑さ覚悟で重い腰をあげた。
市内の主だった公園は歩き尽くしたので、少しでも涼しい所はないものかと思ったら、
「泉区にある紫山公園ならどうだろう」と息子が提案した。
泉区は仙台市の中でも北に位置するエリアだが、紫山はその中でもさらに北側に位置する場所だ。そして高級住宅が立ち並ぶ場所としても知られている。紫山公園はそんな住宅地の中心にあるシンボル的な公園である。
日本の街並みとは思えないような美しい並木道の中を進んで行くと、突き当りに目指す公園があった。
北の方だから市内中心部よりは少しは涼しいだろうと思っていたが、それは大間違いだった。
強い日差しと耳に焼き付くような蝉の鳴き声。それに無風状態と来ている。
これでは熱中症になってしまうと、早々に退散した。
でも、せっかく此処まで来たのだから、何かないだろうかということになり、
「そういえば石亭という美味しいとんかつの店が近くにあるよ」と息子が言い出した。
何でもこの店は、フィギュアスケートの羽生結弦氏がお気に入りのとんかつ屋だそうで、仙台にいる時にはよく訪れるのだとか。そういえば、彼は泉区の出身だったことを思い出す。
我々が着いた時は、まだ夜の部が始まって間もなかったせいもあり、店内には他に客が1組だけだった。
メニューは決して多くはないが、私は芯という一文字に心惹かれて「芯ひれかつ定食」を頼んだ。
待つことしばし、目の前に現れたひれかつは厚みがあり、食べやすいようにさらに半分にカットされている。
とんかつソースをかけて口に思い切り頬張ると、思った以上に柔らかい。ご飯も味噌汁も文句なしに美味しい。
「芯」という一文字が付くのは、この柔らかさのことなのか。
他店でもひれかつをたくさん食べて来たが、これほど柔らかいひれかつは初めてだ。
お店の人に尋ねると、この店は有名人が多数来店しているようで、最近ではサンドイッチマンの伊達さん、富沢さんがTV取材で来店したそうで、近日中に放送される予定らしい。
また、楽天の○○選手もお子さん連れでよく訪れるそうだ。
現在、一日一食を実行中の私ではあるが、このとんかつなら一日に三度食べても良いと思うほど美味であった。
それにしても、身近な場所にこのような店があればどれほど良いだろうか。
この時ばかりは泉区の住民が羨ましく思えたことはなかった。
しばらく前から我が家に泊まっている孫が、公園へ遊びに行きたいとせがむので、暑さ覚悟で重い腰をあげた。
市内の主だった公園は歩き尽くしたので、少しでも涼しい所はないものかと思ったら、
「泉区にある紫山公園ならどうだろう」と息子が提案した。
泉区は仙台市の中でも北に位置するエリアだが、紫山はその中でもさらに北側に位置する場所だ。そして高級住宅が立ち並ぶ場所としても知られている。紫山公園はそんな住宅地の中心にあるシンボル的な公園である。
日本の街並みとは思えないような美しい並木道の中を進んで行くと、突き当りに目指す公園があった。
北の方だから市内中心部よりは少しは涼しいだろうと思っていたが、それは大間違いだった。
強い日差しと耳に焼き付くような蝉の鳴き声。それに無風状態と来ている。
これでは熱中症になってしまうと、早々に退散した。
でも、せっかく此処まで来たのだから、何かないだろうかということになり、
「そういえば石亭という美味しいとんかつの店が近くにあるよ」と息子が言い出した。
何でもこの店は、フィギュアスケートの羽生結弦氏がお気に入りのとんかつ屋だそうで、仙台にいる時にはよく訪れるのだとか。そういえば、彼は泉区の出身だったことを思い出す。
我々が着いた時は、まだ夜の部が始まって間もなかったせいもあり、店内には他に客が1組だけだった。
メニューは決して多くはないが、私は芯という一文字に心惹かれて「芯ひれかつ定食」を頼んだ。
待つことしばし、目の前に現れたひれかつは厚みがあり、食べやすいようにさらに半分にカットされている。
とんかつソースをかけて口に思い切り頬張ると、思った以上に柔らかい。ご飯も味噌汁も文句なしに美味しい。
「芯」という一文字が付くのは、この柔らかさのことなのか。
他店でもひれかつをたくさん食べて来たが、これほど柔らかいひれかつは初めてだ。
お店の人に尋ねると、この店は有名人が多数来店しているようで、最近ではサンドイッチマンの伊達さん、富沢さんがTV取材で来店したそうで、近日中に放送される予定らしい。
また、楽天の○○選手もお子さん連れでよく訪れるそうだ。
現在、一日一食を実行中の私ではあるが、このとんかつなら一日に三度食べても良いと思うほど美味であった。
それにしても、身近な場所にこのような店があればどれほど良いだろうか。
この時ばかりは泉区の住民が羨ましく思えたことはなかった。
明日10日土曜日から最大で9連休という方もいるだろう。私は仕事の関係で9連休は無理だったが、それでも久しぶりに長めの休みが取れそうだ。
東京に住んでいた頃は私も帰省組のひとりだったが、妻や子供を3人引き連れての里帰りはなかなか大変なイベントだった。
まだ幼かった息子たちをおとなしくさせるために、帰省の度に好きな駅弁を買い与えたものだ。
新幹線の車中、腕白坊主たちがじっと2時間黙って席に座っている訳がない。とりあえず食べている間だけはおとなしくしているので、つい買い与えてしまったのだ。
その結果、東京へ戻る時も当然駅弁を欲しがるようになってしまったから、出費も嵩むことになる。悪い習慣を作ってしまったと今更ながらに反省している。
とはいえ、駅弁それ自体は見ても食べても心を楽しませてくれるものだ。
一説によると、日本で一番駅弁の種類が多いのは仙台駅なのだとか。
いや、それを言うなら東京駅だろうと反論されそうだが、東京駅には東京以外の駅弁も多そうだから、とりあえずここでは地方においてという条件を付けておこう。
先日行われた町内会の夏祭りで、思いがけず高級駅弁にありつくことが出来た。
というのも、私の妹が主宰するダンスチームは、毎年夏祭りのイベントとしてダンスを披露しているのだが、出演者の昼食用に毎回駅弁を発注しているのだ。
今回私も撮影班のひとりとして、そのお零れを頂戴することが出来たという訳である。
駅弁ファンの方ならご存知だと思うが、仙台駅における駅弁販売は、「こばやし」と「伯養軒」、そして「日本食堂」の三大老舗で覇を競っている。
どの会社の駅弁もとても美味しいし、新しい商品も次々に出て来るので、出張に出かける時には店頭に並んだ駅弁を必ず眺めていく。
以前は「牛タン弁当」などの肉系が多かったが、最近では「えんがわ寿司」などの魚系が多くなった。もちろん年齢のせいである。
駅弁の種類も豊富だが値段も高価なものから安価なものまで様々だ。中には小さな折詰ひとつでびっくりするような高額の駅弁もある。
私がお零れに与った駅弁の「仙台牛A5ランク Wステーキ弁当」もそのひとつ。絶対自分なら買わないだろう商品だ。
今回はタダ弁のせいか、さらに美味しく感じられた。スポンサーで小金持ちの妹に感謝の言葉を述べたが、来年はランクを落とすと言われた。
そのような訳で、もしお盆休み中に仙台へご旅行の予定がおありならば、是非仙台駅の駅弁コーナーへ立ち寄って頂きたいと思う。牛タンやずんだ餅ばかりが仙台の味ではないことがお分かり頂けることだろう。
それでは良いお盆休みをお過ごしあれ。
東京に住んでいた頃は私も帰省組のひとりだったが、妻や子供を3人引き連れての里帰りはなかなか大変なイベントだった。
まだ幼かった息子たちをおとなしくさせるために、帰省の度に好きな駅弁を買い与えたものだ。
新幹線の車中、腕白坊主たちがじっと2時間黙って席に座っている訳がない。とりあえず食べている間だけはおとなしくしているので、つい買い与えてしまったのだ。
その結果、東京へ戻る時も当然駅弁を欲しがるようになってしまったから、出費も嵩むことになる。悪い習慣を作ってしまったと今更ながらに反省している。
とはいえ、駅弁それ自体は見ても食べても心を楽しませてくれるものだ。
一説によると、日本で一番駅弁の種類が多いのは仙台駅なのだとか。
いや、それを言うなら東京駅だろうと反論されそうだが、東京駅には東京以外の駅弁も多そうだから、とりあえずここでは地方においてという条件を付けておこう。
先日行われた町内会の夏祭りで、思いがけず高級駅弁にありつくことが出来た。
というのも、私の妹が主宰するダンスチームは、毎年夏祭りのイベントとしてダンスを披露しているのだが、出演者の昼食用に毎回駅弁を発注しているのだ。
今回私も撮影班のひとりとして、そのお零れを頂戴することが出来たという訳である。
駅弁ファンの方ならご存知だと思うが、仙台駅における駅弁販売は、「こばやし」と「伯養軒」、そして「日本食堂」の三大老舗で覇を競っている。
どの会社の駅弁もとても美味しいし、新しい商品も次々に出て来るので、出張に出かける時には店頭に並んだ駅弁を必ず眺めていく。
以前は「牛タン弁当」などの肉系が多かったが、最近では「えんがわ寿司」などの魚系が多くなった。もちろん年齢のせいである。
駅弁の種類も豊富だが値段も高価なものから安価なものまで様々だ。中には小さな折詰ひとつでびっくりするような高額の駅弁もある。
私がお零れに与った駅弁の「仙台牛A5ランク Wステーキ弁当」もそのひとつ。絶対自分なら買わないだろう商品だ。
今回はタダ弁のせいか、さらに美味しく感じられた。スポンサーで小金持ちの妹に感謝の言葉を述べたが、来年はランクを落とすと言われた。
そのような訳で、もしお盆休み中に仙台へご旅行の予定がおありならば、是非仙台駅の駅弁コーナーへ立ち寄って頂きたいと思う。牛タンやずんだ餅ばかりが仙台の味ではないことがお分かり頂けることだろう。
それでは良いお盆休みをお過ごしあれ。
蕎麦が食べたいと思った。
栄養のバランスがどうのとか、そんなのは一切関係なく、ただ蕎麦が食べたいと思った。
その代わり美味い蕎麦を。
一日一食を実行中の自分には、その大事な一食を蕎麦に捧げる訳だから、店選びは大切だ。
そんな折に大学時代からの友人で、今は私の仕事を手伝ってくれているNから、耳寄りな情報が得られた。
(田圃の中に建つ一軒の古民家で、美味しい蕎麦を食べることが出来る)
