修羅のいた場所

2018年3月6日 趣味
修羅のいた場所
岩手県南部に猊鼻渓という景勝地がある。
砂鉄川沿いのおよそ2Kmを高さ50mに及ぶ石灰岩の岩壁が続いている。
新緑や紅葉が美しく、此処を訪れる観光客は多い。また、船頭の舟唄を聞きながらの船下りは観光客にとても人気がある。
JR大船渡線の猊鼻渓駅が最寄り駅になるが、そのひとつ隣りの陸中松川駅で下車すると、旧東北砕石工場の建物がある。1978年に操業停止となったが、1996年に文化庁登録有形文化財に登録された。
この砕石工場の名前を聞いただけで、すぐにピンとくる人がいることだろう。
賢治、そう、あの「宮沢賢治」が最後に勤めたのがこの東北砕石工場だった。
ここで採れた石灰は主に肥料として使われたが、農閑期にはどうしても売れなくなってしまう。そこで壁材への転用を思いついた賢治がセールスマンとして、40Kgもある重いサンプルを鞄に詰めて上京した。
この頃すでに病魔に侵されていた賢治にとって、長旅と荷物の重さは相当堪えたはずだ。実際、東京に着いたその晩に高熱を出し、死を覚悟した賢治は遺書をしたためたのだった。
結局上京はしたもののセールスは出来ないまま花巻に連れ戻され、そして病の床につくことになる。
この工場の社員となって働いたことが、結果的に賢治の命を縮めたことになるのだろうが、賢治本人はどう思ったことだろう。

工場に併設されている「石と賢治のミュージアム」を訪れたところ、学芸員の方がとても親切に対応してくださった。また、施錠したばかりの「双思堂文庫」をわざわざ開けてくださり、貴重な本や資料を拝見させて頂くことができた。
宮沢賢治に関心をお持ちの方なら是非一度は訪ねてみたい場所だ。

賢治が砕石工場の技師となった昭和6年に此処を訪れた際に、1枚の記念写真が撮られたのであるが、ヒコヒコも宮沢賢治と並んで是非一緒に写りたかった。
今日はその時(?)の写真を紹介して幕としたい。

写真前列右(座っている)から
山崎長之助
細川寿七
千葉専蔵
佐藤与喜右エ門

後列右から
鈴木貞治
和賀嘉那理
偶然居合わせた魚屋さん
宮沢賢治
鈴木東蔵
偶然居合わせたヒコヒコさん
山崎久三
鈴木貞三郎
金野柳之進
細川正治
高屋栄助


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