親父との会話 父の日
2019年6月15日 親父との会話 コメント (11)父の日を明日に控えた父の日の前日に、父の日を祝おうと親父を誘い、父の日祝いに一杯飲みに行こうと父に言ったら、父(嬉々)として喜び、そして親父が好きな日本料理屋へ父(一)目散に出かけた。
すっかり足腰が弱っている父の歩みは父(遅々)として進まず、まるでアベックのように腕を組んで、料理屋の暖簾を潜ったのだった。
親父はいつもこの店で頼んでいる鯛の兜煮とビールに日本酒、私は海鮮盛りとビールでスタート。
私と親父が飲むと、決まってくだらない話ばかりになる。真面目な話は一切なし。あまりにくだらなすぎて、ここに書くのも憚られるものばかりだ。
そう言われると、聞きたくなるのが人というもの。そこで少しだけご披露することにしたい。その代わりこの話はご内密に。
「オラ(父)が昔、戦争が終わってまだすぐの頃になあ。バスは木炭を焚いて走ってたんだ。だがら、力が無くてなぁ。坂道だとすぐに止まってしまうんだ」
親父のその話はこれで五度目だった。
「その日、バスにはオラと客が五、六人。運転手に女の車掌が一人だったんだが、上り坂に来ると止まっちまったんだなあ。そこで運転手がオラたぢに降りてバスを押せって言うんだ」
「ほうほう、それで」
この返事も五度目である。
「あづい夏だったんだが、オラたぢは汗だぐになってバスを押したんだ。そしたらな、運転席からキャッキャ、キャッキャど女の笑い声が聞こえで来るんだ」
親父はそこでビールを一気に飲み干した。
「なじょしたと思って運転席を覗いだらな、運転手のオヤジが車掌の女を抱っこしてな、運転させてたんだ。ったぐなあ、嬉しそうに」
この、嬉しそうにという部分で、いつも親父の声に力が入る。多分、この話の核の部分だと思われる。
私は相槌を打ちながら黙ってビールを飲んでいた。
「腹立ったがらな、オラだちみんなで手を放しだんだ。そしだらなぁ、バスがどんどん後ろさ下がり始めでなあ。それまでキャッキャ、キャッキャ言ってだ声がキャーア、キャーアになったんだ。あ~あ、おもしぇかっだ(面白かった)!」
親父はそう言って嬉しそうな顔を見せた。
そのあとバスはどうなったのか、毎回この話の後に聞くのだが、親父は覚えていないというばかり。私はそのたびに運転手と車掌の無事を祈るのであった。
「戦争前にはどごの家にも囲炉裏があってなあ。みんな寝る前には乾かした草を囲炉裏にくべて燃やすんだ。すると煙がもうもうと出て来るべ。それを吸うとな、何故かみんな眠くなるんだ。ぐっすり眠れるんだ」
その話は初めてであった。
「親父よ。それってもしかして今でいう違法薬物の大○ではないのか」
「そんなの知らねえ。どこの家でもみんな囲炉裏にくべて寝てたんだ。昔はそれが大○だとか何だとか、名前なんてちっともわがらねえ。ただ、これを燃やすとよぐ眠れるということだけは分がってたんだなあ。先人の知恵だなあ」
お断りしておくが、これは戦前の話である。大○が違法とされる以前の話である。いや、大○かどうかも定かではない。
親父たちは、いや、その集落の人々は経験則から、ある種の植物を乾燥させて燃やし、その煙を吸い込むと眠りにつける。いやいや言葉が綺麗過ぎるな。要するにラリッてしまうことを知っていたわけだ。
というふうに、こんな話が延々と続くのである。
このほか、スイカ泥棒完全犯罪の話だとか、タイムワープした話だとか、まあ、色々と出てくるわ出てくるわ。
話が終る頃には、親父の足腰も軟体動物のようになり、再び私はふらつく親父の腕を取って店の外へと出るのである。
さて、父の日のイブはこうして終わった。
明日は本父の日。
また、同じ話を聞かされることになるのだろうなあ。
すっかり足腰が弱っている父の歩みは父(遅々)として進まず、まるでアベックのように腕を組んで、料理屋の暖簾を潜ったのだった。
