大地震を予知した男の不思議 椋平虹の謎
2018年9月14日 不思議草子 コメント (8)
今回の北海道大地震もそうだが、巨大地震を事前に察知出来ないものだろうかといつも思う。もしそれが可能となれば、被害を大幅に減らせるだろうことは誰の目にも明らかだ。しかし研究を進めれば進めるほど、それが極めて難しいということが逆に分かってくるという。
だいたい、あと30年の間に○○パーセントの確率で大地震が発生するなどと言われてもピンとこないし、そんなのは予知でも何でもない。
結局、常に高い防災意識を持続して、いつ大地震が発生しても良いように身構えているしかないという、ほぼ常人には不可能な結論に辿り着くのである。
現に北海道大地震はいまだに大きな余震が続いているし、南海トラフでは最近気になる兆候が現れているという。もうあまり時間が無いような気がしてならないのである。
ところで「椋平虹(むくひらにじ)」という言葉をご存知だろうか。
椋平廣吉というひとりの若い地震研究家が、京都は天橋立、宮津湾に架かる虹から地震を予知することが出来ると言うのである。
この椋平青年から京都帝国大学の石野友吉博士に一本の電報が届いた。
「アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ」
それは昭和5年11月26日午前8時のことだった。
この電報が発信されたのは、京都天橋立局。発信日時は11月25日午後0時25分となっている。着信されたのは同0時50分であった。つまりこの電報は前日に発信されていたのだが、果たして椋平の予知通りに翌26日午前4時3分、北伊豆を中心とするマグニチュード7.3、最大震度6という大地震が発生した(していた)のである。
この地震による死者及び行方不明者は272名、負傷者572名、全壊半壊を併せると7000戸近い家屋が被害を受けた。いわゆるこれが北伊豆地震であったのだが、電報を受け取った石野博士はその内容が合致していることに驚愕したのだった。
椋平はその後も宮津湾に架かる虹を独自の理論と方法により観測し、得られた結果を研究者等に郵送したのである。そしてそのほとんどが予知通りになったという。その的中率はおよそ9割と極めて高いものだった。
この椋平の研究に対して、アインシュタインやエジソンまでもが賛辞を送っている。
だがしかし、話はこれで終わらなかった。どうやらこれがインチキ、トリックではないのかと疑われ始めたからである。
まず、予言は必ず葉書で送られてきたこと。それも地震発生の後ばかりだった。京大の地震学者であった三木晴男は「椋平虹を観測したら、その時点で電話をするよう」説得したものの、椋平は最後までそれを拒んだことも疑念を深める結果となった。
ただ、いくら疑念が深まっても葉書の消印が前日であることには間違いなく、地震予知はされていたというアリバイの根拠となっていたのだが、そのトリックを一人の新聞記者が見抜いたのである。
その名は横山裕道。のちに毎日新聞の論説委員を務めた人物である。
彼は椋平が出した葉書を詳細に調べ上げたところ、宛先が一度消されていることに気がついたのである。つまり、椋平は自分宛てに鉛筆で書いた葉書を出して、それが戻ってくると宛名を消し、大きな地震の発生を知るたびに、研究者の宛名と予知を書いて、おそらくその本人の郵便受けなどに自ら投函していたものと思われる。
こうして椋平廣吉は地震学の世界から追放されたのである。
だが、ひとつ思い出して頂きたい。
北伊豆地震の際に、石野博士に知らせた媒体は何であったのかを。
それは葉書ではなく電報だった。
そして世間から完全に抹殺されてしまった椋平は、その後どうしていたのかと言えば、死ぬまで椋平虹を研究していたというのである。
これをどう受け止めるべきか。
謎はいまだ残ったままである。
だいたい、あと30年の間に○○パーセントの確率で大地震が発生するなどと言われてもピンとこないし、そんなのは予知でも何でもない。
結局、常に高い防災意識を持続して、いつ大地震が発生しても良いように身構えているしかないという、ほぼ常人には不可能な結論に辿り着くのである。
現に北海道大地震はいまだに大きな余震が続いているし、南海トラフでは最近気になる兆候が現れているという。もうあまり時間が無いような気がしてならないのである。
ところで「椋平虹(むくひらにじ)」という言葉をご存知だろうか。
椋平廣吉というひとりの若い地震研究家が、京都は天橋立、宮津湾に架かる虹から地震を予知することが出来ると言うのである。
この椋平青年から京都帝国大学の石野友吉博士に一本の電報が届いた。
「アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ」
それは昭和5年11月26日午前8時のことだった。
この電報が発信されたのは、京都天橋立局。発信日時は11月25日午後0時25分となっている。着信されたのは同0時50分であった。つまりこの電報は前日に発信されていたのだが、果たして椋平の予知通りに翌26日午前4時3分、北伊豆を中心とするマグニチュード7.3、最大震度6という大地震が発生した(していた)のである。
この地震による死者及び行方不明者は272名、負傷者572名、全壊半壊を併せると7000戸近い家屋が被害を受けた。いわゆるこれが北伊豆地震であったのだが、電報を受け取った石野博士はその内容が合致していることに驚愕したのだった。
椋平はその後も宮津湾に架かる虹を独自の理論と方法により観測し、得られた結果を研究者等に郵送したのである。そしてそのほとんどが予知通りになったという。その的中率はおよそ9割と極めて高いものだった。