そう聞いただけで矢も楯もたまらず、その店へ行ってみることにした。
場所は仙台市からクルマで南へ30分ほどの岩沼市にある。
国道から少し外れた位置にあり、Nから聞いた通り田園地帯の中にその店はあった。
「そば処 萬乃助」
古民家ではあるがなかなか立派な建物で、駐車場も広く、庭の作りも純和風だ。
暖簾を潜り硝子がはめ込まれた格子戸を開けようとすると、中から若い店員が「いらっしゃいませ」と言いながら開けてくれた。
中へ入ると広い土間になっており、天井はとても高い。梁から下がる白熱灯の灯りが、優しく来訪者を包み込む。
その場に靴を脱いで上り框から座敷へ通されると、30畳ほどはあろうかと思われるL字形の広間には、10台以上の和卓が並べられている。
好きな場所へどうぞと言われたので、一番奥の席へと着いた。
和卓の上に置かれたメニューを眺めていたら、板そばという文字が目に入った。そういえばNから、山形の蕎麦を出す店だと教えて貰っていたことを忘れていた。
そこで早速、大板そばとイカげそ天麩羅を頼んでみた。
麺の太さは細、普通、太の3つから選べるようなので、普通で頼んでみる。
店に入ったのは15時頃だったが、客足が途切れることはなく、いつの間にか席がほとんど埋まっていた。
さて、庭を眺めながら待つことしばし、板そばが運ばれてきた。一目見て驚いた。というよりもオーダーを間違えたのではないかと思った。
というのも、麺の太さが普通とは思えないほど太く見えたからだ。中には割りばしの断面ほどの太さのものもある。
ずずずっと一気に啜り込むと、蕎麦の香りが鼻腔から口中へと広がるが、その腰の強さに再び驚く。
いつも更科そばを食べている自分には、それがとても鮮烈に思えた。
私が注文した大板そばは要するに大盛りのこと。腰が強いのでよく噛んでいるうちに満腹になってくる。これなら大盛りにしなくても良かったかもしれない。
メニューを見ていてちょっと気になったのが『萬乃助TKG』という料理だ。
蕎麦屋にはふさわしくない名前だと思ったが、どうやら卵かけご飯のようだ。
卵かけご飯だからTKGか。DAIGOみたいな店員さんがいるのだろうか。
残念ながらこの日はご飯が売り切れて食べることは出来なかったが、その楽しみは次回に残しておくことにしよう。
大板そば1350円、げそ天400円でしめて1750円を支払い店の外へ。
うるさいくらいの蝉の鳴き声に見送られながら、そば処 萬乃助をあとにした。
栄養のバランスがどうのとか、そんなのは一切関係なく、ただ蕎麦が食べたいと思った。
その代わり美味い蕎麦を。
一日一食を実行中の自分には、その大事な一食を蕎麦に捧げる訳だから、店選びは大切だ。
そんな折に大学時代からの友人で、今は私の仕事を手伝ってくれているNから、耳寄りな情報が得られた。
(田圃の中に建つ一軒の古民家で、美味しい蕎麦を食べることが出来る)
そう聞いただけで矢も楯もたまらず、その店へ行ってみることにした。
場所は仙台市からクルマで南へ30分ほどの岩沼市にある。
国道から少し外れた位置にあり、Nから聞いた通り田園地帯の中にその店はあった。
「そば処 萬乃助」
古民家ではあるがなかなか立派な建物で、駐車場も広く、庭の作りも純和風だ。
暖簾を潜り硝子がはめ込まれた格子戸を開けようとすると、中から若い店員が「いらっしゃいませ」と言いながら開けてくれた。
中へ入ると広い土間になっており、天井はとても高い。梁から下がる白熱灯の灯りが、優しく来訪者を包み込む。
その場に靴を脱いで上り框から座敷へ通されると、30畳ほどはあろうかと思われるL字形の広間には、10台以上の和卓が並べられている。
好きな場所へどうぞと言われたので、一番奥の席へと着いた。
和卓の上に置かれたメニューを眺めていたら、板そばという文字が目に入った。そういえばNから、山形の蕎麦を出す店だと教えて貰っていたことを忘れていた。
そこで早速、大板そばとイカげそ天麩羅を頼んでみた。
麺の太さは細、普通、太の3つから選べるようなので、普通で頼んでみる。
店に入ったのは15時頃だったが、客足が途切れることはなく、いつの間にか席がほとんど埋まっていた。
さて、庭を眺めながら待つことしばし、板そばが運ばれてきた。一目見て驚いた。というよりもオーダーを間違えたのではないかと思った。
というのも、麺の太さが普通とは思えないほど太く見えたからだ。中には割りばしの断面ほどの太さのものもある。
ずずずっと一気に啜り込むと、蕎麦の香りが鼻腔から口中へと広がるが、その腰の強さに再び驚く。
いつも更科そばを食べている自分には、それがとても鮮烈に思えた。
私が注文した大板そばは要するに大盛りのこと。腰が強いのでよく噛んでいるうちに満腹になってくる。これなら大盛りにしなくても良かったかもしれない。
メニューを見ていてちょっと気になったのが『萬乃助TKG』という料理だ。
蕎麦屋にはふさわしくない名前だと思ったが、どうやら卵かけご飯のようだ。
卵かけご飯だからTKGか。DAIGOみたいな店員さんがいるのだろうか。
残念ながらこの日はご飯が売り切れて食べることは出来なかったが、その楽しみは次回に残しておくことにしよう。
大板そば1350円、げそ天400円でしめて1750円を支払い店の外へ。
うるさいくらいの蝉の鳴き声に見送られながら、そば処 萬乃助をあとにした。
盛岡市内を流れる北上川。その畔に光原社という民芸品等を扱う店がある。この店の名付け親があの宮沢賢治だ。
宮沢賢治が生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を出版したのがこの光原社である。
この店の創業者及川四郎が花巻農学校の教師だった宮沢賢治を訪ね、膨大な童話の原稿を預かったのだが、この原稿にあったのが「注文の多い料理店」だと言われている。
二人はもともと盛岡高等農林学校の先輩後輩の間柄だったらしい。意気投合した二人は、童話のタイトルや光原社という社名について熱く語りあったようだ。
さて、私はそんな光原社へ盛岡を訪れるたびにほぼ毎回のごとく訪問している。現在は賢治の頃のような出版事業は行ってはいないが、民芸品や南部鉄器、陶器、漆器、ガラス製品等の工芸品、さらに岩手県産の食材、衣類等々を取り扱っている。
材木町通りから奥に細長い敷地には、マヂエル館や可否館などがあり、特に私は可否館で、賢治の世界に浸りながらコーヒーを飲むのが好きだ。
ところで「注文の多い料理店」の「序」にはこのような賢治の思いが記されている。
『わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびらうど羅紗や、寶石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです(以下省略)』
そう、賢治は(さういふきれいなたべものやきものをすき)と書いている。そのきれいな食べ物のひとつが木の実だったのではないか。なぜなら賢治の童話には木の実がしばしば登場する。
そんな木の実を使ったクッキーが光原社で販売されている。それが写真の「くるみクッキー」だ。
甘さ控えめで素朴な味わいのこのクッキーは、光原社のモーリオで販売されている。この日も次々に売れていて、店員さんが在庫確認に追われていた。
パッケージも簡素だし、化粧箱のデザインもシンプルだ。
それではクッキーを食べながら、注文の多い料理店の続きを読むことにしよう。
宮沢賢治が生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を出版したのがこの光原社である。
この店の創業者及川四郎が花巻農学校の教師だった宮沢賢治を訪ね、膨大な童話の原稿を預かったのだが、この原稿にあったのが「注文の多い料理店」だと言われている。
二人はもともと盛岡高等農林学校の先輩後輩の間柄だったらしい。意気投合した二人は、童話のタイトルや光原社という社名について熱く語りあったようだ。
さて、私はそんな光原社へ盛岡を訪れるたびにほぼ毎回のごとく訪問している。現在は賢治の頃のような出版事業は行ってはいないが、民芸品や南部鉄器、陶器、漆器、ガラス製品等の工芸品、さらに岩手県産の食材、衣類等々を取り扱っている。
材木町通りから奥に細長い敷地には、マヂエル館や可否館などがあり、特に私は可否館で、賢治の世界に浸りながらコーヒーを飲むのが好きだ。
ところで「注文の多い料理店」の「序」にはこのような賢治の思いが記されている。
『わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびらうど羅紗や、寶石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです(以下省略)』
そう、賢治は(さういふきれいなたべものやきものをすき)と書いている。そのきれいな食べ物のひとつが木の実だったのではないか。なぜなら賢治の童話には木の実がしばしば登場する。
そんな木の実を使ったクッキーが光原社で販売されている。それが写真の「くるみクッキー」だ。
甘さ控えめで素朴な味わいのこのクッキーは、光原社のモーリオで販売されている。この日も次々に売れていて、店員さんが在庫確認に追われていた。
パッケージも簡素だし、化粧箱のデザインもシンプルだ。
それではクッキーを食べながら、注文の多い料理店の続きを読むことにしよう。
米沢牛ステーキへの旅
2019年5月14日 グルメ コメント (12)
大型連休もまもなく終わろうとしている5月4日。家事と孫の育児から解放された私は、ひとり旅に出かけた。ちなみにこの日は、妻が友人と連れ立って「浅田真央サンクスツアー」を盛岡市まで観に出かけたのだ。この好機を逃がすわけには行かなかった。
妻は仙台駅を午前8時台の新幹線に乗り込んで行ったが、私はそれより1時間ほどあとに仙山線山形行きの車上の人となった。
この日は天気も上々。車窓には目に眩しいほどの新緑が、次々に映し出されては流れ去っていく。
車内は観光客が目立ったが、大半は途中の山寺で降りて行った。これから山寺の長い石段を登るのだろうが、5月の爽やかな気候に参拝もきっと気持ちが良いことだろう。
