「東日流外三郡誌」と書いて「つがるそとさんぐんし」と読む。東日流とは今の青森県、津軽地方のことである。
 昭和五十年に青森県北津軽郡市浦村が、『市浦村史 資料編』を刊行したが、その内容をめぐっての大論争が起こった。その内容とは、それまでの古代史を根底から覆す衝撃的なものだったのである。
 市浦村はこの村史の刊行にあたり、五所川原市に住まいする和田喜八郎氏(故人)から、「和田家文書」と呼ばれる膨大な数の古文書の提供を受けた。その古文書は、和田家の天井を突き破って落ちてきた長持ちの中に入っていたとされる。その後さらに次々と発見されるや、その数は最終的には千巻とも二千巻ともいわれる。
 その古文書によれば、はるか昔、十三湊(青森県五所川原市十三あたり)は安東氏(安東国)と蝦夷地の事実上の首都であったという。諸外国との交易が盛んで、町にはカトリック教会や多数の異人館があったというから驚きであるが、これはまだまだ序の口なのである。
 津軽地方には阿蘇辺(あそべ)族という民族が住んでおり、その後中国大陸や朝鮮から漂着した津保毛(つぼけ)族が阿蘇辺族と交わるようになる。
 その頃日本では部族同士の争いが絶えず、互いに侵略しあう日々が続いていた。安日彦・長脛彦の兄弟がそれを統一し、耶馬台国を建国したが、九州にいた神武天皇は東征を開始し、敗れた安日彦・長脛彦は津軽地方へ逃れたという。そして安日彦・長脛彦ら耶馬台一族は、阿蘇辺族や津保毛族を糾合し、荒覇吐(あらはばき)の神を崇める荒覇吐族(あらはばきぞく)を名乗るようになる。やがて彼らは近畿地方を奪回し、この時に即位した考元天皇や開化天皇は、荒覇吐族によって立てられた天皇だというのである。
 この後荒覇吐族は二つに分かれて争うようになるのだが、やがて安倍氏という豪族集団となり、奥六郡を支配するようになる。この安倍氏はのちに前九年の役で、源頼義に攻められ滅ぼされてしまう...
 私がこの「東日流外三郡誌」の存在を初めて知ったのは、もう二十年も前のことだが、当時は結構「真書」であるという評が聞かれたような覚えがある。
 上述した文書の内容はだいぶ途中を端折っているが、この話を初めて聞いた時は本当かいなと思ったものである。
 この「東日流外三郡誌」に関しては、専門家や研究家の間で大論争が巻き起こり、訴訟にまで発展してしまった。現在では「偽書」ということでほぼ決着がついたようであるが、それにしても内容といい分量といい、なんと壮大なウソ話であろうか。
 本書は、この「事件」の真偽を追及していった東奥日報の記者(現在は編集委員)による力作である。
 国を愛する、郷土を愛する形は人それぞれ異なるものがあるだろう。想像するに和田喜八郎という人も、その一人だったのかもしれない。或いはただ単純なロマンティストだったのか。
 厳しい風土で不毛とされた津軽の地に、「実はここは古(いにしえ)の昔に」という夢を描いてみたのだが、それが一人歩きを始め、止めることが出来なくなってしまった。
 こう書くと擁護し過ぎと言われそうだが、私はあくまで「偽書」派である。しかしかつて青森に長く住んでいた私としては、何となく和田氏の気持ちが分からないでもない。ただし、この件で傷ついた人達もまた大勢いることを本書で知り、何ともやるせない心境である。

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