妻の親友の病気平癒を祈念するために、一緒に鹽竈(しおがま)神社に詣でた。
久しぶりに訪れた鹽竈神社だったが、境内に一歩足を踏み入れると身も心も浄化される思いがする。
神社という場所が俗世との結界であると言われているが頷ける話だ。
鹽竈神社の創建年代は定かではないとされているが、その起源は奈良時代以前にあるとされている。
私ごとではあるが、息子たちも孫たちも、お宮参りは鹽竈神社であった。その理由はと問われるとはっきりした答えが出せない。みんなの総意というか、自然の流れというか、気がつけばこの「鹽竈さま」へ詣でることになってしまった。こういうのを「ご縁」があるというのだろう。
さて、残念なことにコロナ禍の影響で、手水舎は柄杓が使えず直接流水で手を清めたり、また鈴の緒を掴むことも叶わないため、柏手を打つだけになってしまった。
妻と二人で友人の病気平癒を祈り、併せて孫たちの健やかな成長も祈念した。
ところでずっと気になっていたのだが、我々が本殿に着いた時から、一心に祈りを捧げている若い女性がいた。
その脇でこちらもお参りしたのであるが、我々が終えても一向に祈りを止める気配がない。
必死に何かを祈っているその姿には、鬼気迫るものを感じてしまった。
妻も同様だったらしく、
「何か余程のことがあったんだろうね」とその場を離れてから話しかけてきた。
本殿に向かって右手には別宮があり、願い事はここで行うことになっている。だから、今回のような病気平癒のお願いも、正式にはこちらで行うようなのだが、我々もその仕来りに則り、再度お願いをする。
一通り祈りを終えて最初に顔を上げた妻が、「ひっ」と小さな声を上げた。
その声に私も顔を上げると、一体いつ来たのだろうか。我々のすぐ隣で先ほどの女性が顔の真正面で手を合わせ、祈りを捧げているではないか。
微動だにせず、瞑目しながら何かを祈り続けている。
本殿ではよく分からなかったが、改めてその女性を見ると、二十代後半から三十代前半で主婦のようにもOLのようにも見える。
妻は何かを感じたのだろうか。逃げるようにその場を離れてしまった。
別宮の南側に御札やお守りの授与所があり、妻はそこで友人のためにお守りを受けていたが、その側で私が別宮を振り向くと、やはりあの女性が先ほどと同じ姿勢のまま祈り続けていた。
こうなってくると、私の悪い癖で妄想が止まらなくなる。
せっかく清められたはずの心の中に、様々な良からぬシチュエーションが出現し、そして消えていく。そんな私の様子に気づいたのか、妻が腕を引っ張った。
鹽竈神社の社殿から東側へ暫く離れた場所に志波彦神社がある。なぜか鹽竈神社の境内にあるという神社だが、我々がその神社の前に差し掛かった時、参道の奥、御本殿の前で祈る一人の女性の姿を見つけた。
一体いつの間に。
私と妻は無言でその場を離れた。
久しぶりに訪れた鹽竈神社だったが、境内に一歩足を踏み入れると身も心も浄化される思いがする。
神社という場所が俗世との結界であると言われているが頷ける話だ。
鹽竈神社の創建年代は定かではないとされているが、その起源は奈良時代以前にあるとされている。
私ごとではあるが、息子たちも孫たちも、お宮参りは鹽竈神社であった。その理由はと問われるとはっきりした答えが出せない。みんなの総意というか、自然の流れというか、気がつけばこの「鹽竈さま」へ詣でることになってしまった。こういうのを「ご縁」があるというのだろう。
さて、残念なことにコロナ禍の影響で、手水舎は柄杓が使えず直接流水で手を清めたり、また鈴の緒を掴むことも叶わないため、柏手を打つだけになってしまった。
妻と二人で友人の病気平癒を祈り、併せて孫たちの健やかな成長も祈念した。
ところでずっと気になっていたのだが、我々が本殿に着いた時から、一心に祈りを捧げている若い女性がいた。
その脇でこちらもお参りしたのであるが、我々が終えても一向に祈りを止める気配がない。
必死に何かを祈っているその姿には、鬼気迫るものを感じてしまった。
妻も同様だったらしく、
