福山駅前のホテルに宿泊した私は、いつものように午前六時前には目を覚ました。
ホテルの朝食会場に顔を出すと、まだ早朝にもかかわらず宿泊客でいっぱいだった。しかもそのほとんどは欧米人と思われる団体客だ。おまけにドギツイ香水の匂いと食べ物の匂いが入り混じり、朝食会場は咽かえるような臭気に満ちていた。
匂いには人一倍敏感な私は、すっかり食欲が失せてしまい、それならば再び食欲が戻るまでの間、散歩がてら福山城まで行ってみようと思い立った。
福山城はJR福山駅の目と鼻の先にある。私はこれまでに数々の城を訪れてきたが、駅と城がこれほど近いところが他にあっただろうか。プラットホームからお城の写真が間近に撮れる駅は、全国広しと言えどもこの福山駅くらいかもしれない。
あとで分かったことだが、そもそも福山駅は、山陽線の線路を最短で敷設するためにお城の敷地に建てられたのだ。お城と駅が近過ぎるのは当然のことだったのである。
福山駅の中央通路を通って北口を出ると、すぐ目の前には見事なという表現が相応しい石垣と月見櫓が現れた。駅へ向かう通勤客や学生の流れに逆らって公園のような場所をしばらく歩くと、天守閣へ向かう坂道へ辿り着いた。
こんなことを言うと福山の方々に怒られるかもしれないが、福山城がこんなに立派な城だとは思っていなかった。やはり譜代大名の城は違うものだと感心する。
実は駅を出た時から「GOPRO7」で動画を撮影していたのだ。スチールと違ってあとから映像を見ると、実際の距離感などが良く分かるからだ。
ジョギングする人たちと挨拶を交わしながら、本丸の東側へと辿り着いた。そこには藩祖水野勝成公の銅像があったので、まずは初来訪のご挨拶を。
この水野勝成公は、徳川譜代大名の中でも有数のエピソードを持つ人物といわれている。
なんでも相当な暴れん坊だったようで、戦いそのものを楽しむような野放図さがあったという。
その父忠重は豪勇な人物であったが、小牧・長久手の戦いのさなかに勝成は父の勘気を蒙り、流浪の旅に出ることになってしまう。その理由というのが、忠重の寵臣を勝成が斬ったためと言われている。
おそらく日頃より身勝手な振る舞いの多かった勝成を諌めたのが、その刃傷の原因であったと思われる。
行く先々、勝成を受け入れようとする諸家に対して倅の勝成を招き入れることのないようにと、父忠重は書面を送りつけていたらしい。もし、倅の面倒を見ようものならば、今後は一切の援助をしないというような脅しだったようだ。
そこまで我が子を憎んだということなら、時代が時代であるから、命を奪うこともあり得ただろう。なのにそれをしなかった...
一説には陰ながら勝成に護衛を付けていたという話もある。もしそれが本当なら、そこには何か隠された意図があったのかもしれない。単なる親子の確執とみるか、それは見せかけのものだったのか。
私はその後15年にも及ぶ流浪の生活を送った勝成公に思いを馳せながら、動画を回し続けた。
天守前の広場に出ると、そこにはゲートボールに興じる高齢者の人たちがいた。突然現れた私にはまったく興味はなさそうに、彼らはゲートボールに集中していた。
そんな彼らの歓声をあとに、再建された御湯殿(湯殿)へ足を向け、そして本丸御殿跡の石碑前に出た。
本丸とは城主の居館である。ここに居住したのは、初代藩主の水野勝成と二代藩主の勝俊だけだという。三代藩主の勝貞は三の丸東側に新たな御殿を造営したということだ。
腕時計に目をやると、ホテルを出てから一時間ほど過ぎている。歩き回ったせいか、腹の虫も泣き始めた。朝食会場も少しは空いた頃だろう。
私は本丸正面に位置する筋鉄御門を出て、福山駅側の坂道を降り始めた。ここからは駅のプラットホームがよく見える。平日だったので通勤・通学客でホームは溢れていたが、その光景に現実の世界へ引き戻されたような錯覚を覚えた。
私は何度も城を振り返りながら、やがて人の群れに巻き込まれて行った。
ホテルの朝食会場に顔を出すと、まだ早朝にもかかわらず宿泊客でいっぱいだった。しかもそのほとんどは欧米人と思われる団体客だ。おまけにドギツイ香水の匂いと食べ物の匂いが入り混じり、朝食会場は咽かえるような臭気に満ちていた。