さて、電車はほどなくして山形駅の手前、霞城公園のお濠端にさしかかる。桜の花はほぼ散っていたが、水面にはまだ若干の花筏が見られた。
山形駅で奥羽本線の普通列車に乗り換えて、一路目的地の米沢市を目指す。仙山線ほどの混み様ではないが、小学生くらいの子供を連れた家族が目立った。何かのイベントがあるのだろうかと思ったら、なんと彼らは「茂吉記念館前駅」で降りたのには驚いた。
茂吉とはあの斎藤茂吉のことである。山形の小学生は郷土が生んだ大歌人について、家族ぐるみでこうして学んでいるのだろうか。
私などは齋藤茂吉といわれて思い浮かぶのは「アララギ」とか「赤光」(しゃっこう)という言葉くらいだ。名前こそよく知ってはいるものの、その人や作品についての知識は実に乏しい。短歌そのものに縁が無かったとはいえ、常識としてもっと勉強しておくべきだったと反省する。
それにしても、車窓から見える朝日連峰は美しかった。雲ひとつない青空の下に、粉砂糖を降りかけたような山嶺と青い山並みが続いている。今年に入って松本市で目にした北アルプスの山々を彷彿とさせるものだった。
美しい山形の景色に目を奪われているうちに電車は終点の米沢駅のプラットホームに滑り込んだ。仙台からおよそ2時間半の鈍行列車の旅は終わった。
ちょうど反対側には山形新幹線の車両が停車していた。どうしてだろう。新幹線の窓から見える乗客たちの顔はどこか気難しそうに見える。その点こちらは気が抜けたような顔をしていたかもしれない。これも「スピード旅」と「のんびり旅」の違いだろうか。
私が降りた米沢駅は外観がレンガを使わないで建てた東京駅みたいな建物だ。この米沢駅を背にして、まっすぐ西へ伸びる道路を歩いて行く。目指すは「上杉神社」である。
かつて米沢藩30万石の城下町として栄えた米沢だが、駅の近くにはその歴史を感じる遺構の類はほとんど見受けられなかった。が、しかし、最上川に架かる橋を渡ると次第に町の雰囲気が変わり始め、上杉神社の近くまでやって来ると蔵を改造したような建物などが散見されるようになった。派手さはどこにも無く、むしろ地味と言っても良いくらいの街並みは、きっと質素倹約を旨とする上杉鷹山公の教えのせいなのかもしれないと思った。
およそ2キロの距離を歩いて来てもほとんど人とすれ違うことが無かったのだが、上杉神社に辿り着いてみると、驚くほど大勢の人たちで溢れていた。
令和に改元されたこともあってか、参道には大勢の参拝客が並んでいた。きっと御朱印を拝受しようとする人も多かったに違いない。
私も折角仙台から出かけて来たのだから、上杉謙信公をお祀りしようと参道の行列に並んだが、これがなかなか前へ進まない。急ぎ旅ではないものの既に時刻は午後の1時を回っており、腹の方も虫がしきりに鳴いている。
聞き分けのない腹の虫と格闘しながら、ようやく参拝できたのは並び始めてから40分ほど経ってのことだった。
(どうか美味しい米沢牛ステーキを食べることができますように)
もっと他に頼みようがあった筈なのに、上杉謙信公へのお願いはそんな低次元のレベルとなったのも、すべては腹の虫のせいである。
事前にステーキハウスなどの情報は仕込んでおいたものの、有名店のほとんどがここから離れた場所にある。移動するのも面倒だと思ったその時、確かこの神社の近くに上杉伯爵邸という記念館兼料理店があることを思い出した。
それは米沢城址のお濠端、いかにも殿様の御殿というような風格ある建物であった。初めて訪れた人は、まさかここがステーキハウスだなどとは思いもしないだろう。
あまりの大邸宅とその風格に敷居を跨ぐことが躊躇われたが、相変わらず鳴きやまない腹の虫には勝つことが出来ずに靴を脱いだのだった。
奥から出てきた黒服の給仕さんに導かれて通されたのは、百畳ほどはあろうかという大広間であった。そこには10卓余ほどのテーブルが配置され、既に三割ほどの席が埋まっていた。
この大広間からは浜離宮を模したと云われる美しい庭園を望むことが出来て、完全なる非日常の世界に没入する自分を感じることが出来る。
こんなところで米沢牛の最高級ステーキを食することが叶うとは、なんという贅沢な話であろうか。
再び現れた黒服の給仕さんからメニューを渡されて、心を落ち着けながらざっと目を通す。
(ふむふむ。思った通り金額も殿様級だ)
はるか仙台から鈍行列車に乗ってやって来たのだ。往復の特急料金分を払ったと思えば何でもない。私はサーロインステーキをミディアムレアで頼むと、黒服の給仕さんはかしこまりましたと低頭した。
やがて目の前に現れたステーキは写真の通り。もう何も言いますまい。そして書きますまい。そのお味はあなたが想像する味を少しだけ上回るもの。
大型連休の最後、至福の時間を過ごすことが出来た幸運を、柔らかい肉と一緒に噛み締めたのだった。
写真:上 注文したサーロインステーキ
下 上杉伯爵邸正面玄関 これがステーキハウスとは!
妻は仙台駅を午前8時台の新幹線に乗り込んで行ったが、私はそれより1時間ほどあとに仙山線山形行きの車上の人となった。
この日は天気も上々。車窓には目に眩しいほどの新緑が、次々に映し出されては流れ去っていく。
車内は観光客が目立ったが、大半は途中の山寺で降りて行った。これから山寺の長い石段を登るのだろうが、5月の爽やかな気候に参拝もきっと気持ちが良いことだろう。
さて、電車はほどなくして山形駅の手前、霞城公園のお濠端にさしかかる。桜の花はほぼ散っていたが、水面にはまだ若干の花筏が見られた。
山形駅で奥羽本線の普通列車に乗り換えて、一路目的地の米沢市を目指す。仙山線ほどの混み様ではないが、小学生くらいの子供を連れた家族が目立った。何かのイベントがあるのだろうかと思ったら、なんと彼らは「茂吉記念館前駅」で降りたのには驚いた。
茂吉とはあの斎藤茂吉のことである。山形の小学生は郷土が生んだ大歌人について、家族ぐるみでこうして学んでいるのだろうか。
私などは齋藤茂吉といわれて思い浮かぶのは「アララギ」とか「赤光」(しゃっこう)という言葉くらいだ。名前こそよく知ってはいるものの、その人や作品についての知識は実に乏しい。短歌そのものに縁が無かったとはいえ、常識としてもっと勉強しておくべきだったと反省する。
それにしても、車窓から見える朝日連峰は美しかった。雲ひとつない青空の下に、粉砂糖を降りかけたような山嶺と青い山並みが続いている。今年に入って松本市で目にした北アルプスの山々を彷彿とさせるものだった。
美しい山形の景色に目を奪われているうちに電車は終点の米沢駅のプラットホームに滑り込んだ。仙台からおよそ2時間半の鈍行列車の旅は終わった。
ちょうど反対側には山形新幹線の車両が停車していた。どうしてだろう。新幹線の窓から見える乗客たちの顔はどこか気難しそうに見える。その点こちらは気が抜けたような顔をしていたかもしれない。これも「スピード旅」と「のんびり旅」の違いだろうか。
私が降りた米沢駅は外観がレンガを使わないで建てた東京駅みたいな建物だ。この米沢駅を背にして、まっすぐ西へ伸びる道路を歩いて行く。目指すは「上杉神社」である。
かつて米沢藩30万石の城下町として栄えた米沢だが、駅の近くにはその歴史を感じる遺構の類はほとんど見受けられなかった。が、しかし、最上川に架かる橋を渡ると次第に町の雰囲気が変わり始め、上杉神社の近くまでやって来ると蔵を改造したような建物などが散見されるようになった。派手さはどこにも無く、むしろ地味と言っても良いくらいの街並みは、きっと質素倹約を旨とする上杉鷹山公の教えのせいなのかもしれないと思った。
およそ2キロの距離を歩いて来てもほとんど人とすれ違うことが無かったのだが、上杉神社に辿り着いてみると、驚くほど大勢の人たちで溢れていた。
令和に改元されたこともあってか、参道には大勢の参拝客が並んでいた。きっと御朱印を拝受しようとする人も多かったに違いない。
私も折角仙台から出かけて来たのだから、上杉謙信公をお祀りしようと参道の行列に並んだが、これがなかなか前へ進まない。急ぎ旅ではないものの既に時刻は午後の1時を回っており、腹の方も虫がしきりに鳴いている。
聞き分けのない腹の虫と格闘しながら、ようやく参拝できたのは並び始めてから40分ほど経ってのことだった。
(どうか美味しい米沢牛ステーキを食べることができますように)
もっと他に頼みようがあった筈なのに、上杉謙信公へのお願いはそんな低次元のレベルとなったのも、すべては腹の虫のせいである。
事前にステーキハウスなどの情報は仕込んでおいたものの、有名店のほとんどがここから離れた場所にある。移動するのも面倒だと思ったその時、確かこの神社の近くに上杉伯爵邸という記念館兼料理店があることを思い出した。
それは米沢城址のお濠端、いかにも殿様の御殿というような風格ある建物であった。初めて訪れた人は、まさかここがステーキハウスだなどとは思いもしないだろう。
あまりの大邸宅とその風格に敷居を跨ぐことが躊躇われたが、相変わらず鳴きやまない腹の虫には勝つことが出来ずに靴を脱いだのだった。
奥から出てきた黒服の給仕さんに導かれて通されたのは、百畳ほどはあろうかという大広間であった。そこには10卓余ほどのテーブルが配置され、既に三割ほどの席が埋まっていた。
この大広間からは浜離宮を模したと云われる美しい庭園を望むことが出来て、完全なる非日常の世界に没入する自分を感じることが出来る。
こんなところで米沢牛の最高級ステーキを食することが叶うとは、なんという贅沢な話であろうか。
再び現れた黒服の給仕さんからメニューを渡されて、心を落ち着けながらざっと目を通す。
(ふむふむ。思った通り金額も殿様級だ)
はるか仙台から鈍行列車に乗ってやって来たのだ。往復の特急料金分を払ったと思えば何でもない。私はサーロインステーキをミディアムレアで頼むと、黒服の給仕さんはかしこまりましたと低頭した。
やがて目の前に現れたステーキは写真の通り。もう何も言いますまい。そして書きますまい。そのお味はあなたが想像する味を少しだけ上回るもの。
大型連休の最後、至福の時間を過ごすことが出来た幸運を、柔らかい肉と一緒に噛み締めたのだった。
写真:上 注文したサーロインステーキ
下 上杉伯爵邸正面玄関 これがステーキハウスとは!
