Yさんは鹿児島出身の偉丈夫で、一見西郷隆盛を思わせる人物だ。故郷を遠く離れてここ仙台に居を構え、20年以上を縁もゆかりもないこの土地で暮らして来た。
私とYさんが出会ったのは、たまたま或る仕事を通じてのことだったが、気が合ったというのだろうか、お互いに連絡を取り合うようになり、ついには私の仕事を手伝ってくれるまでになった。
お酒も無茶苦茶強くて、芋焼酎ならいくらでも飲めると豪語する。そんな豪快な人物だが、なぜ仙台へ来たのか、家族はいるのかなど、プライベートな話は一切口にしなかった。
何か特別な事情があるのだろうと、私もYさんに尋ねることは一切しなかった。
そのYさんが或る日私の仕事場にやって来て、いつものように世間話をして行ったのだが、最近食事の後に横になると、頻繁にゲップが出るようになったというのだ。それまではそんなことがまったく無かったので「これも歳のせいですかね」と笑っていた。
そのYさんから間もなくして電話があり、某医療センターに入院していると知らされた。さすがにおかしいと感じたYさんは検査を受けたところ、胃に癌が見つかった。そこで外科手術と抗癌治療を行うことになったという知らせだった。
私はその知らせにとても驚いたが、努めて明るく話そうとするYさんに、どう励ましたら良いのか言葉が見つからなかった。

手術前に病院へお見舞いに出かけたところ、Yさんはあの大きな身体でニコニコと笑みを浮かべながら面会室へやって来た。いつもと違うのは点滴のスタンドが傍らにあるのとパジャマ姿くらいなものだった。
私も病気のことにはあまり触れず、仕事の話や今度また一緒に飲みに行きましょうという他愛も無い話に終始した。
そのあと病室まで付き添ったが、Yさんのベッドの枕元には名前の分からない小さくて綺麗な花が飾られていた。
「とにかく一日も早い復帰を願ってますから」
その日はそう言ってYさんと別れた。

それから一か月以上が経って、私の携帯電話にYさんから電話が入った。声に張りは無かったが手術は無事に終わり、現在も療養中であるとのことで私もそれを聞いて安堵した。
その電話があって2、3日後に、私は再びYさんを病院へ訪ねた。
今回は直接病室へ足を運んだが、ベッドに起き上がっているYさんを見て、一瞬言葉を失った。なぜなら、あの大きな身体がそれこそ半分になってしまったようなYさんが、そこにいたからである。
一月前に同じこの病院で会ったYさんとはまるで別人だった。顔も身体も、そして点滴を受けている腕も、すっかり痩せ細ってしまっている。
こんな短い期間の間で、こうも変わってしまうものなのだろうか。私は言葉を失った。
Yさんは話をするのが少し辛そうだったので、また伺いますよと言ってすぐに辞去したのだが、その枕元には今回も綺麗な花が飾られていた。いったい誰が飾っていくのだろう。一度もYさんの口から聞かされたことのない家族だろうか。
そんなことが気になりながら、私は病院をあとにした。

おそらくこれは夢である。
どこかの大きな建物の玄関から、見覚えのある人物が、片手に何かをぶら下げて出て来た。そしてまっすぐに私のところへ向かって歩いて来る。
それがYさんであることは、大きな体形ですぐに分かった。
私は病気が全快して、もとのYさんに戻ったのだと思った。
Yさんは私の目の前までやって来ると、深々と一礼した。そして手に提げていた包みを私に差し出した。どうやらそれは一升瓶のようだ。それも芋焼酎らしい。
ふいのことに私はただ黙ってそれを受け取った。
Yさんは受け取って貰ったことにほっとしたのか、それまでの強張った顔が一瞬緩んだように見えた。そして再び私に一礼すると、私に背を向け、いま歩いてきた道を戻り始めた。
私はYさんに声を掛けようとするのだが、何故か声が出ない。しかし、そう思うたびにYさんは立ち止まり、私を振り返っては何度もお辞儀をした。そしていつしかその姿は見えなくなってしまった。
(妙な夢を見るものだな)
私は目が覚めてからも、夢に現れたYさんの姿が頭から離れなかった。