「何か余程のことがあったんだろうね」とその場を離れてから話しかけてきた。
本殿に向かって右手には別宮があり、願い事はここで行うことになっている。だから、今回のような病気平癒のお願いも、正式にはこちらで行うようなのだが、我々もその仕来りに則り、再度お願いをする。
一通り祈りを終えて最初に顔を上げた妻が、「ひっ」と小さな声を上げた。
その声に私も顔を上げると、一体いつ来たのだろうか。我々のすぐ隣で先ほどの女性が顔の真正面で手を合わせ、祈りを捧げているではないか。
微動だにせず、瞑目しながら何かを祈り続けている。
本殿ではよく分からなかったが、改めてその女性を見ると、二十代後半から三十代前半で主婦のようにもOLのようにも見える。
妻は何かを感じたのだろうか。逃げるようにその場を離れてしまった。
別宮の南側に御札やお守りの授与所があり、妻はそこで友人のためにお守りを受けていたが、その側で私が別宮を振り向くと、やはりあの女性が先ほどと同じ姿勢のまま祈り続けていた。
こうなってくると、私の悪い癖で妄想が止まらなくなる。
せっかく清められたはずの心の中に、様々な良からぬシチュエーションが出現し、そして消えていく。そんな私の様子に気づいたのか、妻が腕を引っ張った。
鹽竈神社の社殿から東側へ暫く離れた場所に志波彦神社がある。なぜか鹽竈神社の境内にあるという神社だが、我々がその神社の前に差し掛かった時、参道の奥、御本殿の前で祈る一人の女性の姿を見つけた。
一体いつの間に。
私と妻は無言でその場を離れた。
コメント
有名な神社ですよね。自然とお宮参りなどもそちらへという流れ。
これはきっと「ご縁」でしょうね!
そうでしたが…手水の柄杓も鈴もなく…。
我が家の近くの神社も同様です。コロナの感染拡大予防と言われたら仕方ないですが、調子が狂いますね。ご親友のご病気も快方に向かうと良いですね。
ただならぬオーラを放ち祈り続ける女性。
きっとよほどのお願いをなさっているのでしょうね…。
しかしその瞬間移動の技。彼女は只者ではなさそうな気配。(すみません。私の悪い癖です…^^;)
「願うことは叶う」とも言います。
その方のお願いも神さまに届くと良いですね。
塩釜と鹽竈。同じ読み方でも難しいですね…^^;
奥様のお友達の病気平癒が叶いますように。
コメントの返信が遅くなりました。申し訳ありません。
親父の体調が芳しくなく、介護と雑用に追われておりました。
さて、鹽竈神社のご利益が早速現れまして、妻の友人の病状が快方に転じました。
妻もその知らせを受けて安堵したようです。
困った時の神頼みとはよく言いますが、まるこさんのおっしゃる通り「願うことは叶う」を証明した一例となりました。
件の女性も果たして願い事が叶ったのでしょうか。大いに気になるところですが、今思い出してもあの真剣さは鬼気迫るものがありました。
祈りの内容は知る由もありませんが、彼女にとって良い結果が出ることを願っています。
私の書き方ではホラーと呼ばれても仕方がありませんね。
でも、妻は最後には怯えていましたし、私も首を傾げたくなるような状況に、実は身震いしていたのは事実です。
神社という神聖な場所の中での話ですから、あやかしではないと思いますが、もし生身の女性であったなら、その願いが聞き届けられると良いなあと...
確かに思いもよらぬ展開となりましたが、その女性と祈りの場で一緒になったのも何かの縁かもしれませんね。
ただ、これは私の直感ですが、その女性からあまり良いオーラを感じませんでした。なんと言ったら良いでしょうか。負といいますか陰といいますか、独特な翳りが周囲に発散されているようで、我が妻も敏感に感じ取ったようです。
まあ、その女性とは二度と再び会うことはないと思いますので、これ以上この話には触れますまい。
私の悪い性質?で呼び寄せてしまったのですかね。
だとしたら困ったものです。
ただ、妻の友人は病気も快方に向かいましたのでひとまずは安堵しておりました。
鹽竈神社には近いうちに都合をつけてお礼参りに行きたいと思っています。