おでん三吉はパワースポットか
2018年12月4日 グルメ コメント (5)
今日と明日の2日間、青森へ出張することになった。日増しに寒くなっていくこの時期に、北東北へ出かけるのはちょっと辛い。同じ東北にあっても、北と南では気候がまったくと言って良いほど違う。
とにかく今夜青森へ入ったら、何か温かいものでも食べなければと、今からそんな心配をしている。
その温かいものといえば、先日たまたま観たテレビ番組で、おでんの効能について放送していた。それによると、こんなに身体に良い食べ物(調理法)はほかに無いのだとか。
なにしろ、それぞれの具材もヘルシーなら、その具材から染み出た栄養成分が、他の具材に沁み込んでいくのでロスが出ない。しかも食物繊維が豊富であり、免疫力も高まるという。特にお勧めは卵や大根、昆布など。これらはいわばおでんの看板スターたちである。
私個人の好みから言えば、コンニャクも好きだし、いいだこやつぶ貝も外せない。そしておでんと言ったら、がんもやさつまあげ等の練り物系は必須項目である。こんな話をしているだけでも、頭の中がおでんの鍋になっていく。
ところで、そんなおでんの名店が仙台にある。
その名も「おでん三吉」。仙台人でこの名を知らない人はまずいないだろう。
昭和24年創業のこのお店。もともと名前は「みよし」だったのだが、お客さんたちが「さんきち」と呼ぶので「三吉 さんきち」になったのだとか。
私も何度かこの店を訪れたことがあるが、いつもお客さんで一杯だった。
お客さんを連れて来る時は、おまかせで頼むことが多いが、写真にもあるように、たこがかんぴょうの鉢巻を巻いて登場する。たいていの方はこれをみると相好が崩れるから、それを見ているこちらも嬉しくなってくる。
さて、このお店。仙台市の中心部は一番町の稲荷小路にある。定禅寺通側から入ってすぐのところにあるので、簡単に見つけることが出来るだろう。
ちなみに仙台市には伊達政宗公が建立した寺社仏閣等が、市の中心部を取り囲むように建っているが、これらを直線で結ぶと所謂「六芒星」の形になる。すなわち結界である。
おそらく政宗公が仙台市を守るために、このような配置をしたのではないかと言われているのだが、驚くなかれ、この六芒星の中心がなんと「おでん三吉」なのである。それも一階小上がりの丸いテーブルがどうやらそうらしいと専らの噂になっている。
そんなことを全然知らなかった私は、Mさん、Kさん、Nさんの四人でこの丸テーブルを囲み、散々飲み食いした揚句、翌日は全員体調不良に陥ってしまった。
果たしてこれが、六芒星パワーの貰い過ぎか、はたまた呑兵衛おやじ達の自業自得の結果かはいまだ定かではない。
とにかく今夜青森へ入ったら、何か温かいものでも食べなければと、今からそんな心配をしている。
その温かいものといえば、先日たまたま観たテレビ番組で、おでんの効能について放送していた。それによると、こんなに身体に良い食べ物(調理法)はほかに無いのだとか。
なにしろ、それぞれの具材もヘルシーなら、その具材から染み出た栄養成分が、他の具材に沁み込んでいくのでロスが出ない。しかも食物繊維が豊富であり、免疫力も高まるという。特にお勧めは卵や大根、昆布など。これらはいわばおでんの看板スターたちである。
私個人の好みから言えば、コンニャクも好きだし、いいだこやつぶ貝も外せない。そしておでんと言ったら、がんもやさつまあげ等の練り物系は必須項目である。こんな話をしているだけでも、頭の中がおでんの鍋になっていく。
ところで、そんなおでんの名店が仙台にある。
その名も「おでん三吉」。仙台人でこの名を知らない人はまずいないだろう。
昭和24年創業のこのお店。もともと名前は「みよし」だったのだが、お客さんたちが「さんきち」と呼ぶので「三吉 さんきち」になったのだとか。
私も何度かこの店を訪れたことがあるが、いつもお客さんで一杯だった。
お客さんを連れて来る時は、おまかせで頼むことが多いが、写真にもあるように、たこがかんぴょうの鉢巻を巻いて登場する。たいていの方はこれをみると相好が崩れるから、それを見ているこちらも嬉しくなってくる。
さて、このお店。仙台市の中心部は一番町の稲荷小路にある。定禅寺通側から入ってすぐのところにあるので、簡単に見つけることが出来るだろう。
ちなみに仙台市には伊達政宗公が建立した寺社仏閣等が、市の中心部を取り囲むように建っているが、これらを直線で結ぶと所謂「六芒星」の形になる。すなわち結界である。
おそらく政宗公が仙台市を守るために、このような配置をしたのではないかと言われているのだが、驚くなかれ、この六芒星の中心がなんと「おでん三吉」なのである。それも一階小上がりの丸いテーブルがどうやらそうらしいと専らの噂になっている。
そんなことを全然知らなかった私は、Mさん、Kさん、Nさんの四人でこの丸テーブルを囲み、散々飲み食いした揚句、翌日は全員体調不良に陥ってしまった。
果たしてこれが、六芒星パワーの貰い過ぎか、はたまた呑兵衛おやじ達の自業自得の結果かはいまだ定かではない。
鍋物が美味しい季節になった。いや、恋しい季節と書いた方が良いか。特に寒い日の夜は食べたくなる。
以心伝心ではないけれど、そう思った日の夜は、妻が食卓に鍋物を用意してくれている。もう、何十年も一緒に暮らしているので、私の気持ちを読むことが出来るのだろうが、妻に言わせれば鍋物は手抜き料理なのだという。
具材さえ用意すれば、あとは自分で勝手に作って食べてくれるから楽なのだそうだ。しかもそれを喜んで食べてくれるのだから、まさに一石二鳥とはこのことと妻は笑う。
それにしても鍋料理のなんと種類の多いことよ。和食店や居酒屋に入っても、お品書きの鍋物の多さには驚いてしまう。
これから年末にかけての忘年会シーズンには、多くのお店が鍋物を中心にしたコースを組むのだろうが、それだけ日本人は鍋物が好き、鍋物が食の中心にあるということか。
さて、この休日。妻と二人で今夜は何を食べようという話になった。お互い散々悩んだフリをした挙句、鍋物という結論に至った。しかし、鍋物もだいぶ食べ尽くしたので、何か変わったものは無いかなと、レシピ本やらネットを検索していたら、テレビのローカル番組で「芹」の収穫の話題を取り上げていた。
仙台市の南隣の名取市では、今がせりの収穫の真っ最中なのだとか。せりを使った料理も様々紹介されていたが、やはり妻と二人で意見が一致したのは「せり鍋」だった。
「よし、今夜はせり鍋で決まりだ」
妻とふたりで固い握手を交わす。
善は急げ。早速本場名取市へ出かけると、新鮮なせりを確保することが出来た。続いて鴨肉は肉の専門店へ行って購入し、おおよその食材は簡単に手に入った。
あとは夜を待って食べるだけ。頭の中をせり鍋の画像が、シネマスコープのようにワイドな画面となって占拠する。
美味しそうに煮えたせりの根を摘み上げ、器に取ってスープと一緒に食べると、シャキシャキ感とせりの澄んだ香り、鴨肉から染み出した極上の旨味が、醤油ベースのスープに乗って押し寄せてくる。私の妄想は止まらなかった。
しかし、その夜。別に誰にも話していなかったのに、妻とふたりで食べようと思っていたのに、夕餉の食卓にはいつの間にか一族郎党が揃っていた。その数9名。
『なんて日だ!』と食卓の中心で叫びたい気持ちを押さえながら、それでも仙台せり鍋は皆に微笑みを分け与えていた。
以心伝心ではないけれど、そう思った日の夜は、妻が食卓に鍋物を用意してくれている。もう、何十年も一緒に暮らしているので、私の気持ちを読むことが出来るのだろうが、妻に言わせれば鍋物は手抜き料理なのだという。
具材さえ用意すれば、あとは自分で勝手に作って食べてくれるから楽なのだそうだ。しかもそれを喜んで食べてくれるのだから、まさに一石二鳥とはこのことと妻は笑う。
それにしても鍋料理のなんと種類の多いことよ。和食店や居酒屋に入っても、お品書きの鍋物の多さには驚いてしまう。
これから年末にかけての忘年会シーズンには、多くのお店が鍋物を中心にしたコースを組むのだろうが、それだけ日本人は鍋物が好き、鍋物が食の中心にあるということか。
さて、この休日。妻と二人で今夜は何を食べようという話になった。お互い散々悩んだフリをした挙句、鍋物という結論に至った。しかし、鍋物もだいぶ食べ尽くしたので、何か変わったものは無いかなと、レシピ本やらネットを検索していたら、テレビのローカル番組で「芹」の収穫の話題を取り上げていた。
仙台市の南隣の名取市では、今がせりの収穫の真っ最中なのだとか。せりを使った料理も様々紹介されていたが、やはり妻と二人で意見が一致したのは「せり鍋」だった。
「よし、今夜はせり鍋で決まりだ」
妻とふたりで固い握手を交わす。
善は急げ。早速本場名取市へ出かけると、新鮮なせりを確保することが出来た。続いて鴨肉は肉の専門店へ行って購入し、おおよその食材は簡単に手に入った。
あとは夜を待って食べるだけ。頭の中をせり鍋の画像が、シネマスコープのようにワイドな画面となって占拠する。
美味しそうに煮えたせりの根を摘み上げ、器に取ってスープと一緒に食べると、シャキシャキ感とせりの澄んだ香り、鴨肉から染み出した極上の旨味が、醤油ベースのスープに乗って押し寄せてくる。私の妄想は止まらなかった。
しかし、その夜。別に誰にも話していなかったのに、妻とふたりで食べようと思っていたのに、夕餉の食卓にはいつの間にか一族郎党が揃っていた。その数9名。
『なんて日だ!』と食卓の中心で叫びたい気持ちを押さえながら、それでも仙台せり鍋は皆に微笑みを分け与えていた。
東北210号と言っても、ピーンと来る人はほとんどいないかもしれない。
東北189号げんきまると東1126を父母に持つ、宮城が生んだ美味しいお米。その名も「だて正夢」が、今年も店頭に並び始めた。
たまたま或るデパートの前を通りかかったら、人だかりが出来ている。何だろうと思って覗き込むと、白米の小さなオニギリが並べられたトレイを持ったスタッフが、集まってきた人たちに配りながら『だて正夢』の新米PRをしているところだった。