匂いには人一倍敏感な私は、すっかり食欲が失せてしまい、それならば再び食欲が戻るまでの間、散歩がてら福山城まで行ってみようと思い立った。
福山城はJR福山駅の目と鼻の先にある。私はこれまでに数々の城を訪れてきたが、駅と城がこれほど近いところが他にあっただろうか。プラットホームからお城の写真が間近に撮れる駅は、全国広しと言えどもこの福山駅くらいかもしれない。
あとで分かったことだが、そもそも福山駅は、山陽線の線路を最短で敷設するためにお城の敷地に建てられたのだ。お城と駅が近過ぎるのは当然のことだったのである。
福山駅の中央通路を通って北口を出ると、すぐ目の前には見事なという表現が相応しい石垣と月見櫓が現れた。駅へ向かう通勤客や学生の流れに逆らって公園のような場所をしばらく歩くと、天守閣へ向かう坂道へ辿り着いた。
こんなことを言うと福山の方々に怒られるかもしれないが、福山城がこんなに立派な城だとは思っていなかった。やはり譜代大名の城は違うものだと感心する。
実は駅を出た時から「GOPRO7」で動画を撮影していたのだ。スチールと違ってあとから映像を見ると、実際の距離感などが良く分かるからだ。
ジョギングする人たちと挨拶を交わしながら、本丸の東側へと辿り着いた。そこには藩祖水野勝成公の銅像があったので、まずは初来訪のご挨拶を。
この水野勝成公は、徳川譜代大名の中でも有数のエピソードを持つ人物といわれている。
なんでも相当な暴れん坊だったようで、戦いそのものを楽しむような野放図さがあったという。
その父忠重は豪勇な人物であったが、小牧・長久手の戦いのさなかに勝成は父の勘気を蒙り、流浪の旅に出ることになってしまう。その理由というのが、忠重の寵臣を勝成が斬ったためと言われている。
おそらく日頃より身勝手な振る舞いの多かった勝成を諌めたのが、その刃傷の原因であったと思われる。
行く先々、勝成を受け入れようとする諸家に対して倅の勝成を招き入れることのないようにと、父忠重は書面を送りつけていたらしい。もし、倅の面倒を見ようものならば、今後は一切の援助をしないというような脅しだったようだ。
そこまで我が子を憎んだということなら、時代が時代であるから、命を奪うこともあり得ただろう。なのにそれをしなかった...
一説には陰ながら勝成に護衛を付けていたという話もある。もしそれが本当なら、そこには何か隠された意図があったのかもしれない。単なる親子の確執とみるか、それは見せかけのものだったのか。
私はその後15年にも及ぶ流浪の生活を送った勝成公に思いを馳せながら、動画を回し続けた。
天守前の広場に出ると、そこにはゲートボールに興じる高齢者の人たちがいた。突然現れた私にはまったく興味はなさそうに、彼らはゲートボールに集中していた。
そんな彼らの歓声をあとに、再建された御湯殿(湯殿)へ足を向け、そして本丸御殿跡の石碑前に出た。
本丸とは城主の居館である。ここに居住したのは、初代藩主の水野勝成と二代藩主の勝俊だけだという。三代藩主の勝貞は三の丸東側に新たな御殿を造営したということだ。
腕時計に目をやると、ホテルを出てから一時間ほど過ぎている。歩き回ったせいか、腹の虫も泣き始めた。朝食会場も少しは空いた頃だろう。
私は本丸正面に位置する筋鉄御門を出て、福山駅側の坂道を降り始めた。ここからは駅のプラットホームがよく見える。平日だったので通勤・通学客でホームは溢れていたが、その光景に現実の世界へ引き戻されたような錯覚を覚えた。
私は何度も城を振り返りながら、やがて人の群れに巻き込まれて行った。
コメント
ヒコヒコさんの物語に、すっかり魅入ってしまいました。(^^♪
全国、たくさん、お城は残っているのですね~。
すごく、誇りに思います。
千代田のお城も、天守閣、焼けなければよかったのに…。(-_-;)
でも、今の皇居も素敵です~♬
読書嫌いの私も確実に買いますよ。
勿論友人知人にもオススメします!!
こんな時は営業職だった私の血が騒ぎますよ!!
