座敷わらしの宿 緑風荘宿泊体験記
某番組において、持ち込み企画という名目で、日本全国の座敷わらしが出没するという宿を紹介していた。俳優のH氏が「出る」と言われる部屋に宿泊し、実際に座敷わらしが現れるのか自ら確認するというもの。
客室の中に設置された複数のカメラが、その部屋で起こる不思議な現象を捉えるのだが、結論から言うと甚だ疑問である。
このシリーズは今まで何回放送されたか分からないが、私の見る限り、本物と言えるのは2本くらい。あとはその客室に憑依しているただの霊体ではないかと思われる。

「座敷わらし」の存在が世間にその名を知らしむるようになったのは、柳田國男の「遠野物語」からではないだろうか。民俗学の範疇で扱われる「遠野物語」だが、よく読めば完全なる心霊本である。今でいうところの実話系怪談と言ってもよい。
大学生の頃、民俗学に興味を抱いていた私が「遠野物語」に出会うのにそう時間はかからなかった。一度読んだだけですっかり魅せられてしまい、実際岩手県の遠野市へも何度か足を運んだ。
そんな或る日、同じ大学の友人Oから、岩手県の金田一温泉というところに座敷わらしが現れるという旅館があるから、一度泊まりに行かないかと誘われた。
座敷わらしはその家の守り神であり、幸福と繁栄をもたらすと言われている。ただし、その家から離れてしまうと、一気に没落してしまうともいわれ、或る意味怖い存在だ。
今ならネットがあるから簡単に調べることが出来るが、当時はそんなものはない。友人と苦労して情報を集め、さらに詳しく調べてみると、緑風荘という旅館がそうだと分かった。そして座敷わらしが現れるのは「槐(えんじゅ)の間」という部屋にどうやら限定されているらしいことも。
そこで早速緑風荘に電話をかけて、不躾にも「座敷わらしが出る部屋に泊めて欲しい」と申し出たら、構いませんよとのこと。今にして思えば、まだブームが来る遥か以前のことだから、簡単に予約することが出来たのだろう。
私と友人のOは、まるで化物退治にでも向かうような意気込みで出かけたのである。
当時はJRではなく、国鉄の時代だ。まだ東北新幹線も無かった頃で、鈍行列車を乗り継ぎながらようやく金田一駅に着いたころには、日が傾きかけていた。
国道4号線を徒歩で北へ向かい、途中から温泉へ続く道に入って行く。駅から歩くこと30分あまりでついに温泉街へと到着した。
数件の温泉宿があったが、目指す緑風荘はすぐに見つかった。
正面玄関の前には、国語辞書でお馴染みの金田一京助博士の碑が建っている。
ここ金田一は、金田一先生の祖先の土地でもあるのだ。
かなり広い敷地には2階建ての宿泊棟もあるが、我々が通されたのは平屋部分の最奥部にある「槐の間」だ。先導する仲居さんが障子を開けると、本当に何の変哲もない普通の和室がそこにあった。あまりに普通過ぎて、私とOは拍子抜けしてしまった。いかにも妖怪が出そうな、陰気でオドロオドロしい部屋を期待していたからだ。尤も、そんな妖怪が幸福の神様である筈はないのだが。
後年、テレビ番組などでこの部屋が紹介されているのを見ると、床の間には人形だとかオモチャがびっしりと隙間なく供えられているが、我々が宿泊した時にはそのようなお供え物は一切なかった。この頃はそれだけ認知度が低かったのである。
部屋での夕食が終り、他に何もすることがないOと私は、つまらないテレビ番組をぼおっと眺めていた。すると「ごめんください」と女性の声がする。
障子を開けて顔を出したのは、我々をこの部屋へ案内してくれた仲居さんだった。どうしたのだろうと思ったら
「主人がお会いしたいと言っていますが、よろしいですか」と思いも寄らぬご招待を受けた。
断る理由など何もない我々は、仲居さんのあとに続いて、暗くて長い廊下をどこまでも歩いて行った。
やがて灯りの点いた障子の前で仲居さんは立ち止まると、我々に「こちらです」と言って廊下に跪き、障子を開けた・
そこには大きな炬燵に入り、ニコニコとほほ笑むとても温厚そうな老人が我々を待っていた。
頭はすっかり禿げ上がっていたが、眉毛は太く鼻も大きい。七福神にこんな神様がいたなあと思いながら、我々は挨拶をした。
その老人は五日市栄一さんといい、この時のご当主であった。この人こそ、初めて座敷わらしに遭遇し、その後も数々の体験とそれにまつわる不可思議な出来事に見舞われた人物だった。
我々は五日市さんと同じ炬燵に入りながら、とても沢山の話を聞かせて頂いた。