名前は知っていたが、まだ一度も口にしたことが無かったので、物は試しと早速ひとつを頂戴し食べてみた。
(う、うま~い)
おそらく感想を求められても、この一言しか出ないだろう。新米ということもあるが、もちもちとした食感と口中に広がる甘み。私の周りで試食した人たちも同じ思いであったろう。「おいしい!」だとか「あま~い」といったような声が聞こえてくる。
この『だて正夢』のキャッチフレーズは「みやぎ米の夢をかなえた これぞ天下をとる旨さ」なのだとか。
今までのみやぎ米は「ササニシキ」などがそうであったように、もちもち感というよりは、あっさり感の方が前面に出ていたように思う。だが、この『だて正夢』になって、ついにその殻が破られたといえようか。
地元贔屓と言われることを覚悟の上で、魚沼産のコシヒカリに勝るとも劣らない「だて正夢」を是非ご賞味頂ければと思う。
尚、このお米は水加減が大事とのことで、水の量を気持ち控えると、一層もちもち感が増すのだとか。
現在、有名百貨店やネットなどでも購入が可能なようだが、私も新米を入手したので、家族が揃った日にでも炊いてみたいと思う。
※「だて正夢」日本穀物検定協会の食味ランキング発表(2年連続:特A)
東北189号げんきまると東1126を父母に持つ、宮城が生んだ美味しいお米。その名も「だて正夢」が、今年も店頭に並び始めた。
たまたま或るデパートの前を通りかかったら、人だかりが出来ている。何だろうと思って覗き込むと、白米の小さなオニギリが並べられたトレイを持ったスタッフが、集まってきた人たちに配りながら『だて正夢』の新米PRをしているところだった。
名前は知っていたが、まだ一度も口にしたことが無かったので、物は試しと早速ひとつを頂戴し食べてみた。
(う、うま~い)
おそらく感想を求められても、この一言しか出ないだろう。新米ということもあるが、もちもちとした食感と口中に広がる甘み。私の周りで試食した人たちも同じ思いであったろう。「おいしい!」だとか「あま~い」といったような声が聞こえてくる。
この『だて正夢』のキャッチフレーズは「みやぎ米の夢をかなえた これぞ天下をとる旨さ」なのだとか。
今までのみやぎ米は「ササニシキ」などがそうであったように、もちもち感というよりは、あっさり感の方が前面に出ていたように思う。だが、この『だて正夢』になって、ついにその殻が破られたといえようか。
地元贔屓と言われることを覚悟の上で、魚沼産のコシヒカリに勝るとも劣らない「だて正夢」を是非ご賞味頂ければと思う。
尚、このお米は水加減が大事とのことで、水の量を気持ち控えると、一層もちもち感が増すのだとか。
現在、有名百貨店やネットなどでも購入が可能なようだが、私も新米を入手したので、家族が揃った日にでも炊いてみたいと思う。
※「だて正夢」日本穀物検定協会の食味ランキング発表(2年連続:特A)
まさか自分がこんなにもスィーツ好きだとは知らなかった。
妻や妹と某お茶屋さんの甘味処に入ったのだが、最初はその店自慢の茶そばを食べようと思っていた。ところがメニューを捲っているうちに、スィーツの頁に目が釘付けになってしまった。そこには「秋の味覚あんみつ」と名付けられた、いかにも秋色をした美味しそうなあんみつの写真が載っていた。
その前の頁には、抹茶色に艶々と光る美味しそうな茶そばの写真が「こっちの方がおいしいよ」と手招きをしている。
私は迷った。初志貫徹。ここは当初の予定通り茶そばで行くべきか、それとも軌道修正、突然現れた美貌の人のもとへと走るべきか。
何度もメニューを捲り直すそんな私を見て、妻や妹が痺れを切らす。
「茶そば?それとも秋の味覚あんみつ?私たちは秋の味覚あんみつに決めたから」
それでも唸る私に妹が「両方食べれば?」と悪魔の囁き。
それは倫理的に許されない。二人の女性を同時に愛することは出来ないのだ。
妻と妹の苛立ちを感じた私は「白玉あんみつにする」と言ってしまった。
その一言に驚く二人。本当に?という表情。
秋の味覚あんみつの写真の下に、少し小さく清楚な白玉あんみつの写真が。
それは美貌の姉に寄り添う無垢な妹のようだった。
「本当に白玉あんみつでいいの?」と妻が訊ねるので、危うく(妹の方で)と言いそうになるのをこらえて「いい」と応える。
すると愚妹が「今年の秋は今しかないよ」と余計な横槍を入れてきた。確かに今年の秋は今しかない。それはあたかも美貌の人との出会いは、一期一会なのだと諭されているかのようだ。
再び揺れ動くオヤジ心。身内の言葉は地球よりも重い。私は断腸の思いで無垢な妹を振り切り、妖艶な姉を選んでしまった。
「また何か妄想していたろ...」
あんみつを頬張りながら愚妹が言う。
「へふに(別に)...」
秋の味覚あんみつを口一杯にしながら、知らんふりをする。
カボチャとムラサキイモのアイスクリーム。胡麻をからんだ大学イモ。栗や抹茶のワラビ餅。紅白の白玉と、そして大納言小豆に黒蜜。
口の中は一気に秋色へと染まった。
妻や妹と某お茶屋さんの甘味処に入ったのだが、最初はその店自慢の茶そばを食べようと思っていた。ところがメニューを捲っているうちに、スィーツの頁に目が釘付けになってしまった。そこには「秋の味覚あんみつ」と名付けられた、いかにも秋色をした美味しそうなあんみつの写真が載っていた。
その前の頁には、抹茶色に艶々と光る美味しそうな茶そばの写真が「こっちの方がおいしいよ」と手招きをしている。
私は迷った。初志貫徹。ここは当初の予定通り茶そばで行くべきか、それとも軌道修正、突然現れた美貌の人のもとへと走るべきか。
何度もメニューを捲り直すそんな私を見て、妻や妹が痺れを切らす。
「茶そば?それとも秋の味覚あんみつ?私たちは秋の味覚あんみつに決めたから」
それでも唸る私に妹が「両方食べれば?」と悪魔の囁き。
それは倫理的に許されない。二人の女性を同時に愛することは出来ないのだ。
妻と妹の苛立ちを感じた私は「白玉あんみつにする」と言ってしまった。
その一言に驚く二人。本当に?という表情。
秋の味覚あんみつの写真の下に、少し小さく清楚な白玉あんみつの写真が。
それは美貌の姉に寄り添う無垢な妹のようだった。
「本当に白玉あんみつでいいの?」と妻が訊ねるので、危うく(妹の方で)と言いそうになるのをこらえて「いい」と応える。
すると愚妹が「今年の秋は今しかないよ」と余計な横槍を入れてきた。確かに今年の秋は今しかない。それはあたかも美貌の人との出会いは、一期一会なのだと諭されているかのようだ。
再び揺れ動くオヤジ心。身内の言葉は地球よりも重い。私は断腸の思いで無垢な妹を振り切り、妖艶な姉を選んでしまった。
「また何か妄想していたろ...」
あんみつを頬張りながら愚妹が言う。
「へふに(別に)...」
秋の味覚あんみつを口一杯にしながら、知らんふりをする。
カボチャとムラサキイモのアイスクリーム。胡麻をからんだ大学イモ。栗や抹茶のワラビ餅。紅白の白玉と、そして大納言小豆に黒蜜。
口の中は一気に秋色へと染まった。
三連休の最終日。
妻の実家へ墓参りに出かける。
墓は実家からほど近い場所にあり、いつも綺麗に掃き清められている。これは義姉がいつも掃除に来ているからだ。
墓参りを済ませると実家に立ち寄り、義姉としばらく世間話に興じる。相変らずパワフルな女性だ。じっとしていることがない。広い家の中もゴミひとつ塵ひとつ落ちていない。我が家とは対照的だ。
帰り際には自宅の畑で収穫したというジャガイモを、米袋ひとつ分も渡された。
これだけのジャガイモはとても食べ切れるものではない。誰それさんにお裾分けしようかなどと妻と話し合っているうちに、急にカレーが食べたくなってきた。おそらくジャガイモのせいかもしれない。
それじゃあ昼食も取っていなかったから、何処かで食べて行こうということになり、辺りを見れば仙台国際空港のすぐそばを走っていた。
「そうだ、空港のレストランに入ろうか」
私のこの一言に妻もすぐに同意。
空港の三階にある某レストランに入り、メニューを見るとありました!ありました。サクサク四元豚のカツカレー。
写真で見るとかなり大きなトンカツが載っている。これは凄いなと思いつつも、過去に何度か裏切られたことがあったので俄かには信用できない。
でも、仙台の空の玄関で、他から訪ねていらっしゃるお客さま方に嘘はつけないだろう。ここはこのレストランの良心を信じてオーダーすることにした。
やがて目の前に運ばれてきたのは、写真の通りの、正真正銘のカツカレーである。トンカツの大きさも歯触り歯ごたえも申し分なし。ただ、サクサクに拘りすぎたせいか、やや衣が固めではあったが、カレーとのマッチングも上々だった。
ちなみに白髪ネギが付け合せのように載っているが、これは妻が味噌ラーメンから取って寄越したもの。彼女はネギが苦手なのである。だからこのレストランでカツカレーにネギが載っていないからといって、店員にクレームをつけないようにお願いしたい。
それにしてもさすがに私には量が多すぎて、この晩は他に何も食べることが出来なかった。
カツカレー。私にとっては最強の食べ物である。
妻の実家へ墓参りに出かける。
墓は実家からほど近い場所にあり、いつも綺麗に掃き清められている。これは義姉がいつも掃除に来ているからだ。
墓参りを済ませると実家に立ち寄り、義姉としばらく世間話に興じる。相変らずパワフルな女性だ。じっとしていることがない。広い家の中もゴミひとつ塵ひとつ落ちていない。我が家とは対照的だ。
帰り際には自宅の畑で収穫したというジャガイモを、米袋ひとつ分も渡された。
これだけのジャガイモはとても食べ切れるものではない。誰それさんにお裾分けしようかなどと妻と話し合っているうちに、急にカレーが食べたくなってきた。おそらくジャガイモのせいかもしれない。
それじゃあ昼食も取っていなかったから、何処かで食べて行こうということになり、辺りを見れば仙台国際空港のすぐそばを走っていた。
「そうだ、空港のレストランに入ろうか」
私のこの一言に妻もすぐに同意。
空港の三階にある某レストランに入り、メニューを見るとありました!ありました。サクサク四元豚のカツカレー。
