今では我が家の恒例行事になってしまった感のある、岩手県一関市への新年小旅行。
この旅行の目的はいくつかあって、まず一つ目は「達谷窟(たっこくのいわや)」へ詣でることと、そこで最強のお札と呼ばれている「牛玉寳印」を受けること。そして世嬉の一酒造で「果報もち膳」を食するというこの三つである。
Uターンで混み合う上り車線を尻目に、東北縦貫道を一関ICで降りると、景勝地として知られる「厳美渓」方面へと向かう。その厳美渓から今度は北へと車を走らせることおよそ5分で達谷窟へ到着する。
達谷窟とは正式名称「達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺」。パワースポットとして知る人ぞ知る処である。
達谷窟毘沙門堂の歴史は古く、1200年も昔のこと、この窟を砦にして暴虐の限りを尽くしていたという悪路王、赤頭、髙丸らを征伐すべく、桓武天皇が坂野上田村麿公を征夷大将軍に命じられた。そして激戦の末に悪路王たちは討たれたのだったが、この戦勝を毘沙門天のご加護と感じた大将軍は、その御礼にとこの窟に京都の清水寺を模した精舎を創建し、108体の毘沙門天を祀ったといわれる。
高橋克彦の小説「総門谷」にもこの達谷窟が登場するが、私もその本を読んだことがきっかけとなって、初めてここを訪れたのが30年も前のことであった。
毘沙門堂は窟の中にはめ込まれたような懸造構造になっており、このような建造物としては国内最大の規模を誇っている。
2017年、私は前厄を迎えていた。その年の正月はただ何となく此処を訪れたのだが、毘沙門堂で御参りを済ませると、朱盆に載せられている御札に目がいった。それが「牛玉寳印(ごおうほういん)」といわれる護符との出会いだった。
この護符は元日から1月8日にかけて、修正會により二十一箇座の加持祈祷を経て出来上がる「最強の御札」として信者に配られているものだった。
これを玄関や長押に貼っておくことにより、悪鬼邪神を祓い福を招くと言われている。
現在は信者でなくても、希望者は一部千円で受けることが出来るので、これも何かのご縁と授かって来たのである。
さて、そうなると翌年は本厄だからお受けしなければと出かけていき、そして今年も後厄だからと出かけた次第である。
護符が出来上がるのは1月8日なので、実際には予約ということになるが、受付で所定の封筒に千円を入れて宛先を記入してくるだけでいい。
近年では「最強のお札」ということが広がって来て、希望者が増えているという。ただし信者ではないとしても、御参りをした人にのみ頒布されるものなので、いわゆる通販はない。
さて、私が訪れた一関市は、食文化として「餅食」が有名な町である。NHKの朝ドラ「ひよっこ」で、シシド・カフカ演じる久坂早苗は一関市出身という設定になっていた。その彼女が「一関では何かがあると、必ず餅を食べる」というセリフがあった。その言葉を裏付けるように餅料理の数の多さは日本一だと言われている。
昨年、2018年の正月に訪れた時は、JR一関駅前にある三彩館ふじせいで「ひと口もち膳」を食べたが、今年は世嬉の一酒造の「果報餅膳」を食べようということになった。
世嬉の一酒造については私が細々と書くよりも、HPをご覧いただいた方が分かりやすいと思うので、下記のURLから入って頂きたいと思う。
この酒蔵は、文学者たちとも縁が深く、島崎藤村や幸田露伴、北村透谷に内村鑑三などとも関係があった。また、戦後間もなくは井上ひさし一家が、此処の土蔵で暮らしていたという。
さて、私が入った蔵元レストランせきのいちは石造りのモダンなレストランで、早速「果報もち膳」を頂戴したが、写真のように様々な種類の餅が8つの椀に供される(真ん中の椀には酢漬けの大根おろしが入っている)。
