土曜日の午後、テレビを観ているうちに眠気が襲って来て、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
前の晩から二時間半しか眠っていなかったことも、眠気に拍車をかけたようだ。
トントン
ふいに私の背中を誰かが叩いた。
はっとして目が覚めた。背中を叩かれた感触がまだはっきりと残っている。
思わず後ろを振り向いたが誰もいない。飾り棚の写真立てでおふくろが微笑んでいるだけだ。
(おふくろに起こされたか。では、出かけろということだな)
私はそう思うと、洗面所で身支度をしていた妻に声をかけ、ひとり遊びをしていた孫の着替えを始めた。
近くのインターチェンジから高速道路に入り15分ほど走る。
クルマの中で孫の相手をしている妻から「先方のご両親はもう病院に着いているみたい」と報告を受ける。
その報告を受けながらインターチェンジを降りるとすぐにS病院だ。ここはS教授の功績を称えて設立された、全国的にも有名な産婦人科専門病院である。
私たちは土曜日の午後の誰もいない待合室を通り抜け、まっすぐに分娩室へと向かった。するとそこには息子の嫁の両親が既に待機しており、我々の姿を見つけるとにこやかに駆け寄ってきた。
息子は嫁に付き添って既に分娩室の中に入っているという。
「陣痛は40秒に1回の間隔になったようですよ」と嫁の母親から教えられた。
「いよいよですね」と妻が応える。
実はこの日の未明に生まれそうだという連絡を受けて、息子と二人でこの病院を一度訪れていたのである。しかし、駆けつけてみると痛みは治まってしまい、助産師さんから時間がかかりそうだと教えられたのだった。
但し、いつ生まれるか分からないということで、結局息子を残して私は家に戻ることにした。
今回私たちが心配していたのは、予定日よりも数週早いということだった。
前回教えられた時には2700グラムほどだったので、せめて3000グラムを少しでも超えていてくれたらと願っていた。
分娩室前に置かれたベンチシートに四人並んで腰をかけ、その前を嬉しそうに走り回る孫の姿に目を細めながらも、落ち着かない時間を過ごしていた。
と、その時、ドアの内側から慌ただしく動き回る人の気配と、幾人かの入り混じった声が聞こえてきた。
思わず四人で顔を見合わせる。そして耳を澄ませると
(オメデトウゴザイマス)
そんな声が聞こえてきた。
それから少し間をおいて、赤ん坊の泣き声が。
喜びというよりも安堵と言った方が良いだろう。
四人のじいじとばあばは「良かった良かった」と互いに手を取り合い、力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
早産ではあったが、体重は3300グラムを超えていた。もし月が満ちてからの出産だったら、相当大きな赤ん坊だったかもしれないねと笑い合った。
早産ということで、孫は念のため保育器に入れられた。そのためすぐに対面することは出来なかったが、分娩室から出て来た息子がスマホで写真を撮って来たので、皆でその小さな画面を覗き込んだ。
そこには私たちの元へやって来た小さな命が、懸命に手足を動かしている姿が映し込まれていた。妻などはその姿を見て、既に涙ぐんでいる。
(こうやって次へと命を繋いでいくんだなあ)
私はそんなことをぼんやりと思った。
自宅に戻った私は、おふくろの遺影に向かって曾孫の誕生を報告。
(今日生まれることを教えてくれたんだよな)
その問いかけに、写真の中のおふくろは静かに微笑むだけだった。
前の晩から二時間半しか眠っていなかったことも、眠気に拍車をかけたようだ。
トントン
ふいに私の背中を誰かが叩いた。
はっとして目が覚めた。背中を叩かれた感触がまだはっきりと残っている。
思わず後ろを振り向いたが誰もいない。飾り棚の写真立てでおふくろが微笑んでいるだけだ。
(おふくろに起こされたか。では、出かけろということだな)
私はそう思うと、洗面所で身支度をしていた妻に声をかけ、ひとり遊びをしていた孫の着替えを始めた。
近くのインターチェンジから高速道路に入り15分ほど走る。
クルマの中で孫の相手をしている妻から「先方のご両親はもう病院に着いているみたい」と報告を受ける。
その報告を受けながらインターチェンジを降りるとすぐにS病院だ。ここはS教授の功績を称えて設立された、全国的にも有名な産婦人科専門病院である。
私たちは土曜日の午後の誰もいない待合室を通り抜け、まっすぐに分娩室へと向かった。するとそこには息子の嫁の両親が既に待機しており、我々の姿を見つけるとにこやかに駆け寄ってきた。