写真で見るとかなり大きなトンカツが載っている。これは凄いなと思いつつも、過去に何度か裏切られたことがあったので俄かには信用できない。
でも、仙台の空の玄関で、他から訪ねていらっしゃるお客さま方に嘘はつけないだろう。ここはこのレストランの良心を信じてオーダーすることにした。
やがて目の前に運ばれてきたのは、写真の通りの、正真正銘のカツカレーである。トンカツの大きさも歯触り歯ごたえも申し分なし。ただ、サクサクに拘りすぎたせいか、やや衣が固めではあったが、カレーとのマッチングも上々だった。
ちなみに白髪ネギが付け合せのように載っているが、これは妻が味噌ラーメンから取って寄越したもの。彼女はネギが苦手なのである。だからこのレストランでカツカレーにネギが載っていないからといって、店員にクレームをつけないようにお願いしたい。
それにしてもさすがに私には量が多すぎて、この晩は他に何も食べることが出来なかった。
カツカレー。私にとっては最強の食べ物である。
「コメダ珈琲」に入ってみた
2018年8月10日 グルメ コメント (10)
二男は営業職なのでクルマであちこち回っていることもあり、飲食店の情報については特に詳しい。
やれ、何処のラーメン屋が旨いだとか、あそこのトンカツ屋は肉は薄いが衣は厚いだとか、カレーは絶対あの店がお勧めなどといつも教えてくれる。
私と妻は息子からのそんな話を聞くだけで、なんだか腹が一杯になったような気分になる。
先日は猛暑続きの中で、ちょっと水分補給と時間潰しに「コメダ珈琲」に入ったことを教えてくれた。
実は息子から聞かされるまで、「コメダ珈琲」なる喫茶店があることをまったく知らなかった。なんでも全国にチェーン展開している喫茶店なのだそうな。
おそらくこの店が存在しないという都道府県は、ひとつも無いのではないかということだったが、二男曰く
「ここ、凄いんだよ」とのこと。たまに二人で行ってみてはと言い残し、さっさと出かけてしまった。
一体何が凄いのだか分からないし、どこにあるのかも知らない。
その時は、ただふーんと聞き流して終わってしまった。
それから暫く経った或る日、私と妻のふたりで買い物に出かけたのだが、偶然にも「コメダ珈琲」の看板を見つけた。
ああ、ここが息子が教えてくれた店だなと分かると、妻は入ってみようかと言い出した。
時刻はお昼の時間帯をとっくに過ぎているにも関わらず、広い店内は満席状態で、暫くのあいだ待たされることになった。
それから待つこと15分くらいでようやく席へと案内された。
テーブルに置かれたメニューに目を通すが、さて、何を頼んだら良いのか分からない。
妻も私も昼食を取っていなかったので、スナックは「エビカツパン」と「ミソカツパン」を、飲み物はコーヒーと、それからメニューの写真で気になったジェリコ「元祖」という飲み物?を頼むことにした。
やがて目の前に現れたそれに目を丸くする。
思わずふたりで「でかい!」と発してしまった。
「エビカツパン」も「ミソカツパン」も我々の想像をはるかに超える大きさだったからだ。大体コッペパンの大きさが自分の知っているそれではなかった。これならどちらかひとつ頼んだだけでも十分だったと後悔するが、今となっては後の祭り。
さらに私が頼んだジェリコ「元祖」が運ばれて来た時には、そのボリュームに再び圧倒される。
コーヒーゼリーとアイスコーヒーを合体し、その上にこんもりとホイップクリームの蓋をした飲み物と言えば良いだろうか。
なにせ中身はほとんどがゼリーである。これだけでも腹が一杯になってしまいそうだ。二男が『ここ、凄いんだよ』と言った意味はこれだったのかと納得。
妻と私は昔気質の人間。残すと罰が当たるを今でも信じているので、とにかく食べてしまおうと必死だったが、あと一切れ二切れを残して力尽きる。
ジェリコ「元祖」にしてもそう。こんなに大量のコーヒーゼリーを一度に飲んだのは生まれて初めてのことだ。きっと今夜はコーヒーゼリーの夢を見るに違いない。私の向かいの席では、妻が放心状態になっている。こういう顔を見るのは、息子たちの通知表を開いた時以来だ。
あとから分かったのだが、残したら持ち帰りも良いらしい。それだったら無理に食べる必要はなかったのだ。
まあ、何事も社会見聞である。勉強になりました。
やれ、何処のラーメン屋が旨いだとか、あそこのトンカツ屋は肉は薄いが衣は厚いだとか、カレーは絶対あの店がお勧めなどといつも教えてくれる。
私と妻は息子からのそんな話を聞くだけで、なんだか腹が一杯になったような気分になる。
先日は猛暑続きの中で、ちょっと水分補給と時間潰しに「コメダ珈琲」に入ったことを教えてくれた。
実は息子から聞かされるまで、「コメダ珈琲」なる喫茶店があることをまったく知らなかった。なんでも全国にチェーン展開している喫茶店なのだそうな。
おそらくこの店が存在しないという都道府県は、ひとつも無いのではないかということだったが、二男曰く
「ここ、凄いんだよ」とのこと。たまに二人で行ってみてはと言い残し、さっさと出かけてしまった。
一体何が凄いのだか分からないし、どこにあるのかも知らない。
その時は、ただふーんと聞き流して終わってしまった。
それから暫く経った或る日、私と妻のふたりで買い物に出かけたのだが、偶然にも「コメダ珈琲」の看板を見つけた。
ああ、ここが息子が教えてくれた店だなと分かると、妻は入ってみようかと言い出した。
時刻はお昼の時間帯をとっくに過ぎているにも関わらず、広い店内は満席状態で、暫くのあいだ待たされることになった。
それから待つこと15分くらいでようやく席へと案内された。
テーブルに置かれたメニューに目を通すが、さて、何を頼んだら良いのか分からない。
妻も私も昼食を取っていなかったので、スナックは「エビカツパン」と「ミソカツパン」を、飲み物はコーヒーと、それからメニューの写真で気になったジェリコ「元祖」という飲み物?を頼むことにした。
やがて目の前に現れたそれに目を丸くする。
思わずふたりで「でかい!」と発してしまった。
「エビカツパン」も「ミソカツパン」も我々の想像をはるかに超える大きさだったからだ。大体コッペパンの大きさが自分の知っているそれではなかった。これならどちらかひとつ頼んだだけでも十分だったと後悔するが、今となっては後の祭り。
さらに私が頼んだジェリコ「元祖」が運ばれて来た時には、そのボリュームに再び圧倒される。
コーヒーゼリーとアイスコーヒーを合体し、その上にこんもりとホイップクリームの蓋をした飲み物と言えば良いだろうか。
なにせ中身はほとんどがゼリーである。これだけでも腹が一杯になってしまいそうだ。二男が『ここ、凄いんだよ』と言った意味はこれだったのかと納得。
妻と私は昔気質の人間。残すと罰が当たるを今でも信じているので、とにかく食べてしまおうと必死だったが、あと一切れ二切れを残して力尽きる。
ジェリコ「元祖」にしてもそう。こんなに大量のコーヒーゼリーを一度に飲んだのは生まれて初めてのことだ。きっと今夜はコーヒーゼリーの夢を見るに違いない。私の向かいの席では、妻が放心状態になっている。こういう顔を見るのは、息子たちの通知表を開いた時以来だ。
あとから分かったのだが、残したら持ち帰りも良いらしい。それだったら無理に食べる必要はなかったのだ。
まあ、何事も社会見聞である。勉強になりました。
サーロインステーキ悲話
2018年7月12日 グルメ コメント (6)
このところの暑さのせいだろうか。何となくパワーが出ない。これは早くも夏バテかもしれないと思い、元気が出るものを食べようといろいろ思案した。
そこで思い出したのが、長寿の方々の多くが肉を好んで食べているという話だ。
先日も90歳や100歳を超えたご老人方が、美味しそうにステーキを食べているシーンが放送されていた。
その番組に出ていた医師も、最近牛肉が実は健康に良いものとして見直されていることや、牛の脂身が痴呆予防にも効果があることが分かった等と解説していた。ただしあまり焼き過ぎると、発ガン性物質が生じるから、なるべくならレアがお勧めであるとも。
そこで、今日はパワーを回復させるために、清水の舞台から飛び降りたつもりで、昼食にステーキを食べようと心に決めた。
思えば最近、否、いつもだけれど、ロクなものを食べていなかった。
立ち食い蕎麦屋でざるそばだとか、コンビニで買ったパンだとか、安くて力が出なくなるような物ばかりを食べていた気がする。これじゃあ夏バテの前に「初夏バテ」になってしまうのも当然だ。
そこで早速街中のステーキ屋へ入ってみた。店内は意外なほど空いている。こう暑いとステーキを食べたいという気持ちにならないのだろうか。
まあ、それはどうでもよい。まずは自分が体力をつけなければならん。
そこでおもむろにメニューを開くと、一番最初に載っていたサーロインステーキを迷わず選択した。それも300gのやつを。
清水の舞台から転落していく自分の姿が一瞬脳裏を過ったが、冷たい水を飲んで我に返った。
しばらくすると、溶岩プレートの上でジュウジュウと大きな音を立てながら、愛しのサーロインステーキが運ばれてきた。
(おお、うまそうじゃないか。久しぶりだなあ。君に最後に会ったのはいつだっけ)
そんなことを思いながら、肉厚のその身体にナイフを入れる。切り取られてもなお小さな音を立てるいじらしい肉片を一気に頬張ると、口中には旨味と満足感があっという間に広がる。
これはたまらん。休む間もなく、次の一切れを、そしてまた次の一切れをと口元へ運ぶ。
気がつけば、300gのサーロインは、すべて我が胃袋へと収まっていた。
店の外へ出るとムッとする暑さだ。しかし、早くも肉の効果が現れたのだろうか。なんだか午前中よりも身体がしゃんとしている。さすがはサーの称号が与えられた肉だ。元気を取り戻した私は、足取りも軽く会社へと向かう。
この夜、なんとなく胸焼けが。なんとなくだが...
やはり普段食べ慣れないものを食べたせいだからか。
弱った身体に、効き目の強い薬を与えてしまったためなのか?
