8月の中旬までは親父と飲み歩いていたが、下旬に入ってから体調が悪くなり、家を出ることがほとんど無くなった。
妹からは食べ物を一切受け付けなくなったと聞かされて、さすがに心配になった私は会社帰りに親父の家へ立ち寄った。
部屋の真ん中に蒲団を敷き、横になっていた親父。
部屋へ入って行くと、ゆっくり私の方へ顔を向けて開口一番
「おら、もうだめだぁ~」と蚊の鳴くような声をあげた。
あの親父が、この間までビールを一緒に飲み歩いていた親父が、一回りも二回りも小さくなってしまった。
それでもヨロヨロと蒲団の上に起き上がり、がっくりと項垂れる。
あまりにも衰弱の度合いが激しかったので、これはまずいなと思った私は
「救急車を呼ぼうか」と尋ねたが、明日病院へ行くから呼ぶなという。
(明日までもつかな)などと不安が頭を過ったが、一度そう決めると首を縦に振らない親父である。
妹とも相談して、明日の朝、私が病院へ連れて行くことになった。
翌日、急きょ会社を休んだ私は、用事があってどうしても一緒に行けない妹の代わりに妻を伴い、最近移転が終ったばかりの大きな救急病院へと親父を連れて行った。
本来なら地元の開業医へ連れて行くのが手順だが、そこへ今まで通っていたにも関わらずこの有様なので、親父はすっかり不信感を持ってしまい、行きたくないという。そのような理由で、止む無く紹介状なしでこの大病院を訪問したのであった。
受付終了から待つこと4時間ほど。どうにか診察の番が回って来た。
車椅子に親父を乗せて診察室へと入る。
先生は40代くらいの女医だが、とても親身になって受け答えをしてくれる。
親父も親父で、先生が女性だと分かったら、急に背筋が伸びてはっきりと受け答えをし始めた。
(嘘だろ~)
今までの、いつ死んでも良さそうなあの状態はなんだったのか。
私が親父に代わってこれまでの経緯を話さなければならないと思い、何度も頭の中で言葉を組み立てていたのに、親父がひとりで説明してしまったのだった。
これには私も口をあんぐりと開けるしかなかった。
採血やレントゲン、CT撮影などを行って、最終的に高度な脱水症状と腎機能の異常という診断が出され、即日入院と決まった。それが決まると不思議なことに親父は一層元気になってきたようで、気がつけばあれほど悪かった顔色が、赤みさえ差しているではないか。
その後、入院手続きやら必要な物を購入したりとか、すべてが終了した時には外はすっかり日が暮れていた。
妻と暗くなった病院の外へ出て
「何か食べて帰ろうか」とひとこと。
孫が生まれたことと親父の入院が頭の中で絡み合い、これから暫くは忙しくなることをお互いに感じながら、さて、自分のクルマを何処に留めたっけと広い駐車場をウロウロ探し回ったのだった。
妹からは食べ物を一切受け付けなくなったと聞かされて、さすがに心配になった私は会社帰りに親父の家へ立ち寄った。
部屋の真ん中に蒲団を敷き、横になっていた親父。
部屋へ入って行くと、ゆっくり私の方へ顔を向けて開口一番
「おら、もうだめだぁ~」と蚊の鳴くような声をあげた。
あの親父が、この間までビールを一緒に飲み歩いていた親父が、一回りも二回りも小さくなってしまった。
それでもヨロヨロと蒲団の上に起き上がり、がっくりと項垂れる。
あまりにも衰弱の度合いが激しかったので、これはまずいなと思った私は
「救急車を呼ぼうか」と尋ねたが、明日病院へ行くから呼ぶなという。
(明日までもつかな)などと不安が頭を過ったが、一度そう決めると首を縦に振らない親父である。
妹とも相談して、明日の朝、私が病院へ連れて行くことになった。
翌日、急きょ会社を休んだ私は、用事があってどうしても一緒に行けない妹の代わりに妻を伴い、最近移転が終ったばかりの大きな救急病院へと親父を連れて行った。
本来なら地元の開業医へ連れて行くのが手順だが、そこへ今まで通っていたにも関わらずこの有様なので、親父はすっかり不信感を持ってしまい、行きたくないという。そのような理由で、止む無く紹介状なしでこの大病院を訪問したのであった。
受付終了から待つこと4時間ほど。どうにか診察の番が回って来た。
車椅子に親父を乗せて診察室へと入る。