親父はいつもこの店で頼んでいる鯛の兜煮とビールに日本酒、私は海鮮盛りとビールでスタート。
私と親父が飲むと、決まってくだらない話ばかりになる。真面目な話は一切なし。あまりにくだらなすぎて、ここに書くのも憚られるものばかりだ。
そう言われると、聞きたくなるのが人というもの。そこで少しだけご披露することにしたい。その代わりこの話はご内密に。
「オラ(父)が昔、戦争が終わってまだすぐの頃になあ。バスは木炭を焚いて走ってたんだ。だがら、力が無くてなぁ。坂道だとすぐに止まってしまうんだ」
親父のその話はこれで五度目だった。
「その日、バスにはオラと客が五、六人。運転手に女の車掌が一人だったんだが、上り坂に来ると止まっちまったんだなあ。そこで運転手がオラたぢに降りてバスを押せって言うんだ」
「ほうほう、それで」
この返事も五度目である。
「あづい夏だったんだが、オラたぢは汗だぐになってバスを押したんだ。そしたらな、運転席からキャッキャ、キャッキャど女の笑い声が聞こえで来るんだ」
親父はそこでビールを一気に飲み干した。
「なじょしたと思って運転席を覗いだらな、運転手のオヤジが車掌の女を抱っこしてな、運転させてたんだ。ったぐなあ、嬉しそうに」
この、嬉しそうにという部分で、いつも親父の声に力が入る。多分、この話の核の部分だと思われる。
私は相槌を打ちながら黙ってビールを飲んでいた。
「腹立ったがらな、オラだちみんなで手を放しだんだ。そしだらなぁ、バスがどんどん後ろさ下がり始めでなあ。それまでキャッキャ、キャッキャ言ってだ声がキャーア、キャーアになったんだ。あ~あ、おもしぇかっだ(面白かった)!」
親父はそう言って嬉しそうな顔を見せた。
そのあとバスはどうなったのか、毎回この話の後に聞くのだが、親父は覚えていないというばかり。私はそのたびに運転手と車掌の無事を祈るのであった。
「戦争前にはどごの家にも囲炉裏があってなあ。みんな寝る前には乾かした草を囲炉裏にくべて燃やすんだ。すると煙がもうもうと出て来るべ。それを吸うとな、何故かみんな眠くなるんだ。ぐっすり眠れるんだ」
その話は初めてであった。
「親父よ。それってもしかして今でいう違法薬物の大○ではないのか」
「そんなの知らねえ。どこの家でもみんな囲炉裏にくべて寝てたんだ。昔はそれが大○だとか何だとか、名前なんてちっともわがらねえ。ただ、これを燃やすとよぐ眠れるということだけは分がってたんだなあ。先人の知恵だなあ」
お断りしておくが、これは戦前の話である。大○が違法とされる以前の話である。いや、大○かどうかも定かではない。
親父たちは、いや、その集落の人々は経験則から、ある種の植物を乾燥させて燃やし、その煙を吸い込むと眠りにつける。いやいや言葉が綺麗過ぎるな。要するにラリッてしまうことを知っていたわけだ。
というふうに、こんな話が延々と続くのである。
このほか、スイカ泥棒完全犯罪の話だとか、タイムワープした話だとか、まあ、色々と出てくるわ出てくるわ。
話が終る頃には、親父の足腰も軟体動物のようになり、再び私はふらつく親父の腕を取って店の外へと出るのである。
さて、父の日のイブはこうして終わった。
明日は本父の日。
また、同じ話を聞かされることになるのだろうなあ。
コメント
そういえば、娘から父の日プレゼントはあったのかしら?
分かりますよ、私の父も何度も何度も同じ話していました。
が、聞いてあげないと拗ねるので…^^;オチがわかっていても付き合うのが孝行ですね。失くして分かりますが母の日、父の日を祝えるのは有難い事ですね。
親孝行なヒコヒコさんです。
私は義父には贈答用の大粒の梅干しを奮発しました。
亡き父には炊き込みご飯を作り、酢物と一緒に遺影のお供えしました。
と!ヒコヒコさんも父ですもんね。息子さんから何か頂きましたか??