ちなみに左上から「沼えび」「じゅうね(エゴマ)」「ごま」、中左から「ずんだ」「甘酢大根」「くるみ」、下左から「納豆」「あんこ」「おろし」となっている。この他に雑煮が付き、二の膳には枡に盛られた菜のものなどが付いてくる。
このもち膳。ちょっとしたお遊びがあり、8つの餅のどれか一つに萩の小枝が隠されている。その小枝の入った餅を何番目に手に取ったかで、幸運日が分かるのだと教えられた。
もし、最初に手にした餅の下に小枝が隠されていたら、今日がその幸運日となる訳だ。
私は5つ目の「沼えび」だったから、4日後が幸運日ということになる。4日後となれば、もう仕事が始まっている。そう思うとちょっとだけ溜め息が漏れたが、柔らかい餅の食感が再び心を和ませてくれた。
https://sekinoichi.co.jp/
この旅行の目的はいくつかあって、まず一つ目は「達谷窟(たっこくのいわや)」へ詣でることと、そこで最強のお札と呼ばれている「牛玉寳印」を受けること。そして世嬉の一酒造で「果報もち膳」を食するというこの三つである。
Uターンで混み合う上り車線を尻目に、東北縦貫道を一関ICで降りると、景勝地として知られる「厳美渓」方面へと向かう。その厳美渓から今度は北へと車を走らせることおよそ5分で達谷窟へ到着する。
達谷窟とは正式名称「達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺」。パワースポットとして知る人ぞ知る処である。
達谷窟毘沙門堂の歴史は古く、1200年も昔のこと、この窟を砦にして暴虐の限りを尽くしていたという悪路王、赤頭、髙丸らを征伐すべく、桓武天皇が坂野上田村麿公を征夷大将軍に命じられた。そして激戦の末に悪路王たちは討たれたのだったが、この戦勝を毘沙門天のご加護と感じた大将軍は、その御礼にとこの窟に京都の清水寺を模した精舎を創建し、108体の毘沙門天を祀ったといわれる。
高橋克彦の小説「総門谷」にもこの達谷窟が登場するが、私もその本を読んだことがきっかけとなって、初めてここを訪れたのが30年も前のことであった。
毘沙門堂は窟の中にはめ込まれたような懸造構造になっており、このような建造物としては国内最大の規模を誇っている。
2017年、私は前厄を迎えていた。その年の正月はただ何となく此処を訪れたのだが、毘沙門堂で御参りを済ませると、朱盆に載せられている御札に目がいった。それが「牛玉寳印(ごおうほういん)」といわれる護符との出会いだった。
この護符は元日から1月8日にかけて、修正會により二十一箇座の加持祈祷を経て出来上がる「最強の御札」として信者に配られているものだった。
これを玄関や長押に貼っておくことにより、悪鬼邪神を祓い福を招くと言われている。
現在は信者でなくても、希望者は一部千円で受けることが出来るので、これも何かのご縁と授かって来たのである。
さて、そうなると翌年は本厄だからお受けしなければと出かけていき、そして今年も後厄だからと出かけた次第である。
護符が出来上がるのは1月8日なので、実際には予約ということになるが、受付で所定の封筒に千円を入れて宛先を記入してくるだけでいい。
近年では「最強のお札」ということが広がって来て、希望者が増えているという。ただし信者ではないとしても、御参りをした人にのみ頒布されるものなので、いわゆる通販はない。
さて、私が訪れた一関市は、食文化として「餅食」が有名な町である。NHKの朝ドラ「ひよっこ」で、シシド・カフカ演じる久坂早苗は一関市出身という設定になっていた。その彼女が「一関では何かがあると、必ず餅を食べる」というセリフがあった。その言葉を裏付けるように餅料理の数の多さは日本一だと言われている。
昨年、2018年の正月に訪れた時は、JR一関駅前にある三彩館ふじせいで「ひと口もち膳」を食べたが、今年は世嬉の一酒造の「果報餅膳」を食べようということになった。