うーん、明日からは「ざるそば」だな。
清水の舞台へ這い上がっていく自分の姿が見えた。
その夜、立ち食い蕎麦屋の自販機の前で、ざるそばのボタンを必死で探すつまらない夢を見た。
そこで思い出したのが、長寿の方々の多くが肉を好んで食べているという話だ。
先日も90歳や100歳を超えたご老人方が、美味しそうにステーキを食べているシーンが放送されていた。
その番組に出ていた医師も、最近牛肉が実は健康に良いものとして見直されていることや、牛の脂身が痴呆予防にも効果があることが分かった等と解説していた。ただしあまり焼き過ぎると、発ガン性物質が生じるから、なるべくならレアがお勧めであるとも。
そこで、今日はパワーを回復させるために、清水の舞台から飛び降りたつもりで、昼食にステーキを食べようと心に決めた。
思えば最近、否、いつもだけれど、ロクなものを食べていなかった。
立ち食い蕎麦屋でざるそばだとか、コンビニで買ったパンだとか、安くて力が出なくなるような物ばかりを食べていた気がする。これじゃあ夏バテの前に「初夏バテ」になってしまうのも当然だ。
そこで早速街中のステーキ屋へ入ってみた。店内は意外なほど空いている。こう暑いとステーキを食べたいという気持ちにならないのだろうか。
まあ、それはどうでもよい。まずは自分が体力をつけなければならん。
そこでおもむろにメニューを開くと、一番最初に載っていたサーロインステーキを迷わず選択した。それも300gのやつを。
清水の舞台から転落していく自分の姿が一瞬脳裏を過ったが、冷たい水を飲んで我に返った。
しばらくすると、溶岩プレートの上でジュウジュウと大きな音を立てながら、愛しのサーロインステーキが運ばれてきた。
(おお、うまそうじゃないか。久しぶりだなあ。君に最後に会ったのはいつだっけ)
そんなことを思いながら、肉厚のその身体にナイフを入れる。切り取られてもなお小さな音を立てるいじらしい肉片を一気に頬張ると、口中には旨味と満足感があっという間に広がる。
これはたまらん。休む間もなく、次の一切れを、そしてまた次の一切れをと口元へ運ぶ。
気がつけば、300gのサーロインは、すべて我が胃袋へと収まっていた。
店の外へ出るとムッとする暑さだ。しかし、早くも肉の効果が現れたのだろうか。なんだか午前中よりも身体がしゃんとしている。さすがはサーの称号が与えられた肉だ。元気を取り戻した私は、足取りも軽く会社へと向かう。
この夜、なんとなく胸焼けが。なんとなくだが...
やはり普段食べ慣れないものを食べたせいだからか。
弱った身体に、効き目の強い薬を与えてしまったためなのか?
うーん、明日からは「ざるそば」だな。
清水の舞台へ這い上がっていく自分の姿が見えた。
その夜、立ち食い蕎麦屋の自販機の前で、ざるそばのボタンを必死で探すつまらない夢を見た。
スペイン料理を食べに
2018年6月21日 グルメ コメント (7)
人間とは、やはり贅沢に出来ているものなのだろうか。
食に関して言えば、さほどこだわりが無い(?)と思っていた自分だが、たまにはグルメ番組で紹介されているような料理を食べたくなることがある。
しかし、ひとりだけで美味しい料理を食べるという反道徳的行為は性分として出来ないので、必ず誰かを誘うことになる。
というわけで、今回は愛人1号と連れ立って、スペイン料理の店を訪れた。
ちなみに愛人1号とは、我が妻のことであるのでご安心願いたい(残念ながら2号を持てるほどの甲斐性はまるでない)。
さて、スペイン料理といえばまず思い出されるのはパエーリャだろうか。この料理については、日本でも比較的ポピュラーになって来たが、私としてはまずハモン・セラーノだ。料理とは言えないかもしれないが、イベリコ豚の生ハムである。世界三大ハムのひとつと呼ばれるが、これをつまみながらシェリー酒やワインを飲むと気分が高揚する。
そして日本でも人気の高いアヒージョは、オリーブオイルでエビやマッシュルーム、ニンニクなどを炒める料理で、鉄製の小鍋にグツグツと煮えたぎった状態で運ばれてくる。これもまた、お酒が進んでしまうという困った料理だ。
スペインは様々な文化が流れ込んだ国なので、当然ながら食文化は実に豊かだ。目の前には地中海という海の幸の宝庫を抱えているから、魚介類の料理もふんだんにある。
オーダーしたサルピコン(海の幸のマリネ)にはタコやエビなどが入り、これは白ワインがよく合った。
しかし意外だったのは、ひとくちサイズのイベリコ生ハムのコロッケだった。中は熱々のクリームで満たされ、口中にトロリと広がるその美味しさは表現しがたいものだった。
毎朝食べているコロッケパンのコロッケとはまるで別物だ。
うーん、こんなことを書いているうちに、なんだかまた食べたくなってきた。
よし、今夜はひとりでこっそりと反道徳的行為に走ろうか。
食に関して言えば、さほどこだわりが無い(?)と思っていた自分だが、たまにはグルメ番組で紹介されているような料理を食べたくなることがある。
しかし、ひとりだけで美味しい料理を食べるという反道徳的行為は性分として出来ないので、必ず誰かを誘うことになる。
というわけで、今回は愛人1号と連れ立って、スペイン料理の店を訪れた。
ちなみに愛人1号とは、我が妻のことであるのでご安心願いたい(残念ながら2号を持てるほどの甲斐性はまるでない)。
さて、スペイン料理といえばまず思い出されるのはパエーリャだろうか。この料理については、日本でも比較的ポピュラーになって来たが、私としてはまずハモン・セラーノだ。料理とは言えないかもしれないが、イベリコ豚の生ハムである。世界三大ハムのひとつと呼ばれるが、これをつまみながらシェリー酒やワインを飲むと気分が高揚する。
そして日本でも人気の高いアヒージョは、オリーブオイルでエビやマッシュルーム、ニンニクなどを炒める料理で、鉄製の小鍋にグツグツと煮えたぎった状態で運ばれてくる。これもまた、お酒が進んでしまうという困った料理だ。
スペインは様々な文化が流れ込んだ国なので、当然ながら食文化は実に豊かだ。目の前には地中海という海の幸の宝庫を抱えているから、魚介類の料理もふんだんにある。
オーダーしたサルピコン(海の幸のマリネ)にはタコやエビなどが入り、これは白ワインがよく合った。
しかし意外だったのは、ひとくちサイズのイベリコ生ハムのコロッケだった。中は熱々のクリームで満たされ、口中にトロリと広がるその美味しさは表現しがたいものだった。
毎朝食べているコロッケパンのコロッケとはまるで別物だ。
うーん、こんなことを書いているうちに、なんだかまた食べたくなってきた。
よし、今夜はひとりでこっそりと反道徳的行為に走ろうか。
焼きそばパンと頭脳パン
2018年6月5日 グルメ
しかし、焼きそばパンって誰が発明したのだろうか。これを発明した人はきっと天才に違いない。
パンが洋なら、焼きそばは和か。洋食と和食の見事な合体だ。
汁気の少ない焼きそばならば、パンが水分を含んでグチャグチャになることもほとんど無い。もし発明者がそこまで計算していたならば、ノーベル賞とまでは言わないけれど、パン屋大賞くらいは授与したい気分だ。
昔話になるけれど、中学生の頃、昼になると購買部へ一目散に走って買いに行ったのも焼きそばパンだった。たまに先を越されて手に入れることが出来なかった時には、午後の授業はいつも以上にぼおっとしていたものだ。
そんな時、売れ残っていた頭脳パンを仕方なく食べていたものだが、今改めて思うと、あの頭脳パンとは一体何者だったのだろうか。
当時は今のように分からないことがあれば、ネットですぐに調べられる時代ではない。
そのため友人たちとああでもない、こうでもないと頭脳パンの正体について話し合い、次第に妄想が広がっていく。
「○組の○○がいつも頭脳パン食べてたら、期末試験の成績が上がったらしい」
「いや、あれは麻薬が入っているんだ。だから脳みそが破裂しそうになって、頭脳ぱん!だ」
「親父さんがパン工場に勤めている○○の話では、○○の脳みそを乾燥させて粉にして、それを混ぜてるんだって」
「俺のネエチャンは毎日頭脳パンを食べてたら成績が下がったって言ってた」
「下がるほど成績良かったっけ?」
とまあ、こんな具合だった。
現在でもこの頭脳パンはフジパンなどで製造、販売されているようだ。
週に二日は食べている焼きそばパンを、たまには頭脳パンにしてみようかな。
少しは頭が良くなるかもしれない。
※頭脳パンの正体は「秘密日記」で。
パンが洋なら、焼きそばは和か。洋食と和食の見事な合体だ。
汁気の少ない焼きそばならば、パンが水分を含んでグチャグチャになることもほとんど無い。もし発明者がそこまで計算していたならば、ノーベル賞とまでは言わないけれど、パン屋大賞くらいは授与したい気分だ。
昔話になるけれど、中学生の頃、昼になると購買部へ一目散に走って買いに行ったのも焼きそばパンだった。たまに先を越されて手に入れることが出来なかった時には、午後の授業はいつも以上にぼおっとしていたものだ。
そんな時、売れ残っていた頭脳パンを仕方なく食べていたものだが、今改めて思うと、あの頭脳パンとは一体何者だったのだろうか。
当時は今のように分からないことがあれば、ネットですぐに調べられる時代ではない。
そのため友人たちとああでもない、こうでもないと頭脳パンの正体について話し合い、次第に妄想が広がっていく。
「○組の○○がいつも頭脳パン食べてたら、期末試験の成績が上がったらしい」
「いや、あれは麻薬が入っているんだ。だから脳みそが破裂しそうになって、頭脳ぱん!だ」
「親父さんがパン工場に勤めている○○の話では、○○の脳みそを乾燥させて粉にして、それを混ぜてるんだって」
「俺のネエチャンは毎日頭脳パンを食べてたら成績が下がったって言ってた」
「下がるほど成績良かったっけ?」
とまあ、こんな具合だった。
現在でもこの頭脳パンはフジパンなどで製造、販売されているようだ。
週に二日は食べている焼きそばパンを、たまには頭脳パンにしてみようかな。
少しは頭が良くなるかもしれない。
※頭脳パンの正体は「秘密日記」で。
「七子八珍」
聞き慣れない言葉である。
青森ではこれを「ななこはっちん」と呼ぶのだそうな。
青森県は太平洋、津軽海峡、日本海と三方を海に囲まれているため、特に魚介類が豊富で美味しい。それも旬によって様々な海の幸が楽しめるのだから何とも羨ましい話だ。
