最近のニュースはどれも暗い話が多い。その中でも一番辛いニュースは幼児虐待だ。
年端もいかぬ子供がどうしてこんな酷い目に遭わなければならないのかと思うと、居たたまれなくなる。
おそらく今こうしている間にも、日本のどこかで幼児に対する虐待が行われているのではないだろうか。
そう考えると、一刻も早く救いの手を差し伸べなければならないと気ばかり焦る。
しかし悲しいかな我々一般人には何の権限もなく、それが出来るのは公的機関や政治なのだが、残念ながらその頼みの綱が機能しているとは言い難い。
私が子供の頃は、近所づきあいというコミュニティが今よりも遥かに濃密であった。
『遠くの親戚よりも近くの他人』という言葉があるように、狭いエリアの中で近隣の住人同士が助け合って暮らすというのが当たり前の時代があった。
プライバシーが何よりも優先される昨今の風潮からすれば、それを100パーセント良しとする訳ではないが、少なくとも大人たちが地域の子供たちを守るという意識は今よりもすっと高かったように思う。
だが、今はお隣りの子供の様子でさえ分からないことが多い。いや、様子どころか名前さえも分からない。それが当たり前になっている。
ところで、虐待する親たちの弁解に「躾け」という言葉がよく出て来る。
躾けのために叩いたり、或いは食事を与えなかったという話だ。
私も子供の頃は、悪さをするたびに母親から叩かれたり、親父からは「メシを食わせないぞ」と怒られたりしたものだ。だが、それらを1とすると、それ以上の9の愛情を注がれたものである。
おそらく虐待を繰り返す親たちには、この割合が逆転しているのだろう。
学校でのイジメの話も後を絶たない。幼児への虐待も学校でのイジメも、要するに弱いものイジメだ。これは一番卑劣な行為である。言葉を変えれば卑怯者なのである。
ちなみに卑怯の語源は非道から来ているという説がある。つまり人としての道を外れている者をさす。
そう、人間ではないのである。そういうモノたちは。
年端もいかぬ子供がどうしてこんな酷い目に遭わなければならないのかと思うと、居たたまれなくなる。
おそらく今こうしている間にも、日本のどこかで幼児に対する虐待が行われているのではないだろうか。
そう考えると、一刻も早く救いの手を差し伸べなければならないと気ばかり焦る。
しかし悲しいかな我々一般人には何の権限もなく、それが出来るのは公的機関や政治なのだが、残念ながらその頼みの綱が機能しているとは言い難い。
私が子供の頃は、近所づきあいというコミュニティが今よりも遥かに濃密であった。
『遠くの親戚よりも近くの他人』という言葉があるように、狭いエリアの中で近隣の住人同士が助け合って暮らすというのが当たり前の時代があった。
プライバシーが何よりも優先される昨今の風潮からすれば、それを100パーセント良しとする訳ではないが、少なくとも大人たちが地域の子供たちを守るという意識は今よりもすっと高かったように思う。
だが、今はお隣りの子供の様子でさえ分からないことが多い。いや、様子どころか名前さえも分からない。それが当たり前になっている。
ところで、虐待する親たちの弁解に「躾け」という言葉がよく出て来る。
躾けのために叩いたり、或いは食事を与えなかったという話だ。
私も子供の頃は、悪さをするたびに母親から叩かれたり、親父からは「メシを食わせないぞ」と怒られたりしたものだ。だが、それらを1とすると、それ以上の9の愛情を注がれたものである。
おそらく虐待を繰り返す親たちには、この割合が逆転しているのだろう。
学校でのイジメの話も後を絶たない。幼児への虐待も学校でのイジメも、要するに弱いものイジメだ。これは一番卑劣な行為である。言葉を変えれば卑怯者なのである。
ちなみに卑怯の語源は非道から来ているという説がある。つまり人としての道を外れている者をさす。
そう、人間ではないのである。そういうモノたちは。
コメント
叩かれもしましたし、表に出されたこともあります。(笑)
でも、愛情はいつも感じてました。
小さな子供のこと思うと…。
胸が締め付けられます。(涙)
子育てをしていると、確かに思うようにならずカッとすることもあります。でも暴力を振るうことは無かったです。手とかお尻ぺんぺんくらいはしましたが、それは危険なことや何度も同じ事をした時で、本人も叱られた理由は分かっていたはずです。
ニュースを見ていて気付いたのですが、「愛」と言う字が名前の中に入っているの。名前を付けた時の気持ちを思い出したら、絶対虐待など出来ないと思うけど。
虐待などで短い命を終わらせたくないと心底思います。
虐待をする親(人)も、子供の頃に同じような経験をしている場合が多いと言われています。
おそらくは「愛情」を十分に受けていなかった可能性もありますね。
だからといって、自分の子供に同じ目に遭わせようという理屈にはなりません。
まったく同感です。
腸が煮えくり返って、その熱でシジミの味噌汁くらいは作れそうです。
何が嫌いかって、昔からヘビと弱いものイジメだけは大嫌いなのです。
確かに自分も子育て中は、叩いたこともありましたが、それはマダムMさんのようにお尻をペンペンや、手の甲をパンと叩くといった程度のもの。殴るというような暴力ではありませんでした。
あどけない顔をしている子供を、殴るなんて考えられません。
名前の中に「愛」という字を入れているのに、何故?って思いです。
虐待された子供が不憫でなりません。
幼いうちに過酷な目に遭って、短い生涯を閉じることになるなんて、いったい何のためにこの世に生を受けたのか。
そう思うと、また怒りが込み上げて来ました!!
物質的には豊かになった日本ですが、それと反比例するかのように心は貧しくなったように思います。
常日頃私が思うのは、想像力が欠如して来ているのではないかと言うことです。
特に今回のような事件を起こす人たちは、きっとそうなのではないかと確信しています。
こんなことをしたら大変なことになる、酷いことになってしまう、命が失われてしまう、といったこの先の状況を頭の中に描くことが出来ないのではないかと思うのです。
昔、小学生の頃、道徳の授業で習ったのは「弱いもの、困っている人がいたら助けなさい」ということでした。その教えが私の中にまだ生き続けているからこそ、今回のような幼児虐待の話に怒りが込み上げて来るのでしょう。
世間には様々な意見があるようですが、私個人としては道徳教育は今こそ必要であると考えています。