それから一週間ほどが過ぎて、私の携帯電話に見知らぬ番号から電話がかかって来た。
出ると女性の声がした。知らない名前だった。だが、女性が話し始めたのはYさんの死だった。
その女性の話では、Yさんが亡くなったのはしばらく前のことらしい。おそらく私が最後に見舞いに伺い、その直後だったようである。
私のことは生前Yさんから聞いていたらしく、大変お世話になったと話していたそうだ。
今回、こちら仙台を引き払い、故郷の鹿児島へお骨も連れて帰るとのことで、荷物の整理をしていたとのこと。
Yさんの携帯電話を見ていたら、私の名前と電話番号をみつけ、それで電話をしたのだという。
「主人に代わって御礼を申し上げます」
彼女はそう言った。
(奥さんがいたのか。でも苗字は違ったが)
私はYさんの病床にあった綺麗な花を思い出した。

Yさんと私の話はこれで終わりである。
あれは私に別れを伝えに来たのかもしれない。おそらく元気になったらまた飲みましょうと言っていたことが気になっていたのだろう。
芋焼酎をぶら下げてくるなんてYさんらしい。

さようなら、Yさん。

コメント

しゆい
しゆい
2019年2月19日13:45

切ないです…夢に現れてくださったんですね。
本当にそういうことが起きるなんて。最期のお別れ。
わたしはどこに彷徨うのかな、と、ふと思いました。

ヒコヒコ
2019年2月19日14:08

半田思惟さま
やはり今思い出しても、心が切なくなります。
Yさんとは短い期間でしたが、とても楽しく過ごすことが出来ました。
私に別れを告げに来てくれたことはとても嬉しいです。
異郷の地からようやく故郷に帰る事が出来て、きっと喜んでいることでしょう。
時々芋焼酎を飲むと、あのごっつい笑顔を思い出します。

まるこ
2019年2月19日16:07

それはお辛いお別れですね。
お別れは切ないです。同じ数の出会いと別れと…歌の文句にありますが、割り切れませんね。ヒコヒコさんにお別れを告げて旅立たれたのですね。
言葉になりません…。
謹んでご冥福をお祈りします。
素敵な方と出会えて良かったですね、ヒコヒコさん。

ヒコヒコ
2019年2月19日18:19

まるこさま
「袖触り合うも他生の縁」
Yさんとは急に知り合って、そしてあっという間に去って行きました。
鹿児島に生まれたYさんと、遠い東北の地で生まれた私。普通なら絶対に出会うことは無かった筈ですが、きっと前世での何かのご縁があったのかもしれません。
人にはどんな出会いが待ち受けているのか、まったく分かりません。昨日までは見ず知らずの間柄だった者同士が、翌日には昔からの知り合いのように仲良くなっている。考えてみれば、とても不思議で素晴らしいことだと思います。
出会いとご縁は大切にしたいものですね。

マダムM
2019年2月19日18:38

Yさん、きっとヒコヒコさんとのお付き合いが楽しかったのでしょうね。お見舞いに来られたことも嬉しく、でも病床でのやつれた姿は不本意だったのでしょうね。
ヒコヒコさんの記憶に元気だった姿を残したく、お別れに行ったのではないでしょうか?
ヒコヒコさんもお体を大切に!!

ヒコヒコ
2019年2月19日23:48

マダムMさま
短い期間でしたが、私の仕事も助けてくれました。Yさんは私より年上でしたが、それを感じさせないところがありました。Yさんには本当に感謝しています。
亡くなってしばらく経ちますが、まだ心に空いた穴を埋められないでいます。
そうですね、身体を大事にしなければいけませんね。そうしないとYさんに怒られそうです。

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