毎晩現れた狐狸妖怪
五日市さんの若かりし頃、村の若者たちがこの家に集って酒盛りをしていた。その部屋が例の槐の間である。
皆が帰った後、すっかり酒に酔った五日市さんは、散らかった部屋に一人で横になっていた。すると急に身体が動かなくなったという。酔ってはいたけれども意識ははっきりしているので、これはどうしたことだろうと思っていると、縁側からひとりの童子が現れた。歳の頃なら四五歳くらいだろうか。このあたりでは見たことのない子供だ。着物を着てちゃんちゃんこを羽織っている。
その見たことのない童子は、五日市さんの寝ている周りを二三度回ると、再び縁側の方へと歩いて行った。そして姿が見えなくなると、五日市さんの身体に自由が戻って来たという。
「私はこの時、狐狸妖怪の仕業だと思いました」
五日市さんは狐や狸が悪さをしにやって来たと思ったそうだ。
「もし、今度現れたら退治してやろうと思い、次の日の晩から猟銃を持って待ち構えていたのです」
そしてそれは現れたという。だが、身体は金縛りに遭い、引き金にかけた指はぴくりとも動かず、縁側からすたすたと入って来た童子は、部屋の中を二三度回ると外へ出て行ってしまった。
「一週間、同じ部屋で待ち構えたけれど、そのたびに身体は動かなくなるし、結局退治どころではなかった」
五日市さんはそう言って笑った。

不合格になった入隊検査
戦争が始まって五日市さんにも召集令状が届いた。五日市さんだけではなく、この村からも何人かの若者が出征することになったそうだ。
五日市さんたちは大勢の村人に見送られて、村を後にしたそうだ。そして入隊検査が行われた。所謂、健康診断である。身体には自信があったので当然合格するものと思っていた。実際、どこにも異常はなく、最後に軍医が合格の判を押すだけだったのだが、ここで信じられないことが起きた。
軍医が誤って、不合格の欄に判を押してしまったのである。それを見て驚いたのは五日市さんである。これは何かの間違い、どうか合格にしてくださいと軍医に懇願したそうだ。不合格とあっては恥ずかしくて村に帰ることが出来ないと、それこそ泣きついたのだそうだ。
しかし、軍医からついに合格の言葉を聞くことは出来ず、最後には「天皇陛下の命令に背くつもりか」と一喝されてしまった。
こうして五日市さんは、ひとり泣く泣く村に帰って来たのである。だが、その時に合格となった若者たちは、大陸へ渡る輸送船が撃沈されて全員戦死してしまったのだった。
それを知った時、五日市さんは初めて自分が何者かに守られていることを感じたそうだ。

騒ぐお客
五日市さんが体験した話はそれだけではない。或る詐欺師に騙されて、旅館の改築費用として蓄えた大金を騙し取られてしまった。これはもう首を括るしかないと諦めたところ、郵便受けに包みが入っていたそうだ。開けてみるとそこには騙し取られたお金がそのまま入っていた。
この話はもしかしたら現金ではなく、小切手だったかもしれない。なにしろ遠い昔の話なので私もうる覚えのところがある。しかし、次の話は今でもよく覚えている。
この旅館に座敷わらしが出るという話が、割と知られるようになってからのこと。或る日旅館に小包が届いたので中を開けてみると、絣の着物、それも子供の着物が入っていたそうだ。一緒に手紙も添えられてあり、この着物を是非座敷わらしに着せて欲しいと書かれてあった。
(着せて欲しいといわれても)
五日市さんは困ってしまった。そこで庭にある祠に収めることにしたのだった。
そんな或る日、東京からやって来たという男性が例の槐の間に泊まった。すると翌朝のこと、その男性が仲居さんをつかまえて騒いでいる。
それを見た五日市さんは「どうしましたか」と尋ねると、「夜中に小さな子供が現れた」ということだった。そこで五日市さんは「どんな格好をしていましたか」と再度尋ねると、「絣の着物を着ていたような気がする」と答えたそうだ。
それを聞いて五日市さんは思わず笑顔になったそうな...