あらま、そうしたらヒコヒコさんなんて気安く呼べないですね。
「先生」とお呼びします!!あ、なんなら付き人しますよ!!
ムフフ。芥川賞とかのパーティー出てみたいです〜〜〜!!
両者ともイケメンなんですよねぇ。(そこ?ってツッコミ受け付けます、ふふ)
わたしは社会科・歴史に疎くて。が、ヒコヒコさんのご紹介が助かります!
マダムMさんのおっしゃるように出版を考慮くださいませ。
返信コメントが遅くなり、申し訳ありません。
色々とありまして...
アミさんも歴史はお好きなようですね。昔は正直苦手なジャンルだったのですが、歴史上の人物も今の私たちと同じような悩みや苦しみを抱えている事を知り、それがきっかけとなって興味を抱くようになりました。
アミさんがおっしゃる通り、日本にはたくさんのお城が残っていますよね。それは世界に類をみないことだと思います。子孫の為にも大事にして行きたいものです。
追伸
私の義母は毎年のように皇居へ勤労奉仕に出かけました。
ふと、そんな事を思い出しました。
出版のお話、ありがとうございます。
3冊は間違いなし!!とのこと。心強いばかりです!
私のブログを定期的に訪問して頂いている方の人数から計算すると、ベストセラー間違いなしのようですね(笑)
あとはどこの出版社へ持ち込みましょうか?!
まずは賢治さんの光原社かな?
あっ、あそこは出版業はやめたんでした。
残念。
本の営業はまるこさんにお任せすることにします!!
最低3部はお願いします。
そうそう、出版記念パーティーではMCもお任せしましょうか。
ちなみにまるこさんは「芥川賞」をイメージされているご様子ですが、「ホラー大賞」の間違いでは?
いずれにせよ、付き人もお願いしますね。ただの飲み相手ですけれど...
お城マニアってイケメン揃いなんですか!!
そうすると私はその定説を崩した初めての人間なんですね。
尤も、マニアの領域にまで私は達していませんから、そもそもその範疇に含まれないわけでして、何だか安堵しましたよ(笑)
さて、みなさんから出版のお話を頂いております。
大変ありがたいことです。
親父に相談してみます。
果たしてなんと言いますか...
つくづく、つくづく文章力がおありで感動いたしますです。
福山城もこのように紹介していただいて、福山駅周辺についても詳しい説明で
福山市から観光大使を任命されてもおかしくないですよね。
私も先日半月近くを要して大阪・名古屋から仙台(寄港)し苫小牧経由で
えりも岬から宗谷岬・利尻・礼文各地域を周って小樽から新潟を船で
あとを二日泊まりながら帰宅した旅行を致しました。
まぁ文章力がなくて、つなたい写真でブログを更新しましたが
ヒコ様の文章や写真を見させていただくと、、、、お恥ずかしい限りです。
まぁそもそも比較するのが失礼な話ですけど。
本をこよなく愛される方って、文章力はすばらしいですよね。
やはり、お父様とのお話。絶対個人出版お願いしますm(__)m
必ず買い求めますので。(*^^*)
過分なるお褒めの言葉を頂きまして、大変恐縮しております。
庵さんのオーダーで4部は確実に売れそうです。ありがとうございます。
尚、返本には応じられませんのであらかじめご了承ください!?
福山市に行こうと思ったのはお城もそうですが、バラの花が有名な町であると知ったからです。実際、駅前には沢山のバラの花が植えられていました。
ただ、訪れた時期が少々遅かったようで、花の盛りは過ぎていたようです。でもバラを愛する福山の人々の気持ちは十分に伝わって来ました。
そういえば、前夜に福山市内のとあるイタリアンの店へ入ったのですが、凄いボリュームと安さに驚きました。
ドリアとナポリタンがセットになって、しかもピザまで付いてくる。しかも好きな飲み物が選べるというので、私はハイボールを頼んだのですが、これもまたジョッキで出されてビックリ仰天!そしてお値段が1400円ですからもう一度ビックリ!!
福山の好感度は上がりっ放しでした!
福山、、、、食べ物も飲み物も大満足されたようで いいね! を押したいですね(笑)
好印象の場所は何度でも訪れたいことでしょう。 また是非!
機会あれば是非また訪問したいと思っています。
そうそう、鞆の浦に行けなかったのが唯一残念だったこと。
再訪の理由が出来ました!!