そういうわけで、偶然にも今日27日が宮沢賢治の誕生日であることを知った私は、花巻へ足を向けることにした。
賢治は花巻市内にある身照寺に眠っている。場所だけは以前から知っていたのだが、訪れるのは今回が初めてだった。
花巻市図書館から続く狭い坂道を下っていくと、身照寺へ上がる階段が現れる。
階段の上り口には「みみずく」の石像が。今までどれほど多くの「信奉者」を出迎えたのだろうか。
賢治の墓は本堂の裏手にあった。案内板が立っているのですぐに分かった。
写真のように墓石は二基あり、向かって左側が賢治の墓で、右側が宮沢家の墓だ。
今日が誕生日だということで、さぞや参拝者が多いだろうと思っていたら、わたしひとりしかいない。ちょっと拍子抜けしてしまう。
しかし親族の方が供えたのだろうか。真新しい花が目を惹いた。
それぞれの墓石に線香をあげて合掌する。誰もいなかったので、賢治とゆっくり話をすることができた。隣りでは賢治の父である政次郎氏が黙って話を聞いていた。
写真のとおり墓石には戒名などが一切刻まれていない。これは遺言であったという。まことに賢治らしい、と思う。
それにしても、本当に誰も訪れる気配がない。
そうか、今回の旅は彼からのご招待だったのかもしれないな。
どうもありがとうございました。
さて、明け方にオニギリを食べただけだったので腹が減ってきた。
賢治が「ブッシュの天ぷらそばを食べて行ったらいい」と教えてくれたので、それは名案と早速行ってみることにした。
ブッシュとは花巻市内にある蕎麦屋の名店「やぶ屋」のことである。これについては私の4月16日のブログに書いているので、お暇でしたら読み直していただきたい。
「やぶ」だから「ブッシュ」とは賢治お得意の洒落だったのだが、本来彼はユーモア溢れる人であった。とかく作品のイメージにとらわれてしまいがちだが、だからこそ奥が深くて魅力があるのだ。
一面的な人間だったら、あのような作品世界は生まれてこなかっただろう。
(続く)
賢治は花巻市内にある身照寺に眠っている。場所だけは以前から知っていたのだが、訪れるのは今回が初めてだった。
花巻市図書館から続く狭い坂道を下っていくと、身照寺へ上がる階段が現れる。
階段の上り口には「みみずく」の石像が。今までどれほど多くの「信奉者」を出迎えたのだろうか。
賢治の墓は本堂の裏手にあった。案内板が立っているのですぐに分かった。
写真のように墓石は二基あり、向かって左側が賢治の墓で、右側が宮沢家の墓だ。
今日が誕生日だということで、さぞや参拝者が多いだろうと思っていたら、わたしひとりしかいない。ちょっと拍子抜けしてしまう。
しかし親族の方が供えたのだろうか。真新しい花が目を惹いた。
それぞれの墓石に線香をあげて合掌する。誰もいなかったので、賢治とゆっくり話をすることができた。隣りでは賢治の父である政次郎氏が黙って話を聞いていた。
写真のとおり墓石には戒名などが一切刻まれていない。これは遺言であったという。まことに賢治らしい、と思う。
それにしても、本当に誰も訪れる気配がない。
そうか、今回の旅は彼からのご招待だったのかもしれないな。
どうもありがとうございました。
さて、明け方にオニギリを食べただけだったので腹が減ってきた。
賢治が「ブッシュの天ぷらそばを食べて行ったらいい」と教えてくれたので、それは名案と早速行ってみることにした。
ブッシュとは花巻市内にある蕎麦屋の名店「やぶ屋」のことである。これについては私の4月16日のブログに書いているので、お暇でしたら読み直していただきたい。
「やぶ」だから「ブッシュ」とは賢治お得意の洒落だったのだが、本来彼はユーモア溢れる人であった。とかく作品のイメージにとらわれてしまいがちだが、だからこそ奥が深くて魅力があるのだ。
一面的な人間だったら、あのような作品世界は生まれてこなかっただろう。
(続く)
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