この時、他にも沢山の話を聞かせて貰ったのだが、ほとんど忘れてしまったのが何とも残念である。
「今夜見れるといいですね」
五日市さんはそう言ってくれた。

部屋に戻ると床が敷かれてあり、私とOは昼の疲れもあってすぐに眠りに落ちた。

何時頃だろう。私はふと目が覚めた。障子には風に揺れる樹木の陰が月明かりに照らし出されている。
(結局何も起こらないまま朝になるのかな)
私は暗い天井を見上げながらそう思った。と、その時である。
風の音に混じって、ミシッという音が聞こえた。木の軋む音のようだ。
すると再びミシッと音が聞こえた。どこからだろう。蒲団の中で耳を澄ませる。
だが、その後いくら待っても音は聞こえない。風の悪戯だったのかなとそう思った時だった。
パシッ!という大きな音が部屋に響いた。その大きな音に一瞬身構えたが、それ以上の異変は起こらない。
隣りに寝ているOはまったく気がつかない様子で眠りこけている。そして私もいつしか眠り込んでしまったのだった。

翌朝、朝食会場のある広間に向かって廊下を歩いていると、五日市さんが立っていた。もしかしたら我々のことを待っていたのかもしれない。そう思ったら、五日市さんの方から昨夜と同じにこやかな顔で話しかけてきた。
「ゆうべはどうでしたか」
つまり座敷わらしを見たかということだ。そこで私は
「残念ながら姿は見ることは出来ませんでした」と答えた。すると
「何か音は聞こえませんでしたか」と言うので
「木の枝が折れるような音がしました」と答えた。
「音がきこえましたがぁ。それは良かったですなあ」と五日市さん。
なんでも音や気配を感じるだけでもご利益があるのだとか。

ちなみにこの緑風荘に宿泊して成功を収めた有名人には次の人たちがいる。

原敬(第19代内閣総理大臣)
米内光政(第37代内閣総理大臣)
福田赳夫(第67代内閣総理大臣)
本田宗一郎(本田技研工業創業者)
松下幸之助(パナソニック創業者)
稲森和夫(京セラ)
三浦哲郎(作家、ユタと不思議な仲間たちの作者)
遠藤周作(作家、座敷わらしに遭遇した話を作品化)
水木しげる(漫画家、槐の間で座敷わらしに遭遇)
つのだじろう(漫画家、座敷わらしの絵を奉納。その絵の眼球が動いた)
水戸泉(元大相撲力士、槐の間に宿泊後の平成4年7月場所優勝) 
ゆず(音楽グループ、メジャーデビューを果たす)

2009年(平成21年)、この緑風荘は火災により焼失してしまった。この報を聞き、私は愕然としたのだが、2016年より新しく建て直されて営業が行われている。
火事が起こった時、子供がひとりで消火活動をしていたという目撃談があるそうだ。しかも一人の怪我人も出なかったとか。
座敷わらしちゃんは頑張っているようだ。私も頑張らねば。

コメント

マサムネ
2019年3月1日12:41

ぼ、僕も泊まれば大成するかも!と読んでいたら・・・・・・ううう。燃えてしまったのか・・・・。 あまり関係ないですが、箱根には南風荘というホテルがあります。最近見ませんが、うちの中に見慣れない女児がいたことあります。妻に聞いたら四国の従兄弟が白血病で急死したんだけど、一度だけそれくらいの背格好の時にうちに来たことがあると言ってました。じゃあその子かな?とも思っています。

ヒコヒコ
2019年3月1日13:22

マサムネさま
切ないお話ですね。きっと思い出の頃の姿でやって来たのかもしれませんね。

緑風荘は再建されて、例の部屋もちゃんとあるようですよ。機会があれば是非お泊りになってください。
ちなみに私は宿泊後、モデルだった妻をゲットし、子宝にも恵まれ、以前から欲しかった土地を手に入れて家を建て、読書三昧写真三昧と趣味に没頭。あの時泊まって良かったなあと思っています。
新しい旅館になっても座敷わらしは出て来るそうですよ!