この椋平の研究に対して、アインシュタインやエジソンまでもが賛辞を送っている。
だがしかし、話はこれで終わらなかった。どうやらこれがインチキ、トリックではないのかと疑われ始めたからである。
まず、予言は必ず葉書で送られてきたこと。それも地震発生の後ばかりだった。京大の地震学者であった三木晴男は「椋平虹を観測したら、その時点で電話をするよう」説得したものの、椋平は最後までそれを拒んだことも疑念を深める結果となった。
ただ、いくら疑念が深まっても葉書の消印が前日であることには間違いなく、地震予知はされていたというアリバイの根拠となっていたのだが、そのトリックを一人の新聞記者が見抜いたのである。
その名は横山裕道。のちに毎日新聞の論説委員を務めた人物である。
彼は椋平が出した葉書を詳細に調べ上げたところ、宛先が一度消されていることに気がついたのである。つまり、椋平は自分宛てに鉛筆で書いた葉書を出して、それが戻ってくると宛名を消し、大きな地震の発生を知るたびに、研究者の宛名と予知を書いて、おそらくその本人の郵便受けなどに自ら投函していたものと思われる。
こうして椋平廣吉は地震学の世界から追放されたのである。
だが、ひとつ思い出して頂きたい。
北伊豆地震の際に、石野博士に知らせた媒体は何であったのかを。
それは葉書ではなく電報だった。
そして世間から完全に抹殺されてしまった椋平は、その後どうしていたのかと言えば、死ぬまで椋平虹を研究していたというのである。
これをどう受け止めるべきか。
謎はいまだ残ったままである。
コメント
現代科学では解明出来ない事象は沢山あるということですね。
しかし地震の予知をされても、どのような対応をすればいいのか分かりません(-_-;)
不可思議現象と呼ばれる大半のものは、インチキやトリック、或いは目の錯覚によるものだと言われています。私もほぼ同じ考えではありますが、すべてがそうだとも思ってはいません。
すべての事象が現代科学で解決できるなんて、人間の傲慢な考え方だと私は思うのですが...
ヒコヒコさんが日記書いてくださると読書した気分になります。文章の構成や描写能力が高いからでしょうね。作家さんの作品を拝読している様です。さすがです。
しかし、地震予知の話ですがハガキのトリックは解けても電報ですもんね。
ふむ??どうしてわかったんでしょうね??その後も研究続けたんですもんね。
謎が謎を呼びますね。
地震予知は今後30年以内に何パーセントとか言われても…困りますね。
怖さが膨らみますもんね。いつ、何時、何処でってはっきり言ってもらえないと私などオロオロしてしまいます。
それとは別なんですけど、私、自分の死ぬ日がはっきりしないかな??とぼんやり思うようになりました。いつ死にますよ!!って。変ですかね??
予知のうち何%かは本物だった!…だといいなぁ~。
地震雲とか気象による予知もチラホラ聞きますし、
その虹についても、地球(宇宙)からのメッセージだったりして…。
と、ロマンが膨らみますが、そもそも大地震は来てほしくないです。
お願いだから静かにしててくださいと、地球に祈るばかりです。
ところで、前に紹介されていた「死に山」は
図書館でまだ扱いがありませんでした…ガッカリ。
地震予知の精度が向上することを、今はただ祈るばかりです。ちなみにカミさんのご機嫌を事前に察知する能力は、この何年かで格段に向上しております!
ところでまるこさんは、自分の死ぬ日を知りたい派なんですね。それも分かるような気がしますが、ある日いきなり明日で死にますよなんてことが分かったら、正直焦りますねぇ。
いや、パニックになるかもしれません。せめて告知の告知くらいの猶予は欲しいところです。
私の知り合いに、東日本大震災の前夜、東の空が光っていたと言う者がいます。また仙台市内に設置されているお天気カメラが、北の夜空に雷とは異なる瞬間光を何度か捉えていました。
ちなみに我が妻は、俗に言う地震雲の存在を信じていて、時々空を見上げては、〇〇の方向で地震があるよと予言します。すると一両日中にはほぼ間違いなく、それも比較的大きな地震が発生するのです。
まあそれはともあれ、chiakiさんの言う通り大地震は来て欲しくありませんね。
「死に山」は扱っていませんでしたか。それは残念ですね。もう少ししたらブック・オフあたりに出て来るかもしれません。今しばらくのご辛抱を!!
ただ、こういう話は好きなので、ヒコヒコさんの不思議草子はこれからも楽しみにしています!それから、こういう一見妖しげなものでも、ちゃんと研究してほしいですね。
つまり、トリックを使う必要があったということは、本物は一つもなかった動かぬ証拠です。
>以前テレビ番組で「月の裏側の写真を撮った男」というのをやっていた。
>昭和初期から大正期じゃなかったかな。
>やはり当時はペテン師扱いをされたが、宇宙開発が進み、本当の月の裏側の写真を見ることが出来るようになったら、全く同じであった、という。
念写したとされる人物は多数の手品師に師事した職業手品師です。
肝心の写真は、非常にぼやけており、海の面積比が実物と全く違う似ても似つかぬ代物です。
写真を本物と認定した後藤以紀氏は、電子工学者ではあるものの、天文学の専門家でも何でもありません。
彼は海やクレーターが31個一致したとしていますが、写真のぼやけ具合からどこにクレーターがあるのか読み取れません。
本物の写真にはクレーターが数え切れないくらい写っており、そのうちのたった31個をこじつけられたくらいでは少な過ぎます。
発表された論文も日本心霊科学協会とやらの自称研究団体の会誌に過ぎません。