昨日は我が家の墓参りに行った。
クルマでおよそ30分、仙台市の郊外にある大きな霊園だ。
さすがにお盆だけあって、いつもより人やクルマが混み合っている。いつもよりと書いたのは、ほぼ毎月のように親父と墓参りに来ているからだ。義理と墓参りは欠かしてはならない。これが我が家の家訓でもある。
さて、お盆については地域によってしきたりが異なるようだが、妻の実家の方では墓前で「ずんだ餅」を食べる。お盆の時期以外ではそれが「白玉」になる。
ちなみに持ち帰ることは禁忌なので、必ず食べ切らなければならない。
そもそもずんだ餅はお盆の食べ物なのである。その理由は定かではないが、ずんだの食材である「枝豆」がこの時期に美味しいからという説もある。
そういえば昔住んでいた青森では「法界折(ほうかいおり・ほっかいおり)」という弁当を作って墓参りに出かける。この弁当は今ではスーパーでも売られているようだが、各家が作ってお墓へ持って行くのである。
但しこのしきたりは青森の中でも津軽地方独特のものなので、南部地方には見られない。よってこのしきたりを知っているかいないかで津軽人であるかどうかが分かるのである。
それはさておき、それぞれの家族が各々のご先祖様の墓の前で、まるで自宅の食卓で食事を始めるかのように弁当を広げるその光景は、他には見られないものである。
生者と死者が一緒になって食事を楽しむ。人の優しさが感じられる、私の好きな風景だ。
クルマでおよそ30分、仙台市の郊外にある大きな霊園だ。
さすがにお盆だけあって、いつもより人やクルマが混み合っている。いつもよりと書いたのは、ほぼ毎月のように親父と墓参りに来ているからだ。義理と墓参りは欠かしてはならない。これが我が家の家訓でもある。
さて、お盆については地域によってしきたりが異なるようだが、妻の実家の方では墓前で「ずんだ餅」を食べる。お盆の時期以外ではそれが「白玉」になる。
ちなみに持ち帰ることは禁忌なので、必ず食べ切らなければならない。
そもそもずんだ餅はお盆の食べ物なのである。その理由は定かではないが、ずんだの食材である「枝豆」がこの時期に美味しいからという説もある。
そういえば昔住んでいた青森では「法界折(ほうかいおり・ほっかいおり)」という弁当を作って墓参りに出かける。この弁当は今ではスーパーでも売られているようだが、各家が作ってお墓へ持って行くのである。
但しこのしきたりは青森の中でも津軽地方独特のものなので、南部地方には見られない。よってこのしきたりを知っているかいないかで津軽人であるかどうかが分かるのである。
それはさておき、それぞれの家族が各々のご先祖様の墓の前で、まるで自宅の食卓で食事を始めるかのように弁当を広げるその光景は、他には見られないものである。
生者と死者が一緒になって食事を楽しむ。人の優しさが感じられる、私の好きな風景だ。
コメント
ちなみに東京(下町)のお盆はハスの葉の上にそうめんと夏野菜の煮物などを供えるらしいです。昔ながらの風習を踏襲している友人に聞きました。墓前で物を食べる風習は無さそうです。
でも、墓前で食事はしないな…。
茄子や胡瓜でお馬さんや牛車を作り、仏前に備えます。
そうめんは手綱です。
地方地方のやり方があって、面白いですね!
墓前で食べて(手を合わせた後です)ました。
代替わりすれば形骸化していくのでしょうけども。
ずんだ餅や白玉とは小粋な感じがしていいですねー
妻の実家の方がお盆のしきたりに割とうるさく、私の方は墓参りをするくらいで特別な風習など特に無いのです。ずんだ餅をお盆に食べるようになったのも、妻の実家のしきたりに倣ったまでのこと。それから、ご先祖様も私の亡母も、いつも傍で一緒に暮らしているという考えはマダムMさんに同じですね。
胡瓜が馬で、茄子が牛でしたっけ。ご先祖様が早く来るように馬を用意して、ゆっくり帰ってもらうように牛に乗ってお帰り頂く。いったい誰が考えたのでしょうね。この風習は全国的なものなのでしょうか。こういった風習は後世まで残したいものです。
アミさんのところでは、そうめんを食べるのですか?
そういう風習は初めて伺いました。やはり処変われば品変わる、なのですね。
勉強になります。
墓前で煮物を食べるのですね。ちなみに煮物は薄味ですか?それとも濃口ですか?
墓前では食べませんが、そのあとの食事では頂きます。やはりこちらは濃い目の味付けですが、我が親父は煮物が大好物で、これさえあれば他には何もいらないとのこと。
ずんだ餅や白玉も美味しいのですが、たまには洋菓子もいいなと思う今日この頃です。
煮物は濃口でした。作る側としては血圧の薬を飲んでいましたし
わたしに遺伝しても「薬を飲めばだいじょうぶ」という考えだったのでしょう。
なんたって毒親ならぬ「薬親」でしたから。病院信仰は厚くありまして。
降圧剤を始めるのが遅かったわたし。だけど間に合いました。
今生きていてしあわせです。もうそれ以上のことは両親にかける言葉は
ありません。ごめんなさい、不出来な娘でした。
ご回答ありがとうございました。煮物は我が家と同じ味付けですね。味が濃くないと食べた気がしないという我が親父も、思惟さんおっしゃるところの「病院信仰」者のひとりでして、通い続けている病院にお気に入りの先生がいるのですが、「もう良くなったので(病院に)来なくても大丈夫ですよ」と言われたのがとてもショックだったらしく、しばらくの間落ち込んでいました。
でも私が思うに、一番の親孝行というのは、親よりも一日でも長く生きることだと思いますよ。
私の歳まで生きると、そうでなかったケースを沢山見てきましたので、改めて強くそう思うのです。