先生は40代くらいの女医だが、とても親身になって受け答えをしてくれる。
親父も親父で、先生が女性だと分かったら、急に背筋が伸びてはっきりと受け答えをし始めた。
(嘘だろ~)
今までの、いつ死んでも良さそうなあの状態はなんだったのか。
私が親父に代わってこれまでの経緯を話さなければならないと思い、何度も頭の中で言葉を組み立てていたのに、親父がひとりで説明してしまったのだった。
これには私も口をあんぐりと開けるしかなかった。
採血やレントゲン、CT撮影などを行って、最終的に高度な脱水症状と腎機能の異常という診断が出され、即日入院と決まった。それが決まると不思議なことに親父は一層元気になってきたようで、気がつけばあれほど悪かった顔色が、赤みさえ差しているではないか。
その後、入院手続きやら必要な物を購入したりとか、すべてが終了した時には外はすっかり日が暮れていた。
妻と暗くなった病院の外へ出て
「何か食べて帰ろうか」とひとこと。
孫が生まれたことと親父の入院が頭の中で絡み合い、これから暫くは忙しくなることをお互いに感じながら、さて、自分のクルマを何処に留めたっけと広い駐車場をウロウロ探し回ったのだった。
コメント
ある意味入院されているとご家族は安心ですよね。意外と退院は早いと思いますが・・・
マサムネさん曰くの「女医さんパワー」、大いに、あやかりましょう。
お大事になさいませ~♬
お陰様でだいぶ元気になりました。それまでは食事も一切摂れなかった状態だったのですが、出された食事はほぼ食べることが出来るまでに回復しました。
苦しんでいた味覚障害は、先生の話によると、毎日のように服用している薬のせいなのだとか。8種類以上の薬を飲んでいると、親父のような味覚障害が現れることがあるそうです。
ちなみに味覚障害の領域は耳鼻咽喉科なのですね。今回は消化器科の先生と耳鼻咽喉科の先生にお世話になりました。
マダムMさんのお父上は脱水症状になられたとのお話ですが、我が親父も経口補水液を常時飲んではいたものの、やはり駄目でしたね。
或る段階からは、きちんとした治療を受けないと危ないことを、身を持って体験した今回の入院騒動でした。
まことそう思います。
90近い年齢になっても、女性パワーが与えてくれる力のなんと大きいことか。
おまけに看護士の方々も、うら若き女性ばかりで、親父は一層元気になっております。この調子だと、あと10年はいけそうです!!
もし男の先生だったら、今頃はまだベッドにぐったりと横たわっていたかもしれません。
親父もそのあたりは極めてはっきりとしています。
いずれにせよ、今回お世話になった先生方には感謝です。
お父様、大事に至らなくてよかったですね。安心しました。
せっかく男二人の楽しい時間を過ごされていたから心配でしたね。
やはり大きな病院は紹介状がないと待ち時間も長いですね。
待ち時間の間は奥様も気が気ではなかったことでしょう。
お薬の量というのも、先日5錠以上で認知が進むという情報も耳にしました。
えっ?私は今4錠なんだけど・・・・と。
やたらと薬を処方されるのも副作用の原因、かといって1錠で万能の薬もない。
お父様、気持ちが明るくなって食事も摂れるようになれば大丈夫ですね。
口からちゃんと食べれればそれも回復の大事な要素。
欲も大切ですね。(笑)
こうしてブログを更新していただけるようになって本当によかったです。
でも無理なさらないように、お大事なさいませ。
イキイキし始めたような感じでしょうか。
お会いしたことのない方なのに、目に浮かびました(^^;
とりあえず、お食事もとれるようになって、一安心です♪♪
chiaki様
ご心配をおかけしております。
親父は完全ではないものの、9割方回復しております。
体調が良くなったと思ったら、看護士の若い女性たちとすぐに仲良くなり(このあたりは親子でも真似の出来ないところです)、以前にも増して元気になってしまいました!!
あと10年は生きると言っています。ということは百にひとつ足りない白寿が目標ということです。まあ、おそらく、そうなることでしょう。その分、私への注文も増えるとは思いますが。
まずは近況報告でした。