それら青森で獲れた旬の魚介類を「七子八珍」と地元の人達は呼んでいるわけだが、では「七子」とは何か。
それは魚卵などでも、最後に「こ」がつくもの。「たらこ」「すじこ」「ましらこ」「ほたてのこ」「このこ」「たこのこ」「ぶりこ」がそれにあたる。
たらこやすじこは説明するまでもないが、「ましらこ」とは陸奥湾で獲れる真鱈の精巣(白子)のことだ。「ほたてのこ」はホタテの精巣や卵巣、「このこ」はなまこの卵巣で「ぶりこ」ははたはたの卵である。
次に「八珍」だが、いわゆる珍味と呼ばれるものだ。
「ほや」「なまこ」「がさえび」「くりがに」「さめ」「うに」「ふじつぼ」「白魚」の以上八つがそう。
実は今回、これら「七子八珍」を食する機会に恵まれ、美味しく頂戴してきた次第である。写真はその時に供されたものだが、青森らしく「つがるビードロ」の器に盛り付けされて、見た目にも楽しむことが出来る演出がなされていた。
食材をそのまま出すというよりは、店によって様々な工夫(調理)がなされているようだが、私が特に驚いたのは「ふじつぼ」である。
「ふじつぼ」と言ったら、岸壁やテトラポットに張り付いている、いかにも食えなさそうなヤツだ。それが目の前に出された時には少々引いてしまったが、恐る恐る口にしてみると「うまい」の一言。
蟹のような海老のような食感と味は、甲殻類特有のものなのか。これは病みつきになるかもしれない。
当然のことながら日本酒がよく合いそうで、地酒の「陸奥八仙」や「安東水軍」を頂いた。
結局「七子八珍」とは呑兵衛のための「肴」「あて」であるという結論に達したところで今日のブログはおしまい。
そういえば間もなく青森ねぶた祭りの季節だ。
もしねぶた祭り観覧の計画でもあるならば、七子八珍をお試しあれ。
聞き慣れない言葉である。
青森ではこれを「ななこはっちん」と呼ぶのだそうな。
青森県は太平洋、津軽海峡、日本海と三方を海に囲まれているため、特に魚介類が豊富で美味しい。それも旬によって様々な海の幸が楽しめるのだから何とも羨ましい話だ。
それら青森で獲れた旬の魚介類を「七子八珍」と地元の人達は呼んでいるわけだが、では「七子」とは何か。
それは魚卵などでも、最後に「こ」がつくもの。「たらこ」「すじこ」「ましらこ」「ほたてのこ」「このこ」「たこのこ」「ぶりこ」がそれにあたる。
たらこやすじこは説明するまでもないが、「ましらこ」とは陸奥湾で獲れる真鱈の精巣(白子)のことだ。「ほたてのこ」はホタテの精巣や卵巣、「このこ」はなまこの卵巣で「ぶりこ」ははたはたの卵である。
次に「八珍」だが、いわゆる珍味と呼ばれるものだ。
「ほや」「なまこ」「がさえび」「くりがに」「さめ」「うに」「ふじつぼ」「白魚」の以上八つがそう。
実は今回、これら「七子八珍」を食する機会に恵まれ、美味しく頂戴してきた次第である。写真はその時に供されたものだが、青森らしく「つがるビードロ」の器に盛り付けされて、見た目にも楽しむことが出来る演出がなされていた。
食材をそのまま出すというよりは、店によって様々な工夫(調理)がなされているようだが、私が特に驚いたのは「ふじつぼ」である。
「ふじつぼ」と言ったら、岸壁やテトラポットに張り付いている、いかにも食えなさそうなヤツだ。それが目の前に出された時には少々引いてしまったが、恐る恐る口にしてみると「うまい」の一言。
蟹のような海老のような食感と味は、甲殻類特有のものなのか。これは病みつきになるかもしれない。
当然のことながら日本酒がよく合いそうで、地酒の「陸奥八仙」や「安東水軍」を頂いた。
結局「七子八珍」とは呑兵衛のための「肴」「あて」であるという結論に達したところで今日のブログはおしまい。
そういえば間もなく青森ねぶた祭りの季節だ。
もしねぶた祭り観覧の計画でもあるならば、七子八珍をお試しあれ。
Sさんは「蕎麦アレルギー」である。
しかもそれに気がついたのはつい最近のことだ。
私と一緒によく蕎麦屋へ行っては、大好きなざるそばを、それも大盛りをペロリと平らげていたのだが、特に私からみたら別段変わったところはなかった。
しかし彼の中では、異変が生じていたのだ。それを蕎麦のせいだとは思わなかったらしい。
あとから聞いた話では、食べている最中に、上顎や頬の内側にポツポツと発疹のようなものが生じていたのだという。しかし、そんなことは全然おかまいなしで食べ続けていたのだ。今思うとぞっとする話である。
Sさんはかかりつけのドクターからリウマチ因子が高いと指摘され、最近になって専門病院で検査を受けたところ、なんと「蕎麦アレルギー」であることが判明した。
その結果にSさんは落胆した。なにしろ普段から大の蕎麦好きを広言して憚らなかったからだ。天使だったら両の翼をもぎ取られたようなもの。カミナリさまだったら、太鼓を取り上げられたに等しい。
診察してくれた先生に「もう一度、蕎麦を食べて、口の中にポツポツが出るかどうか試してみたい」と頼んだようなのだが、先生から「それだけはやめてください」と強く言い渡されたという。
そのSさんと花見をして、小腹が減ったので何か食べようということになった。
ふたりで入ったのは天麩羅が美味しい和食の店で、私がひとりでもよく入る店だ。
ちょうどランチタイムだったので、私は天麩羅定食を、Sさんも同じものを頼もうとして、はっとした顔になった。
「これ、蕎麦がついてますねぇ」
確かにメニューに載った写真には、もりそばが写っている。しかも、その他の定食類にも蕎麦が必ずついているようだった。
「いやあ、まいったなあ。でも食べたいなあ。まいったなあ」
Sさんは苦渋の表情を浮かべる。
私もこの店に入ってしまったことに責任を感じ、他の店にしましょうかと尋ねたが、Sさんはいやいや大丈夫と手を振って
「この天丼にしますわ。これなら大丈夫」
そういって店員を呼んだ。
今見てきた桜の話をしながら、出されたお茶を啜る。
香ばしいかおりが口中に広がる。
Sさんも茶碗を取り上げて飲もうとした、まさにその時、私は反射的に叫んでいた。
「ちょい待ち!これ蕎麦茶だ」
Sさん、おっ、と小さな声をあげ、茶碗を持った手が固まった。
二人で茶碗をテーブルに置き、溜息をつく。
「危なかったね」と私。
「トラップにかかるところやったわ!」とSさん。
別に店がSさんを罠にかけようとはしないだろうが、私も思わず
「そだねー」と言ってしまった。
このあと、我々の前に料理が運ばれてきたが、私の定食に出されたもりそばを恨めしそうに見ているSさんの顔が今でも忘れられない。
私は天丼を食べているSさんの目を盗むようにして、もりそばを一気に食べてしまった。彼が目を上げた時には、すでにせいろに蕎麦は無く、その時、あっ、という声にはならない声を聞いたような気がした。
先程の蕎麦茶を普通の緑茶に替えてもらったSさんは、無表情のままに飲み干すと、目の前にある湯桶から白濁したお湯を注いだ。
それに気がついた私は「Sさん、それ、蕎麦湯」と声をかけた。
今度は、おっ、という絶望的に小さな声をあげたSさん。
そしてしばらくの沈黙のあと
「あ~あ、天丼おいしかったぁ~」というSさんの嘆き声に、思わず同情を禁じ得ない私だった。
しかもそれに気がついたのはつい最近のことだ。
私と一緒によく蕎麦屋へ行っては、大好きなざるそばを、それも大盛りをペロリと平らげていたのだが、特に私からみたら別段変わったところはなかった。
しかし彼の中では、異変が生じていたのだ。それを蕎麦のせいだとは思わなかったらしい。
あとから聞いた話では、食べている最中に、上顎や頬の内側にポツポツと発疹のようなものが生じていたのだという。しかし、そんなことは全然おかまいなしで食べ続けていたのだ。今思うとぞっとする話である。
Sさんはかかりつけのドクターからリウマチ因子が高いと指摘され、最近になって専門病院で検査を受けたところ、なんと「蕎麦アレルギー」であることが判明した。
その結果にSさんは落胆した。なにしろ普段から大の蕎麦好きを広言して憚らなかったからだ。天使だったら両の翼をもぎ取られたようなもの。カミナリさまだったら、太鼓を取り上げられたに等しい。
診察してくれた先生に「もう一度、蕎麦を食べて、口の中にポツポツが出るかどうか試してみたい」と頼んだようなのだが、先生から「それだけはやめてください」と強く言い渡されたという。
そのSさんと花見をして、小腹が減ったので何か食べようということになった。
ふたりで入ったのは天麩羅が美味しい和食の店で、私がひとりでもよく入る店だ。
ちょうどランチタイムだったので、私は天麩羅定食を、Sさんも同じものを頼もうとして、はっとした顔になった。
「これ、蕎麦がついてますねぇ」
確かにメニューに載った写真には、もりそばが写っている。しかも、その他の定食類にも蕎麦が必ずついているようだった。
「いやあ、まいったなあ。でも食べたいなあ。まいったなあ」
Sさんは苦渋の表情を浮かべる。
私もこの店に入ってしまったことに責任を感じ、他の店にしましょうかと尋ねたが、Sさんはいやいや大丈夫と手を振って
「この天丼にしますわ。これなら大丈夫」
そういって店員を呼んだ。
今見てきた桜の話をしながら、出されたお茶を啜る。
香ばしいかおりが口中に広がる。
Sさんも茶碗を取り上げて飲もうとした、まさにその時、私は反射的に叫んでいた。
「ちょい待ち!これ蕎麦茶だ」
Sさん、おっ、と小さな声をあげ、茶碗を持った手が固まった。
二人で茶碗をテーブルに置き、溜息をつく。
「危なかったね」と私。
「トラップにかかるところやったわ!」とSさん。
別に店がSさんを罠にかけようとはしないだろうが、私も思わず
「そだねー」と言ってしまった。
このあと、我々の前に料理が運ばれてきたが、私の定食に出されたもりそばを恨めしそうに見ているSさんの顔が今でも忘れられない。
私は天丼を食べているSさんの目を盗むようにして、もりそばを一気に食べてしまった。彼が目を上げた時には、すでにせいろに蕎麦は無く、その時、あっ、という声にはならない声を聞いたような気がした。
先程の蕎麦茶を普通の緑茶に替えてもらったSさんは、無表情のままに飲み干すと、目の前にある湯桶から白濁したお湯を注いだ。
それに気がついた私は「Sさん、それ、蕎麦湯」と声をかけた。
今度は、おっ、という絶望的に小さな声をあげたSさん。
そしてしばらくの沈黙のあと
「あ~あ、天丼おいしかったぁ~」というSさんの嘆き声に、思わず同情を禁じ得ない私だった。