我が家は子供が居ないので父の日母の日無縁ですが…。密かに「良い妻の日!」「とりあえず夫の日!」でも作っちゃいましょうかね??笑。
おいしく拝読させていただいています。ふふ。
「おもしぇがった」話は男性だからこそ、ですよね(*⌒∇⌒*)
モテ男がエライ目に遭う、そこが肝なのでしょうし。
東北弁を拝見して今は亡きわたしのおばーちゃんを思い出しました。
ばーちゃんは妹の旦那さん一家(県外在住)に
遠野の語り部と間違えられたほど訛っています・笑
夫と旅行で遠野昔話伝承館へ行き地元のネイティブの訛りは確かに
ばーちゃんのボキャブラリーでした。夫はチンプンカンプンだったらしいです。
親孝行したくとも、お墓には布団掛けられませんよね~。
温かな雰囲気で羨ましいです。
お父様の話はとっても楽しみであり、素敵な親子関係が覗けるので嬉しいです。
お父様もお元気そうで安心しました。
タップはまだされてますか?
しかし、バスの運転手と車掌の女性のこと、想像してる自分が恥ずかしい(笑)
みんながよく眠れる魔法の草も面白そう。体験してみたいものです。あ、今はダメかしら?
お父様との時間を大事になさってくださいね。
そしてまた、楽しい楽しいお話を待っています!!
親父の話は繰り返しが多くなって来ましたが、時々微妙に内容が変わっていることがあります。それがアレンジなのかボケなのかは分かりませんが、ひとつ残念なのは親父の語り口をみなさんにご披露出来ないことです。
面白くない話も語り口で面白くなってしまう、これが親父の話です。
さて、父の日には娘からお祝いの品を貰いました。内容はエビスビールの詰め合わせ。親父と一緒に早速飲みましたが、娘から貰ったビールの味は最高でした!
私から親父へのプレゼントは、「雪の松島」という日本酒です。超辛口としても知られているお酒ですが、辛口好みの親父に好評でした。
私には三人の息子がおりますが、それぞれ個性的なプレゼントを貰いました。鉄道好きの長男からは新潟で買ったというSL、C57のコースターとコーヒーのセット。二男からは一見?高そうな日本酒、三男からは何故かアメリカのシリアル・コーンを。そして娘からはビールの詰め合わせ。
はい、とても有難いことです。物を貰ったことよりも、私を気にかけてくれていたことにです。
まるこさんは義父さまへ大粒の梅干しをプレゼントされたとか。梅干しは我が親父の大好物でもあります。来年は私も梅干しをプレゼントすることにしましょう。梅干しは親父にとって幼くして亡くなった母親の味なのだとか。
さて、まるこさんご提案の「良い妻の日!」「とりあえず夫の日!」、グッドアイデアですね。あとは何月何日に設定するか。ウィットを効かせたいところですね!!
おばあさまは遠野の語り部のような訛り方なのですか。それは貴重ですよ。東北の人も、最近ではネイティヴな方言を話せる人が少なくなって来ましたからね。その点、我が親父も貴重な存在ではあります。『東北の方言を守る会』があったら入会させたいところです。
そういえば随分むかし、義父や義母を連れて遠野の伝承館へ行ったことがあります。二人とも宮城訛りがありましたが、ふと、懐かしく思い出されました。
青森の才人、伊奈かっぺい氏。彼の勤めていた放送局に私の恩人がいて、その関わりで彼とは一度お酒を飲んだことがありますが、その彼が「墓に蒲団を着せられねえことはねえ」なんて嘯いていました。
尤も、早くして両親を亡くされたかっぺいさんですから、親孝行をしたかったことへの裏返しな表現だったのでしょう。
とにかく、親が元気でいてくれるのは有難いことです。
さすがに親父は歩くのがやっとの状態です。タップはもう出来ませんが、杖はまだ使わずに歩いています。
親父が元気なうちに、もっと面白い話を聞き出して、一冊の本にでも纏めてみようかなんて最近では考えたりしていました。その時は一冊ご購入のほどをよろしく?お願いします!!
お父様との会話をまとめてのご本の出版、是非にお待ち申し上げております。
必ずご一報くださいまし。