息子は嫁に付き添って既に分娩室の中に入っているという。
「陣痛は40秒に1回の間隔になったようですよ」と嫁の母親から教えられた。
「いよいよですね」と妻が応える。
実はこの日の未明に生まれそうだという連絡を受けて、息子と二人でこの病院を一度訪れていたのである。しかし、駆けつけてみると痛みは治まってしまい、助産師さんから時間がかかりそうだと教えられたのだった。
但し、いつ生まれるか分からないということで、結局息子を残して私は家に戻ることにした。
今回私たちが心配していたのは、予定日よりも数週早いということだった。
前回教えられた時には2700グラムほどだったので、せめて3000グラムを少しでも超えていてくれたらと願っていた。
分娩室前に置かれたベンチシートに四人並んで腰をかけ、その前を嬉しそうに走り回る孫の姿に目を細めながらも、落ち着かない時間を過ごしていた。
と、その時、ドアの内側から慌ただしく動き回る人の気配と、幾人かの入り混じった声が聞こえてきた。
思わず四人で顔を見合わせる。そして耳を澄ませると
(オメデトウゴザイマス)
そんな声が聞こえてきた。
それから少し間をおいて、赤ん坊の泣き声が。
喜びというよりも安堵と言った方が良いだろう。
四人のじいじとばあばは「良かった良かった」と互いに手を取り合い、力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
早産ではあったが、体重は3300グラムを超えていた。もし月が満ちてからの出産だったら、相当大きな赤ん坊だったかもしれないねと笑い合った。
早産ということで、孫は念のため保育器に入れられた。そのためすぐに対面することは出来なかったが、分娩室から出て来た息子がスマホで写真を撮って来たので、皆でその小さな画面を覗き込んだ。
そこには私たちの元へやって来た小さな命が、懸命に手足を動かしている姿が映し込まれていた。妻などはその姿を見て、既に涙ぐんでいる。
(こうやって次へと命を繋いでいくんだなあ)
私はそんなことをぼんやりと思った。
自宅に戻った私は、おふくろの遺影に向かって曾孫の誕生を報告。
(今日生まれることを教えてくれたんだよな)
その問いかけに、写真の中のおふくろは静かに微笑むだけだった。
コメント
ところで、赤ちゃんはお嬢ちゃま、お坊ちゃま?
おめでたいお話は幸せな気分になりますね。令和元年生まれですね。
私は2480グラムでしたが、今じゃ横に大きくそだちましたよ。
わたしも小さく生まれて横に大きくなったクチでして、汗
いいこといっぱいの人生をお祈りいたしております*..。+゜¨☆*..。+゜¨☆*..。
お母様もひ孫の誕生を待っていたのでしょうね~。
早産で3.300gだなんて上等!!
素晴らしいです。
マダムMさま
まるこさま
待花。さま
アミさま
庵さま
お祝いのメッセージを大変ありがとうございます。
顔の半分上が先方の父親、そして下半分が私によく似た男の子でした。
既に保育器からも出て、母親と同室になっています。
大きいせいかミルクの飲み方が早く、これは大男になるのではないかと皆で笑っていました。
さて、お祝いのメッセージを早くから頂戴しておりましたのに、すぐに返信が出来ずに申し訳ありませんでした。
実は私の親父が緊急入院致しまして、その対応でお返事が書けずにおりました。
この夏の暑さが引き金になったのかもしれません。時々意識がなくなるようですが、今のところは安定しております。
そのような状態ですので、暫くの間、この日記も頻繁に更新とはいかないかもしれませんが、どうぞお許しください。
季節の変わり目ですので、皆様方もどうぞご自愛のほどを。
ヒコ様もお大事になさいますように。
新しい命の誕生は本当に嬉しいですね。
今年は私の周囲で出産ラッシュです。
令和元年生まれの子供たちが、元気に成長しますように!
そしてお父様のこと、心配です。
一日も早く良くなりますよう、お祈りしております。
chiakiさま
遅ればせながらありがとうございます。
孫も親父もすくすくと、いや、孫はすくすくと、親父はそれなりに育って?おります。
我が一族に初の令和生まれが誕生し、改めて次の世代へと人は繋いでいくのだなと思いました。
ご心配をおかけしておりますが、親父もだいぶ快復しまして、食事も少しずつですがとれるようになりました。
今週、再度検査がありますが、それをクリア出来れば退院も可能かと思います。
そのあたりの話は、本日記にてご報告するつもりです。
ありがとうございました。