世嬉の一酒造については私が細々と書くよりも、HPをご覧いただいた方が分かりやすいと思うので、下記のURLから入って頂きたいと思う。
この酒蔵は、文学者たちとも縁が深く、島崎藤村や幸田露伴、北村透谷に内村鑑三などとも関係があった。また、戦後間もなくは井上ひさし一家が、此処の土蔵で暮らしていたという。
さて、私が入った蔵元レストランせきのいちは石造りのモダンなレストランで、早速「果報もち膳」を頂戴したが、写真のように様々な種類の餅が8つの椀に供される(真ん中の椀には酢漬けの大根おろしが入っている)。
ちなみに左上から「沼えび」「じゅうね(エゴマ)」「ごま」、中左から「ずんだ」「甘酢大根」「くるみ」、下左から「納豆」「あんこ」「おろし」となっている。この他に雑煮が付き、二の膳には枡に盛られた菜のものなどが付いてくる。
このもち膳。ちょっとしたお遊びがあり、8つの餅のどれか一つに萩の小枝が隠されている。その小枝の入った餅を何番目に手に取ったかで、幸運日が分かるのだと教えられた。
もし、最初に手にした餅の下に小枝が隠されていたら、今日がその幸運日となる訳だ。
私は5つ目の「沼えび」だったから、4日後が幸運日ということになる。4日後となれば、もう仕事が始まっている。そう思うとちょっとだけ溜め息が漏れたが、柔らかい餅の食感が再び心を和ませてくれた。
https://sekinoichi.co.jp/
コメント
達谷窟、猊鼻渓、厳美渓。そして私が大好きな中尊寺金色堂。
毛越寺のお庭。嗚呼芭蕉という気分になります。
毎年お出かけになるんですね。羨ましいです。
岩手はお餅料理が豊富ですよね。拝見しましたが素敵な所ですね。
今年も家内安全。商売繁昌。悪霊退散。間違いなしですね!!
今日の新聞の日曜日版。奇遇にも一面が一関市のお餅の特集でした。
そしてそのお店が「世嬉の一」
ヒコヒコさん。まさか!某読売新聞の編集者さんでは??
一関は昔「大凶」を引いた思い出があり、『これはどん底だから後は上りしかない良い運勢』だと諭されました。以後御神籤は買いません。
高橋克彦さんは一時期嵌りまくってまして「総門谷」も読みました。ただ岩手方面らしい、くらいの認識でした。あの独特な世界観は面白く好きでした。今書棚んを確かめたら、処分せずにあったので、読み直してみようかなと思います。
お餅が「料理」として存在するって珍しいですね。お餅は大好きで、食べ過ぎないように注意してます(^^ゞ
いつもの事ながら、ヒコヒコさんの文章を読んでいると絶対その場所に行ってみたくなる!!食べてみたくなる!!
読売新聞の日曜日版一面が一関のお餅特集とは知りませんでした。しかも「世嬉の一酒造」だったのですね。これは本当に偶然です。これは正月から感が冴えているようです。
残念ながら読売新聞の編集者ではありませんが、地元の河北新報社の元記者さんとは毎日顔を合わせています。今月、飲みに行く約束をしているのですが、新聞記者の人ってお酒に強い人が多いんですよね。今から少しビビっている私です。
一関市は高速を使えば、我が家からちょうど一時間ほどの距離です。ドライブと考えれば手頃な距離です。それゆえお正月ともなれば、つい餅も食べたくなって出かけてしまうのです。
箱根駅伝を視て、氏神様へのお参りも素敵ではありませんか。私は紅白が終わると近所の氏神様へお参りに行くのですが、昨年から神主が代わってしまったせいか、お祓いの儀式が早々に終わってしまっており、今回も受けることが出来ませんでした。
マダムMさんが高橋克彦氏をご存知であったことは、以前のブログで承知していましたが、総門谷を読み返されたとは、思わずニンマリしてしまいました。突拍子もない話ですが、つい引き込まれてしまう作品ですね。
私の拙い文章でその土地へ行ってみたい食べてみたいと思って頂けたなら、書いた本人としては無上の喜びです!