しゆい
しゆい
2019年3月1日18:09

前夫さんと槐の間に泊まりました。お供えの玩具で一杯のお部屋でした。
2回ともどちらも座敷童には会えずじまいでした。
緑風荘は一度全焼・再建されたのですね。
今も伝説は生きているということに胸を撫でおろしました。

ヒコヒコ
2019年3月1日18:34

半田思惟さま
そうなんですか。思惟さんも槐の間にお泊りになったのですか。
私が泊まった時はお供えは何もありませんでしたので、特に怖いとも思いませんでしたが、お供えが沢山あるところに泊まるのは勇気が要りませんでしたか?
実は緑風荘には結婚してから妻と泊まったことがあるのですが、その時は二間続きの朝食会場になっていました。
今後はもう泊まる機会もないでしょう。

しゆい
しゆい
2019年3月1日19:15

わたし自身、怖がりではありませんので玩具好きということもあり、
2度目などはお供え用のおもちゃを選んで持っていったくらいで…

前夫さんの「霊を視て一発逆転(わくわく)」の発想が透けてみえて
それが嫌で嫌でしかたがなかったのもありました。思えばその頃から嫌いなひとでした。

ふふふ、思惟はこの手の話を怖がる女子ではありませんことよ♪

まるこ
2019年3月1日19:47

ヒコヒコさん。
座敷わらしちゃんって怖くないタイプの…ですよね…。
テレビで拝見した事あります。
座敷わらしちゃんに会えれば大成すると言われますが、その部屋を見ただけで私など怖くなってしまって。怖いタイプじゃない!と言い聞かせてもどうも…。
いけない!!ヒコヒコさんの読みやすい流れる様な文体に惹かれて熟読してしまった!!今日は夫が泊まり勤務で不在なんですよ…
これ、どうしましょ??一人で2階の寝室で寝る??こ、こわい。
ヒコヒコさん。罪作りですよ〜〜〜!!

ヒコヒコ
2019年3月2日1:00

半田思惟さま
思惟さんの文体から受けるイメージでは、怖がりな女性だったのですが、これは私の思い違いのようでしたね。参りました!!
実はとても強い人だった。人は見かけ、否、読みかけでは分かりませんな。

嫌いな人と緑風荘の後に別れたのも、案外座敷わらしちゃんの差配だったかも。いや、素敵な旦那さまと一緒になったことこそ、座敷わらしちゃんのご利益だったのでしょう。
まずは目出度い!!

ヒコヒコ
2019年3月2日1:18

まるこさま
またまたゴメンナサイ!
今夜はお一人だったのですね。
よりによってそんな日に、こんな話をアップしてしまい申し訳ありません。
でも緑風荘の座敷わらしちゃんは、全然怖くないのですよ。
その正体は、今は昔、南北朝の頃、現在の二戸市まで落ちのびてきた藤原朝臣藤房の子、当時6歳だった亀麿だと言われています。
霊としては高級な部類です。
緑風荘にとどまらず、自分に関心を持ってくれる人のところへ現れるとも言われています。
あっ、また余計な事を書いてしまいました。
お許しあれ〜

マダムM
2019年3月2日11:26

テレビで視るとお供えの人形が不気味、と感じてしまう私のところにはきっと座敷わらしちゃんは出て来ないでしょうね。怖いとか言うより、人形があまり好きじゃないので(-_-;)
座敷わらしに拘らず、幸運をもたらす「良い」霊の存在は信じてますよ。本当に娘の命が救われたんですもの(笑)

ヒコヒコ
2019年3月3日3:40

マダムMさま
それは私の妻も同じことを言っています。人形が苦手で子どもの頃から遊ばなかったそうです。今日はひな祭りですが、我が家に女の子がいなくて助かったなどとほざいています。私は欲しかったんですがね。
私は毎月墓参りを欠かしません。何より良い霊とはご先祖様たち。ご先祖さまを大事にするとは自分を大事にする事だと思っています。
マダムMさんのお嬢さんが命を救われたのも、普段からの良き行動があったからではないでしょうか。私はそう思いますが!

しゆい
しゆい
2019年3月4日13:14

ジェニードールのお洋服を作ると(編むと)嬉々として飾る姉を見て
妹は「気味が悪い…」と云います。
姉妹で人形に対する気持ちが180°違いました。

そんな姉妹は現在(ほんの時折)メールで近況を話す仲になりました。

父は他界し残された母と同居を選んだ妹夫婦。
長女(わたし)は母の手に孫を抱かせられずにいましたが
妹は二人男の子をもうけ、それがどちらも可愛い(はい、伯母バカです)
イケメン二人産んで二人前だねーなんて思います。

座敷わらしちゃんの采配。今の夫は酔うと天真爛漫になります。
もともと葛藤の無いひとであります。わらしちゃん、ありがとー!

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